114 別れに言葉はないけれど
ラリアンの南の門から、馬に乗った一人の旅人がやってきた。
――アモンである。
「遅くなりました!」
アモンは馬から飛び降りてそう言った。
かなり飛ばしてきたらしい、アモンも、その乗ってきた馬も、随分息を切らせている。アモンの耳も、赤くなっている。
「予定通り、あと半刻くらいで、騎士団の馬車がやってきます」
「わかった、ありがとう」
「いえ。――グリム様、彼らを、どうやって出し抜くつもりですか? しかも、この、王家のお膝元で」
「黒魔術を使うんだよ」
アモンの額から、汗が流れ落ちる。
黒魔術というワードに緊張感を覚えたのはアモンだけではない。
実は俺自身、背筋が凍る思いがしていた。
今まで、積極的に黒魔術を使ってやろうと思うことは、少なかった。どうしょうもない危険な魔物相手ならそうしてきたが、今の俺は、アビスメイジだ。人の命などは、容易く奪うことができる。その力を俺は、これから使おうとしている。
「準備は、できているんですか?」
「うん。単純な作戦だよ。煙幕で目くらましをして、ほぼ、それだけ」
「……そんなことで何とかなるんですか!?」
「そこからがまぁ、黒魔術の本領発揮なんだけど……死人が出ないよう最善を尽くすよ」
「人の死を嫌っている余裕があるんですか」
アモン、鋭いことを言う。
カールとジャンヌの命がかかっているのだから、厳しい意見が出て当然だ。俺が敵味方の命に優先順位を付けずに作戦に臨むのではないか、と考えているのだろう。
「仲間は守るよ」
俺は端的に答えて、アモンにユランの厩の場所を教えた。
その後で、見晴らしの良い四階建ての建物の屋根の上に登った。建物の下に、アモンを控えさせる。
暫く待つと、馬に乗った二人の旅人が、南の門から入ってきた。――マルタスとモランである。アモンは二人を迎えに行き、連れて帰ってきた。
「騎士団が来ます」
マルタスの報告を受けて、アモンが俺に知らせてくれる。
俺は煙幕の入った籠の包み紙をとった。
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馬車の中、ジャンヌ、カール、クワル、そしてエイルの四人は、ラリアンに入ったことを知って、いよいよ緊張していた。宿屋で受け取った手紙を、エイルは握りしめる。
「そろそろかしら」
ジェンヌが言った。
エイルが答える。
「この手紙が、本物ならね」
手紙が本当にグリムからのものなら、もうすぐこの馬車は、煙に巻かれて止まる。その煙の中で目を閉じ、体の力を抜いて――気づいた時には、厩の藁の上にいる。本当に手紙の主がグリムなら、黒魔術を使って、そういうことができるのかもしれない。
「グリムさん……」
カールが、早々目を閉じる。
ジャンヌも、主人の後に続いて目を閉じた。
まだ馬車は、止まってもいない。
襲撃の気配もない。
「クワル――」
「きっと、グリム様は生きてます。エイル様、信じてください」
クワルも目を閉じた。
エイルは、目を閉じて床に眠ってしまった三人を見つめた。
馬車の小さな窓から、日の光が差し込んでいる。埃が、照らされて舞っているのがわかる。
「グリム、本当に、生きているの……?」
エイルは、心の中で小さく呟いた。
その時、エイルの問いかけに反応するかのように、馬車が止まった。
ばん、ばんと、何かが破裂するような音が、連続で聞こえてくる。
窓から、白い煙が入ってきた。
騎士たちが剣を抜く音が聞こえる。
スレッドの命令する声が聞こえてくる。
馬が嘶く。
馬車が震える。
エイルは、目を閉じた。
四人が眠った馬車の中、かちゃかちゃと、扉の鍵がひとりでに動き出した。
カチャンと、鍵が開き、扉が開いた。
煙が、もわっと馬車の中を、あっという間に満たしてゆく。
前も後ろも、一寸先もわからない白い煙の中――カールの身体が、ジャンヌの身体が、そしてクワル、最後にエイルの身体が、ゆらりと立ち上がった。
四人の身体は、ゾンビの様にゆたゆたと動いて、馬車を降りた。
馬車の外は、煙幕の白い煙で包まれていた。
騎士たちの技でも吹き飛ばせないほどの濃い煙が、大量の煙幕玉から放たれる。
「馬車だ! 馬車を守れ!」
「馬車はどこだ! 馬車を探せ!」
「見えない! 何も見えない!」
騎士たちは、まさか襲撃を受けるとは思ってもいなかった。
いくつかのスキルで視界を晴らすも、すぐにまた煙幕の濃い霧の波が襲ってきて、すぐに視界を塞いでしまう。
その間に、囚われていた四人の身体は、よろよろと千鳥足で霧を抜け、小さな路地に入った。その路地を少し進み、また小さな路地に入ったところで、四つの身体はゆっくりと、地面に臥せった。
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屋根の上、グリムは四人にかけていたパペットカースを解いた。
煙幕をダークバインドで操りながら、四人分の身体を操作するという離れ業をやってのけたのであった。
「きついな……」
冷や汗が流れる。
体力はともかく、集中力の限界だ。
これ以上無理にパペットカースを使って四人の身体を操作すれば、間違えて、その身体を傷つけてしまうかもしれない。――煙幕も、もう全部使い切ってしまった。
「アモン、マルタス、モラン! 四人を厩まで頼む」
ほいきたとばかりに、三人は、カールたちのいる路地に走っていった。
煙幕が、少しずつ薄くなってゆく。
「グリム、お前なのか!」
煙の中から、男の声が聞こえてきた。
あの森の中で対峙した双剣使い、スレッドの声だ。
「姿を見せろ! お前には、聞きたいことが山ほどある!」
「(俺には全然ないよ)」
ダークバインドで、馬車の車輪を外す。
霧が、ぶわっと吹き飛ばされた。
スレッドが、剣で煙を切り裂いたようだ。
馬車の車輪を、スレッドに投げつける。
スレッドはそれを、切り飛ばした。
「グリム! 姿を見せろ! 卑怯者!」
騎士なら、卑怯者と言われて黙っているわけにはいかないだろう。
でも俺は、騎士ではない。
一応魔術師ではあるが、魔術師の前に、戦いとは縁遠い所で育ってきた人間だ。卑怯者と言われようが、腰抜けと言われようが、そんな安っぽい挑発に乗るほど戦いに飢えちゃいない。むしろ、もう本当は、戦いなんてまっぴらなのだ。
騒ぎを聞きつけて、詰所の兵士たちもやってきた。
俺は収納の杖から、今朝炎鉾王に貰った独鈷所を取り出した。
ラリアンの王宮に向かって独鈷所を向け、目を瞑る。
王宮の門の様子が、頭の中に浮かび上がる。
独鈷所に魔力を込めてゆく。
門が、めらめらと燃え始める。
門番が悲鳴を上げて逃げ出す。
さらに、独鈷所に魔力を込める。
――バアアアアン!
門が、爆発した。
目を開けて宮殿の方を見る。
ごうごうと火が燃え広がり、その黒い煙が、青い空に立ち上ってゆく。
「王宮が攻撃されている! 急いで宮殿に!」
騎士団も、兵士たちも、色を失って宮殿の方に走ってゆく。
これは、誰が何と言おうと、まぎれもなく、「反逆罪」だ。捕まれば死刑は免れないだろう。もう、後戻りはできない。これで覚悟も決まった。
この時間稼ぎが効いているうちに、全てを済ませよう。
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カールたちは、訳も分からないまま、ユランの厩まで走らされた。
皆、厩の中に飛び込むように入り、全員が入るのを確認すると、アモンは急いで扉を閉めた。走ってきた勢いのまま、四人は藁の中に飛び込んだ。
「ジャンヌ様! カール様!」
「よくご無事で!」
「あぁ、神様、あぁ、神様!」
アモン、マルタス、モルトは、すでに涙を浮かべていた。
「アモン? マルタス? モルト!? どうしてこんなところにいるの!?」
「ジャンヌ様の力になりたくて!」
マルタスとモルトも頷く。
「それにカール殿下、あぁ、ご無事で何よりでございます」
アモンは、カールに深く頭を下げた。
「これは、貴方たちが――貴方たちが助けてくれたの?」
「いいえ、グリム様です。あの方が、どうやったかわかりませんが、作戦を立てたのは、グリム様です!」
四人は、グリムの名前を聞いて、何とも言えない興奮を覚えた。
グリムはもう、死んだものと思ってあきらめていたのだ。
そのグリムが、実は生きていた。
「グリムはどこにいるの」
エイルが、アモンに訊ねた。
「恐らく、まだ町の方です。ここで合流する予定です。きっと、もう少ししたら、来ると思います」
「もう少しって、どれくらい?」
「それは、わかりませんけど……」
「グリムは、本当に生きてるの?」
「生きてます。あの船の中で、グリム様は血を抜かれていたのですが、自力で抜け出し、そこで、私たちは出会いました。嵐がやってきて、船はそのまま転覆し、私たちは、島に流されたのです。その島で、私たちは人魚と、そして、エレネという魔物に出会いました。グリム様がエレネと交渉し、エレネの魔法によって、私たちはアイヴィオに移動しました。あとはそこから、ジャンヌ様を馬で追いかけてきたのです」
アモンの話を、皆、じっと聞いていた。
嵐を起こす魔物エレネは、神とも、精霊とも、聖獣とも呼ばれているが、その姿を見たことがある者は少ない。嵐の中でその歌を聴き、生き残った数少ない者のなかのただ一握りの船乗りだけが、その姿を垣間見ることがある。エレネが魔女だという者もいれば、嵐の化身だという者もいる。その伝説のようなエレネに会ってきたというその話を、しかし四人は、不思議と疑わなかった。
「グリム様……」
クワルは、扉を出て、今すぐご主人様に会いたいという衝動にかられた。
クワルが立ち上がり、扉に向かってゆくのを、カールがその小さな手を取って、止めた。
「大丈夫、グリムさんなら、きっと来るから」
クワルははっと理性を取り戻し、頷いた。
厩はしんと静まり、皆の視線が、自然と入り口の扉に向いた。
そこから、今まさにグリムが、飛び込んでくるかもしれない。
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じっと扉を眺める皆の様子を、俺はしばらく眺めていた。
アモンにはさらっと言ったが、忘れているようだ。
言ったじゃないかアモン、皆が揃ったら扉の鍵は閉めるんだぞ、と。俺にはミストテレポートがあるんだから、特殊な結界でも張られない限り、扉や壁は関係ないのだ。
それにしても、クワル、ジャンヌ、カール、本当に生きていて良かった。
エイルの背筋の伸びた背中は、まさに、エイル、といった感じだ。
コホン、と俺は咳払いをした。
皆が一斉に振り返り、俺の方を見る。
数秒の沈黙。
やめてくれ、幽霊を見るような目で俺を見るなよ。
「ええ、皆、お久しぶり」
気のきいたセリフが言えない辺り、まぁ俺は、一般庶民なわけだが――。
「グリム様ぁ!」
クワルが抱き着いてきた。
抱き留めて、背中を軽くたたいてやる。
「グリムさん、やっぱり無事だったんですね!」
カールの顔がぱあっと笑顔になる。
こう見ると、この子は王子なのかもしれないが、一人の幼い男の子だ。こういう無邪気な可愛らしさは、大事にしてほしいところである。環境と宿命は、彼が子供でいるのを許さないかもしれないが、俺はやっぱり、応じだろうが何だろうが、子供には子供でいてほしい。カールの笑い顔を見ると、悲しい気持ちになってしまう。
「生きててよかったわ、グリム。本当に、死んだかと思って――」
「うん……自分でも生きてるのが不思議なくらいだよ。幸運の女神でもついてるのかね」
「そんな女神がいるの?」
「いや、知らないけど……まぁとにかく、皆無事で何より。ただ、ゆっくり話をしている時間もないんだ。端的に話すからよく聞いてほしい」
そう言うと、皆の顔が引き締まった。
いや……そんなに真面目になられるとこっちが緊張するじゃないか。
「これから、カールとジャンヌ、それからアモン、マルタス、モルトは、商団のキャラバンに加わって、アイヴィオに行くんだ」
俺はそう言いながら、金貨のごっそり入った袋を、ジャンヌに渡した。
カールとアイヴィオが口を開きかけたのを制して続ける。
「目的地はネーデル。騎士団も、まさか再び、アイヴィオに向かうとは思わないだろうから、その裏をかく。キャラバンは、ラリアンの南東門で待ってる」
「グリム、それって、私たちだけ逃げろってこと?」
「皆逃げるよ。でも、その方向が違うだけ」
アモン、マルタス、モルトの三人は、すでに計画を知っているだけあって、もう気持ちの準備もできている。あとは、ジャンヌとカールの決断のみだ。
「わかりました、グリムさん」
カールが言った。
「僕たちも、必ず無事に、ネーデルに行きます。だからグリムさんたちも、必ず無事でいてください。それでも、全部終わったらまた――」
「うん、全部終わって、ほとぼりが冷めたら、きっとまた会えるよ」
「はい」
息を押し出すように、カールは返事をした。
俺はカールをぎゅっと抱きしめてやり、そのやわらかいほっぺたを軽く撮んだ。彼は王子だから、誰もこんなふうに接したりはしないだろう。でも俺には関係ない。王子だろうが何だろうが、子供は子供だ。
「ジャンヌ様、カール様、行きましょう!」
アモンが立ち上がった。
マルタスとモルトも、それに続く。
ジャンヌも覚悟を決め、頷いた。
最後に一人ずつ、じっと目を見つめ、そして、五人は厩を出て行った。
厩がまた、静かになった。




