51 新しい約束
「ふぃ~……」
声が出てしまう。
小さなおててが俺の背中、僧帽筋を指圧する。
女の子の非力な力と侮ってはいけない。彼女――クワルの力は、実は俺なんかよりもよっぽど強いのだ。
「うぅ~、ふぅ~……」
上位トーナメントの一回戦に勝ったせいで、戦いの後いろんな人物が俺を尋ねてやってきた。優秀な魔術師を自分のもとに置きたい金持ちや貴族たち。傭兵クランからも誘いがあった。商団からも。それから、後ろ暗い怪しげな集団や教団の類も来た……。
怖くなって宿を変えて、外に出るときは頭巾をかぶって――全然休めていなかった。そんな俺を気遣って、クワルがマッサージをすると言い出したのだ。
俺はおもむろに服を脱ぎ、全裸の下半身に白い布をかけただけという、背徳的なスタイルでベッドに横になり、そして――クワルは俺の背にまたがって、一生懸命マッサージをしてくれている。
俺の腰の上でゆさゆさ揺れるお尻の柔らかいことと言ったらない。
「どうですか、グリム様」
「う~ん、気持ちいいよぉ……」
「ここ、凝ってますね」
「あうっ……」
「あ、ここも、硬くなってます!」
「あふうっ……!」
あぁ、なんだかとても――悪いことをしている気分だ。
気分というか、悪いことをしているのか? 年端も行かない少女を侍らせて、マッサージなんかさせて、悦楽に浸っている。――なんて言い方をすると、いかにも変質者じみてくるが……。
と、そこへ、ノックがあった。
俺は全く油断していた。
「どうぞぉ~」
ゆるい調子でそう答えてしまったのだ。
鍵もかけていなかった。
扉が開かれる。
入ってきたのは、片眼鏡をかけた細身の優男だった。
片眼鏡は俺たちを見て一瞬動きを止め、それから、息も止めたようだった。
限りなく全裸に近いオイルまみれの男と、その背中に乗ってゆさゆさ体を揺らしている少女。――そりゃあ、誰だってビジー状態になるだろう。
「お、お取込み中でしたか?」
「あ、いやいやいや!」
俺は慌てて上半身を起こし、彼を引き留める。
誤解されてはたまらない。
きっと彼は、すごく重大な思い違いをしていることだろう。そのまま返すわけにはいかない。
「ぐ、グリム様……っ!」
クワルが両手で目を覆う。
――え?
あ、やってしまった。
下半身にかけていた白布が剥がれて、完全に全裸になってしまった。
急いで布を腰に巻き付ける。
その間クワルは、覆った両手の隙間からこっそり俺を見ていた気がする。俺を見ていたのか、俺の俺を見ていたのかは知らないが――。
閑話休題。
訊ねてきた方眼鏡の優男は、名前をユランと言う。
カスタード侯爵家の嫡子である。カスタード家は代々、都の二つの衛星都市を治める大領主である。いわゆる、カカン王国の有力貴族だ。
そんな人物が、わざわざ俺を訊ねて来たわけは――。
「貴方を勧誘しに来ました」
端的にユランは言った。
ユラン閣下、ユラン卿などと呼ぶべき位の男だが、歳が近いせいか、あるいは雰囲気のせいか、彼が貴族であるとは思えなかった。ちょっとだけ頼りになる先輩図書委員、というのがユランの第一印象である。
「魔術士に、ですか?」
「えぇ」
穏やかに返事を返してくる。
無下に断れない。
「見事な、『ダークバインド』でした」
「いや、それほどでも……え!?」
なぜ俺の魔法の名を知ってる!?
「魔法に魔法を――いや、魔法に呪いをかけるなんて、そういう発想をする魔術師はなかなかいません」
「いや、その……」
「それに、何と言っても先日の試合の――『ミストテレポート』はすばらしかった」
「一体、何者なんだ……」
「魔法が好きなんです」
穏やかにそう言って、ユランは笑う。
俺は全く笑えない。
スキルの名前も、その戦術も知られているということは、俺が【ダークメイジ】――黒魔術師であるということも、知っているのか?
だが、鎌をかけるにも俺からはできない。
この場の主導権は、完全にユランに握られている。
「あぁ、心配しないでください。貴方が【ダークメイジ】だということは、勿論確信しています」
「……っ!」
「この国にはもういないものと思っていました」
固まる俺に、ユランは言った。
「あ、すみません、脅迫しようというのではないんです。ただ。純粋に貴方という魔法使いがほしい、それだけです」
「ど、どうして、ほしいんですか。黒魔術師は、この国では討伐の対象じゃ……」
「僕はその考えに与しません。確かに、黒魔術は危険な魔術体系だとは思いますが、しかし、では他の魔術が危険ではないということはない。というよりも、魔術というのは黒魔術であっても、ヒーラーの使うような治癒の魔術であっても、根本的には同じものだと僕は考えているのです」
「ほ、ほぅ……」
「黒魔術師が排除されるのは、かつて、この国の黒魔術師の集団が、国を亡ぼすような真似をしたからです。だから黒魔術師は全て危険だと思われていますが、実際にはそんなことはない。危険を言えば、十年前のカドゥラ要塞、三十年前カルベラで起きた一連の事件、そして最近ミラルドを騒がせた魔人騒動は、いずれも黒魔術師ではない、悪意を持った一般的な魔術師が引き起こした事件です」
ユランは続けた。
「魔術には危険が伴います。しかし最も注意しなければならないのは、誰が、どのような目的で使うか、ということです。そのつもりがあれば、ファイヤーアローだって充分人を殺めることができます。――見たところ貴方は、悪意を持って黒魔術を使うような人じゃない。試合を見て、そう思いました」
「……」
「相手を傷つけぬよう、よく注意していた」
「全部、見てたんですか。試合を」
「勿論、貴方の試合だけでなく、全ての試合を見ています」
どうやらこのユランという貴族の男は、魔法マニアらしい。
そして彼のマニアックな目に、俺は見いだされたようだ。
「一つ、質問が……」
「どうぞ」
「貴方のように、俺を【ダークメイジ】だと見抜ける人は、どれくらいいますか?」
「面白い質問です」
そう言ってユランは微笑する。
俺からしたら、やっぱり、全く笑えない。俺にとっては、文字通り死活問題なのだ。
「幾人かはいると思います」
「マジですか……」
「ですが、あなたが黒魔術師だと見抜けるような人間は、そのことを騒ぎ立てたりはしないでしょう。上手く味方に引き入れようとするか、あるいは少なくとも、敵にしないようにする。万一敵になった時は、貴方が黒魔術師だということを使って、貴方を陥れる。――おおよそ、そういう考えを巡らせるでしょうから、すぐに貴方をどうこう、ということはないはずです」
「……実は、ですね」
俺は、打ち明けてみることにした。
「明日戦う【ソーサレス】のロッカなんですけど、あの子、俺が【ダークメイジ】なのを知っています」
「はぁ、あのロッカさんが」
「試合の後、もしかすると、俺が黒魔術師だということを皆にバラすかもしれない」
「なぜまだそうしていないのですか?」
「俺と戦いたいみたいです」
「なるほど」
くくくっと、ユランは笑った。
それだけで絵になる――いや、何をしていても絵になるようなハンサムだ。いかにも弱そうな、病弱そうなのがまた、かえって彼の知性を引き立たせている。
「もし貴方が僕の魔術士になってくれるというなら、彼女が貴方の秘密を口外するのを止めてみせますよ」
「……本当ですか?」
「えぇ」
涼しげな顔で、ユランは肯定した。
どうやら、俺に残された選択肢は、この一択のようだ。
「貴方に、お仕えします」
「ありがとう。歓迎します」
ユランの微笑。
ちくしょう、絵になるぜ。
「彼女は?」
「あぁ、ええと、俺のパートナーで、クワルと言います」
「パートナーというのは?」
「ええと――」
「グリム様の僕です!」
「おい!」
また誤解されるようなことを平然と言ってのける。
ライカンの女性は、服従こそ美徳と考えているようだから無理はないが、それでも一般的には、俺が白い目で見られてしまう。
「奴隷ですか?」
「いいえ!」
「はい!」
クワルと俺とでは、ここのところで決定的な意見の相違があるようだ。一度是非話し合わなくてはいけない。いやもう、彼女が望むならいっそ奴隷でもいいのかもしれないが……奴隷にしろ、その人生を背負う責任は、まだちょっと持てない。
「一月に20グロウル、それでいいですか?」
「それは……何もしなくても貰えるんですか、その、お金を」
「はい。その他に仕事をしてもらった時には、そのつど報酬金を出します」
何もしなくても月20グロウル。
悪くない。いや、かなり良い。自分が黒魔術師だから誰かに仕官することは考えていなかったが、雇用主が俺をそれと知っているのだから問題ないだろう。
突然旅行をするだとか、どこかの誰かに殴り込みをかけるだとかいうような破天荒なことはできなくなるが、俺はそもそもそんなことをはしないから、俺の考える範疇の「自由」は守られる。
「よろしくお願いします」
「契約成立です」
嬉しそうにユランは言った。
次に書類を出すのかと思ったが、それはしないのだとユランが言った。法律としての契約は書面で行わなければいけないが、ユランは、魔法的な契約を常に重視しているためだと言った。
魔法的に言うと、約束を破った者は、「約束を破った」という呪いがかかるのだという。
その呪いは、魔法の上に存在する上位の魔法であるため、一般的な解呪魔法のような下位魔法による解呪ができないものらしい。そういった魔法の力に詳しい、心ある魔法使いたちは、そのために、他人とは簡単に約束をせず、一度約束をすれば、決してそれを破ることはないのだという。
「これも約束です」
「き、気を付けます……」
「明日の試合、くれぐれも、怪我に気を付けてください」
「怪我で済めば良いですけどね」
「確かに、その通りですね」
本気なのか冗談なのか、ユランの言葉はどうにも掴みどころがない。
その儚げな微笑はどっちなんだ。
俺が勝つのか、それともロッカが勝つのか、どう思っているんだ。
明日は楽しみにしていますと言って、ユランは帰っていった。
おかしな男だった。
雰囲気はあるのだが、彼には、指導者的立場の人間が持つ威厳はなく、ある種人を食ったような、階級意識がもたらす貴族特有のそれもなく――そう、彼の持つオーラは、芸術家のそれである。
町の片隅の、暗くて狭い安アパートに住み、昼間から夕方にかけては公園の傍らで絵を描き、夜は絵の手直しをしたり、哲学的な思想に耽ったりしながら、グラス一杯のワイン的な酒を飲む。
――彼は、まさにそんなのが似合う男である。
歳は俺よりも二つ、三つほど上だろうか。
「あの方に仕えるのですね」
「クワル」
「はい?」
「あのさ、奴隷はやめてくれるか」
「ダメですか!?」
「ダメなの。対外的に、俺が嫌なの」
「それじゃあ……」
「せめて使用人してくれないかな……というか、前にそう言ったはずなんだけど……」
「わかりました……」
「なんで残念そうなんだよ」
「グリム様からお金をもらうような立場は嫌なんです」
「それは……そういうもんなのか?」
現状、俺はクワルに金を払っていない。
使用人としてクワルを雇っているが、クワルの申し出で、研修期間中は金を受け取らないということになっている。
だが今度は、本来は金を貰う立場である「使用人」というのがお気に召さないらしい。
「じゃあ、付き人にするか」
「ツキビト?」
「うん。付き人なら、金を払うことはないよ」
「それがいいです!」
というわけで、今を持ってクワルは、俺の付き人ということになった。
使用人でも付き人でもどっちでも良いのだが、そこにこだわりを持つ人間もいるものだ。
そして俺は、ユランの言っていたことを微かに思い出した。
喜ぶクワルを見ながら――これも一種の「約束」なのだろうか、と。




