108 大剣の狩人ヴァン
カールとジャンヌを連れて、騎士たちが組合館を出て行った。
スレッドは階段を下りたところに立ち、片手を階段の手すりにかけ、入り口の扉を見つめていた。エイルとクワルは、二階の個室に待機させている。
ここは、騎士である自分が責任を負うところだ。
扉が開いた。
男が入ってきた。
汚れたラモトカ、赤黒いぴったりしたダンテ、葡萄色のザーオを羽織っている。
酒を飲んでいた男たちが、異様な雰囲気のその男に、警戒の視線を向ける。
この男だ、とスレッドはすぐに分かった。
だいぶ前から、この男の気配を感じていた。
「ここに女剣士と子供は来なかったか」
男は、無遠慮に質問した。
誰も答えない。
「黒い妙な服を着た導師はどうだ。ここに、来てるはずだ」
男は席を見渡した。
皆、男に、睨むような視線を向けたままじっとしている。
「隠し事はよくないぜ」
男は両手を広げる。
ザーオがばさりと広がる。
血と、死の匂い。
「賞金稼ぎか」
スレッドが訪ねた。
二人の目が合った。
「知ってるって顔だな」
「だったらどうする」
「教えてもらおう」
スレッドは鼻で笑った。
「力づくか?」
スレッドが、腕を下げた。
酒を飲んだり、話し合いをしていた男や女が、それを合図に逃げだした。
「いや、俺は別に、アンタに用があるわけじゃない。いないんなら、それでいいさ」
男はそう言って、スレッドに背を向けた。
「行かせるわけにはいかないな」
スレッドが言った。
男は立ち止まった。
「止めるか?」
「賞金稼ぎ――大剣のヴァン。貴様の事だな」
男――ヴァンは振り返った。
再び向き合う。
視線がぶつかる。
「アンタは誰だ」
「アノール騎士団副団長、スレッドだ」
「スレッド? 知らねぇな」
「これから知ることになるだろう」
スレッドは、剣を抜いた。
二刀流、二振りの剣が銀色に輝く。
「後悔するぞ、副団長さん」
「そのデカブツが飾りじゃなければな」
ヴァンは大剣を抜き下ろした。
衝撃で、テーブルがひっくり返り、ガラスが割れる。
ヴァンは剣を低く構えると、体を沈み込ませ、次の瞬間――跳躍した。
スレッドも迎え撃つ。
二人は一直線に交差した。
剣が空を切る音。
血が飛び散った。
バタン、とスレッドが背中から床に叩きつけられた。
一方ヴァンは、ズガシャアンと、派手な音をたてて、テーブルと椅子に突っ込んだ。
スレッドはすぐに立ち上がると、ヴァンを見据えて剣を構え直した。
ヴァンも立ち上がった。
その体からは、血がぼたぼたとたれている。
「スレッドか、名前は覚えたぞ」
ヴァンは、血の唾を吐き出した。
そして、ニヤリと笑う。
致命傷のはずだった――スレッドは驚きを隠せない。腹と内腿を斬り、確かに手応えがあった。普通なら、もう立っていられないはずだ。
ところがこの男は、血を流しながら平然としている。
いや、それどころか笑っている。
「人間じゃないな」
あるいは、ジャイアントの血が入っているのか。
「あぁ、俺は狩人さ」
ヴァンは、片手でぶんぶんと大剣を振り回し、スレッドとの間合いを一気に詰めた。振り下ろされた大剣は、テーブルを床ごと破壊した。木片が跳ね、スレッドの頬に血の筋が浮かび上がる。
スレッドは、斬撃を避けると同時に、ヴァンの伸ばした右腕を斬った。
血が飛び散る。
しかしヴァンは、剣を取り落とすどころか、その腕だけで剣を振り回し、スレッドを薙ぎ払った。
ガキンと、と重い斬撃を受け止めたスレッドは、壁まで後退した。
スレッドの剣が、赤と青の光を帯びる。
ヴァンの大剣の刃先が、赤黒い炎を発する。
ヴァンが跳ぶ。
大上段に剣を振り上げ、眼下のスレッドに、鉄塊のような剣を振り下ろす。
衝撃が周囲のあらゆるものを壁まで吹き飛ばす。
その斬撃を避けながら、スレッドはヴァンの脇と背中を斬った。
だがそれも、ヴァンを倒すには浅すぎた。
ヴァンの剣は、今や溶岩のような灼熱を帯び、刀身からは、湯気がもうもうと上がっていた。そして、ヴァンの目も、同じように赤く輝いていた。
「魔剣に魅入られたか。それとも……」
スレッドが呟く。
ヴァンはその言葉を拾って、からからと笑った。
「こいつは確かに魔剣だが、振るっているのは俺の意思だ。さて、久しぶりに俺も、全力でやらせてもらうぜ」
スレッドにしてみれば、望むところだった。
相手が魔剣を持っていようが、人間離れした屈強さと自己再生の能力を持っていようが、恐れることはない。自分の、剣における天賦の才能を、スレッドは信じて疑わなかった。
「来い」
スレッドは構え直した。
ヴァンが不敵な笑みを見せる。
その時、二階からエイルが下りてきた。
「二階で待ってろ、ここは危ない」
スレッドは、エイルには一瞥もやらずにそう言った。
エイルは、構わずに質問した。
「グリムを探してるの?」
ヴァンは眉をひそめた。
「グリム?」
「ピカソ導師のことよ」
「あぁ、あいつはそういう名前なのか。そうだ、俺はそいつを探してる。ガキもな」
エイルは、じっと男を見つめ、それから言った。
「グリムの居場所なら知ってるわ」
「おいっ――」
スレッドはエイルを睨みつけた。
「へぇ、教えてくれるのか?」
「彼を連れ戻す予定なの」
「連れ戻す? なんだ、もうどこかに捕まってるのか」
「海の上よ」
「……なるほど、そういうわけか」
「貴方一人では難しいでしょ。私たちだけでも難しい」
ヴァンはそれを聞くと、一瞬置いて、大きな笑い声をあげた。
ヴァンの剣がもとの銀色に戻り、ヴァンはそれを、背中に戻した。
「停戦だ、スレッド。協力しようじゃないか」
「ふざけるな、誰が貴様のような男と――」
「目的は同じだ。俺は、役に立つぜ?」
いまだに剣を収めないスレッドに対して、ヴァンは軽い調子で言う。
その無防備、斬り込めば殺せるかもしれない。
だがスレッドも剣士だった。
丸腰の相手を斬るようなつまらない真似はしたくない。
スレッドは不本意ながら剣を収め、その不満を、エイルへの視線にぶつけた。
エイルはそれを真っ向から見返した。
――俺の負けだ、とスレッドは視線を外した。
エイルは微笑を浮かべた。
「彼を……グリムを見つけるまでだ。それまで貴様は、作戦の通りに動いてもらう。私の命令は絶対だ。約束できるか」
「あぁ、聞ける範囲でな」
「……」
スレッドはこめかみを押さえた。
クワルも降りてきた。
「じゃあ早速、作戦会議だ」
ヴァンは、近くに倒れていたテーブルを乱暴に拾い上げた。
・
・
・
・
ぽたん、ぽたんと、水滴の音。
暗い部屋。
そこに、グリムはいた。
ぽたん、ぽたん、ぽたん……。
ため息が漏れる。
捕まってしまった。
両腕の腕輪は、万が一のための救命道具などではなく、お馴染みの、封魔の枷だ。しかも今回の枷――腕輪は二組一セットの高級なものらしく、俺は今、ほとんど全く、魔法が使えない。
さっきからぽたぽた音を立てているのは、俺の血だ。
左の手首から、だらんと垂らした左手の中指や人差し指に伝い、俺の血で満たされたバケツの中に、ぴたぴたと落ちてゆく。
部屋の扉が開いて、男が入ってきた。
暖かそうなザーオを着た、色白の騎士だ。
ルノアルドから派遣された、ライン騎士団の隊長、名前はロロシュというらしい。俺は相変わらずスフィンクスの黒い服を着、人形のように突っ立った状態で括りつけられている。
おかげで、脚も腕も、ほとんど動かせない。
首が自由なだけマシなのかもしれないが、この時間は苦痛だ。
この時間――つまり、血を抜かれる時間だ。
ロロシュは、バケツの中を覗き込んで、ニヤニヤ笑っている。
騎士とは思えない、気味の悪い男だ。
「まだ返事が来ない」
さも残念そうにロロシュは言った。
まるで役者だ。
俺はこいつの本心を知っている。
「あと一日か二日は、このままだ」
「そりゃあ、良かったな」
俺は半開きの目のままそう言った。
自分の衰弱がよくわかる。
腹も減っているし、思考もまとまらない。寝ていたい。寝たら死ぬような感じだが、そのギリギリのところで、俺は生かされている。
手首の傷は血を抜く時間になると切られ、それが終わると治癒魔法で塞がれた。
生かさず殺さず、まさにそんな風にして、俺は生かされている。
なぜこの男が、そんな真似をするのか。
単なる嫌がらせではない。
この男は、確かにそれくらい陰険なこともするかもしれないが、俺の血を抜くのは、金儲けのためだ。
黒魔術師の血は、高く売れるのだという。
また、金の話だ。
「なぁ……」
「うん、何かな、導師」
「カール王子は、どうして処刑されなければならないんだ」
「魔族の血を引いているからだ」
「魔族の血っていのは、何の事だ。俺の血だって、言うなれば、魔族の血だろう」
「知ったことか」
「知らないで、あんな幼い子を、殺そうっていうわけか。天晴な騎士様だ」
「口の利き方に気を付けろ。お前の命は、私が握ってるんだ」
ひゃっひゃっひゃひゃと、ロロシュは笑って、部屋を出て言った。
その直後、再び扉が開いた。
男が入ってきた。
老人だ。
三角形のとんがり帽子に、青紫のグロッケローブ、そして、眼帯。銀の細長い杖を持っている。
「お前は……」
「二度目だな、若き導師よ」
俺たちに罠を仕掛けた、ロッシンの老魔術師だ。
その声は、あの骸骨から発せられていたのと同じである。
「痛々しいな。小遣い稼ぎの道具とは」
「笑いに来たのか」
「今日のうちに還らなければならなくてな。その前に、一度お主と、話してみたかった」
「殺し屋が、同情か……?」
「興味だよ」
老人はそう言うと、椅子を持ってきて、座った。
「私は、ザインという。お前は、ピカソ導師と名乗っているが、本名ではないな」
俺は下を向いた。
「大体、予想はついている。お前、グリムという名前ではないか?」
知っていたのか。
仕方なく、顔を上げる。
「カール殿下、そして騎士ジャンヌ。二年前の暗殺計画を阻止し、アデプトの称号を得、カカン王国に出て行った変わり者の魔術師――よく覚えている」
「あの時も、お前たちが――」
「いや、わしらだったら、もっと上手くやっていた」
それもそうか、と素直に納得する。
このザインという魔術師、底が知れない。あの時点で戦っていたら、確かに、勝ち目はなかったと思う。今でさえ、俺は負けたのだ。純粋な魔法の勝負なら勝てるかもしれないが、殺るか殺られるか、という勝負においては、その精神力も技術も冷静さも、俺はこの老人の足元にも及ばないだろう。
「グリム、わしと一緒に来ないか」
「もう答えただろう」
「人間の考えは変わるものだ」
「行かない」
「このままでは、殺されるぞ」
「……」
「カカンは、お前を見捨てる。助けは来ない」
そんなことは俺だってわかっている。
俺は根無し草のピカソ導師、身代金なんて金貨一枚だってとれやしない。俺がグリムだと正体を明かせば、ユランが身代金を払って助けてくれるかもしれないが――ユランにそれをさせたくはない。
「せめて死ぬなら、痛くない方がいいな」
自嘲気味に笑う。
ザインには、きっと全て見抜かれているのだ。
今更この男の前で見栄を張るのは、無意味だろう。
「お前のような若者を亡くすのは惜しい」
「それはどうも……」
「怖くないのか、死が」
「他の人よりは、いくらかマシだと思うよ」
ザインは押し黙ってしまった。
俺も、ザインに訊きたいことがあった。
「カール王子は、どうして殺されなければならない」
ザインは、じいっと考え込み、それから、口を開いた。
「平定王トールエンを知っているか?」
「知らない」
そうか、とザインは頷き、続けた。
「かつてルノアルドの土地――旧名を使うならば、ジンの土地は、悪びれた神精霊が蔓延っていた。それを平定し、人間にとって住みよい土地にしたのが、トールエン、平定王だ。卓越した黒魔術の魔術師だったという。
ルノアルド公家に連なる一族は、平定王の血を受け継いだ、王の子孫だ」
「カールだけがどうして罰せられる」
「ルノアルドでは、黒魔術は禁忌ではない。わしもそうだが、黒魔術師は、そうであるというだけでは罰せられることはない。ただ一人を除いては」
「カールに、何があるっていうんだ」
「殿下は、もう一人の伝説的な黒魔術師の血を引いている。即ち、ウルドの」
「ウルド!?」
「知っているのか?」
知っているなんてものじゃない。
俺を魔術師にした張本人だ。遺跡で、その幽霊っぽいのに会った。会話もした。もうないが、腕輪まで貰った。「ウルド最後の希望」などという、よくわからない称号も授かった。
「驚いたな……ウルドの名を知っている者は、私と、あと数人くらいだと思っていた。――ウルドは、歴史から消された黒魔術師だ。彼が何者であったか、どんな人物であったか、どのような魔術を使い、いかなる偉業を成し遂げたか、今となっては解らない。
だが、もしウルドという黒魔術師が本当にいたとすれば、今語り継がれている平定王トールエンの武勇伝や物語はすべて、ウルドの功績だった、ということになる」
いやいや、「いるとすれば」ではなく、ウルドは確実にいる。
でなければ、俺がまず、ここに存在していない。
俺をアビスメイジにエンチャントさせた、あの雲の魔人が言っていたのだ。ウルドによって、腕輪の中に封じ込められた、と。
「トールエンは、ウルドの功績を我が物とし、彼に関する書物の一切を捨てさせ、ウルドの名を、自分の名に書き換えさせた。もしウルドが実在し、その血を継ぐものが現れれば、ルノアルド公家にとってその人間は――」
「それが、カールだって言うわけか?」
ザインは頷いた。
「どうやら、彼の母君がそうであったらしい」
「どうしてそんなことがわかった」
「巫女の占いだ。巫女はこうも占った、その者はやがてこの国に災いをもたらす、と」
「ふざけた占いだ、まったく……」
そういうことだったか。
しばらく動いていなかった頭が、何日かぶりに、やっと動き出した。
「さて、私はそろそろ行かねばならない」
ザインは腰を上げた。
それからふと、バケツの血を見降ろして言った。
「黒魔術への冒涜だ。私にはできないが、供血呪術の使い手なら、さほど力を入れずとも、その血のみで、呪術を完成させることができると聞く。
久しく失敗はなかったが、今回は、お主のせいで、我々の任務は大失敗に終わった。悔しいことだが、かえって清々しい。お主のような、才能を持った若者に敗れるならば、それもまた、面白い」
そしてザインは、捨て台詞のように俺に言った。
「私はお前を助けない。それでもお前は、こんな所で死ぬべきではない。その血を、信じることだよ」
ザインは、そう言って田平の奥に消えて行った。




