102 笑う骸骨の道
一面の紙吹雪。
霊札をマナドレインによって無力化することはたやすかった。また、俺の体に触れようとする霊札は、アビスオーラによって弾かれてゆく。一枚一枚は大したことのない霊札だ。
だが、その数が、あまりにも多い。
霊札の入った袋は、屋根の上からどんどん投げ落とされて、追加されてゆく。視界が、霊札で埋まってゆく。
アビスインパクトで霊札の壁を貫き、リュナクを狙う。
だが、霊札の壁は次から次へと、波のようにうねり、俺の魔法はリュナクには届かない。
ミストテレポート――。
リュナクの懐に入り込む。
この至近距離なら、アビスインパクトも通用するはずだ。
一撃必殺――さすがのリュナクも、これを受ければお終いだろう。
それなのに――。
リュナクは、笑っていた……。
どんっ。
アビスインパクトによってリュナクを吹き飛ばした。
ところがその体は、ばさあっと霊札にかわってしまった。
霊札は、他の霊札に交じって舞い飛んで行った。
「なっ……!」
ダミーだ……。
どこからともなく、リュナクの笑い声が聞こえてくる。
霊札の波の奥から、その嵐のような霊札の雨の隙間から、リュナクの声だけが聞こえてくる。
「暴札陣だ。さぁどうする、ピカソ導師。うかうかしていると、逃げることもできなくなるぞ」
なんという物量作戦だ。
一枚一枚は全く大したことのない霊札だが、この数は……。
なるほど、リュナクは俺のスタミナ切れを狙っているのだ。確かに、魔法は、どんな魔法でも体力を使う。マナドレインも、アビスオーラも、永遠に使い続けることはできない。
つまり俺は、この霊札の嵐の中にいる限り、いつかは力尽きて、倒れる。
打開策はないか。
リュナク本体を叩ければ良いが、それが、どこにいるのかわからない。見つけたとしても、それはさっきのように、ダミーかもしれない。アビスインパクトは、マナドレインやアビスオーラよりも体力を必要とする。ミストテレポートもそうだ。
そうやってリュナクは、俺に無駄に魔法を使わせて、体力を削ろうというのだろう。
リュナクの言うように、逃げることはできる。
村の外までミストテレポートで逃げてゆけば、さすがにリュナクも追ってこないだろう。だがそうしてしまったら、この霊札の向く先は――。
逃げるわけにはいかない。
リュナクは、この暴礼陣という切り札を隠していた。
だが俺も、まだリュナクに隠している切り札がある。
俺が、体力だけでなく自分の血を代償に魔法を使えることを知らない。そしてその魔法――供血魔法は、普通に使う魔法よりも強力なことを知らない。
こうなったら真っ向勝負だ。
霊札がなくなるか、俺の体力と血が無くなるか。どちらが先か。
――マナドレイン。
力を失った紙がふらふらと宙を舞う。
その隙間を、まだマナドレインにかかっていない、力を持った霊札が通り抜ける。
舞い飛ぶ紙、紙、紙――。
下手をすると、落ちてきた紙の雪崩に飲み込まれてしまいそうになる。
『祭りか!』
「祭りなわけあるか!」
こんな時に、TPOを弁えない神の声。
忘翁だ。
なぜ出てきた。
俺は今、いっぱいいっぱいだ、後にしてくれ。
『苦しい状況じゃな』
「だから後にしてください」
『老人の話し相手くらい、良いじゃないか』
「こんな状況で話しかけてくるボケ老人の相手は、したくないですよ!」
感情の起伏は、魔法を鈍らせる。
昂れば空回りし、冷たすぎれば動かない。黒魔術は、静寂の中に真価を発揮する。殺すことや殺されることへの執着を捨て去ったとき、その真髄が現れてくる。
――だから、こういう時に邪魔をしないでもらいたいのだ。
精神が、乱れる。
「いい加減、降参したらどうかな」
リュナクの声が聞こえてきた。
表面的には、余裕と自信に満ちたような声の張り、口調だ。
だが俺は、他人の感情を感じ取ることができる。
相手が無防備になったとき、感情を隠すのを忘れたとき、それは目線から、仕草から、そして、声から強く伝わってくる。
リュナクは、焦っている。
彼の計算では、俺はそろそろ力尽きるはずだったのだろう。
俺が奴の策略に乗って、無駄に魔法を使っていたなら、そうなっていたかもしれない。だがリュナクは、やり損ねた。俺の冷静を奪うことができなかった。
俺は、血を代償にすることを念じた。
左手の薬指から、血がしたたり落ちる。
オイルに引火した炎のように、赤黒い呪いの炎は、ひととき、カっと眩い閃光を放った。マナドレインが、霊札のマナを根こそぎ奪い始めた。
一つの生き物のように統率されていた霊札が乱れ始めた。塊が分断され、それぞれが、怯えるように震え、バラバラに動き始める。俺を取り囲んでいた霊札の波のような壁が、崩れ始めた。
曇天の空が、再び視界に戻ってきた。
俺は左手を掲げた。
赤黒い炎が、再びカっと燃え上がった。
黒い呪いの波動が、ぶわっと広がった。
ずしゃああっと、霊札が地面にぶちまかれた。
宙を飛んでいた霊札は力を失い、ぱらぱらと宙を舞った。
リュナクは、俺の正面にいた。
霊札がぱらぱらと落ちてくる。
リュナクと俺の間には、歩数にして二十歩ほど――10モルタほどの隔たりがあり、その空間の中央で、互いの視線がぶつかった。
「俺の勝ちだ」
俺はそう言って、右手を前に突き出した。
こうなってしまえば、あとは俺がマナドレインを念じるだけで、リュナクは数秒のうちにマナを奪いつくされ、絶命するだろう。
隠れていたセネレイルーンと、カメス・メイスの魔術師たちが出てきて、俺に杖を向けた。だが俺は、今や、何の不安も恐れもない。敵に対して、殺さないように手加減ができるほどの余裕もないが、しかし、負けは1パーセントだってないだろう。
攻撃ならマナドレイン、防御ならアビスオーラ――ここにいる魔術師も剣士も、俺の黒魔術には対応できそうにない。その気になれば俺は、一瞬で全員のマナを奪いつくして、殺すこともできる。
「退くなら、見逃してやる。かかってくるなら、殺すことになる」
頼むから引いてくれという俺の心の叫びは、果たしてこの男たちに届くだろうか。
長い沈黙、睨み合い。
やがて、リュナクが言った。
「退くぞ」
しかし、カメス・メイスのバードンは従わなかった。
「ふざけるんじゃねぇ!」
メイスを持ったバードンとカメス・メイスの魔術師たちは、俺に攻撃を仕掛けてきた。俺はダークバインドで彼らを宙に浮かせ、地面に叩きつけた。ダークバインドにかからなかったバードンは、俺に向かって、一直線に突進してきた。
メイスを振り上げ、とびかかってくる。
――アビスインパクト。
バードンを、真っ向から呪いの波動で弾き飛ばす。
倒れたバードンは、クランの癒術師に支えられて、建物の影に運ばれていった。
「退け!」
リュナクが、柄にもなく大きな声で号令をかけた。
セネレイルーンのメンバーは、リュナクの後に続いて、建物の影に消えていった。カメス・メイスの傭兵たちも後に続く。
やがて、クランの人間たちが村から出て行った。
敵意の気配が消えてゆく。
後ろを振り向いくのが怖い。
皆、無事なのか?
――振り返る。
ジャンヌとクワルは……無事だった。
息を切らせているが、怪我をしている様子はない。
エイルも、無事だ。
カールの傍で、龍老人の杖を握り、立っている。
「良かった……」
ホっとして、俺はその場に座り込んだ。
体の力が抜け、どっと汗が噴き出してくる。
疲れが、重くのしかかってくる。
そのまま、背中を地面につけて、仰向けに寝転がった。
土の湿った匂いがする。
この匂いはあまり好きじゃない。
草の匂いも、もう慣れてしまったが、本当は好きじゃない。
日干しされた、清潔なシーツやタオルの香りの方が好みだ。
エイルがやってきて、俺の首筋に手を当てたり、脈をとったり、目を見たり、医者のようなことをし始めた。いや、ようなこと、ではなく彼女は、正真正銘、医者なのだ。癒術師である。
ということは、エイルは、女医さんか……そう思うと、なんだかエイルの見方が変わってくる。美人すぎる女医とか、タレント女医とか、そういうのが向こうでは少しブームだったが、俺はむしろ、NHKのドキュメンタリー番組なんかに出てくる、現場で頑張っている、本当の女医の方が美しいと思っていた人間だ。
エイルはプロフェッショナルだ。
腕は、癒術師の中でも一流だろう。手当の確かさ、迅速さ――ラリアンで他の癒術師の仕事を見る機会も一度や二度ではなかったが、エイルの腕は確かだ。おまけに、美人で、スタイルだって、スレンダーで美しい。
そんな女医さんに手当をしてもらっている。
こんなどうしょうもない状況で、俺はまた、しょうもないことを考えている。
美人の女医さんが俺の手当てを、一生懸命してくれている。そのシチュエーションに、くらくらしてしまう。
エイルはバックパックを下して、その中から小瓶を取り出した。琥珀色の液体の入った小瓶のふたを開け、差し出してくれる。
「飲んで」
俺は言うとおりに、小瓶の液体を一息で飲んだ。
いかにも薬っぽい味だった。
霊薬液の類だろう。
向こうで言うならば、「飲み薬」というやつだ。
「少し休もう」
俺はそう言って、目を瞑った。
眠気がひどい。
瞼が勝手に下がってゆく。
一呼吸のうちに、俺は眠っていた。
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二時間ほどの休憩ののち、俺たちは村を出た。
戦いのあった小さなその村には、しばらくはあの霊札が残り続けることだろう。
カメス・メイスとセネレイルーンは、果たして本当に逃げたのだろうか。
今は疲れのせいか、それともずっと危険にさらされているせいか、俺の勘もあてにならない。彼らが再び俺たちを襲撃する準備をしていたとしても、今の俺には、察知できないかもしれない。
だから、少しでも彼らから離れるために、俺たちは進む道を選んだ。
本当は、一日二日、一所に留まって休憩したいのだ。
だが、状況がそれを許さない。
あの二つのクランが諦めたとしても、その後から後から、欲にまみれた傭兵たちは、どんどんやってくるだろう。
次の村までの一本道は、ナバースの森に沿って走っている。
森からは常に魔物の気配が漂ってきている。
オロンの壁と同じような森である。
「グリムさん……僕……」
申し訳なさそうに、カールが俺に言ってきた。
俺とカールは先頭を歩いていて、その後ろに、皆がついてきている。
「どうした」
「ごめんなさい、僕がいたばっかりに……」
「いることの何が悪い」
歩きながら、カールに言ってやる。
今、精神的に一番参っているのは、カールなのかもしれない。
皆、カールをパトラッシュの似せようとしたが、カールはそれを拒んで、旅の最初からずうっと歩いている。
全く、小さな体でよく頑張るものだ。
その魂は、確かに王なるべき人間のものなのだろう。
「どうしてグリムさんは、僕を助けてくれるんですか。僕にはもう何の力もありません。追われているだけの、何もできない、非力な王子です」
「見返りのためにやってるんじゃないよ」
「グリムさんの正義を疑うつもりはありません。でも――」
「大袈裟だな。別に正義のためでもない。全く……」
カールの頭を撫でてやる。
日本だったら、この子はまだ小学生だ。
しかし、環境がそうさせるのだろう。彼はもう、自立した一人の大人だ。大人として振る舞うことがこの子にとっては当然で、この子の社会も、彼に、大人であることを求めていたのだ。
「俺にとってはエイルの方が謎だよ。別に、彼女こそ、俺たちを助ける義理はないんだ。なのになぜか、ついてきてくれた」
「それは……エイルさんが、グリムさんの事を好きだからじゃないんですか?」
「そう見えるか?」
「はい」
俺は笑った。
子供は大人以上に大人をよく観察しているというが、果たしてどうだろうか。
俺がエイルの事を気にかけているということはあっても、エイルが俺を、というのは、俺にとって都合のよすぎる解釈だ。
「エイルは、俺の事を怖がってるよ」
「そうなんですか?」
「俺の黒魔術、怖いだろう?」
「はい……でも、僕も……」
カールは一度言葉を切り、少し躊躇ってから、意を決したように言った。
「僕も、その才能があるみたいなんです」
「黒魔術のか?」
「はい……。僕には、魔族の血が流れているって……」
「なんだよ、魔族の血って」
カールは首を振った。
カール自身もよくわかっていないようだ。
だんだんと辺りが暗くなってゆく。
気温も下がってきた。
村まであと5キロ程度――半トーナくらいという地点まで来た時、不思議なことが起こった。突然、道の脇の地面が盛り上がり、そして――骸骨が出てきたのだ。
骸骨は顎をカチカチと鳴らして、笑っているようだった。
「そこまでですな、カール殿下」
骸骨がしゃべった。
ジャンヌが剣を抜いた。
「貴方を、お殺し申し上げる」
骸骨の目の奥が、不気味に輝いた。




