42 酒場にて
金貨二枚。
それが、今回のクエストの報酬だった。山道の洞窟に住み着いたゴブリンの群れを討伐するという、命のかからない仕事である。
そんな簡単な仕事を、十日に一度こなして生計を立てる。そういう生活スタイル。
無駄遣いをしない俺は地道に貯金をして、ちょっとした金を貯めることができた。貯めて何かを買おうというのではない。貯金がないと不安なのだ。
ファンタジー世界に来ても、結局俺は、堅実な生き方を選んでいた。死んでも向こうで再スタートできるのに、【ダークメイジ】とかになったのに、やっていることはこっちでも向こうでも変わらない。
銀貨を渡し、木製のジョッキに酒を注いでもらう。
夜のギルド酒場、掲示板にはクエストの依頼書が鋲で止めてあり、その前で仕事を選んだり、パーティーを募ったりしている傭兵がちらほらいる。
ギルド酒場では当たり前の光景だ。
この町――デノンに来てから一年、俺は宿を転々としながら暮らしていた。
宿を変えるごとに、依頼を受ける酒場もそのたびに変えて、風来坊を気取っていた。一月前にクティがこの国の都、王都ラリアンに出かけてゆき、いよいよ一人になると、この町に友人もいない俺は、風に吹かれた紙切れのような生活をするようになった。
クティは、ラリアンに試験を受けに行ったのだ。
ラリアンの魔法学校である。生徒ではなく、教師になるための試験だ。そして優秀なクティは、それに見事に合格し、早速教師として働き始めるという。――クティから今朝、そのことを告げる手紙が届いた。
めでたいことだ。本当にめでたい。
ここに赤飯はないから、酒で乾杯だ。
この国の酒はやたらと甘い。イチゴシロップを水で薄めた様なアルコール飲料である。口当たりが良いからぐいぐい飲めるが、度数が高いからすぐに酔っぱらう。
ジョッキで、もう三杯は呑んだか。
俺はジョッキを掲げ、銀貨を出し、新しい酒を注いでもらう。
ぐいっとジョッキの半分ほどまでを一気に煽り、机に突っ伏する。
完全に呑まれている。ダメな酒飲みの典型だ。ダメなのが分かっていてダメになっている。ダメな自分に酔っている本当にダメダメなダメ人間だ。
「んー……」
呻き声をあげる。
小さな手が肩を叩くことも、控えめな声が俺を気遣うことも、もうない。
いや、別に自棄酒じゃない。クティは、自分の人生を見つけたのだ。それは、良いことだ。本当にすごいと思う。それに比べて俺……どうなんだよ。魔法が使えるのに、何にもできやしない。自分の人生一つ決められない。
できたことと言えば、この地方の共通語――アズラ語を覚えたことくらいだ。でもそれだって、半分はクティのおかげで、あとの半分は自分の努力だったかというと、そんなこともない。
強い魔力を持つ者は、言葉に込められた感情を何となく感じることができる。その「何となく」も、魔力が強ければ強いほど、正確に、はっきりと感じることができるのだ。
そして俺は、人並み以上の魔力を持っていたために、一年ほどで一つの言語を、話せて聞けるレベルまで習得することができた。――というのは全てクティの話だが、俺は納得させられた。
義務教育と高校と、大学は週に一度の講義だけだったが、英語を習ってきた。小学校五年からだったから、年数にして……十二年間。それで、全然しゃべれない。そんな俺が、一年で、英語よりもわけのわからない言葉を、何の助けもなしに理解できるはずがないのだ。
俺のアズラ語の半分はクティで出来ている。
そして残りの半分は、俺の魔力だ。
クティに教わったことを一応復習したりしていたが、そんなのは努力のうちに入らない。努力してくれたのは、クティだった。
なんだよ、結局クティじゃないか。
ジョッキを傾けて、残ったもう半分の酒を一気に喉に流し込む。
口から零れ落ちた赤い液体が喉を伝い、顎から落ち、胸元を濡らした。汚い。これじゃあ、幼稚園児と一緒じゃないか。
だが、夕食時の酒場の客は、そんな連中ばっかりだ。
大抵は男。
この国には行儀よく食べるという習慣がないらしく、食べながらしゃべり、唾を飛ばし食べかすを飛ばし、服の裾で手を拭い口を拭い、酒が零れたってスープが零れたって、誰も構いやしない。
俺なんて可愛いものだ。
この国の酔っ払いはもっと派手だ。服を全部脱ぎ捨てて素っ裸でトランプを始めたり、口論の挙句通りに出て、げぇげぇ吐き散らかしながら喧嘩をしたり――それくらい派手だ。
俺は、せいぜい一人で眠くなっているだけの可愛い酔っ払いだ。
それが何か、余計に空しくなる。
酔ってもその程度という、中途半端に行儀の良い男。かといって、真面目を売りにできるほど真面目でもなければ、品行方正というほど上品でもない。つくづくファンタジー向きでない。
それなのに俺は、この世界では絶滅危惧種である【ダークメイジ】である。
「俺は黒魔術師だぞ!」
大声で叫んでみたかった。
だがそんなことは言わない。この一年間、人前で黒魔術を使ったことはない。クエストも、依頼は全て一人で受けて、一人でこなしてきた。
なぜならこの世界には、「黒魔術師はテロリストだ」的な偏見があるからだ。昔黒魔術師狩りというのがあって、その精神は今も受け継がれているのだという。特に、魔法使いの業界では。
だから俺は、黒魔術を使わない。
公表もしない。
ただのしがない、【ウィザード】であるかのように振る舞っている。
そして、今に至る。
惰性で今に至る。
一年もすると、俺がこの世界に召喚された目的探しなんて、どうでも良くなってくる。方々歩き回って、目的を探そうなんて気は、最初の一月を過ぎると無くなってしまっていた。
無難なクエストを受けて、無難に生きる。
無難な人生なんて糞くらえだ、とか思っていた時期が俺にもあった。今だって、心のどこかにそんなロック魂を秘めている――はずなのだが、もうそんなものは、どこにもないのかもしれない。
そろそろ、帰ろうかな。
なんて思っていると、誰かが大声を上げた。
「この中に、魔術師様はいらっしゃいますか!」
可愛らしいソプラノの声。
この時間の酒場には全くふさわしくない。
「クエストを、発注します!」
酒場がざわつく。
俺はまだ酔いに負けて机に臥せったままだが、耳だけは傾けている。
「おい嬢ちゃん、そういことは他所でやってくれ! クエストを出すなら、こっちで手続きをしなきゃダメだよ」
酒場の主人がそう言う。少し怒っている。
ルールなのだ。
傭兵ギルドは、傭兵と依頼人が直接取引をするのを認めていない。それをするなら勝手にやれば良いが、その中で起こったトラブルの一切には関わらない、というのが傭兵ギルドの、クエストに対するスタンスである。
そしてここは傭兵ギルドの酒場。いうなれば、ギルドの支店である。その縄張りで勝手な振る舞いをされては困るのだ。
「いくらの仕事なんだい?」
誰かが軽い調子で訊ねた。
恐らく主人は、その質問をした男を睨みつけたことだろう。だが、傭兵は傭兵である。傭兵ギルドの立場など知ったことではない。金になれば、何でもいいのだ。
「それは、その……わかりません」
わからないってなんだよ、と誰もが心の中で突っ込んだ。
しかしなるほど、報酬が約束できないから、彼女は傭兵ギルドを通してクエストを発注しなかったのだろう。ギルドからクエストを依頼する場合には、まずその報酬を、先にギルドに支払わなくてはいけない、そういう決まりがある。
「でも、納得のいく報酬を約束します! だからどうか、魔法使いの方、いらっしゃいましたら――」
「おい嬢ちゃん! いい加減にしてくれ!」
怒る主人。
傭兵たちもおしゃべりを再開し始めた。彼女の依頼に興味を無くしたのだろう。報酬がないのだから、傭兵たちのその反応は当然といえる。結局金。特に傭兵は、とにかく金で動く。
「お願いします! どうかっ……!」
「摘み出せ」
主人が言った。
ぎしっ、ぎしっと床のきしむ音。
店の奥から、何か大きなモノがやってきたようだった。
顔を上げて見てみる。
店の真ん中の丸テーブルの上に、少女が立っていた。
背の低い(小学生の中学年くらいだろうか)、栗色の髪の少女である。砂色のローブを着ている。それだけ見れば、路地裏に寝泊まりしている貧困層の子供のようだが、それにしては、彼女の肌は白すぎるし、雰囲気も明るすぎる。
そして、最も特質すべきことは、彼女がライカンである、ということだ。
ここはファンタジーの世界であるから、エルフをはじめいろいろな特徴を持った人間の種が存在している。ライカンというのは、犬や狼のような特徴を持った人種である。
彼女は、頭に耳を生やしていた。
恐らく、隠れている臀部には尻尾も生えているだろう。
そんな少女のもとにやってきたのは、ジャイアントの男戦士だった。この店の用心棒なのだろう。とにかく、大きくて筋肉隆々、トロールと素手で渡り合えるのではないかというような体躯である。
「お願いします! 話を聞いてください!」
「出て行かないなら力ずくだ。素直に出て行け」
ジャイアントに言われた犬耳少女は、ふるふると首を振った。
ジャイアトが、少女に腕を伸ばす。
これは――事案発生だ。
ごとり、と近くに会った椅子がジャイアントの横っ面に飛んでゆき、ぶつかった。まるでポルターガイストだ。続いて、テーブルが少女を乗せたまま俺の席まで移動してくる。少女はテーブルから転げて、俺の膝の上に落っこちてきた。
黒魔術の良い所は、魔法を使っても、誰がそれをやったのかバレない所だ。本当に、性質の悪い魔法である。
「すみません、この子、俺の知り合いなんです。出て行くので、勘弁してください」
俺はアズラ語でそう言って立ち上がり、少女を抱えたまま店を出た。
店から遠ざかったところで、俺は少女を下ろし、地面に手を突いた。息がやたら上がる。酔っているから仕方ない。
「あの……」
俺は、手を上げて応じた。
「俺は、魔法使いだよ」
「本当ですか!?」
ただし【ダークメイジ】である、とは言わないでおこう。黒魔術師も魔法使いであることに変わりはない。
「力を貸してください。報酬は、必ず払いますから!」
「内容を、聞きたいな」
「ファントムドラゴンを、倒してほしいんです!」
「馬鹿いうな!」
俺は立ち上がろうとした拍子に転んだ。
転んで、頭を何かに打ち付け、地面に倒れた。すうっと意識が薄くなっていった。
ご無沙汰しております、茶ノ美ながらです。
タイトルも新たに、第二章スタートします。
では再び、よろしくお願いします。




