47 魔女との邂逅
王国の都ラリアンに行くことになった。
逃亡衝動に駆られた俺だったが、クワルの頭を撫でながら落ち着いて、やはり逃げずに、メロール伯爵の頼みを聞き入れることにした。
黒魔術のことは隠し通す。
バレたら……その時はその時。
本当はそれではいけないのだが、全方位に気を使っていたら、いい加減神経衰弱になってしまう。俺が黒魔術師だとバレれば、俺を推薦したメロール伯爵もいろいろな疑いをかけられるだろうが、それはもう、仕方のないことだろう。
彼は彼で、自分とその領土のために俺を利用した。
俺は、自分が生きるために、彼に自分の正体を告げなかった。
どちらが正義か悪かなんてことは問題にならないだろう。問題は、俺が黒魔術師だとバレるか、バレないかの一点にある。
バレずに、大会ベスト32で上位トーナメントに進めれば、メロールの最低限の目的は達成することができる。そうしたら俺は、サクっと負けて帰ろう。
そこまで進めるかどうかは、そもそもわからないが……。
ラリアンまでは、道端の宿を経由しながら、二日かかった。二日「しか」かからなかった。しかも、到着は二日目の午前中である。通常で六日程度かかる道のりだから、これは、信じられないくらい早かった。
ひとえに、パトラッシュの力である。金の斧、銀の斧を臀部に乗せた状態で、速度はいつもと変わらなかった。相変わらず走り屋のパトラッシュは、道をほとんど無視して、直線距離でデノンからラリアンまでを目指した。
「なぁ、パトラッシュ」
ラリアンに着いた日の昼、俺とクワルは、乗せてくれた感謝を込めて、宿の厩舎の前の泉でパトラッシュの身体をブラシで洗っていた。
「お前、自由に生きたいとか思わないのか?」
きっとパトラッシュは、俺の言葉が分かっている。
俺は、独り言のように続けた。
「お前みたいに強くて、利口で、綺麗だったら、充実した野生の暮らしが送れるんじゃないのか? 俺みたいなのを乗せて、そんな生き方、嫌じゃないか?」
パトラッシュは応えない。
すまし顔で話を聞いている。
「パトラッシュ、お前が嫌だっていうなら俺は――」
パシン、とパトラッシュの尻尾が跳ねあがって、泉の水が俺にかかった。
いいから体を洗って、というように、前足を俺の手元に出してきた。俺はそれ以上何も言わずに、パトラッシュの足を磨いた。
「きっとこの子も、グリム様の事が好きなんですよ」
クワルが言った。
俺だってそう信じたいさ。でも俺には、そう思わせるだけの魅力があるわけじゃない。だから不思議なのだ。パトラッシュもそうだが、クワル、お前も大概なんだぞ。
「クワル――」
「私は優しいグリム様が好きなんです」
「いや、あのな――」
「グリム様」
「な、なに?」
「私を、グリム様の奴隷にしてもらえませんか?」
「はぁ!?」
パトラッシュが、笑ったような気がした。
こいつ、なかなかいい性格してやがるぜ。いや、それはともかく――。
「奴隷だと?」
「はい」
「なんで?」
「嫌ですか?」
「嫌というか、ダメだろう、常識的に考えて」
「どうしてですか!?」
「どうもこうも、奴隷だろ? 使用人とかならともかく――」
「じゃあ、使用人でいいです!」
「えぇ……」
「ダメ、ですか?」
クワルはずるい。
どんなにダメと思っていても、ダメじゃないと思ってしまうような瞳で俺を見つめてくる。なんというか、全体としてクワルは、男の持っている庇護欲をくすぐり倒す天才である。
「いや、そうじゃなくてさ、そうじゃなくてね……普通に友達とかじゃダメなのかなって……」
「そんなおこがましい!」
「おこがましいのか!?」
「私は、グリム様の僕でいられればそれで満足です!」
「そういう事は大きい声で言うな! 勘違いされるだろう!」
案の定、宿の御者がじっとりした目で俺を見てきた。
恥ずかしいというよりは、もう諦めである。――そうだった。ライカンの女性というのは、男の頼れるリーダー的な存在に従順でありたいと思っているのだ。
クワルは、俺をそれだと思い込んで、ライカンの徹底した忠誠心を発揮してしまっているようだ。
「わかった、じゃあ、雇うよ」
ぱあっと、クワルの顔に花が咲く。
わかりやすい。
そんなやり取りを聞いて、やっぱりパトラッシュが鼻で笑ったような気がした。
「あ、でも最初は見習いなので、お金は受け取りませんから!」
給与を拒否する姿勢は、なぜか頑ななのだった。
パトラッシュを洗った後、闘技場に足を運んだ。
闘技場は、十日後から始まる魔術武闘会一色だった。受付横にはエントリー表がでかでかと掲示され、さらにその隣に店を構える酒場では、早速誰が勝つかという賭けが行われていた。
メロール伯爵に渡された書類を受付に提出すると、事務処理が十分程度で終わり、エントリー表に俺の名前が掲示された。名前の下には、名前と同じくらいの大きさの文字で、どこからの推薦魔術師かが記されている。俺の場合は、メロール伯爵の名だ。
「グリム。メロール伯爵が新しいのを見つけてきたか」
エントリー表の前に、一人の男がいた。
三十代前半ほどの、それにしては若い男である。白と赤の、煌びやかなサーコートを黒皮のベルトでキュット引き締め、紅のマントには、金糸によって家紋が刺繍されている。
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名前 :セシュー
クラス:クレリック(Ⅳ)
Lv:20/45
・リリカン家の嫡男。
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「せいぜい死なないようにしてくれたまえ。毎回死人が出たのでは敵わない。大会を汚さぬよう、お願いするよ」
それだけ言って、男は行ってしまった。
絵に描いたような、いけ好かない野郎である。
「誰だよリリカン家って」
早速事典で調べてみた。
魔術師に与えられる、唯一の世襲制の爵位「アデプタス」――漢字に直せば、「魔術侯」の爵位を持つ、カカンの有力貴族。そしてまた、魔術武闘会の主幹でもある。
「なるほど、偉いさんか」
俺はさらに、セシューのクラスについても調べた。【クレリック】、名前だけならRPGでもお馴染みである。しかも四次クラスだ。
〈クレリック〉
・【ルーメン】からエンチャントした四次クラス。
・黒魔術師狩りの時代に誕生した新しいクラス。
・黒魔術師狩りで大活躍した。
厄介なのと出会ってしまった気がした。
四次クラスだが、彼は『アナライズサイト』のようなスキルを持っていなかったのだろう。もし持っていたら、即座に戦闘が始まったことだろう。
危ない所だった。
だが、これは何とかしなければならない、俺にとっては重大な問題である。『アナライズサイト』や、それと同種のスキルを持った人間がいないとも限らない。というより、恐らくいるだろう。そう考えるのが自然だ。
何か方法を探さなければ。
俺は、逃げるように闘技場を出た。
闘技場から宿へ向かう帰り道、黒猫に出くわした。
黒猫は小さな路地からぽんと飛び出してきて、じっと俺を見つめると、再び、さっと路地の中に入って行ってしまった。
俺はどうしても猫が気になって、猫の入っていった路地を覗きこんだ。
すると猫は、暗い小さな道の数メートル先にじっと座っていた。俺を見つめ――俺が来るのを待っているようだった。
気づいた時には、俺は黒猫を追って路地に入っていた。
猫は、たたたっと走っては止まり、こちらを振り返り、再び走り出してを繰り返した。
やがて――一軒の店の前にやってきた。
猫はその店までやってくると、微かに空いている窓の隙間から中に入っていった。
その店はいかにも古そうな木造で、入り口扉の上には看板が掲げてあるが、ひどく擦れているのと、路地の薄暗さのせいでよく見えなかった。
クワルが、きゅっとローブの裾を掴んでくる。
俺は一度クワルを見やり、それから、店の扉を押し開けた。
キィィと、木のきしむ音が不気味に鳴った。
店の中は、雑貨屋のようだった。
一昔前の駄菓子屋に来たような懐かしさを感じる。
埃と、薬っぽいに臭いが沈殿し、棚には壺や小瓶等が、無秩序に置かれている。
「いらっしゃい」
店の奥から声がして、その主が現れた。
腰の曲がった、しわくちゃの、黒い衣装に三角帽子を被った老婆――誰が見てもな魔女である。
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名前 :イズドロ
クラス:??
Lv:??
・???
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謎だらけの人物だった。
イズドロという名前以外、何一つわからない。こんなことは、初めてだ。
「何かお困りだね」
押しつぶしたような声で、魔女が言った。
答えなくても、この魔女は全てを知っているようだった。
「黒猫を……」
「おやおやそうかい、ヒッヒッヒッヒ」
鍵鼻、高笑い、妙に長い指。
魔女の足元には、さきほどの黒猫がいた。
どうして俺はここにいるのか。黒猫を追ってきた、としか言いようがない。ではなぜ黒猫を追ってきたのか。それは、俺自身にもわからない。
子供が、蝶を追いかけるのと同じようなものなのだろう。
「お前さん、これを探してるんじゃないかい?」
と、魔女は棚にあった小さな壺の中から、黒ずんだ紫の何とも言えない色の丸い物体を、その長い指の爪先でつまみ上げた。練り消しのような、ビー玉台のモノである。
「それは……?」
「隠蔽薬さ。お前さんの身分を隠してくれる」
思わず息を呑んだ。
それは確かに、今俺が、一番求めていたものだ。【ダークメイジ】という俺の身分を、暴こうとする他者のスキルから隠してくれるもの。
「いくらですか?」
「一粒につき金貨1枚」
「一粒で、どれくらいもちますか?」
「きっかり1日」
一日に金貨一枚。
決して安くはない。安くはないが、俺の抱えている爆弾の保険としては、安い。
俺は金貨の入った麻袋を確認した。
金貨50枚分に相当する50グロウル聖金貨が1枚、そして金貨25枚分に相当する25グロウル白金貨、それに、普通の1グロウル金貨が13枚。
――全部で、88グロウル、丸薬88個分。
それで、88日。
「お前さん、良い物を持っているね?」
「……良い物?」
「そう。例えば、金の斧と、銀の斧」
「え!?」
なんでこの魔女が、そんなことを知っているのだ。
あれは今、パトラッシュの厩舎の藁の中に隠しているのだ。包帯で巻いただけだから輪郭までは隠せないが、普通に見れば、それはただの斧である。
「どうして……」
「ヒッヒッヒ、あんな目立つものを持っていたらわかるさ」
「あれは、そんなに良い物なんですか?」
「あぁ、良いものだとも」
「……」
「あれを譲ってくれるなら、この壺をあげるよ。ヒッヒッヒ」
と、魔女がそう言って差し出してきたのは、さび色の小さな壺だった。片手に乗るくらいの壺で、それ以外は、どこにでもありそうなものである。
「これは……?」
「隠蔽薬を生む壺だよ。ただし、こいつが生むのは一日一個、それ以上は望めないよ」
「……なるほど」
魔女は商売上手だった。
短期間だけ――例えば大会の期間だけ薬が必要というのであれば、薬単体を金貨一枚でいくつか買った方がいいだろう。だが、一年、二年、それ以上という長い期間で薬が必要という場合は、この壺を買った方が遥かに得だ。
考えて悩む俺を、魔女はにやにやしながら見つめている。
すでに魔女は、俺が出す答えを知っているかのようだった。
「壺を、下さい」
「まいど」
魔女はそう言うと、壺を俺に押し付けてきた。
俺が壺を受け取ると、今度は一本の杖を差し出してきた。指揮棒くらいの長さの杖だが、全然真っすぐではなく、その辺の木の枝のように、何度か折れ曲がっている。
「これは?」
「魔法の杖さ。おまけだよ。銀の斧の分だ」
「……どういう杖なんですか?」
「お前の持ち物を、出したり、しまったりできるのさ」
半信半疑ながらも、腰の巾着に杖を振ってみる。
すると、杖先から絹のような白い糸がさあっと伸びてゆき、かと思うと、巾着が杖先に吸い込まれていった。
「おぉ!?」
にやりと、魔女が笑う。
今度は、巾着を出すように念じながら杖を振る。
すると――さきほどの逆再生のように、巾着が杖から出てきた。俺は再び巾着を杖にしまい、続いて隠蔽薬の壺、金貨の入った麻袋等、ベルトにぶら下げている持ち物を全部杖の中に入れた。
杖は、底なしのようだった。
「これはすごい」
俺は顔を上げて、魔女に礼を言おうとした。
魔女は笑っていた。
「ヒッヒッヒッヒ ヒッヒッヒッヒ」
――ひっひっひっひ。
――――ひっひっひっひっひ。
気づくと、俺は大通りにぽつんと突っ立っていた。
隣にいるクワルもぽかんとしている。黒猫の飛び出してきた路地は、なくなっていた。狐につままれたとは、こういうことを言うのだろうか。
腰のベルトには、魔女に貰った杖が挟まっていた。
宿に戻り厩舎を見ると、藁に隠しておいた二つの斧は、無くなっていた。




