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101 リュナクの罠

 暗いうちに起きて準備をし、日の出前の薄暗闇の中、俺たちはジャイアントの村を出た。オロンの壁までは一本道である。どんよりした曇り空。雨が降る気配はないが、どこまで行っても、その曇り空から抜けることはできなさそうな、そんな果てしない灰色雲である。


 森の前で、俺たちは自然と立ち止まった。

 森の中から、魔物の声が、匂いが、殺意が漂ってくる。森は、邪気で満ち満ちている。まるで黒い霧の中に入ってゆくような気分である。ジャンヌも、クワルも、そしてパトラッシュも、躊躇っている。


 俺は先頭を切って、森に入った。

 森に足を踏み入れると、急に暗くなった。妖婆の森のときもそうだったが、この世界の森は、それ自体に呪いがかかっているようだ。少し歩くと、自分たちの入ってきた道が、閉ざされてゆくようだった。まるで木や茂みが移動して、壁を作っているようだ。なるほど――オロンの壁である。


 異様なほど静かな森である。

 鳥の声もたまに聞こえては来るが、鳥も、小さな動物も、そして虫や花さえも、怯えるように姿を隠して、息を潜めているようだ。ロドロムが支配していたジューガの森とよく似ている。あの森も、異様に静かだった。


 皆の息遣いが、聞こえてくる。

 エイルは、震えているようだった。寒いのは、気候のせいだけではない。皆、ジャイアントの村で新調したばかりのグロッケローブをすっぽり被っているが、皆の感じている悪寒は、外気ではなくマナによるものだろう。


「来る……」


 エイルが呟いた。

 俺も同時に、魔物の気配を感じ取った。

 パトラッシュが首を垂れる。

 ――直後、木々の隙間から、真っ赤な肌の巨人が二匹、姿を現した。巨大な剣、バスターソードを持っている。


 ジャンヌはカールを後ろに庇い、クワルが短剣を引き抜いた。

 俺は、黙ってマナドレインを念じた。

 右手に黒い炎が宿る。ひんやりとした感覚。

 二匹の巨人は、よろよろと膝をつき、そのまま、崩れ落ちて絶命した。


 皆、顔を見合わせる。

 エイル以外は、何が起こったのかわかっていないのだろう。この森を抜けるとき、ジャンヌたちは恐らく、大変な苦労をしたのだ。赤膚の巨人は、まともに戦ったら手強いに違いない。それが、出てくるなりあっさり死んでしまった。言葉を失うのもよくわかる。


「グリム様、ですか?」


 クワルが俺に質問する。

 俺は小さくうなずいて、二匹の残した小邪石を回収した。

 ジャンヌやカールの視線が痛い。クワルは、無邪気に俺を称えてくれたが、他の三人は――特にジャンヌは、信じられないようなものを見る目で、俺の事を見ている。


 魔物は、三十分おきくらいに襲い掛かってきた。それは巨人だったり、巨大な昆虫のようなものだったりした。お馴染みのスケルトンや、オーガ、ゴブリンもいた。しかしどんな魔物が出てきても、彼らは例外なく、眠るように死んでいった。俺の――マナドレインによって。


 ジャンヌやクワルは、拍子抜けしたに違いない。

 命を落とすかもしれない、そういう覚悟でこの森に再び入ったのだろう。それが、剣を振るう間もなく魔物たちは出てくる先から倒され、半日も歩くと、森を抜けてしまった。俺たちは、オロンの壁を、すんなり突破してしまったのだ。


 森を抜け道に出て、最寄りの村に向けて進んでゆく。

 今しがた抜けてきた森の木々が霞の奥に消えてゆくのを顧みて、皆、そこでようやく一息ついたのだった。


 森を出てから一時間ほどで、村に着いた。

 寂れた、ごくごく小さな村で、俺たちが入ってくるのを、村の人間は迷惑そうな目で見るのだった。だからといって咎められるわけでもなく、俺たちは最初に訪れた宿で泊めてもらえることになった。



 昼を少し過ぎたころ、俺たちは食事をとることにした。

 今日はここに泊まるか、あるいは少しでも北に進んでピルグに近づくか――俺たちは後者を選んだ。

 だがこれは、決断とは呼ばないだろう。迫りくる者たちへの恐怖に負けて、俺たちは最初から、それ以外の選択肢を考えられないでいるのだ。ここで休むこと、立ち止まること――そうした場合の未来に、悪い結末しか見いだせないでいる。


 本当は、もう1ロープスだって歩けないほど疲れている。精神的にも肉体的にも。ジャンヌやクワルはまだ元気だが、俺はもう、できることなら、今すぐ眠って、明日の夜まで一日以上、泥になっていたい。


 食事が運ばれてきた。

 紅茶のような色のスープ。籠に盛られたパン。それだけの簡素な食事である。本来は、待ちに待った食事だが、誰も籠に手を伸ばそうとしない。クワルは、俺が手を付けるまで食べない気でいるのだろう。カールやエイルは、精神的に疲れているに違いない。ジャンヌは、何やら考えてしまっている。


 カールが銀のスプーンを持ち上げ、スープを掬った。

 それを、静かに口に運んでゆく。


 ――俺はその瞬間、首筋に激痛のような違和感を覚えた。

 気づくと俺は、ダークバインドで、カールの握っていた銀のスプーンを跳ね飛ばしていた。カールは椅子から転げ落ち、ジャンヌが慌てて、倒れたカールに屈み寄った。


 俺は、立ち上がり、右手を突き出したまま、固まっていた。

 皆も固まっている。

 固まって、目だけは俺の事を見上げている。


 なんだ、俺は一体、何をしてしまったんだ。

 カールが、右の手首を押さえている。

 俺が、やったのか?


「グリム、どうして……」


 ジャンヌが、俺に質問してくる。

 だが、俺は答えられない。自分でもわからないのだ。


「か、勘弁してくれぇ!」


 突然、店の主人がそんなことを叫んで、逃げだした。

 がたんと机に脚をぶつけ、つんのめるようにして店を出ていく。

 バランスを失った酒の瓶が、机から落ちた。派手な音を立てて、ガラス片を飛び散った。


 直後、何かの魔法が俺たちを襲った。

 アビスオーラを纏った俺は平気だったが、他の四人は、床に突っ伏した。

 ――結界だ。

 俺は腹に力を込めた。

 ガシャンと、ガラスの砕けるような音。

 結界を破壊したのだ。結界を壊すのは、これで何度目だろうか。


 ジャンヌとクワルは剣を抜き、エイルはカールを庇うように、カールの前に出た。

 静まり返る店の中。

 俺たちは酒場を出た。


「そんな……」


 俺は、目を疑った。

 リュナクがいた。魔術師や剣士――傭兵たちに包囲されている。プレシーブセンスが働かなかったというのか……。


 リュナクの隣には、聖術師らしい白のスーラにサージュを着、メイスを握った男がいた。その男は、エイルが出てくると舌打ちをした。


「この阿婆擦れ女、よくも裏切りやがったな」


 エイルは、ぎゅっと唇を結んだ。


「恩をあだで返しやがって」

「恩があるのはベイフよ。貴方には何の恩もないわ」

「ふざけやがって。誰がお前みたいな出来損ないを置いてやってたと思ってる。この傷者が」

「……」


 エイルは、唇を結んで黙り込んだ。


「調子はどうですかな、ピカソ導師。あのスープは、口に合いませんでしたか?」

「……スープ?」

「1オースで3グロウもする劇毒だったんですよ。少しくらい飲んでくれても良かったのに」


 リュナクはそう言って、唇を釣り上げた。


「彼はバードン、カメス・メイスのマスターだ。我々は、カメス・メイスと手を組んだ。この村は、我々が包囲している。逃げ場はない。さて、どうしますかな、ピカソ導師。武力に訴えるなら、当然こっちにもその準備があるが、試してみますかな?」


 リュナクは、妙に自信を持っている。

 しかもその自信は、見栄ではなさそうだ。何か、策があるのだろう。


「こっちの要求は一つだけ。その子供と女騎士を、引き渡すこと。そうすれば、貴方に用はない。そこのライカンにも。まぁ、断ったとて、結果は同じだがな」


 リュナクは、にやりと笑った。


「ルノアルド第二王子、カール殿下。もっと立派な男だと思っていたが、こんなガキだとは思わなかった」


 バードンが言った。


「口を慎みなさい!」


 ジャンヌが、今にもとびかかりそうな目でバードンを睨んだ。

 バードンは、おちょくるように笑った。


「ガキのおもりは大変だろう? よく見りゃ別嬪だ、俺たちのクランに入らねぇか? 良くするぜぇ?」

「それ以上しゃべるなら、その上顎と下顎を、二度とくっつかないようにしてやる」


 ジャンヌの剣が、金色に輝く。

 おぉ、と傭兵たちから動揺の声が漏れる。剣士にはそれだけで、ジャンヌの力量が分かるのだろう。


「グリムさん、僕ならもう……」


 カールが、俺の後ろから、弱弱しい声で何かを言いかけた。

 僕ならもう――売り渡してくれて構わない、ということだろう。

 だが、俺にその気はない。

 つまり、これから一戦交えることになるだろう。

 これだけの数の敵、そして何らかの策を用いてくる相手、俺も、本気で戦わなければならない。本気で、ということはつまり、相手を殺す気で、ということだ。俺の黒魔術は一撃必殺だ。「気」だけでなく、実際、殺すことになる。

 果たして何人殺すかわからない。

 一人か、十人か、あるいは百人か。

 一人を守るために百を殺すか。


 カールの頭を撫でてやる。

 さらさらの髪の毛。温かい、まだ柔らかくてすべすべした、肌。

 この子は王子かもしれないが、それ以上に、俺にとっては子供だ。この子の肩書などは関係ない。子供を守る、そのために自分の命もかける、人も殺める。

 ――構いやしない。

 それでこの子が助かるなら、それでいいじゃないか。


「死にたい奴からかかってこい」


 俺は、自然とそんなことを言っていた。


「交渉は不成立か。だがなぜだ、なぜこだわる。助けたところで、一シルにもなりはしない。利益にならないことのために、なぜそこまでする」


 リュナクは、憐れむような声で、俺に質問してきた。


「俺は逆に聞きたいよ。金なんかのために、どうしてここまでする」


 この男とは分かり合えない。

 リュナクも、そう思ったことだろう。

 ここでは、分かり合えなければ戦いになる。平和的解決などはありえない。話し合いで解決しましょうと、小学校では教わってきたが、その話し合いは、墓場でやるしかないだろう。


「やれ!」


 リュナクが声を上げた。

 物陰に隠れていた剣士が襲い掛かってきた。ジャンヌとクワルがそれに応戦する。

 他方リュナク――その背後にサンタクロースが背負っていそうな白い袋が、屋根の上にいた傭兵から投げ落とされていた。リュナクが呪文を唱えると、袋の口が開き、そこから、何百、何千――いや、何万という長方形の霊札が舞い飛んだ。


 戦いが始まった。

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