112 もうじきの決着
俺とアモン、マルタス、モランの三人は、オーシャンビューのテラスに座っていた。ぼんやりと、俺たちはそれぞれで、顔を見合わせた。遅れて平和な波の音が、ざぷーん、ざぷーんと聞こえてくる。
アイヴィオだ。
戻ってきた。
俺は、軽い頭痛を覚えて、こめかみを押さえた。
少しの間、幽霊になっていた気分がした。
「ここが、アイヴィオですか?」
アモンが訊いてきた。
そうだ、彼らにとっては、ここは初めてだ。見知らぬ街という以上に、彼らにとっては他国で、もしかすると敵国、くらいの感覚なのかもしれない。俺も異邦人だが、この三剣士は、俺以上に異邦人だ。
「ご注文は?」
アルバイトらしい若い青年が、注文を取りに来た。
接客向きの良い笑顔だ。
まさか俺たちが、この数秒前まで、エレネの島にいて、彼女の歌を聴いていたなんて夢にも思わないだろう。俺が船の上で血を抜き取られて死にかけていた黒魔術師で、この三人が、ルノアルドからやってきた元青鷲騎士団ジャンヌの追っかけだとは、決して解るまい。
「食事を貰おう。スープと、パンと、酒はいらない」
「四人分ですか?」
アモンたちはうんうんと頷いた。
「それで、お願いするよ」
ほどなく食事が運ばれてきて、俺たちは、空腹を思い出した。
エレネの島で、彼らが採ってきた魚や果物を食べるには食べたが、スープやパンという、食事らしい食事は、しばらく摂っていなかった。
みっともない話だが、俺はクラゲのスープの最初の一口を飲んだ時、思わず泣いてしまった。自分が生きていることを、初めて知った気分だった。辛い旅をしてきたものだと思った。どうしてこんな苦痛の伴う人生を歩まねばらないのか、理不尽に叫びたくなる。
だがすぐに俺は、エイルたちの事を思い出した。
俺は黒魔術師だが、エイルやカールは、それよりも重いものを背負って産まれてきた。もしかするとそれに、一生を翻弄されて生きてゆくのかもしれない。そうさせないために今、彼らは抗っているのだろう。抗うことを辞めたら、その運命の流れに、容易く押し流されてしまうのだろう。
俺は涙を拭って、スープにつけたパンを、口に押し込んだ。
軽いものだ。
まだ俺なんて、まだまだ俺の人生なんて、全然イージーモードだ。死んでも向こうで生き返る。黒魔術なんて力も貰った。こんなに優遇されている人間が、ちょっと痛い思いをしたくらいでヘコたれたら、一緒に旅をしてきた皆に申し訳がないじゃないか
――俺は、カールを助けるんだ。
これは、そのための力なんだ。
食事を終えて、俺たちは組合館に行った。
俺は薄々、皆がもうこの町にいないのを気づいていた。ほとんど確信をもって、知っていた。魔力によってもたらされた勘なのかもしれない。
少し聞き込みをして、皆がどうやらアノール騎士団に拘束されたらしいという事や、アノール騎士団が聖北街道を上ってラリアンに向かったという情報を得た。
もうパトラッシュはいない。
パトラッシュなら、1日で、いや、数時間で追いつくだろう。
「グリムさん、追いましょう」
アモンが言った。
マルタスとモランも、そのつもりだった。この三剣士は、アノール騎士団と戦う覚悟をもう決めている、そういう顔付きである。この世界の人間というのは、どうしてこうも、勇敢なのだろう。彼らに、勝てる見込みなんてないのだ。彼らだって馬鹿じゃない、それくらいわかっているはずだ。
わかっていて、彼らはジャンヌに会うために、力になるためにルノアルドの軍艦に乗った。奇跡的に助かった彼らは、今度はその命を、今度こそジャンヌのために投げ出すという。
保証のない旅だ。
金も、命も、人生をも賭けて投げ捨てて、平和を捨てて。
俺たちは馬を用意して、すぐに町の北の門を出た。
聖北街道を馬で飛ばしてゆく。
「間に合いますかね!」
風の音に負けない声で、叫ぶように、アモンが聞いてきた。
ドドドン、ドドドンと、蹄が土を鳴らす。
「あぁ! 大丈夫だよ!」
俺も、めいっぱい声を張り上げて答えた。
また会える――魔力がそう言っている。
科学的な根拠なんて全然ない。それなのにどういうわけか、俺は心の底で、安心していた。エイルたちはまだ生きている。そしてまた会える。この道を上ってゆけば、必ず会える――そんな確信があった。
「占いですか!」
「黒魔術師の勘だ!」
吹きすさぶ突風が追い風になった。
海から吹き込む冷たい風――海陸風に押されて、馬は走力を上げる。馬は、まるでパトラッシュのように駆ける。
この風は、もしかすると、パトラッシュの贈り物なのかもしれない。
パトラッシュは龍になった。
龍は、天候を操るという。雨を降らし、風を吹かせ、雲を自由に動かせるという。
不意に、胸に熱を感じた。
心臓が燃えているようだ。
「ジャンヌ様! 今行きます!」
「今行きます!」
「オー!」
三剣士は、それぞれに叫んだ。
遠い山脈にかかる灰色の連雲の方角に向かって、オー、オーと声を上げる。馬も嘶く。たった四騎だが、まるで一千の大軍の大移動の様に、俺たちは進んだ。
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アイヴィオを出、三日目の夜が来た。
クワルとエイルの二人は、スレッドに拘束されているが、その身体に縄や錠が嵌められることはなかった。武器も奪われず、その気になれば二人は、逃げることも、共謀して、スレッドの寝込みを襲うことさえもできる自由を与えられていた。
しかし、二人は逃げることも、スレッドと戦うこともしなかった。
三日目のこの夜も、二人は宿の二階の二人部屋で、食後の弱い酒を飲んでいた。
戦ってもスレッドには勝てない――と、エイルもクワルも考えたわけではなかった。スレッドは強いが、クワルが決してそれに劣るわけではないことを、エイルは知っていた。
三日目になると、エイルもクワルも落ち着いていた。
この世界でのグリムの死を、徐々に受け入れる準備ができてきたのだ。
二人は、ガラスの小さなコップで、桃酒を飲み交わした。クワルの頬も、エイルの頬も、ほんのり赤みがさしている。二人は今、旅の中でしていたような警戒を、完全に解いていた。今誰かに奇襲されれば、反撃もままならず、好き放題にされてしまうだろう。
それを知っていて、二人は飲んでいた。
「エイル様、ありがとうございました」
「どうしたの?」
「グリム様を、最後まで助けようとしてくれて――クワルは、エイル様を第二の主人とお慕いしています」
エイルは、クワルの小動物らしい可愛さに微笑んだ。
「何もできなかったわ。ごめんね」
「いいえ、きっとグリム様は、喜んでいると思います」
「うん……」
クワルが、エイルに酒を注ぐ。
薄暗い部屋には窓が一つ。その奥はもう夜の闇で、梟の声が時たま聞こえてくる。
「これから、どうするの? 全部終わった後」
「エイル様は、何か決めていますか?」
「何も。でももう、傭兵業からは、足を洗うわ。どこかの診療所で雇ってもらおうかな」
「エイル様の術は素晴らしいです。きっと、良い所が見つかると思います」
「傷物の私が、雇ってもらえるかしら」
「……」
「どうしたの?」
「――エイル様……もし、全部終わったら」
「うん」
「私と、旅に出ませんか?」
「え、旅に? クワルと!?」
「はい。あ、じゃあこういうのはどうでしょうか、エイル様の働き口が見つかるまでの旅の間、付き人として、エイル様の傍に……ダメ、ですか?」
エイルは、ウルっときてしまった。
聖都を追放されてから、気を許せるような友人はいなかった。仕事上の仲間はいたが、それはいわゆる「仲間」といえるほど「味方」ではない人間ばかりだったし、エイルは自分でも、他人と過度に触れ合うことを嫌っていた。
烙印を押された女、穢い娘、黒魔術師の穢れた血の流れている人間だと思われるのが嫌だったのだ。そしてきっと、自分の身の上を知れば、誰だってそう言うに違いないと思っていた。
エイルの周りには、すばらしい聖者がたくさんいた。
そういう大人に囲まれて育っていた。
私は何て愛されているのだろう、人間はなんて優しい生き物なのだろう、そう感じながら育ってきたのだ。大人はいつも、優しい笑顔で接してくれていた。
しかしそれが、無償の愛ではないと、エイルは知ってしまったのだ。
聖都の、世界で最も慈愛に満ちた人々に石を投げつけられ、今まで優しく接してくれていた大人たちが、友人が、温度のない視線で自分を見つめてきた。
「クワル、私は――」
そんな価値のある人間じゃないわ、と言おうとして、エイルはしかし、途中で泣いてしまい、全部言えなかった。次から次に、涙が出てくる。氷を解かすような、温かい涙だった。
クワルはハンカチを持って、テーブルにグイッと身を乗り出し、エイルの涙を拭いた。エイルは、クワルに涙を拭かれるのを、それに任せて、ただ涙を流し続けた。
「えぇ、クワル、喜んで。私の傍で良かったら、ずっといていい――」
小さい子をなだめるように、クワルは、エイルの涙を拭き続けた。
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五日目の夕方、ラリアンまであと一日の所にあるガゼルという、ラリアンの衛星都市に、スレッドたちはやってきた。町の北にある宿で、先に出発していた騎士たちと合流した。
ジャンヌとカールは、エイルとクワルの無事を喜んで、それぞれ抱き合った。
四人は一つの部屋に案内された。
スレッドは、腰の剣を抜き、宿の天井を仰いだ。
仲間の顔を見て、忘れていた疲れが一気に襲い掛かってきたのだった。
「お疲れ様、隊長」
スレッドと、6人の騎士たちは乾杯して酒を飲んだ。
ラリアンまであと1日、ここまで何の問題もなかった。これから問題が起こるような気配もない。ジャンヌもカールも、そしてクワルとエイルの二人も、問題を起こすような素振りを見せない。
グリムが生きていたなら、どうだかわからなかった。
彼は、皆にとって希望だったのだろう。
それがいなくなった今、彼らは、やっと運命に身をゆだねようと心を決めた様子だ。
「私は副隊長だ」
「いや、今回の件で隊長さ、間違いない」
騎士たちはそうだそうだと頷き合った。
「そんな気にはなれない」
「どうして?」
「仲間を失った。私の責任だ」
「いや、あれは――名誉ある死だった。責任なんて、お前が言うべきじゃない」
スレッドは首を振り、それから、仲間の一人に訊ねた。
「彼らは、どうなる?」
「まず取り調べだろうな。その後は、ルノアルドの出方にもよるが、いずれかの刑罰を受ける」
「全員か?」
「あぁ」
スレッドと軽口を叩くほど仲の良い騎士の一人がそう答えた。貴族の出で、代々法廷の役員を務めている家だ。もう一人、四十過ぎの騎士で、それらの事情に詳しい騎士がいた。
「恐らく、殿下とその騎士殿には、厳しい取り調べと、そして罰が与えられるでしょう。このアノール騎士団と刃を交えるということは、公爵家に刃を向けることと同義です。そして、我々はその戦いで、仲間を失いました。彼らの名誉のためにも、反逆者には相応の罰があるべきと、法廷は裁くでしょう」
「その罰は――」
「処刑の可能性も、充分に考えられます。生かすのならば、生かすだけの理由が必要です。果たして、それがあるのか。そしてまた、彼らの仲間についても、同じことが言えます」
「殿下の仲間は、巻き込まれたようなものだ」
「いいえ、彼らは、自分の意思で動いていました。自ら、我が騎士団と戦う道を選んだのです」
「いや、違う。彼らは――」
スレッドは言葉に詰まった。
テーブルを囲んでいた騎士たちは、眉を顰めた。
スレッドらしくない、と思ったのだ。
「スレッド、俺たちが裁判に口を出すべきじゃない。俺たちは、この国の、公爵家の剣だ。剣はものを言わないのさ」
スレッドは押し黙り、持ち上がってきた感情を、酒で胸の中に押し戻した。
スレッドは、二階に続く階段の上を見上げた。
部屋の中で、彼らは何の話をしているのだろうかと、考えずにはいられなかった。
「スレッド、いいか、同情は禁物だぞ。身を亡ぼす。俺たちは騎士だが、何でもできるわけじゃない。俺たちは俺たちのできることをするんだ。役割を、全うするんだ。スレッド、わかってるんだろう?」
「わかってる」
スレッドは答えた。




