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113/114

113 勝負の朝

 ここまでありがとう。

 ごめんなさい、力になれなかった。

 いいえ、貴方たちがいなかったら、もう命を落としていた。

 ありがとう……。

 ありがとう……。


 ラリアンに向かう最後の宿の二階で、四人は酒を飲み交わし、薄暗い部屋の中で、ぽつりぽつりと会話をした。明日になれば、もう自由に、四人集まって話すこともできないだろう。明日からは、どれくらい長いのか想像もできない、尋問の日々が続くだろう。


 グリムとパトラッシュの話になると、クワルは涙を流した。

 その頭を、エイルが撫でて慰める。

 ジャンヌは一連の旅の責任を感じていて、言葉は少なかった。


 この物語は悲しい結末を迎えるだろうと、四人は言葉には出さずとも、そう考えていた。その結末を静かに受け入れる準備に入っていた。ジャンヌも、これ以上の抵抗を、主であるカールが望まないのを悟っていた。


「トランプでも、しましょうか」


 ジャンヌが言った。

 テーブルの上にカードを広げる。

 クティとグリムと、王都に戻る船上で遊んだ、そのトランプである。


 ジャンヌがカードを切り、配る。

 ジョーカーがカールの手元に滑り込む。

 ジョーカーはジャンヌの手に移り、クワル、エイルへと流れ、そしてまた、カールの手元に戻ってきた。


 カールにポーカーフェイスは無理だった。

 ジョーカーが戻ってきて、そのおどけた姿を見つめるカール。自分が笑われているようで、思わず顔をゆがめてしまう。涙は流すまいと堪えるが、もはや、立ち向かうほどの気力は、カール自身、もう自分には無いように思えていた。


 ――そこへ、ノックがあった。


 宿の女性が、トレイに酒を乗せてやってきた。

 トレイの上には酒のボトルが二本と、一枚の紙きれが乗せられていた。


「ありがとう」


 カールはそれを受け取ると礼を言い、女給は小さくお辞儀をして部屋を出た。

 二本のボトルはテーブルに。をテーブルに置く。

 カールは、何気なく、少し不思議な気持ちで、ボトルと一緒に届けられた紙切れに目をやった。ひっくり返すと、文字が書いてあった。


 数文字読んだカールは、


「グリムさんからだ……」


 呟いた。

 誰もが、耳を疑った。

 すでにグリムは死んだものと思っている。他の三人も席を立ち、カールの持っている手紙を覗き込んだ。



 夜明けとともに、ラリアンの門が開く。

 一人の黒魔術師が、夜明けとともに、その門をくぐった。

 馬はそのまま大通りを走り、カスタード家の屋敷の前で停まった。


「久しぶりだな……」


 グリムは呟いた。


 随分と長い間、留守にしていた気がする。

 ユラン侯爵の屋敷。

 裏の扉に手をかける。

 ゆっくりと、引き開ける――開いた。

 そのまま、静かな屋敷の中、階段を上がってゆく。そのままテラスへ。テラスには、すでにユランが、朝の薄暗闇の空を見ながら、紅茶を飲んでいた。


「ひとまず、おかえりなさい」


 ユランが、俺を認めて声をかけてきた。

 もっと怒っているかと思ったが、いつもの調子だ。

 俺はユランの向かい側に座った。


「こんなことになってしまって、本当にすまなく思います」

「いいんですよ。最初に言った通り、私は、それを覚悟して、貴方を魔術士にしたんですから」


 ユランは、微笑みさえ浮かべている。

 底が知れない貴族である。下手をすれば、自分も処罰されるかもしれないというのに、不安など微塵も感じていないようだ。


 ユランには、ここに来る前、飛文を送っている。

 ユランがそれを受け取ったのは恐らく、昨日の夕方ごろだろう。自分の訪問を受け入れるなら、裏の扉を開いておいてほしいと手紙に書いていた。ユランが自分を受け入れるか、拒否するか、扉を開けるまで分からなかった。


 ――いや、常識な所、ユランと対面している今さえ、ユランが自分に対して、どのような感情を持っているかわからない。俺がもしユランだったら、果たして俺は、勝手なことばかりする、このふざけた魔術士を赦せるだろうか。


「今日の昼までの内に、アノール騎士団が、私の仲間を連れて、この町に入ってくると思います」

「そこで君は、仲間を助けるつもりですね」

「はい。そのために、先にこの町に入りました」

「君のあの付き人も、捕まっているんですか?」

「はい」


 ユランは頷き、カップを置いた。

 遠くに見える北の山脈の淵に、黄金(こがね)が差し始めた。


「どうかお願いします、力を貸してください」


 頭を下げる。

 それくらいしか、今の俺にできない。旅の中で、ほとんどのアイテムは換金して失った。その金も、金貨数枚程度しか、今はもうない。対して俺がこれからユランに頼もうとしているのは、金貨30枚には相当する――いや、リスクを考えれば、100枚積まれたってやってもらえないようなことだ。


「どのような助けが必要ですか?」

「アイヴィオに、馬車を出してもらいたいんです。荷馬車で構いません」

「アイヴィオですか? 人数は?」

「5人です」

「今日の昼二つ時に出発する商隊があります。僕の従妹が持っている商団の商隊です。それに同乗できるよう、手配しましょう。――また、アイヴィオに戻るのですか?」

「いいえ、私は、北国――レイセンに行きます」

「レイセンに? レイセンへの通行証は、すぐには作れませんよ」

「通行証無しで、行きます」

「正気ですか? つまりそれは、山を越えて?」

「はい」


 レイセンは、カカン王国領の北に横たわる、フリュール山脈を越えた向こう側にある王国だ。カカン王国とはほとんど貿易をしていず、互いに人の行き来も無いに等しい。政治的に対立しているわけではなく、地理的に、レイセンとカカンは分断されているために、そうなったのである。


 二国を分断するフリュール山脈。

 高く、寒く、超えようとすれば過酷な山脈である。しかも、雪の多いこの時期に山越えをするというのは、魔法があるこの世界でも、一般的な感覚からすれば、自殺行為である。


「他に、僕にできることはありますか?」


 ユランは、俺の考えを咎めずに、そう訊いてきた。


「厩の鍵を、開けておいてもらえますか」

「わかりました。それから、あとは?」

「あとは……」

「お金ですか?」

「……」


 ユランは笑った。

 用意していたバックをテーブルの上に乗せ、開いた。その中には、金貨がぎっしり詰まっていた。


「好きなだけ持って行ってください。お金なら、ありますから」

「どうしてそこまで、助けてくれるんですか?」

「黒魔術師は、魔法界にとって、宝ですから。私にとっては、それだけで充分な理由になります」

「……では、お言葉に甘えて」


 一掴み、二掴み、三掴み、金貨をとって、収納の杖にしまう。

 金貨が杖の先に、くるくる小さくなって吸い込まれていく様子を、ユランは目を輝かせて見ていた。


「ユラン侯爵、この恩は――」

「生きてください。恩返しなら、それで充分です。これは私の趣味とは別の話になりますが――貴方の力を必要とする人間は、たくさんいると思いますよ。魔術師の多くは、才能ある魔術師の多くは、その才能に溺れ、人の道を踏み外すことが多い。僕自身は、それも魔法使いの生き方であると尊重する立場をとりますが、古代の名のある魔法使い、賢者と呼ばれる魔導師の多くは、命を尊ぶ者であったろうと、文献から読み取ることができます。全ての魔導師がそうであったわけではないでしょうけど、貴方はどうやら、そのような、人の心を持った魔導師であると思います。それは、多くの善良な人間にとっては幸運なことです。――どうか逃げ伸びてください。貴方はどこにいても、私の魔導士です」



 ユランの屋敷には厩が二つある。

 一つは、表の通りに面した、前に小さな土の広場がある表の厩。もう一つは、建物の裏手にあって、三頭ほどの馬を置いておける、規模としては小さくはない厩である。この裏の厩は、怪我をした馬の治療をしたり、馬以外の生物を置いておくためにユランが建てたものらしい。主に後者が厩建設の理由らしく、執事の話によると、たまにユランは、取引を禁止されている聖獣や魔獣を、裏の厩に置いていたりするという。


 馬小屋を管理する馬方は、ユランの言いつけに従って、俺に一礼すると、そそくさと表の厩の方に移動していった。俺の存在は、「無いもの」として扱ってくれるらしい。これから一日の間、この裏の厩で起こることについては、馬方も、ユランも、そしてユランの屋敷に仕える執事やメイドも、誰も注意を払はない。


 もう嗅ぎなれた獣の匂い。

 厩の中に置いてある椅子に座る。

 心臓が、バクバク音を立てている。


 日が昇ったら、馬を借りに行こう。

 五人分の僧服は、さっきユランに貰って、杖の中にしまってある。長旅用の干し肉と、水の入った水筒――人数分確保している。金は、さっきユランに貰ったもので充分だろう。あとは何か、必要な物は――。


「なんだかなぁー!」


 思わずそんなことを口走ってしまう。

 こんなはずじゃなかったのだ。安全に、平和に生きていられればいい。もしこっちが辛くなったら、向こうに帰ろう――そういうスタンスだったはずだ。それがどうだろうか。俺はこれから、罪を犯そうとしている。公爵の騎士団から、力づくで、犯罪者を助けようとしている。


 どこでどう間違ったのか。

 俺は決して、犯罪者になるような人間ではなかった。思春期には担任の悪口を言ったり、拗ねた態度をとるようなことはあったが、そこ止まりで、万引きをしようとか、ガラスを割って歩いたとか、校舎でタバコをふかしたり、麻薬に手を出したり、そういうようなことはしてこなかった。


 そんな俺が、今日の夕方辺りには、完全に犯罪者になる。

 怪我人が出ないように注意はするつもりだが、何しろ黒魔術である。最悪、死人が出るかもしれない。人を殺したくはないが、俺は選ばないといけない。人を殺してでもエイルたちを助けるか、人殺しを躊躇ってエイルたちを見殺しにするか――そういう選択を迫られる瞬間があるだろう。


「なんだかなぁ……」


 頭を抱える。

 俺は間違っていない。自分の信念に従っている。正義は我にあり! ――なんて、実際には、迷わず行動できるわけがない。俺は本当に正しいのだろうか。親し人間を助けたいという気持ちは正しいとしても、そのために国の法を犯すというのは、間違った行いではないのか。しかも黒魔術を使って、暴力でそうするというのは。


 皆がそんなことをし始めたらどうなる。

 暴力が支配する、混沌とした世界になってしまう。

 だから、そうしないために法律があるのだ。

 それを俺は、私情で犯そうとしている。


『迷っているようだな』


 声がした。

 聞いたことのない声だ。

 これは、わかる。神様的なものからの言葉だ。


『我は炎鉾王(えんむおう)。我のものにならないか』

「はじめまして……」

『我のものにならぬか?』

「どういうことですか?」

『お前は今、迷っているな。己の正義を信じられないでいる。違うか』

「ま、まぁ……そうです」

『我は炎鉾王、お前の信念に炎を宿らせよう。我のものになるのだ』


 今までにない、強引な神である。

 心の中に、その太く、厳かな声の響きが反響している。


「自分その、忘翁から、一応、加護を受けているもので……」

『ボウオウ? 嘘を言うな。そのような老神は知らぬ。それにお前は、まだ誰の加護も受けていない』

「そんなはずは……」


 ――あるかもしれない。

 忘翁という名は、俺が一年前に付けた名前だ。加護については、その名前をあの爺さん神に付けた時に、忘翁と俺との絆が薄れたという理由で、受けられなくなった。最近になって再び、忘翁の声が聞こえるようになったから、加護も復活したものと思っていたが、それはどうやら、勘違いだったらしい。

 あのボケ老人のことだから、俺に再び加護を与えるのを忘れたのかもしれない。


『正義を貫くのだ、グリムよ。正義は己の内にある。男なら、力でもって道を切り開くのだ!』


 わかりやすい神である。

 男は強くあるべきだ! というような、わかりやすいジェンダー意識の持ち主である。俺も男だからなのか何なのか、そういうのに、憧れたりはする。「力」・「強さ」を誇示したいという願望は、ほとんど本能のようにも思われる。


『我のものになるのだ!』


 俺は、首を振った。

 俺は力を持っている。そしてこれから、その力を発揮して、仲間を助けようとしている。しかしそれは、暴力だ。それを肯定して行ってしまったら、ロクな人生を歩まないような気がする。


『なぜだ、我は強いぞ! 我のものになれば、この炎の力を、お前に授けようというのに!』

「すみません。でも――」

『ええい、この欲張りめ! それなら、我の力の片りんを見せてやろう!』


 声がした後、俺の前の藁の上に、独鈷杵のようなものが現れた。

 明王が持っている、アレである。


「これは……?」

『我が炎の力を宿した道具だ。我の力を、存分に試すがよい』

「いや、あの――」


 ……。

 …………――――。

 行ってしまった。


 神と言うのは、誰もかれも勝手なものだ。

 TPOなんて考えやしない。

 ずっしり重たいこの独鈷杵も、渡すのはいいが、使い方を教えてもらっていない。――とりあえず、杖の中にしまう。


 カーン、カラーン、コローン。

 朝一つの鐘の音が聞こえていた。

 ついに今日が始まった。勝負の一日だ。


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