54 風の加護の部族
おろろろろろお……。
クワルが背中をさすってくれた。
みっともないが、こんなのはもう、どうしょうもない。
パトラッシュはきっと、ごみ虫でも見るような冷たい目で俺を見下ろしていることだろうが、勘弁してほしい。悪気はないんだ。パトラッシュ、お前にはすごく感謝している。
でも俺は、馬術なんてやったことのない、日本という平和ボケした国の一市民だったんだ。許してほしい……。
そうしているうちに、俺たちはいつの間にか、男のライカンに囲まれていた。
クワルが事情を説明して回り、少し待つと、年取ったライカンがやってきた。
西部ライカンの部族長である。
俺は四つん這いのまま、部族長を見上げた。
あぁ、俺はなんて失礼な奴なんだ。
そのまま、成り行きで土下座をしてみる。クワルもそれに続く。パトラッシュの視線が痛い。
その後、部族長のテントに案内された。
よちよち歩きの自分が惨めだった。
テントに辿り着き、まずは宴になった。お決まりと言えばお決まりである。
一応酒を注いでもらったが、とても飲めやしない。本当に申し訳ない。そんな俺に、ライカンの女性たちは、とても優しかった。
胃に優しい暖かい飲み物、食べ物を運んでくれて、ひざ掛けやら湯たんぽやら、色々と用意してくれた。母性溢れた、控えめな、そして可愛らしい女性たちである。
「ここで暮らしてもいいですか」
なんて、言いそうになってしまう。
だがそんな俺を、男ライカンたちは、ものすごい目で睨んできているのにも、俺は気づいていた。男と女で、これほど対照的なものか。――いや、そういう種族なのだ。俺の尺度で図ろうというのは、これは話が違う。
クワルは、俺が体調を崩してライカンの女性たちに世話を焼かれている間、部族長にこれまでのいきさつを話していた。
「――つまり、強いのだな」
部族長が、最後にそうまとめた。
俺の話である。ワイバーンを倒し、魔術武闘会で好成績を収めた……ということは、要するにその魔術師――つまり俺の事だが、強いのだな、と念を押したわけである。
ライカンは、どこを切り取っても力社会であるらしい。
「決闘で決めればよい」
よれよれした声で部族長が言った。
「カカン王国とライカンの関係が悪くなるようなことはしたくありません」
「決闘を受けよ。力を示すのだ」
かみ合わない。
クワルに教えてもらおう。
「クワル、これは要するに、何て言ってるんだ?」
「決闘に勝てば万事解決です」
「そんなんでいいのか……本当に」
はっはっはっは、と部族長は笑い、酒を飲んだ。
俺は頭を抱える。
「もし、決闘の中で将軍を殺してしまったらどうなりますか」
「勝利だ!」
器を掲げる部族長。
自分の息子の事じゃないのか。
――結局、わけがわからないまま俺は部族長のテントを辞し、あてもなく、村をうろついた。見上げる夜空は、星がきらきらと輝いていた。つい癖でオリオン座を探したが、その星座は、空のどこにも見当たらなかった。
異世界だから、そりゃそうだろう。
「ここに来た意味、無かったかもな……」
座り込む。
今更腹が減ってきた。
収納の杖で干し肉の袋を出して、しゃぶる。
「この村、嫌いですか?」
「好きだよ。女性はみんな優しいし」
「ごめんなさいグリム様……私がいけないんです。私が……こんな、グリム様に迷惑ばっかりかけて……」
「まぁまぁクワル、もうこれは、運命と思って受け入れよう。俺が【ダークメイジ】になったのも、クワルがあの将軍の許嫁になったのも、全部俺たちのせいじゃない」
「でも私は、グリム様に迷惑ばかりかけてしまいます。私が近くにいると、グリム様は――」
そんなことを言うクワルの頭をぽんと軽く叩いて、撫でる。
確かに今回の一件はクワルが原因だ。魔術武闘会だって、クワルとの出会いがなければ、間違いなく出てはいなかっただろう。
一連の事を鑑みると、クワルが落ち込むのも分かる。自分のせいじゃないと突っぱねるような図太い人間だったら、俺もここまで、クワルを可愛いとは思っていないだろう。
だから逆に、クワルには、気にするなと言ってやりたかった。
俺に撫でられると、クワルは目に涙を浮かべた。
「グリム様の近くにいない方が、グリム様のためになるのかもしれません」
泣きながら、そんなことを言いだす。
「ドラガン様のモノになるのが、いいのかもしれません……」
俺は星を眺めた。
あとは俺の決断だ。「お前は本当にそれでいいのか?」なんてことは訊かない。俺は、白々しいのは好きじゃない。「本当はグリム様といたいんです」と、質問を繰り返せば、最後にはそう言うに決まっている。
言わせるのは簡単だ。
だがそれを言わせてどうする。彼女の本音なんて、聞かなくたってわかることなのだ。それをあえて口に出させるなんていうのは、命乞いを強要する極悪人のしていることと、本質的には大差ない。
クワルが、俺の横顔をじっと見ている。
俺が次に何を言うか、じっと聞いている。
俺が即答しないのは、考えているからだ。クワルが何も言わず、答えをせかさないのは、彼女の良心だ。クワルは、本当に俺の事を考えてくれているのだろう。
答えはほぼ出ている。
将棋と似ている。
打ちたい一手はもう決まっている。考えているのは、それをしたときに、何が起きるかだ。そして、起きたことを、どう受け止めるかだ。
つまるところ、俺の覚悟の問題である。
決闘を受けて負ければそこまでだが、勝てば、俺はクワルを得ると同時に、クワルと将軍との縁を切ってしまう事にもなる。
本当にそれでいいのか?
それが、本当にクワルにとって良いのか?
――だが、それは俺次第だとすぐに答えが出てくる。
彼女が幸せになるも、不幸せになるも、俺次第なのだ。
彼女の人生を背負うだけの覚悟があるかどうか。
ドラガンには、少なくともその気があるのだろう。もしかすると、ライカンのオス特有の、強い独占欲だけかもしれないが……。
俺はどうだ。俺は――。
草が、風にそよいで微かな音を立てる。
悩む俺を笑っているようだ。
小さな悩みだ、とそんな声が聞こえてきそうだ。
「明日、デノンに戻ろう」
「……はい。あ、今夜のテントはこっちです」
すでにテントも手配済み。
こんな状況でも、流石はクワルである。
しかし今日は、クワルと俺は別々のテントだった。いつものクワルなら、何も言わずに俺の懐に潜り込んできて、いつの間にか一緒に寝てしまうのだが、今日は、思う所があるのだろう。
テントに一人、久しぶりに冒険をしている気分だ。
この、布一枚という心もとなさがまた、堪らない。堪らなく不安で嫌だ。修学旅行の時のようなワクワク感もちょっとはあるが、この世界は本当に、危ないものが多い。ワクワクよりは、本気のハラハラである。
俺はテントの中に毒虫がいないかを入念にチェックして、それから、布団に入った。ランプの灯を吹き消し、目を閉じる。
結局クワルには、何も言ってやれなかった。
どうするか、まだ決めかねている。
優柔不断――とことんファンタジー向きじゃない。冒険者に一番向いていない人種だ、俺は。
『お困りのようですね』
うとうとしていると、誰かの声が聞こえてきた。
思わず飛び起きる。
『怖がらないでください』
「え、誰……?」
この感じ、しばらく忘れていたこの感じは……神的存在の、心に直接語り掛けてくるアレだ。しかも、今までは爺さんの声ばかりだったが、今回は何と、美しい女性の声だ。
ということは――。
「女神、様?」
『はじめまして、グリム』
女神様に名前を呼ばれた。
そして女神様が、俺の名前を知っていた。
……感動だ。
『私は、緑の女神と呼ばれている者です。ライカンを助けていただいたこと、感謝の言葉もありません。ありがとう』
「ライカンを、助けた? 僕がですか?」
『いずれわかるでしょう』
「は、はぁ……」
『ところでグリム、新しい加護を受ける気はありませんか』
「新しい加護……?」
『翁様の加護が、もう消えてしまいそうなほど薄れてしまっています』
「そんな加護、まだあったのか……」
翁の事は、本当にここ最近――ここ数ヶ月、すっかり忘れていた。
そういえば、そんな爺さんがいたなぁ。
『私と契約をしませんか?』
「け、契約?」
『今なら特別な加護をお付けします』
「特別な加護というと……?」
『何かほしい力はありませんか?』
「ほしい力、ですか……マジックバリアとか、防御系の魔法が使えないので、強いて言えば、そういう力が後ほしいです」
『では、〈シルフ・コート〉を与えましょう。風の精霊の加護によって、災難から貴方をお守りする力です』
ランプに火を灯し、事典で調べてみる。
『シルフ・コート』は、ポテンシャルスキルに分類されるらしい。効果としては『スキン』系に近いが、『シルフ・コート』の守りは、もっと広義の意味での「守り」らしい。
わかったような、わからないような。
『さらに今なら――』
「え?」
『潜在能力に〈招風の腕〉、使い魔〈シルフィード〉、霊装〈緑風のマント〉の三点セットをお付けします』
「おぉ……」
『それだけじゃありません。さらにさらに、風の声が聞こえるようになる力〈ノルウィンド〉を付けて、この契約!』
おかしいな、やたら商人じみて来たぞ。
いろいろと良さそうな得点があるのだが、この売り口上――かえって怪しんでしまう。
『今だけです』
非常に怪しい。
今だけ、ここだけ、貴方だけ。
有名すぎる売文句である。これが、ちょっとした家電くらいだったら乗ってやるのもいい。しかし、女神との契約である。「契約」の呪いとか、その辺の話をユランから聞いているだけに、軽々しく返事はできない。
そもそも、緑の女神とは何者だ。
そしてなぜ、女神が俺に契約を迫ってくる。
「考えさせてください」
『えぇぇ!』
「えー……」
緑の女神が、急に取り乱した。
最初は女神らしい女神かと思っていたが、さて、どうだろうか。
『こんな機会は、二度とありませんよ?』
「どうして今なんですか? そして、俺なんですか?」
『それは……』
女神は、黙ってしまった。
この沈黙は、つまり……どういうことなのだろうか。
「これって、大事なことなのですよね?」
『はい』
「時間をください」
『こんなに良い条件なのにですか!?』
「だからこそ、というか――」
『もしかして、もうどこかからオファーが来ていますか!?』
緑の女神、当初のキャラはどこに行った。いや……これが彼女の素なのだろうか。そして、「オファー」とは、一体どういうことなのか。
「オファーっていうのは……?」
『確かに私は、光の女神や戦女神、雷帝様や武王様に比べれば、知名度こそ劣ります。劣りますが、私も……私も古くからの女神です!』
「は、はぁ……」
『この世に戦がもたらされる前から私はいたんです!』
「は、はい……」
『きっと後悔はさせません、だから――』
「時間をください!」
『どうしてですかぁー!』
涙声。
ちょっとだけ可哀そうになってしまう。馬鹿な。普通逆だろう。神様が人間を憐れむもので、どうして俺が、女神に同情しなきゃならない。
『わかりました、では、お試し期間として――』
「お試し期間!?」
『貴方の持っている杖、キタンを出してください』
「は、はい」
俺は、収納の杖を振ってキタンを出した。
スマラルコンという合金製の杖、色は薄緑色。強度はあるのに、非常に軽いのが特徴だ。
と、キタンがきらきらと輝き出した。
緑の光、金の光、青の光、白の光。キタンはそれらの光の糸に持ちあげられ、ある瞬間に、ぱあんと光がはじけた。
そして杖は、俺の前にゆっくりと降りてきた。
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名前 :シルフロッド
クラス:杖
・キタンが風の加護によってエンチャントした杖。
・『ウィンドフォースLv3』の力がある。
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『使ってください』
「え、でも……」
『お願いします使ってくだざいぃ!』
泣かれてしまった。
何か、切羽詰まった事情があるらしい。神様も神様で、いろいろ大変なのだろう。
「わ、わかりました。使わせてもらいます」
『それで、もし契約をする気になったら、その杖に念じてください』
「わかりました。でもさっきは今だけって――」
『……では、さようなら、グリム』
最後だけ、元の女神を取り戻した。
というより、取り繕った、というほうが適切だろうか。
色々と謎だらけだが、神様関係の事は当面考えないようにしよう。
そう、俺にとって今一番大事なことは――。
ドラガンとの決闘だ。




