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104 さようなら、パトラッシュ

 パトラッシュは、だんだんと高度を落としていった。

 パトラッシュは、ナバースの森の木々のぶつかりながら、最後は地面に、滑るように墜落した。


 皆、地面に転がり落ちたが、怪我はなかった。

 パトラッシュが、俺たちを庇ったのだ。

 俺の意識は、今やはっきりしていた。

 俺は間違いなく、死の一歩手前だった。


「パトラッシュ!」


 俺は、パトラッシュに駆け寄った。

 飛んでいる間、パトラッシュが俺に、力を注ぎこんでくれたのだ。


 パトラッシュの青いオーラがぱあっと消え、馬の姿に戻った。

 体中血だらけだ。

 青い毛が、血で赤く染まっている。


「しっかりしろ、パトラッシュ、ほら」


 水を飲ませてやる。

 エイルが、傷口を水で洗い流し、治癒の魔法をかけ始まる。

 だが、パトラッシュの傷は、少しも塞がらない。


 パトラッシュは横たわり、俺の肩に首を乗せてきた。

 ふー、ふーと、息遣いが聞こえてくる。

 俺は、パトラッシュの首に抱き着いた。


「死ぬなよ、パトラッシュ、お前が必要なんだ、俺には……」


 ずっと一緒に冒険をしてきた。

 最初の町で、夜中に放り出された俺に、付き添ってくれた。パトラッシュに助けられたのは、一度や二度ではない。

 いつも澄ましている、賢い相棒だ。

 俺のピンチには、いつも駆けつけてくれた。


「パトラッシュ……ダメだ……」


 もうちょっと頑張れ。

 この森を抜けて、町に着いたら休もう。

 半年でも、一年でも休もう。

 だからそこまでは……。


 パトラッシュの体から、青い光の粒が抜け出して、ホタルのように、真っ暗い夜闇を照らした。ぼんやりと、優しい青い光が、俺たちを包み込んだ。

 光は、少しずつ、少しずつ、天に昇り始めた。

 

 なんと幻想的な光景だろう。

 森は静かに、今だけは、恐ろしい魔物の存在を、深く奥に隠してしまっているようだ。パトラッシュの光は、そこに泉を作ったかのような、純粋な青だった。

 パトラッシュの優しい目が、俺を見ていた。

 その目は、俺に全てを悟らせた。


 ――パトラシュは、天に還る。


 あぁ、俺は覚悟しないといけない。

 パトラッシュには、もうその準備ができている。

 パトラッシュとの旅は、ここまでなのだ。


 エイルは、必死に治癒魔法をかけている。

 俺も、パトラッシュが助かる可能性があるなら、いくらでも悪あがきをしよう。けれどもう、パトラッシュは――助からない。

 俺の、黒魔術師の勘がそう言っている。

 こんな時に、黒魔術の才能は、そんなことしか教えてくれない。

 人を殺すだけ、助けることは何もできない。


「エイル」


 俺は、エイルに呼びかけ、首を振った。

 エイルは、両手をパトラッシュから離し、ぎゅっと握った。


 パトラッシュの体が、薄くなってゆく。

 パトラッシュが、頬をこすりつけてくる。

 俺は、ぎゅっと抱きしめてやった。

 それが、精一杯だ。


「また会おう、パトラッシュ。俺もそのうち、そっちにいくよ。だからそれまで、散歩でもして待っててくれ。パトラッシュ――」


 抱きしめた。

 この温もりも、これで最後だ。

 俺の腕の中で、パトラッシュは青い光になってゆく。


 俺は目を閉じた。

 パトラッシュが消える瞬間は、見たくなかった。

 俺は、パトラッシュを抱いたまま、じっとそうしていた。

 ずっと、目を閉じていたいと思った。

 だが、それは許されない。俺は、まだ生きている。生きている人間は、目を開けて、生きてゆかないといけない。目を開ければ、その時が、本当のお別れになってしまうだろうけれど。


 下を向いたまま、自分でもわからないように、ゆっくり目を開けた。

 俺は、ただ一人で、うつ向いていた。

 目を閉じている間中ずっと感じていた体温が、肩と胸から、消えてゆく。


 これで、本当にお別れだ。

 パトラッシュは、消えてしまった。

 命を懸けて俺たちを守ってくれた。


 涙が、溢れてくる。

 俺は、パトラッシュに何をしてやれたのだろうか。

 考えれば考えるほど、涙は止まらなくなる。

 いい歳して、こんなに涙は流れるものなのか。

 目が熱い、首筋が。心臓が、悔やみきれない後悔に掴まれて、ぎゅっと痛む。腕が震える。悲しいのか、苦しいのかわからない。脚の力は抜けきって、とても立ち上がれそうにない。


「ううっ……」


 嗚咽が漏れそうになるのを堪える。

 喉の奥から、押しつぶした空気の音が漏れる。

 深呼吸だ……こういう時は、深呼吸だ。

 息が震える。


 ダメだ、こんなんじゃ、みっともなくてパトラッシュに合わせる顔がない。向こうに行った時には、俺は、少しはパトラッシュに相応しい主人になってなければいけない。


 泣いている場合じゃない。

 涙を強引に拭う。

 目の下の皮膚がヒリヒリする。

 両手のこぶしを、思い切り握った。


 痛みが、俺を正気に戻してくれた。

 そうだ、俺は、こんなことをしている場合じゃない。俺には、やるべきことがある。果たさなければならない、俺の役割がある。パトラッシュが、俺たちを助けてくれたように、俺も、俺の義務を果たそう。


 俺はふと、クワルのすすり泣く声が後ろから聞こえていたのに気付いた。

 見れば、クワルはパトラッシュのお腹のあたりがあった地面に座って、泣いていた。俺は、座り込むクワルの頭を撫でた。


「パトラッシュは、最後笑ってたよ」

「本当ですか、グリム様……」

「うん。傷は痛そうだったけど、幸せだったんだ」


 本当に幸せだったのだろうか。

 でも今は、そう思い込まないと、崩れそうだ。


「グリムさん……」

「そんな顔するな、カール。折角パトラッシュが助けてくれたんだ、俺たちは、絶対に生き延びよう」


 カールは、素直に頷いた。

 そうだ、皆、俺を頼りにしている。

 俺がここで弱気を見せるわけにはいかない。

 俺は、エイルとジャンヌに目配せをした。二人とも、静かに頷いた。二人は、もう準備ができている。今ここで、立ち止まるわけにはゆかない。


「行こう」


 俺はクワルを立たせ、カールの頭をポンと叩き、森の出口――東へと歩を進めた。

 東に森を抜ければ、その先には港町アイヴィオがある。



「いや、いい。私一人で行く」


 スレッドは、部下の騎士たちにそう言って、宿を出た。

 向かった先は、アイヴィオの港管組合の組合館である。

 海の荒くれ男たちの中に、スレッドは明らかに異質だった。


 組合館は木造二階建ての建物で、入り口の扉を開けると、ちょっとした飲食スペースがある。船長だとか、海上貿易商の商長だとか、そういう身分の人間が、食事をとりながら、あるいは酒を飲みながら、談笑したり、情報交換したりしている。


 スレッドが入ってゆくと、組合の人間は、一様に嫌な顔をした。


「港長に会いたい。話がある」


 スレッドが言った。


「あんた誰だ」


 組合員の一人が言った。

 組合の人間といっても、だいたいは、本職が船乗りや、元船乗りだ。港によそ者が入ってくるのはいいとしても、組合館にそれが上がりこむというのは、許容できないのだった。


「アノール騎士団、副隊長のスレッド・ルムメニゲだ」


 アノール騎士団と聞いて、組合員は、いっそう顔をしかめた。


「来る場所が違うぜ。ここはお姫様の宮殿じゃねぇんだ」


 誰かが言うと、船乗りたちはドっと笑った。

 騎士といえば宮廷恋愛と相場が決まっている。船乗りたちからすると、騎士いうのは、名誉だの恋だの愛だのに現を抜かす腑抜け野郎だという理解なのだ。


「ふざけている場合じゃない。今すぐに会わせてもらう」


 スレッドはそう言うと、つかつかと、建物の奥に入っていった。

 海の男たちは、それを阻むように、スレッドの前に立ちはだかった。

 袖をまくった船乗りたち。その日に焼けた、筋肉隆々の二の腕が露わになる。


 船乗りの一人が、スレッドの肩を小突いた。

 次の瞬間、スレッドは一歩踏み込んで、その船乗りの足を払うと、そのまま背中から床にたたきつけた。


「野郎! やんのかぁ!」

「やったろうじゃねぇかぁ!」


 船乗りたち、喧嘩はベテランである。

 先を競ってスレッドに殴りかかったり、掴みかかったりし始める。

 が、スレッドは、喧嘩はアマチュアだが、戦闘はプロだった。

 当身を使わない崩しと投げ技だけで、数秒のうちに船乗りたちを黙らせた。

 床の上で、痛みに呻く船乗りたち。

 あっという間に喧嘩は終わった。


 二階から、五十がらみの男が下りてきた。

 体格の良い、しかし目つきは船乗りとは思えないほど優しい男だ。


「何の騒ぎだ」


 子供の悪戯をたしなめる様な口調で、男は聞いた。

 答えられない船乗りに代わって、スレッドが答えた。


「港長に会いに来た」

「私が、港長のコールだ」

「アノール騎士団、副隊長スレッド・ルムメニゲ」


 スレッドが名乗ると、港長ベンの表情が引き締まった。


「二階で話そう」


 スレッドは頷き、階段を上がった。

 その後ろから、コールが続く。

 階段を上がる前に、コールは床に寝転がっている男たちを見、喧嘩に参加しなかった組合員を見渡し、ため息をついた。


「そろそろそういうのは卒業しろ」


 コールはそう言って、階段を上がっていった。



 二階の応接間、金細工の洒落たグラスに酒が注がれる。

 スレッドの見たこともない色や形の果物に、塩辛のような珍味が、小間使いによって運ばれてくる。


「連中が失礼した」

「いや、予想はしていた」


 スレッドが言うと、コールは笑った。

 二人は乾杯して、ぐいっと酒を飲んだ。


「手酌で済まないな。ここじゃあ宮殿のようなメイドは雇っていないんだ」

「一向構わないさ」


 スレッドは、コールが話の出来そうな相手でホッとしていた。

 会うのは初めてである。


「それは、帝王魚の頸臓だ。焙っても旨いが、通は刺身だ」


 スレッドは、用意された箸でそれを食べた。

 頷く。

 コールは笑った。


「さて、どんな一大事を持ってきた」


 コールが促した。

 スレッドは口を開いた。


「ルノアルドの軍艦がここに来る」

「ほぉ」

「もう知っているかもしれないが――」

「関所破りの件か」


 スレッドは頷いた。

 流石アイヴィオ――カカン最大の港町の、その港を取り仕切る男だと思った。


「その賞金首が、この町に来ているのか?」

「まずそれを聞きたかった。オロンからの船に、それらしい人間は乗っていなかったか?」

「オロンから来る予定だった船は、海賊の襲撃を受けて、来られないことになった」

「なっ……その船は――」

「オロンに引き返した」


 それだ、とスレッドは直観した。

 その船に、彼らは乗っていたのだ。ルノアルド側の誰かは解らないが、誰かが、海賊を使って船を襲わせたのだ。

 だが、そうだとすれば、妙な点もある。


「沈められなかったのか?」


 奴らは、彼らを捕まえようとしているのではない。

 殺そうとしているのだ。

 だとしたら、なぜ沈めなかったのか。海賊は大砲を持ってはいないだろうが、仮に持っていたとしても、多くの商船がそうであるように、オロンから来る商船も、大砲除けは施してある。

 海賊は、商船に船をつけて、白兵戦を挑んだはずだ。

 海賊が勝ったならば、船は沈められていただろう。あるいは捕らえて、雇用主に引き渡したのだろうか。いや、それならばルノアルドからの軍艦は引き返すはずだ。


 ――つまり、ルノアルド側の作戦はうまくいかなかったのだ。

 だが、殿下一行が海賊を撃退したのなら、なぜオロンに引き返したのかわからない。船に、致命的な故障が起きたのか。


 あるいは、その海賊を雇ったのがルノアルド側の人間でなく、どこかのクランだとしたらどうだろうか。――いや、それはありえない。クランはカカンかルノアルド、結局どちらかに取引を持ち掛けてくるはずだ。


 しかし、ルノアルドの軍艦は相変わらずここに向かってきている。カカン公やそれに連なる高位の貴族も、そして周辺の傭兵ギルドのギルド長にも、どこのクランからもそんな取引は持ち掛けられていないと、すでに返答があった。


「陸路を行ったか……」


 スレッドは、きゅっと唇を結んだ。

 陸路の場合、目指すのはレイセンだろう。ピルグを迂回し、東に行き、そこから聖北街道に出、北に行く。あるいは、聖北街道を南下してここに来るという道もあるが、彼らが陸路を選んだのは、アイヴィオを警戒したからに他ならないだろう。


「無事ならいいが……」

「無事?」

「あ、いや、失礼した」

「さて、我々はどのような協力をしたらいい」

「ネーデルに行く全ての船とそれに乗るすべての人間を、私が立ち会って検査する。ルノアルドの軍艦に対しては、港から3メイナ以上の侵入を許さないような警戒をしてほしい。戦いは避けたい。軍艦に近づくような船がある場合は、その海路を変更するよう、全ての船に通達してほしい」


「戦いになった場合は」

「共に戦う」

「むしろうちの野郎どもは、そっちを望みそうだ」


 スレッドの真面目な顔を見て、コールは笑った。


「わかった、協力しよう。だが、ネーデルに行く全ての船を検査するのは難しい。出航制限をかける。その分の費用は、公爵様が負担してくれるのかな」

「約束しよう」


 決まった。

 スレッドは、建物の外の空に意識を飛ばした。

 彼らは、無事でいるだろうか。

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