107 スレッドの決断
桟橋に駆け込んできたスレッドは、連れてきた水夫たちに激を飛ばした。
「船を出せ! 逃がすな! あの船を逃がすな!」
なんという失態だ。
商船が一つ買収されていた――気づかなかったなんて。
「準備できました!」
スレッドは動き出した船に飛び乗った。
船は、一気に加速してゆく。
だが、船のゆったりとした速度では、追いつかない。
あの裏切り者の船は、ルノアルドの戦艦の元に向かっている。
スレッドは、商船から小舟が出てきたのを見た。
商船が向きを変え、小舟を追いかけ始める。
中型、大型船が予備のために積んでいる小舟だろう。それを追っているということは、あの中には――。
小舟までは、距離にして、半イーナあるかないか。
――間に合わない。
スレッドは船首から降り、後ろに下がった。
助走をとる。
「隊長、何をっ――」
「船で追ってこい! 私は先に行く!」
スレッドはそう言うと、船首に向かって一気に駆けだした。
ダンッ、甲板を蹴り、跳躍する。
バキリと、甲板の木がひしゃげる。
スレッドは船を飛び出した。
脚に軽力を込め、水面に触れると同時に、ぐんと膝を伸ばす。
水しぶき上がった。
スレッドは、水面を蹴って、水面をすべるように走っていた。
スレッドの接近に気付いて、商船の弓兵が矢を放つ。
「はあっ!」
スレッドは矢を斬り避けながら小舟の後ろに着地すると、飛んでくる矢を剣で受け止め、空斬を放った。飛ぶ斬撃は、弓兵一人の首を跳ね飛ばした。
小舟に乗っていたのは、ジャンヌとカールだった。
ジャンヌは、見覚えのある白マントの六芒星に、その人物を思い出した。
アノール騎士団のスレッドだ。
「どうして貴方が!?」
「助けに来た」
スレッドは、矢を受け止めながら答えた。
「ちくしょう、覚えてやがれ!」
水夫がそれぞれに捨て台詞を吐き捨てた。
商船は小舟から離れていった。
遠くに浮かぶルノアルドの戦艦のもとに行くのだろう。
暫くすると、スレッドの出した船が数隻、小舟のもとにやってきた。
「あの船には、まだ仲間が乗ってるの! 追いかけて!」
ジャンヌが言った。
スレッドは逡巡し、首を振った。
「港に戻る」
中型船からロープが放り込まれ、スレッドはそれを、小舟に繋いだ。
三人を乗せた小舟は、中型船に引っ張られて港に引き返した。
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連れ去られたのはピカソ導師だ。
アノール騎士団の任務に、彼は関係ない。カール殿下と、そしてカール殿下を守っている女騎士――ジャンヌをラリアンまで連れ帰ることが、我々の任務だ。
そしてそれは、急がなければならないだろう。
カール殿下を狙っているのは、戦艦で来た連中だけではない。
ピルグに身を寄せても良いが、ラリアンほど安全とは言えないだろう。
港管理組合の組合館、二階。
夕日の差し込む小部屋で、スレッドは考えをまとめていた。必要な手紙を書き、方々に送る。すでに夜行馬車の手配はしている。
出発は今夜。
聖北街道を北上し、明日の朝までにはイリノヤか、レカントあたりには進んでいたい。
騎士仲間の一人が、扉を開けると同時に、声をかけてきた。
「スレッド、例の癒術師さんがお前に会いたいとさ」
「……またか」
「きかないんだ」
「わかった、通してくれ」
スレッドが言うと、騎士はすぐに、面会を希望している癒術師を連れてきた。
スレッドは、カール殿下以下従者たちの名前を、すでに全員知っている。
癒術師――エイルが、挑むような顔つきで入ってきた。
スレッドはため息をつき、向かいに着席するよう促した。エイルはそれに従い、座った。
「ピカソ導師のことか?」
スレッドが切り出した。
エイルはじっとスレッドを見つめた。
「助けて」
スレッドは首を振る。
すでに、何度もこの願いには答えている。
「それはできない」
理由も、すでに説明している。
アノール騎士団の任務のことと、そして、カカンがルノアルドとの衝突を避けていること。エイルをはじめ、ジャンヌやカール殿下が仲間を助けたいと思うのは当然だが、アノール騎士団の隊長としては、その願いは聞き入れられない。
「お願い」
スレッドは、舌打ちしそうになった。
無理なのだ、それは。
どんなに頼まれても、できないものはできない。それをしてしまったら、俺は俺を罰しなければならない。俺は、王国に忠誠を誓った騎士なのだ。
「できない」
やはり会うべきではなかったと、スレッドは後悔した。
こうなるのは解っていた。
「我々は今夜のうちにこの町を出、ラリアンに向かう。君も一緒だ。ラリアンで、君はこの旅のことを話す義務がある」
「彼なしでは行けない」
「さきほど飛文が来た。奴らは、人質の交換を、我々と交渉するつもりだ。カール殿下を向こうに渡せば、導師は戻って来る。だが我々は、その交渉に応じるつもりはない」
「いくら必要なの?」
「金の問題じゃない!」
エイルを怒鳴りつけて、スレッドは頭を抱えた。
どうしてこうもイライラするのだろうか。
頭に血が上っているのがわかる。
全く自分らしくない。
「あの男は何者なんだ。本当に導師なのか?」
「……」
「何か隠しているな」
「言ったら、助けてくれるの?」
「――彼の身分による。例えば彼が、この国にとって重要な人物だと大公殿下が認めるような者であった場合は、やりようもあるだろう」
「……本当に?」
「彼は、何者だ」
「……」
エイルは口を噤む。
スレッドは、自分の任務とは別の、単純な興味を覚えていた。
ルノアルド王国を敵に回し、関所破りまでしたあの女騎士。そうさせるほどの何かを持つ、カール殿下。あらゆるクラン、騎士や暗殺部隊を振り切ってここまでやってきた――その実力と信念を、スレッドは侮るつもりはなかった。
その、パーティーの中核的な存在であったピカソ導師という男。
一度森の中で相対した。
周りは森、暗闇、我々騎士に包囲されたあの状況で、今思えば、彼のあの落ち着きは異常だった。
「エイル……、俺は一人の剣士として、彼に興味がある。彼が何者か教えてくれないか。必要なら、秘密は守ろう」
スレッドはそう言うと、懐から銀の鍵を取り出し、テーブルの上に置いた。
二言、三言囁くように呪文を唱えると、鍵から白い半透明のオーラが広がってきて、部屋を満たした。
「彼が、処刑されるような犯罪者だとしても?」
エイルが鋭く質問する。
スレッドは、躊躇わずに頷いた。
「あの人の名前は、グリム……。ユラン侯爵の魔術士よ」
「それは、本当か……?」
「カール殿下を助けたのは、彼にその借りがあったから」
「借りとは?」
「彼はルノアルドにいたことがあるの。その時に、助けてもらったらしいわ」
「君は、どうしてこのパーティーに加わった」
「彼に、命の借りがあるから」
スレッドは、腕を組んで俯いた。
ユラン侯爵の魔術士であれば、公爵も捨ておくことはできないだろう。ルノアルドのやっていることは、カカンの領海に入っての海賊行為だ。戦うための大義はある。
だが、ユラン侯爵の魔術士が、関所破りの罪人の側に着き、王国の騎士や黒狩り部隊と戦ったのは間違いだった。その行為は、反逆罪と裁定されるだろう。その場合、侯爵の名にも傷がつく。
「もう一つあるわ」
「もう一つ……?」
「スレッド、貴方を信用していいの?」
「この名に誓う」
「……グリムは、黒魔術を使えるの」
黒魔術――その単語を聞いた瞬間、スレッドは思わず、周りに誰かいないか確認してしまった。
「そうか、それで……」
名前まで偽り、必要以上に隠れようとしていた理由はそれだったかと、スレッドは納得したのだった。黒魔術師である、そのことが知られれば、自身の身は当然のことながら、主であるユラン侯爵にも、刑罰が科せられるだろう。
スレッドは考えるのに夢中で、エイルがじっと自分を見つめていることに暫く気づかなかった。ある瞬間にふと気が付いて、大きく息を吸い込んだ。
「彼はどんな人物だ。君は彼のためにいろいろと尽くしているようだが、それに足るほどの男なのか?」
「グリムは――」
エイルは口を噤んでしまった。
はらりと、その白い頬に涙が伝う。
なんで涙が出るのか、エイルは自分でもわからなかった。どうして涙が流れるのか、わかるのなら止めようもあるのに、この涙は、どうして……。
「ごめんなさい」
泣いてばかりの自分。
なんて情けないんだろう。
もっと強いと思っていたのに。
「君だけなら私も、彼に興味は持たなかった。だが、あの勇敢な女騎士、そして一国の王子までもが、彼を信頼している。あのクワルという小間使いも、単なる奉公として主人に向けるのとは明らかに違うものを、導師に――いや、グリムという男に向けているようだ」
スレッドは、エイルが涙を拭くのを見守りながら言った。
「彼を奪還する」
エイルが、ぱっと顔を上げた。
スレッドは、ふうっと息を吐いた。
騎士の言葉は鋼よりも硬い。そうでなければならぬと、それがスレッドの教え込まれた騎士道だった。
「しかし、カール殿下と騎士殿には、予定通り今夜、ここを出てもらう」
「二人は、どうなるの」
「関所破りの咎は、受けるより仕方ないだろう」
「ルノアルドに差し出すの?」
「私の口からは何とも言えない。だが――我が公爵君、大臣や我が国の議会は、いたずらに人の命を弄ぶようなことはしない。ルノアルドとやり合うつもりは毛頭ないが、だからといって、向こうの言いなりになるような臆病ではないぞ、我が国は」
エイルはそれを聞いて安堵の表情を浮かべた。
夕日はすでに沈み、代わりに月明かりが、窓から差し込んできていた。
もうじき馬車がやってくる。
「ありがとう」
テーブルの銀の鍵を掴み取ったスレッドに、エイルは礼を述べた。
スレッドは、エイルの赤い目に見つめられ、唇を結んだ。
一つ咳払いをして、スレッドは答えた。
「君だけのためではないさ。騎士でありたい、それだけのことだ」
スレッドはそう言うと、エイルを部屋から出し、騎士たちを部屋に集めた。出発の一時間前である。スレッドが予定の変更を話すと、騎士の数人は難しい顔をした。
「ま、隊長の判断だ。俺たちは、それに従うさ、そうだろう、諸君」
騎士の一人が気楽な口調でそう言うと、他の騎士たちも、それもそうだなと頷いた。
「だが、是非聞かせてほしい。隊長、たった一人でルノアルドの艦隊に乗り込み、捕虜を救出するなんて、不可能なように思える。何か、算段があるのか?」
「一人じゃない」
スレッドは答えた。
「癒術師と、ライカンがいる」
「たった三人だ。スレッド、お前は今冷静か?」
そう友人に問いかけられて、スレッドは考えた。
果たして自分は今、冷静だろうか。
傍から見たら、冷静とは見えないらしい。
「一歩間違えば――」
「わかってる」
「らしくないぞ、スレッド」
スレッドは言い返そうと口を開いた。
その時――スレッドは妙な気配を感じたのだった。
隊長の変化に気付き、騎士たちは沈黙した。
「予定を早める……」
スレッドは呟くように言った。
「今すぐに出発するんだ。裏口から出て、できるだけ早くここを離れてほしい」
騎士たちは不審そうな顔を一瞬見せたが、すぐに思い直し、頷いた。
スレッドは、隊長としてはまだ若い。
だがその実力は、誰もが認めるところだった。
「戦いになる」
一言。
騎士たちには、それで充分だった。
騎士たちは速やかに、出発の準備を始めた。




