43 クワルの依頼
目が覚めると、ベッドの上だった。
隣に気配を感じて寝返りを打つ。
――目が合った。
至近距離で、目が合った。
「なぁぁぁ!?」
「おはようございます!」
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名前 :クワル
クラス:アクロバトラー(Ⅲ)
Lv:11/60
・ライカンの少女戦士。
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昨晩のことを、一瞬にのうちに思い出した。
このライカンの少女、クワルというらしいが――彼女は俺に、ファントムドラゴンなるものを退治してほしいと言っていた。俺はそれを、考えもせずに断った直後……まるで天罰のように気を失った。
「私はクワルと言います。魔法使い様のお名前は……」
「グリムだよ」
「グリム様!」
クワルの頭を撫でつけながら上半身を起こす。
撫でられて表情を緩ませるクワルは、まるで子犬そのものだった。
いやそれよりも、まず調べるべきことがある。
〈ファントムドラゴン〉
・幻魔のドラゴンの総称
〈幻魔〉
・霊体のみの魔物の事。
・物理的な手段では傷つけることができない。
事典よりの情報は少なかった。
「グリム様、お願いです、ファントムドラゴンを倒すのを手伝ってください、お願いします!」
「いやぁ……」
いいよ! と即答したかったが、現実、それは無理である。
ファントムである。しかも、ドラゴンである。
ドラゴンと言えば、ファンタジー界の巨塔、ファンタジーそのものと言っても過言ではない、大きな大きな存在である。それを、討伐?
「なんでそんなものを討伐しなきゃいけないんだ?」
「大切な書簡を……食べられちゃったんです!」
「書簡?」
訊くと、クワルは故郷の村の通信役として、この町にやってきたのだという。この町を治める貴族、メロール伯爵に大事な書を届けるために。ところがその途中、ある名もなき洞窟の付近でファントムドラゴンに遭遇し、書簡を通信筒ごと飲み込まれてしまったのだ。
「大事な手紙なんです。故郷の運命がかかってるんです!」
泣き出しそうなクワル。ものすごく大事なものらしい。
だが、ファントムドラゴンである。ドラゴン、である……。
「報酬は絶対に払います! 約束します! この命にかけて!」
「う、うん……いや、報酬はいいんだけどさ……」
「報酬じゃないんですか?」
「ドラゴンだよね?」
「はい」
「人間が敵うものなのか?」
「ドラゴンはドラゴンでも、ファントムドラゴンですから!」
「なお悪いんじゃないのか……」
物理的な攻撃が通らない。その段階で、すでに一般的なドラゴンより手ごわいように思う。だから彼女は魔法使いを探していたのだろうが、果たして俺の黒魔術が、ドラゴンに通じるかどうか。
「お願いします!」
潤んだ瞳で見つめられる。
「わかった。ただし、戦ってみて、倒せないと思ったら逃げる。それでもいいなら――」
「ありがとうございます!」
クワルが、飛びついてきた。
本当に子犬だ。だが犬と違って、甘い香りがする。
ライカンの男は体育会系で有名だが、ライカンの女性は「従順、甘えん坊、素直」という、最強の三要素を持っている。当然、男性人気は全種族断トツのナンバーワン。「ライカンを妻にできた男は、人生の成功者だ」と、どこかの王様が言ったらしい。
そんなライカンだが、確かにクワルは、可愛かった。
持ってきた依頼は凶悪だが、それもチャラになっちゃうかなと、一瞬勘違いするくらいに、やっぱり可愛かった。妻とか彼女というより、ペットである。
わしゃわしゃと、頭を撫でる。
ちょうど、撫でたくなるようなところに、クワルの頭があるのだ。狙ってやったのか、それとも本能的なものなのか――恐らく後者なのだろうが、こういうことを年頃になってもやるのだろうから、こりゃあ確かに、男にとっては理想の「可愛い」だ。
それから、俺は一応彼女のクラス、【アクロバトラー】というのも調べてみた。ちなみに「Ⅲ」というのは、二次クラスからクラスエンチャントした、三次クラスを意味している。
〈アクロバトラー〉
・【レンジャー】からクラスエンチャントした三次クラス。
・アクロバティックな戦い方をする。
相変わらず、事典にはざっくりな説明しか書かれていなかったが、【アクロバトラー】が三次クラスだということがわかった。
【ダークメイジ】は【ウィザード】からクラスエンチャントした二次クラス。三次クラスといえば、【ホーリーナイト】、【アサシン】そして【ネクロマンサー】等がそうだ。
――ということは、クラス差はあるにしても、【アクロバトラー】のこの子は、見た目に似合わず、かなり戦えるのだろう。【レンジャー】からのクラスエンチャントである【アサシン】と同列、同格だと思うと、なかなか恐ろしい。
「クワル」
「はい?」
「その、ファントムドラゴンのことを詳しく教えてくれないか」
「わかりました」
クワルは俺の体から離れ、ファントムドラゴンの特徴を話してくれた。
ファントム系の魔物であるため、まず、物理的な攻撃が当たらない。武器に闘気を込めた技もダメである。効果があるのは魔法だけ。――これは、ファントムに共通した特徴である。
ファントムドラゴン固有の能力として、クワルは突風のブレスを最初に挙げた。致死性は低いが、その風の威力は、巨人でも吹き飛ばせるほどだという。体は半透明、翼はあるが飛翔するかどうかは不明。大きさは、家一軒ほどというから、やはり大きい。
クワルがファントムドラゴンに出くわした洞窟は、町から伸びた北の街道を出て、馬の足で二時間ほど進み、渓谷へ向かう小路を行った先にあるという。
まだ朝だから、今出発すれば、現地には昼前に到着できる。上手くすれば今日中に片が付き、帰ってこられるかもしれない。
まぁ、そんなに上手く運ぶわけがないが、行くなら早い方がいいだろう。
早速、俺たちはファントムドラゴンの洞窟に向かうことにした。
クワルは早馬を借りるつもりでいたが、俺の愛馬、小龍馬のパトラッシュは、大人を三人も乗せることができる。クワルほどの子供なら、十人くらいは大丈夫そうだった。
俺は、クワルを抱くようにしてパトラッシュに乗り、出発した。
パトラッシュは、相変わらず速かった。
「うわぁ、速いです!」
クワル、大興奮である。
流石に俺も、パトラッシュの速さには慣れていた。最初のうちは、落ちたらどうしようとか、パトラッシュが倒れたらどうしようとか思って身を固くしていたが、今では、パトラッシュに全てを任せてしまっているから、不安もない。
パトラッシュに乗って一時間、そう、たった一時間で目的地に着いた。
街道から外れた小路は森に入り、途中からは、獣道のような不確かなものになっていった。通行人のほとんどない道だから、管理などしていないのだろう。
洞窟は、その森の中にあった。
俺たちはパトラッシュから降りて、洞窟の近くの茂みに隠れた。
洞窟の前には植物の生えていない土の地面だけの空間があった。洞窟の中は暗くてとても見えないが、俺の勘が、何かの存在を察知していた。だからといって、いきなり洞窟の中に入ってゆくほど無謀じゃない。恐らく向こうは、暗い中でも目が効くのだろう。だから洞窟なんかに住んでいるのだ。
出てくるのを待った方が良いだろう。
一時間か二時間か、下手をすればそれ以上待つことになるかもしれない。もしかすると、一日、二日の泊まりこみになるかもしれないが、それでも構わない。なにしろ、ドラゴン退治に来ているのだ。それくらいの準備はしてきている。
俺は、バックからトランプを出した。
クワルが目を輝かせる。トランプでなくても、俺の出すものになら何でも興味を示すのだろうが、トランプには不思議と、人を期待させる何かがある。
「さて、暇つぶしに――うわっ!」
蛇だ!
俺の手に蛇が!
サクッ……。
「……おぉ」
「えへへ」
クワルは、蛇の頭を短刀で斬り、飛ばした頭をつまみ上げると、その牙から液体を抽出し始めた。小瓶の中に、琥珀色の液体がぽたり、ぽたりと落ちてゆく。
「そ、それは……?」
「毒です」
「ど、毒蛇だったのか……」
「はい。トガヘビの一種です」
〈トガヘビ〉
・トガヘビ科の蛇の総称。
・霊性毒を持つのが大きな特徴。魔力を持つ動物を食す。
・トガヘビの毒は錬薬術の材料として重宝される。
〈霊性毒〉
・マナに作用する毒であり、その作用は多岐にわたる。
毎度のことながら、事典の説明は大雑把だった。それだけに恐ろしい。今この瞬間、運が悪かったら俺は、蛇の毒で死んでいたかもしれない。ドラゴン、ドラゴンと、そっちばかりに気がいっていたが、ここは森なのだ。注意深く観察すれば、危険はそこかしこに存在している。
「七並べやりましょう、七並べ!」
「二人で七並べ? いやいや、そうじゃなくて……ちょっと、トランプはまた今度にしよう」
「どうしてですか?」
さも不思議そうに、クワルが質問してくる。
彼女にとっては、ここは危険ではないらしい。だが俺にとっては違う。非常に、危険な場所だ。毒蛇がいるのだから、毒蜘蛛もいるだろう。毒をもった植物、昆虫、いるだろう。
「トランプは、町に戻ったらな」
くしゃくしゃと頭を撫でる。
クワルは、それで満足してくれた。
「クワル」
「はい」
「日が暮れても出てこなかったら、一旦町に戻ろう」
「野宿は、しないんですか?」
「うん……やっぱり戻ろう。俺、大自然舐めてたよ」
「わかりました」
素直に従ってくれる。
それだけに、恥ずかしい。見通しの甘さ、そして早速の計画変更。大人のやることじゃない。ゲームのやりすぎか。魔法が使えて、食糧があって、火が起せれば野宿なんて楽勝とか思っていた俺を説教してやりたい。
実際、森の中で野宿なんて、素人ができるものじゃない。魔法が使えても、あるいはどんなに剣が強くても、それとこれとは別の話だ。
森は昼なのに鬱蒼として暗い。
それが夜になったら、どうなってしまうのか。寝られないほど恐ろしいに違いない。もし眠れたとしても、その間に毒虫や毒蛇や、それよりも恐ろしい何かがやってくるかもしれない。
寝ずの番をすれば良い、なんていうのは机上の話だ。
口で「寝ずの」とか言うのは簡単だが、それを実践できる人間が本当に要るのだろうか。人間、車を運転していても眠くなるくらいだ。少なくとも、俺に「寝ずの番」をする自信はない。
「グリム様」
「う、うん?」
「大丈夫ですか?」
「う、うん……」
「危なくなったら、私が助けます! 命に代えても!」
「あ、ありがとう」
本当にそうなりそうだと思ってしまった。
彼女は小さいが、俺よりも逞しい。彼女を助けよう、なんて思っていたが、それは最初から間違っていたのかもしれない。
俺はとにかく、まず自分が「死なないようにしよう」から始めなくては。




