113 勝負の朝
ここまでありがとう。
ごめんなさい、力になれなかった。
いいえ、貴方たちがいなかったら、もう命を落としていた。
ありがとう……。
ありがとう……。
ラリアンに向かう最後の宿の二階で、四人は酒を飲み交わし、薄暗い部屋の中で、ぽつりぽつりと会話をした。明日になれば、もう自由に、四人集まって話すこともできないだろう。明日からは、どれくらい長いのか想像もできない、尋問の日々が続くだろう。
グリムとパトラッシュの話になると、クワルは涙を流した。
その頭を、エイルが撫でて慰める。
ジャンヌは一連の旅の責任を感じていて、言葉は少なかった。
この物語は悲しい結末を迎えるだろうと、四人は言葉には出さずとも、そう考えていた。その結末を静かに受け入れる準備に入っていた。ジャンヌも、これ以上の抵抗を、主であるカールが望まないのを悟っていた。
「トランプでも、しましょうか」
ジャンヌが言った。
テーブルの上にカードを広げる。
クティとグリムと、王都に戻る船上で遊んだ、そのトランプである。
ジャンヌがカードを切り、配る。
ジョーカーがカールの手元に滑り込む。
ジョーカーはジャンヌの手に移り、クワル、エイルへと流れ、そしてまた、カールの手元に戻ってきた。
カールにポーカーフェイスは無理だった。
ジョーカーが戻ってきて、そのおどけた姿を見つめるカール。自分が笑われているようで、思わず顔をゆがめてしまう。涙は流すまいと堪えるが、もはや、立ち向かうほどの気力は、カール自身、もう自分には無いように思えていた。
――そこへ、ノックがあった。
宿の女性が、トレイに酒を乗せてやってきた。
トレイの上には酒のボトルが二本と、一枚の紙きれが乗せられていた。
「ありがとう」
カールはそれを受け取ると礼を言い、女給は小さくお辞儀をして部屋を出た。
二本のボトルはテーブルに。をテーブルに置く。
カールは、何気なく、少し不思議な気持ちで、ボトルと一緒に届けられた紙切れに目をやった。ひっくり返すと、文字が書いてあった。
数文字読んだカールは、
「グリムさんからだ……」
呟いた。
誰もが、耳を疑った。
すでにグリムは死んだものと思っている。他の三人も席を立ち、カールの持っている手紙を覗き込んだ。
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夜明けとともに、ラリアンの門が開く。
一人の黒魔術師が、夜明けとともに、その門をくぐった。
馬はそのまま大通りを走り、カスタード家の屋敷の前で停まった。
「久しぶりだな……」
グリムは呟いた。
随分と長い間、留守にしていた気がする。
ユラン侯爵の屋敷。
裏の扉に手をかける。
ゆっくりと、引き開ける――開いた。
そのまま、静かな屋敷の中、階段を上がってゆく。そのままテラスへ。テラスには、すでにユランが、朝の薄暗闇の空を見ながら、紅茶を飲んでいた。
「ひとまず、おかえりなさい」
ユランが、俺を認めて声をかけてきた。
もっと怒っているかと思ったが、いつもの調子だ。
俺はユランの向かい側に座った。
「こんなことになってしまって、本当にすまなく思います」
「いいんですよ。最初に言った通り、私は、それを覚悟して、貴方を魔術士にしたんですから」
ユランは、微笑みさえ浮かべている。
底が知れない貴族である。下手をすれば、自分も処罰されるかもしれないというのに、不安など微塵も感じていないようだ。
ユランには、ここに来る前、飛文を送っている。
ユランがそれを受け取ったのは恐らく、昨日の夕方ごろだろう。自分の訪問を受け入れるなら、裏の扉を開いておいてほしいと手紙に書いていた。ユランが自分を受け入れるか、拒否するか、扉を開けるまで分からなかった。
――いや、常識な所、ユランと対面している今さえ、ユランが自分に対して、どのような感情を持っているかわからない。俺がもしユランだったら、果たして俺は、勝手なことばかりする、このふざけた魔術士を赦せるだろうか。
「今日の昼までの内に、アノール騎士団が、私の仲間を連れて、この町に入ってくると思います」
「そこで君は、仲間を助けるつもりですね」
「はい。そのために、先にこの町に入りました」
「君のあの付き人も、捕まっているんですか?」
「はい」
ユランは頷き、カップを置いた。
遠くに見える北の山脈の淵に、黄金が差し始めた。
「どうかお願いします、力を貸してください」
頭を下げる。
それくらいしか、今の俺にできない。旅の中で、ほとんどのアイテムは換金して失った。その金も、金貨数枚程度しか、今はもうない。対して俺がこれからユランに頼もうとしているのは、金貨30枚には相当する――いや、リスクを考えれば、100枚積まれたってやってもらえないようなことだ。
「どのような助けが必要ですか?」
「アイヴィオに、馬車を出してもらいたいんです。荷馬車で構いません」
「アイヴィオですか? 人数は?」
「5人です」
「今日の昼二つ時に出発する商隊があります。僕の従妹が持っている商団の商隊です。それに同乗できるよう、手配しましょう。――また、アイヴィオに戻るのですか?」
「いいえ、私は、北国――レイセンに行きます」
「レイセンに? レイセンへの通行証は、すぐには作れませんよ」
「通行証無しで、行きます」
「正気ですか? つまりそれは、山を越えて?」
「はい」
レイセンは、カカン王国領の北に横たわる、フリュール山脈を越えた向こう側にある王国だ。カカン王国とはほとんど貿易をしていず、互いに人の行き来も無いに等しい。政治的に対立しているわけではなく、地理的に、レイセンとカカンは分断されているために、そうなったのである。
二国を分断するフリュール山脈。
高く、寒く、超えようとすれば過酷な山脈である。しかも、雪の多いこの時期に山越えをするというのは、魔法があるこの世界でも、一般的な感覚からすれば、自殺行為である。
「他に、僕にできることはありますか?」
ユランは、俺の考えを咎めずに、そう訊いてきた。
「厩の鍵を、開けておいてもらえますか」
「わかりました。それから、あとは?」
「あとは……」
「お金ですか?」
「……」
ユランは笑った。
用意していたバックをテーブルの上に乗せ、開いた。その中には、金貨がぎっしり詰まっていた。
「好きなだけ持って行ってください。お金なら、ありますから」
「どうしてそこまで、助けてくれるんですか?」
「黒魔術師は、魔法界にとって、宝ですから。私にとっては、それだけで充分な理由になります」
「……では、お言葉に甘えて」
一掴み、二掴み、三掴み、金貨をとって、収納の杖にしまう。
金貨が杖の先に、くるくる小さくなって吸い込まれていく様子を、ユランは目を輝かせて見ていた。
「ユラン侯爵、この恩は――」
「生きてください。恩返しなら、それで充分です。これは私の趣味とは別の話になりますが――貴方の力を必要とする人間は、たくさんいると思いますよ。魔術師の多くは、才能ある魔術師の多くは、その才能に溺れ、人の道を踏み外すことが多い。僕自身は、それも魔法使いの生き方であると尊重する立場をとりますが、古代の名のある魔法使い、賢者と呼ばれる魔導師の多くは、命を尊ぶ者であったろうと、文献から読み取ることができます。全ての魔導師がそうであったわけではないでしょうけど、貴方はどうやら、そのような、人の心を持った魔導師であると思います。それは、多くの善良な人間にとっては幸運なことです。――どうか逃げ伸びてください。貴方はどこにいても、私の魔導士です」
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ユランの屋敷には厩が二つある。
一つは、表の通りに面した、前に小さな土の広場がある表の厩。もう一つは、建物の裏手にあって、三頭ほどの馬を置いておける、規模としては小さくはない厩である。この裏の厩は、怪我をした馬の治療をしたり、馬以外の生物を置いておくためにユランが建てたものらしい。主に後者が厩建設の理由らしく、執事の話によると、たまにユランは、取引を禁止されている聖獣や魔獣を、裏の厩に置いていたりするという。
馬小屋を管理する馬方は、ユランの言いつけに従って、俺に一礼すると、そそくさと表の厩の方に移動していった。俺の存在は、「無いもの」として扱ってくれるらしい。これから一日の間、この裏の厩で起こることについては、馬方も、ユランも、そしてユランの屋敷に仕える執事やメイドも、誰も注意を払はない。
もう嗅ぎなれた獣の匂い。
厩の中に置いてある椅子に座る。
心臓が、バクバク音を立てている。
日が昇ったら、馬を借りに行こう。
五人分の僧服は、さっきユランに貰って、杖の中にしまってある。長旅用の干し肉と、水の入った水筒――人数分確保している。金は、さっきユランに貰ったもので充分だろう。あとは何か、必要な物は――。
「なんだかなぁー!」
思わずそんなことを口走ってしまう。
こんなはずじゃなかったのだ。安全に、平和に生きていられればいい。もしこっちが辛くなったら、向こうに帰ろう――そういうスタンスだったはずだ。それがどうだろうか。俺はこれから、罪を犯そうとしている。公爵の騎士団から、力づくで、犯罪者を助けようとしている。
どこでどう間違ったのか。
俺は決して、犯罪者になるような人間ではなかった。思春期には担任の悪口を言ったり、拗ねた態度をとるようなことはあったが、そこ止まりで、万引きをしようとか、ガラスを割って歩いたとか、校舎でタバコをふかしたり、麻薬に手を出したり、そういうようなことはしてこなかった。
そんな俺が、今日の夕方辺りには、完全に犯罪者になる。
怪我人が出ないように注意はするつもりだが、何しろ黒魔術である。最悪、死人が出るかもしれない。人を殺したくはないが、俺は選ばないといけない。人を殺してでもエイルたちを助けるか、人殺しを躊躇ってエイルたちを見殺しにするか――そういう選択を迫られる瞬間があるだろう。
「なんだかなぁ……」
頭を抱える。
俺は間違っていない。自分の信念に従っている。正義は我にあり! ――なんて、実際には、迷わず行動できるわけがない。俺は本当に正しいのだろうか。親し人間を助けたいという気持ちは正しいとしても、そのために国の法を犯すというのは、間違った行いではないのか。しかも黒魔術を使って、暴力でそうするというのは。
皆がそんなことをし始めたらどうなる。
暴力が支配する、混沌とした世界になってしまう。
だから、そうしないために法律があるのだ。
それを俺は、私情で犯そうとしている。
『迷っているようだな』
声がした。
聞いたことのない声だ。
これは、わかる。神様的なものからの言葉だ。
『我は炎鉾王。我のものにならないか』
「はじめまして……」
『我のものにならぬか?』
「どういうことですか?」
『お前は今、迷っているな。己の正義を信じられないでいる。違うか』
「ま、まぁ……そうです」
『我は炎鉾王、お前の信念に炎を宿らせよう。我のものになるのだ』
今までにない、強引な神である。
心の中に、その太く、厳かな声の響きが反響している。
「自分その、忘翁から、一応、加護を受けているもので……」
『ボウオウ? 嘘を言うな。そのような老神は知らぬ。それにお前は、まだ誰の加護も受けていない』
「そんなはずは……」
――あるかもしれない。
忘翁という名は、俺が一年前に付けた名前だ。加護については、その名前をあの爺さん神に付けた時に、忘翁と俺との絆が薄れたという理由で、受けられなくなった。最近になって再び、忘翁の声が聞こえるようになったから、加護も復活したものと思っていたが、それはどうやら、勘違いだったらしい。
あのボケ老人のことだから、俺に再び加護を与えるのを忘れたのかもしれない。
『正義を貫くのだ、グリムよ。正義は己の内にある。男なら、力でもって道を切り開くのだ!』
わかりやすい神である。
男は強くあるべきだ! というような、わかりやすいジェンダー意識の持ち主である。俺も男だからなのか何なのか、そういうのに、憧れたりはする。「力」・「強さ」を誇示したいという願望は、ほとんど本能のようにも思われる。
『我のものになるのだ!』
俺は、首を振った。
俺は力を持っている。そしてこれから、その力を発揮して、仲間を助けようとしている。しかしそれは、暴力だ。それを肯定して行ってしまったら、ロクな人生を歩まないような気がする。
『なぜだ、我は強いぞ! 我のものになれば、この炎の力を、お前に授けようというのに!』
「すみません。でも――」
『ええい、この欲張りめ! それなら、我の力の片りんを見せてやろう!』
声がした後、俺の前の藁の上に、独鈷杵のようなものが現れた。
明王が持っている、アレである。
「これは……?」
『我が炎の力を宿した道具だ。我の力を、存分に試すがよい』
「いや、あの――」
……。
…………――――。
行ってしまった。
神と言うのは、誰もかれも勝手なものだ。
TPOなんて考えやしない。
ずっしり重たいこの独鈷杵も、渡すのはいいが、使い方を教えてもらっていない。――とりあえず、杖の中にしまう。
カーン、カラーン、コローン。
朝一つの鐘の音が聞こえていた。
ついに今日が始まった。勝負の一日だ。




