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110 人魚

 晴れ渡った空。

 船は座礁していた。

 浅瀬の海面は透き通っていて、デッキからでも魚が泳ぐのが見える。浅瀬の奥には、白い砂浜の海岸が広がっていた。


 アモン、マルタス、そしてモランの三人は無事だった。

 彼らは、自分たちが生きていることに驚いていた。魔法のような眠りにいざなわれて、起きたら、嵐を抜けていたのだ。

 船はボロボロで、他の乗組員はいなかった。

 皆、あの嵐の海に持っていかれたのだろう。

 生きていたのは、本当に運が良かった。


 俺たちは布や水、食料などを集めて船を出、浅瀬を渡った。

 浅瀬の波は穏やかだった。


 砂浜で火をおこし、濡れた布を乾かして着た。

 息が白い。


 三人の若い剣士は、俺が火の前でぬくぬくしている間にも、辺りの様子を見に行ったり、テントを作るための材料を探しに行ったり、砂浜を行ったり来たりして働いた。


 俺は、完全に怠け者だった。

 三人は、俺が年上だからなのか、それとも他の理由からなのか、俺に働くようには言ってこない。内心、悪態をついているかもしれない。

 まぁ、いいや――。

 俺は元来、働き者ってタイプでもない。

 飲みの席で、先輩や上司のためにあれこれ気を回すのが、嫌いな人間である。そういうのが好きで、仕事を探してこまごま気を配り、動くような人もいるが、俺はどうにも、そういうがゴマをすってるみたいで、嫌いなのだ。


 若いアモンたちが、木材や蔓などを、近くの茂みからとってきて、テントを組み始めた。

 俺はそれを眺めている。


 ――頑張るなぁ、と思う。

 俺の頭は、まだ二日酔いを引きずったようにすっきりしていず、体も重い。

 だから手伝う気力も沸いてこないのだが、そのことを申し訳なく思うのはやめにしている。


 彼らが動けないときは、俺が動けばいい。今は俺が動けず、その代わりに彼らが、色々とやってくれているのだ。エイルと一緒にいたせいか、「やってもらうこと」に慣れてしまったのかもしれない。でも仲間って、そういうものなんじゃないだろうか、とも思う。


 血を抜かれ続けて、寒くて怠い。

 そんな仲間に、俺は「働け」なんて言わない。だから俺も、今は彼らの善意に甘えることにする。このパーティーにとって一番良いのは、俺が、少しでも早く回復することだ。無理に動いて「頑張ってますよ」アピールなんて、ここでは無意味だ。


 それにしても、ここは一体どこなのだろうか。

 感じとしては、孤島だ。

 夏になれば、きっと良い観光地になるだろう。きれいな海に、白い砂浜、ピンクの貝殻が、きらきら光っている。


 あの嵐は、一体何だったのだろうか。

 そしてあの、美しい歌声は――。


 アモンたち三剣士は、海岸沿いの草原に、木と草でテントをこしらえた。小学生くらいの少年が作る「秘密基地」のようなものである。大雨や強い風が吹いたら倒れてしまうくらいのものだが、そうでなければ、ちゃんとテントの機能を果たせるくらいの出来だ。


 食べ物も三人は確保してきた。

 果物と魚である。

 本当に、大したものだと思う。



 空に星が輝き始めた。

 太陽はもうとっくに沈んでいる。

 しかし空はまだ明るく、夜という感じはしない。日の出前の、明け方の空といった感じで、空はそれ以上、一向暗くならなかった。

 ここでは、それが夜なのだった。


 焼き魚を食べながら、俺たちはそんな不思議な空を見上げていた。

 ここがどこなのか、誰も知らない。

 実はもう、皆あの嵐で死んでいて、ここは死後の世界なのではないか、ということをモランは言った。

 まさか、と思う一方、案外そうなのかもしれないな、とも思った。

 果たして俺たちは、生きているのだろうか。



 火を囲みながら、テントづくりも食事も一段落して、働き者の三剣士はようやく休憩にしたようだった。座礁して傾いた船を眺めながら、アモンが俺に質問してきた。


「グリムさん、一体ここはどこでしょうか」


 ここはどこか。

 今日何度目の質問かわからない。

 俺は杖から地図を取り出し、布切れの上に広げた。地理的なことはよくわからないが、見当くらいつけなくては仕方がない。ここにエイルがいたらなぁと、つくづく思う。


 俺たちを乗せた軍艦は、エレネ湾に浮かんでいた。エレネ湾には小島が多数点在していて、ちょうど日本の、松島のようになっている。名前が記載された大きめの島は三つほどで、あとはどれも、名無しの孤島だ。

 きっと俺たちは、これらの島のどれか一つに流れ着いてしまったのだろう。


「それは何ですか!」


 アモンが食いついた。

 その意識の先は、地図ではなく収納の杖だった。マルタスもモランも、同じように収納の杖を見ている。


「魔法の杖だよ」


 杖を掲げて見せた。

 おぉ、と三人は声を上げた。

 どういう原理で収納できるのか、俺にもよくわからない。


「で――俺たちは多分、この島のどこかにいるんだと思う」


 端的に考えを話すと、三人は頷いた。

 自分たちのいる場所が、何となくでもわかると、やはり安心するもので、三人はようやく剣を置き、表情を緩めたのだった。


 三人は、自分たちがなぜルノアルドの軍艦に乗ったのか、話してくれた。

 彼らは元々、ぞれぞれが小さな田舎町の出で、騎士になるために都に上り、そこで知り合った仲であった。気が合った三人は、生活の為に傭兵家業に片足を突っ込みながら、準騎士(騎士見習いとして貴族に召し抱えられた戦士の事)として、貴族に仕えていた。


「忘れもしません、あれは、傭兵ギルドの依頼でカビナ砦に行った時の事でした。そこには、レッドライカンという、古代ライカンの生き残りのような化け物がいて――」


「カビナ砦? レッドライカンだって!?」


「はい。私たちは油断していました。ちょうど、成功続きで、気が緩んでいたのだと思います。砦で、私たちはライカンに囲まれ、心身ともに打ちのめされたところで、出てきたんです。今でもはっきり覚えています。あの、燃えるような赤い毛、恐ろしい目、爪、牙――レッドライカンは、私たち三人を、一太刀で潰そうと剣を振り上げたのです。

 私は死を覚悟しました。皆、同じ気持ちでした。その時、ジャンヌ様が現れたのです。ジャンヌ様はあっという間にレッドライカンの首をはね、私たちを包囲していたライカンを、一匹のこらず倒してしまいました。

 以来、私たちはジャンヌ様の背中を追いかけてきたのです」


 それからアモンは、ジャンヌがいかに強く、気高く、優しい心を持っているかを語った。マルタスもモランも、ジャンヌのことを崇拝しているようだった。まるで三人は、ジャンヌ親衛隊のようだった。



 テントの中、皆が寝息を立て始めたころ、俺はレッドライカンの事を思い出していた。たった二年前の事だが、今は遠く、十年以上昔の事のように感じる。


『なついのぉ』


 何の前触れもなく、忘翁が出てきた。


「へぇ、覚えてるんですか」

『お前のぉ、ちぃと馬鹿にしすぎじゃ。服だって、わしの言ったとおりになったじゃろ?』


 それはその通りだった。

 今の俺は黒い法衣姿ではなく、みすぼらしいラモトカにグロッケローブという服装だ。法衣を着ていた時よりも、随分寒い。


『少しくらいリスペクトしてくれてもいいんじゃよ?』

「俺に何を求めてるんですか」

『それがわかったら苦労しとらんわなぁ』

「苦労してんの、俺ですからね」

『まぁそれは良いとして、お前さん、変わったところにいるな。旅行か?』

「すったもんだがあったんですよ。――ここ、一体どこなんですか?」

『島じゃな』


 あぁ、そうですね、島ですね……。

 いや、そんなことはわかっているのだ。


『なんじゃ、納得したのか、今ので』

「するわけないですけど、聞いても知らないんだろうなーと思って」

『なぁ、失礼な!』

「知ってるんですか!?」

『知らんけれども……』


 ダメだ、ストレスがマッハだから話題を変えよう。


「レッドライカンの事、何か知りませんか?」

『お前が倒したあれか』

「はい」

『あの土地は、いろいろあるんじゃよ……そのうちまた、行くことになるかもしれんのぉ』

「またそうやってお茶を濁す……」

『濁す茶があるだけ良いじゃろ!』

「……ごめんなさい、さっぱり意味が解りません」

『それっぽく言ってみただけじゃよ。やたらと意味を求めたがるのは、人間の悪い癖じゃ』

「神様がそれ言いますか」

『神は神でも、忘翁だからな』

「……は、はい」


 忘翁との意味があるのかないのかわからない会話はいつの間にか終わり、いつの間にか、グリムは眠りに落ちていた。


 遠くにさざ波の潮騒と、泡のはじける音が聞こえた。



 翌朝、グリムは、少女たちのキャピキャピした話声で目を覚ました。


「グリムさん、外に、外にマーメイドがっ……!」


 アモン、マルタス、モランの三剣士は、テントの隅っこに、怯えるように固まっている。いや、怯えているのか。


 俺はテントの隙間から外を覗いた。

 確かにいた――人魚だ。

 満潮のためか、テントのすぐそこまで海は来ていて、その浅瀬のところで、人魚たちがおしゃべりをしている。


「きっと人間よ、人間に違いないわ!」

「エレネ様に報告しなくっちゃ!」

「待って! その前に、ちょっと遊びましょうよ!」

「「「賛成!」」」


 なんだか、盛り上がっている。

 今出て行ったらどうなるだろうか。

 人魚が、近づいてきた。


 俺は、テントから出た。


 人魚は、俺が出て行くとばっと水の中に潜った。

 が、浅瀬のために潜れなかった。サンショウウオのように、じたばた、びたびたともがく人魚たち。

 どうやら人魚は、かなり天然らしい。


「何もしやしないよ」


 俺が言うと、五人の人魚は、もがくのをやめて俺を見つめてきた。

 腰から下の尻尾が、朝日に照らされて、きらきらと美しい鱗の輝きを放っている。


「本当?」


 人魚の一人が近づいてきた。


「嘘に決まってるわ! 人間って、嘘つくんだから!」

「人間は人魚の肉を食べるのよ!」

「でも、この人はそうじゃないかもしれない!」


 好奇心と恐怖心の鍔迫り合いだ。

 人魚の肉を食べると不老不死に、なんていう話は、こっちの世界にもあるのだろうか。まぁ、だとしても――彼女たちをさばいて食すなんて真似は、俺にはできない。別に、世界征服とか、永遠の命とか、最強の力なんて、俺は別にほしくはないのだ。


 とにかく今は、島から抜け出して、港に戻ることを考えたい。


「食べないよ。――困ってるんだ」


 俺がそう言うと、人魚たちは、なぜか目を輝かせた。

 好奇心が勝ったらしい――皆、近くに寄ってきた。

 貝殻ビキニが目の毒だ。


「アイヴィオに戻りたいんだ。でも、俺たちは今ここがどこなのかもわからない。――助けてもらえないか?」


 助けてほしいなんて言葉にするのは、いつ以来だろうか。

 しかし今はもう、誰かに助けてもらうしかない。自分の力では、これはもうどうすることもできない状況だと、ここに流されてきたときからわかっていた。それを認めれば、絶望でどうにかなってしまいそうだったから、あえて知らんぷりをしていたのだ。


「頼む、助けてくれないか。どうしてもすぐに、アイヴィオに戻らないといけないんだ。できる限りのお礼はするから――頼む」


 頭を下げる。

 なりふりなど構っていられない。自分の無力さを、今は認めるしかないのだ。黒魔術も――いや、あらゆる魔法も万能ではない。目に見えるような力は、こんな時には何の役にも立たないものである。


 人魚たちは顔を見合わせている。

 きゃぴきゃぴと、女子会が始まる。


「一体何の騒ぎですか」


 海の中から、そんな声が聞こえてきた。

 威厳に満ちた、女性の声だった。


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