109 三剣士と血の報い
ザインが出て行った後、俺はカールとウルドの事を考えていた。
考える時間ならいくらでもあった。
血を抜き取られ、傷を塞がれ、食わされ、寝かされる。
血を抜かれている間は辛いが、それ以外の時間は、むしろ、旅中よりもずいぶん楽だった。精神的にも、実は今の方が安定している。
俺はこのまま死ぬかもしれない。
まぁそれはそれとして――エイルやカールや、皆がこれ以上、ロッシンやら、何やら、ルノアルドの連中に脅かされる心配はない。
皆、無事に逃げ伸びているといいが……それだけが心配だ。
ぽたりぽたりと、新しいバケツは、俺の血でいっぱいになりそうだ。
薄暗いせいか、血は墨汁のように見える。
やがて――ロロシュがやってきた。
その後ろに、二人の部下を引き連れている。
暗くて顔はよく見えない。男である、ということしか。
二人は、腰や手に、よくわからないトゲや曲線の細工が施された、刃物らしきものを持っている。単なるナイフや剣のような刃物よりも、得体が知れない分、いっそう危険に感じる。
「君のお仲間たちは、白状者だなぁ」
ロロシュが、役者がかった憐みの口調で俺にそう言った。
「可哀そうに。恨むなら、仲間を恨んでくれよ」
ロロシュは、そう言うと、血の入ったバケツを自分の足元に引いて、中を確認した。嫌な気分だ。自分の脱いだ服を知らない男が抱きしめて匂いを嗅いでいる、それを目撃した女の子の気持ちと同じような感情を、たぶん俺は、抱いている。
吐き気を催すほどの嫌悪感だ。
「もう、血は抜かないのか」
「あぁ」
ロロシュは、楽しそうに答えた。
「我々も、そろそろ帰らないとならない。本当は君を、我が屋敷の地下にでも住まわせて、ずうっと血を提供してもらいたいところだが、どうやらそれは難しそうなのでね」
「――どうするんだ、俺を」
「良い部分をとって、あとは魚の餌だ」
男の手下が、かちゃりと刃物を鳴らした。
「良い部分?」
「あぁ。折角だから教えてあげよう。術死の体はそれだけで価値がある。特に、強い力を持った魔術師は。それが黒魔術師ともなれば、くくくく、私でなくても、笑いが込み上げてくる」
ロロシュは、口元を押さえて、さもおかしそうに笑った。
「まず、目だ。そして心臓。これは一位番高く売れる。次に左手。頭蓋骨。そうだ、男性器も高く売れる。あとは――」
「もうやめてくれ……」
体がきゅっとなる。
「死んでから取るんだろ……?」
「馬鹿な! 折角生きた黒魔術師だ。生きたまま取った方が良いに決まってるじゃないか」
「お前ら、狂ってるよ……」
「さて、準備をしよう」
ロロシュにも、その手下の二人にも、全く躊躇いがない。
黒魔術師が人間でないとでも思っているのか。
ジャンヌと同じ国の、同じ騎士だというのに、何もかもがジャンヌとは違う。こういう連中が権威ある騎士だというのだから、ルノアルドはカールに関する占いの有無にかかわらず、傾国の道を歩んでいるのだろう。
「最初はどこをとるんだ」
「左手だ。ちょっと痛いかもしれない」
ロロシュは、事も無げに答えた。
そんなことだろうとは思っていたが、この男には、全く同情できない。
「ロロシュ――」
「何かな? あぁ、命乞いならやめてくれよ。そういう泥臭いのは好みじゃない」
「そうだな。俺も、そういうのは好きじゃない。意見が合って良かった」
俺は、目を閉じた。
脳みその真ん中にぐっと意識を集める。
バケツの血の表面に、さざ波が立った。
ロロシュは、何か妙な感じを受けて、バケツを見降ろした。
その瞬間――。
ブシュッ……。
バケツから細長い血の棘が突き出し、ロロシュの額を貫いた。
ロロシュは、肺に残っていた空気を無理やり吐き出されたような変な音を立てて、そのまま倒れた。ロロシュの死体はバケツを倒し、血が床に広がった。
刃物を準備していた手下の二人は、突然の出来事に固まった。
血は、二人の足元を濡らした。
瞬間――。
「「ぎゃあぁああああ!」」
絶叫。
二人の足元から、蛇のような赤黒い炎が巻き付き、上に上に這い上がりながら、その体を燃やした。
二人はあっという間に火だるまになり、数秒の間床を転げまわったが、すぐに動かなくなった。
「はぁ……」
俺は、深く息を吐き、目を開けた。
目の前には三人の死体。
一人は俺の足元に転がるロロシュ。もう二人は、部屋の隅っこで死んでいる。焼死、ではない、死体は綺麗なものだ。呪いの炎が焼いたのは、体ではなく、彼らの魂とマナだ。
バタン――扉が開いた。
すでに剣を抜き放った三人の剣士が入ってきた。
さて、ここからどうするか。
この三人も、血で倒すか。
いや、倒せるか?
封魔の腕輪が嵌められた状態でも、床を濡らしている自分の血を使って戦うことはできる。しかしこの技は、集中力と体力を非常に浪費する。今、もう一度思った通りに血を動かし、三人を撃退できるかは、正直な所自信がない。
だが、やるしかないか……。
と、覚悟を決めたときである。剣士たちが、俺を縛っている縄を解き始めたのだ。
「一緒に逃げましょう、ピカソ導師」
剣士の一人が、俺にそう言った。
「私たちは、カール殿下と、そしてジャンヌ様の力になりたく、この船に乗りました。私はアモン、こいつはマルタス、そして彼は、モランです」
三人は、それぞれに頭を下げた。
歳は、俺よりも全然若い。顔の幼さを見るに、高校生くらいだろうか。それにしては、俺の高校時代よりも、ずいぶんとしっかりした若者だ。
「殿下とジャンヌ様は、無事なのでしょうか」
「生きてるよ」
俺が答えると、三人は喜びを分かち合うように顔を見合わせた。
「それからもう一つ。俺はピカソ導師じゃない」
「え? では――」
「グリムだ」
俺がそう言った瞬間、纏っていた黒い服は黒い霧となり、霧は竜巻のように回転し始めた。やがてそれは、俺の左手に細長い渦を作り、渦は次第に、黄金の杖に変わっていった。黄金の杖――持ち手には、コブラを象った装飾が施されている。
そして俺の服は、みすぼらしい茶色のグロッケローブに変わっていた。
俺は血だまりの中に沈んでいるロロシュの服をまさぐって、腕輪の鍵を引っ張り出した。俺のか、それともロロシュのかわからない生ぬるい血が、手にべっとりと張り付いた。
腕輪を外して自由になった俺は、ベッドの布で手を拭いた。ベッドの真ん中に腰を下ろし、うんと伸びをする。
「グリムさん、逃げましょう!」
アモンが言った。
三人は抜いた剣を握りしめ、扉を蹴破る合図を待っているようだった。
「急がなくていいよ」
もう少しゆっくりしていたい。
ベッドに倒れ込む。
さっきまで血を抜かれていたのだ。今も、まだ左手首の傷口は開いたままだ。
収納の杖から薬液を取り出し、傷口にかける。
じゅわっと湯気が上がった。
傷はすぐに塞がった。
俺は再び、ベッドに倒れ込んだ。
「グリムさん、早くしないと気付かれます」
三人は焦っている。
おまけに、興奮している。
「まぁ、慌てなさんな」
俺は、努めてゆっくりしゃべった。
三人はじれったそうに、俺と扉を交互に見ている。
「ちょっと――一眠りしたい」
ベッド脇に置いていた封魔の腕輪を収納の杖にしまう。
俺は、目を閉じた。
血を抜かれ続けたせいか、それとも急に訪れた安堵のせいか、気分が悪い
「そんな時間ありません! 今すぐ逃げないと――」
「魔法が使えれば怖くないよ」
俺はそう言って、本格的に眠り始めた。
危険があれば、自然と覚醒するだろうから、きっと大丈夫だ。
このぼんやりした頭も、次に目を覚ました時には、もうちょっとマシに動いてくれることを期待して。
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ギギギギと、船の軋むような音で目を覚ました。
例の三人、アモン、マルタス、モランは――ずっと番をしてくれていたらしい。扉の左右にはアモンとマルタスが屈み、背の高いモランは、部屋の真ん中で、腕組みをして立っている。
「おはよ――」
ギギギギ、床が傾いた。
「嵐です、グリムさん」
アモンが教えてくれた。
船は、右に左に揺れ、たまに船底から、ボーン、ゴーンという不気味な音がしてくる。嫌な予感が、首筋に走る。
「船が沈むぞぉ!」
「ロロシュ様 隊長殿! どこですかぁ!」
「マストが折れましたぁ!」
廊下をばたばたと走る音と声。
誰もこの部屋に入ろうとしないのは、俺なんかどうでも良いと思っているのだろう。それが今は、かえってありがたい。
どうやら、この船は沈むらしい。
沈む……らしい。
「おいおい、冗談じゃないぞ……」
いくら黒魔術師でも、海に投げ出されたらクラゲよりも無力だ。
寝ている間に、なんてことになっているんだ。
「逃げましょう、グリムさん! この船はもう、沈みます!」
「そうしよう」
俺は、ひと眠りしてしまったことを後悔しつつ、三人について船を走った。
船内は混乱していた。
床は水浸し、人に、壁にぶつかりながら、皆それぞれ、生き延びるために駆けまわっている。
俺たちは階段を駆け上ってゆき、甲板に出られる場所――甲板楼の階段を上りかけた所で立ち止まった。
甲板へと続くその扉が、バキっと音を立てて壊れ、それが、大量の水と一緒に吹き込んできたのだ。
俺たちは階段の上で伏せ、階段の突起部分にしがみついた。
ざばあっと、海水が俺たちの頭と背中を打ち据える。
「危なかった……」
ぽっかり空いた出入り口から、化け物の咆哮のような、すさまじい風の音が聞こえてくる。
バキインと、雷が近くに落ちた。
男たちが悲鳴を上げる。
移り変わる影絵のような景色に思考を奪われる。
波は、水夫たちを簡単に掴んで、真っ黒な皆底へ引きずり込んでゆく。
「何か、聞こえないか?」
マルタスが、階段にしがみつきながら、急にそんなことを言い出した。
「女の声だ……歌を、歌ってる」
「こんな時に歌なんか歌ってる人間がいるわけないだろう! しっかりしろ、マルタス!」
アモンが言った。
モランは、真っ黒な、たまにすさまじい光が炸裂する黒い空を見つめた。
「いや、確かに聞こえる……」
マルタスが言う。
実は、俺にもその声が聞こえていた。
確かに、歌を歌っている。
綺麗な歌声だ。
微かにしか聞こえないのに、どうしてこんなにも、引き込まれるのだろうか。
波の音、風の音、狂ったような嵐の中。
そのはずなのに――間近に迫る危険が、だんだんと遠のいてくるような錯覚に陥る始める。
もっと、もっとこの歌を聞いていたい。
この歌を……。
俺は首を振った。
何かがおかしい。
「おい、アモン、マルタス、モラン! しっかりしろ!」
三人を見れば、夢遊病者のように、うっとりと遠くから聞こえてくる歌に耳を澄ませている。
「ちくしょう……」
俺は階段を駆け上り、甲板に出た。
「げほっ、げほっ……」
雨と風に咳込んでしまう。
下を向いていないと、まともに息もできない。
だが――この嵐の中に何かがいる。確かめないといけない。
顔を上げて、闇の中を見つめる。
歌が、はっきりと聞こえてきた。
「――涙を流しましょう
人の子よ 悲しき定めの
私の憐みは 海の底より深く
投げ出された魂を
慰めることでしょう……」
横殴りの雨、襲い掛かる黒波を忘れて聴き入ってしまう。
危ないところで、俺は正気を取り戻した。
気づけば、俺は船の縁にいて、もうあと一歩で、海の中に飛び込むところだった。
「誰かいるのか!」
嵐の中に訊いてみる。
遠くで雷鳴があった。
風が静かになってゆく。
「あら、貴方……もっと聴いていても良かったのに」
美しい女性の声が返ってきた。
その声にはぞっとするような邪悪さも、狂気のような無邪気さもなかった。
嵐の中の歌い手は、言葉通り、ただ俺に、話しかけてきたのだ。
「この嵐じゃ、ゆっくり歌なんて聴いてられない」
そう言うと、女性の声は再び応えた。
「貴方の方から聴きに来たのではないの?」
質問されて、俺は答えようがなかった。
どういうことだろうか。
少なくとも俺は、誰かの歌を聴きたいなんて、考えてはいなかった。この旅を始めてから、そんな余裕はなかったのだ。歌といえば、ジャンヌが旅の途中で聴かせてくれたのと、あとは、酒場のへべれけが、ガラガラの野太い声で、地元の唄を合唱するのくらいだった。
「町に戻りたいんだ!」
と、地崩れのような振動が船を襲った。
俺は甲板の上に転がり落ちた。
波と風、雷を、俺は覚悟した。
――しかし、いつまで待っても、波も雨も、雷も襲ってこなかった。
代わりに、日差しが降り注いできた。
顔を上げ、空を見る。
嘘のような――青空が広がっていた。
今の今まで、真っ黒い悪夢のような世界にいたというのに、今この船は、快晴の青空の元、透き通た空気の下にいた。
俺は、全身の力が抜けてゆくのを感じた。




