100 陸路かアイヴィオか
どすうんと、地面が揺れた。
赤い肌の巨人が、あおむけに倒れた。どすうん、どすうんと、同じような音と振動が続き、森の木々がわさわさと葉を揺らす。
グリムがほうっと息をつく。
ジャイアントが風化し、野球ボールくらいの魔石――正確には小邪石が後に残された。邪悪なジャイアントの他に、先に倒した蠅の大きいのや、熊の凶悪なのの小邪石も、辺りに散らばっている。
杖をひょいと振って小邪石を回収するグリムを、エイルはじっと見つめていた。
オロンの壁に入ってから四時間ほど、すでに何度も魔物に襲われていた。腕利きの傭兵も、商人も、誰もがこの森には寄り付かない。この森に潜む、凶暴なジャイアントの魔物を恐れているのである。
そのジャイアントの魔物をグリムは、出てくる端から、蝋燭の灯を吹き消すように、容易く、そして静かに倒してしまう。ジャイアントは、力が抜けるような呻きを漏らして、倒れてゆく。
エイルは、昔童話で読んだ「死神」を、グリムに連想していた。そんなことを考えている自分に気が付いて、エイルは自分を非難した。
「エイル」
「な、何!?」
急に声を掛けられて、エイルは妙に高い変な声を出してしまった。
グリムは、振り返らない。
「いや……なんでもない」
グリムはグリムで、解っていた。
エイルは、自分を怖がっている。そのことを、俺のために隠そうとしている。だからずっと黙っているのだ。俺がジャイアントを、二体、三体同時に倒したとしても、エイルはずっと、黙っている。それがあたかも当然のように、振る舞ってくれている。
「グリム――」
「まだ休憩はいいよ、疲れてない。エイルが大丈夫なら」
「私はまだ、平気だけど」
「じゃあ、このまま行こう」
大騒ぎしてくれた方が気が楽だとグリムは思った。
クワルのように、ある意味では無邪気に、「すごい、すごい」と、何ならはっきり「怖い」と言ってくれた方が良かった。彼女は本心を俺に打ち明けない。それは俺のことを、本当に「怖い」と思っているからだ。
森を抜けた。
昼過ぎである。その時にはさすがにエイルも安心の色を顔に出した。何となく出来上がったような草原の道を、のろのろと歩いた。ほどなく、畑が見えてきた。大きな人間――ジャイアントが畑を耕していた。
彼らの肌は赤くない。日焼けした褐色だ。彼らは、魔物ではないのだろう。俺たちを見ても、人の好さそうな笑顔を見せて仕事を続けるのだった。
村にやってきた。
ジャイアントの村だ。
ここに、クワルたちがいるのだろうか。もしあの暗号を読み間違えていたら……。
ジャイアントの門番は、俺たちを笑顔で迎えてくれた。
村は小さな村だったが、建物や道は、その村の規模にしては大きかった。2メートルを優に超すジャイアントだから、それは、そうなるのだろう。放し飼いされている、全身が茶色い毛に覆われた牛のような動物も、やたらと大きい。
「グリム様!」
ばたん、近くの宿の扉が開いて、懐かしい声が耳に飛び込んできた。
クワルだった。
クワルは、タタタっと駆け寄ってきて、俺に抱き着いてきた。俺もその頭を、犬を相手にするように、乱暴に撫で付けてやる。遅れて、宿からジャンヌとカールが出てきた。
「無事で良かった……」
俺が言うと、ジャンヌは俺の目を見て、深くうなずいた。
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風呂で体を洗い、その後、ジャイアント丼を食べながら、俺たちは宿で作戦会議を開いた。ここから、どうするかという話し合いである。エイルは、聖都エリーゼに行くのが良いと、ジャンヌとカールに話した。
エリーゼは、カカンの一国でありながら、王国のアノール騎士団であっても、入ることはできない。政治的にも独立している、不可侵都市である。
「そんな都市に、私たちが入れてもらえるのかしら」
ジャンヌが疑問を口にする。
「行者を装って入ります」
なるほど、女神信仰の中心地だというエリーゼは、修行僧には優しいというわけだ。ということは、またピカソ導師の出番があるのかもしれない。
エイルは地図を指で示しながら続けた。
「エリーゼに行く道は三つあります。一つは、ここから船でアイヴィオに行き、そこから聖北道を上る方法。もう一つは、オロンの壁を出て、ピルグを経由してエリーゼに向かう陸路の道。最後の一つは、オロンの壁を出た後、レゼを経由してデノンまで戻って、そこからラリアン街道でラリアンに行き、ライアンからエリーゼに行く方法」
エイルは、皆を見渡した。
現実的に、エイルが提示した三つ目――レゼに戻るというのは無しだろう。追手の裏をかくような道ではあるが、俺たちを追っている多くのクランや傭兵は、まだレゼあたりに残っているに違いない。
とすると、実際には、選択肢は二つ。
ピルグに行くか、アイヴィオに行くか。アイヴィオまでの船の旅は、順調なら二日で終わる。ただし、順調に行かない可能性とは五分五分であるらしい。
アイヴィオまでの海路は南の海岸沿いを通るのだが、ピルグの真南、ナバースの戦いがあったすぐ南にはナバースの森という広大な森が広がっている。この森の付近には、常に魔性雲が漂っていて、それが、海路の上空にも発生するのだという。
俺は黒魔術が使えるし、ジャンヌやクワルは強い、それにエイルもいる。だが、船上となれば、何が起こるかわからない。もし船が沈没した場合、一人も助からないだろう。
陸路は、沈没の危険はないが、その代わりに、いつ襲撃があるかわからない。海の上ならば、襲撃はあり得ない。陸路の怖いところはそこである。俺たちがここにいることを、追手はもう知っているかもしれない。その場合、オロンの壁から出た途端一気に襲われる可能性もある。
可能性を考えれば、どの道も同じほどに危険だ。
「アイヴィオからネーデルの港町に向かう船は出ていますか?」
カール王子がエイルに訊ねた。
「出ています」
「ネーデルに入ることができれば、王国の騎士団も、暗殺部隊も、追ってこないと思います」
「ネーデルに行くには、ネーデルへの入国許可証が必要です。正規の手段だと……一日二日で許可が下りるとは思えません」
「金だ……」
俺は、ぼそりと呟いた。
この世界に来て、嫌というほど思い知らされた。
「金を握らせれば、一人、二人分くらいの許可なんて、その場で下りるんじゃないか」
俺が言うと、エイルは押し黙った。
考えているのだろう。
俺は、収納の杖から有り金を全部テーブルの上に出した。ジャイアントの店でなかったらこんなことは怖くてできない。――金貨が、百枚ちょっとある。
「あまり良い手段じゃないわね……」
ジャンヌが渋る。
やはり、正義感の強い騎士様なのだ、ジャンヌは。確かに、ジャンヌの性格からすると、賄賂なんかは姑息な手段に見えるのかもしれない。俺も、そう思っている。だが、背に腹は代えられない。
「アイヴィオに行きますか?」
エイルが、カールに訊ねた。
カールは、決断できないようだった。俺は、カールの引っ掛かりの正体がわかるような気がした。
「――いや、エイル、相手はそれくらい読んでるんじゃないのか?」
「かもしれないけど……」
「ネーデルに行かれたくないなら、まずアイヴィオを潰すだろう?」
「うん……その通りだと思う」
「じゃあ、アイヴィオに行ったらまずいだろう」
皆、再び考える。
しかし俺は解っていた。もうこれは、考えたところでどうにもならない。情報は出そろった。あとは、決断なのだ。これ以上考えられることはない。どちらをとっても危険だろう。安全をとるのではなく、今は、どの危険をとるかの決断だ。
「陸路だ……陸路にしよう、エイル」
俺は、エイルにそう言ってみた。
エイルは、カールに視線を移した。
「陸路にしましょう」
カールが言った。
決まった――俺たちはオロンの壁からオロン庄を出、ひとまずはピルグを目指す。ピルグが危険なのであれば、ピルグを周辺の村や町を通りながら迂回して、エリーゼに向かう。
「明日の夜明けに出発しよう」
俺が言うと、皆は頷いてくれた。
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会議の後、俺はパトラッシュの馬小屋に顔を出した。
この村に着いてから、会議の前にちょっとだけパトラッシュの様子を見に来たが――元気、とは言い難い状態だった。
青い毛並みは相変わらず美しい。
撫でてやると、俺の肩に、顔を乗せてきた。
随分弱っている。
いつもなら、自分から俺に甘えてくるようなことはしない。クワルやジャンヌにはしても、俺には、あえてそういう態度をとらないのだ、パトラッシュは。
それなのに――。
すんすんと、俺の服に鼻をあて、俺に尻尾を、体をこすりつける。まるで猫のようだ。俺はパトラッシュの温かい体を抱きしめてやった。パトラッシュの目は潤んでいた。
「辛い旅をさせてごめん」
耳元で謝る。
パトラッシュは目を閉じ、震えていた。
「きっと上手くいく」
パトラッシュは、頷いてくれたような気がした。
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「ヨン、ロクだ」
そう言って、バードンはジョッキを掲げ、リュナクに向けた。
酒場は、二つのクラン――カメス・メイスとセネレイルーンの貸し切りである。ならず者に毛の生えたような傭兵たちが、ジョッキを手に、じっとリュナクの動きを観察している。
お尋ね者を捕まえるためのクラン同盟を組んだのは数日前。
そして今日、この村、この酒場で、金銭の絡んだ最終的な合意がなされる。それは、リュナクの乾杯の音頭で成就する。だがリュナクは、「やられた」と思った。
昨日までの話では、報酬はセネレイルーンが7の、カメス・メイスが3だった。地元ならではの独自の情報網で、カメス・メイスは、賞金首の逃げた先を知っていた。
その発見は同時に、ピカソ導師のハッタリを暴くことにもなった。ピカソ導師を殺さずとも、賞金首を捕らえることはできる。ピカソ導師のあれは、時間を稼ぐための嘘だった。
リュナクは、まんまと、騙されたことを知った。
確かに、カメス・メイスがその情報をセネレイルーンにもたらさなければ、我々はずうっと、見当違いの場所をさまよっていたことだろう。だが、カメス・メイスは、その情報を自分で使うことができない。局地的な戦闘能力と、そして、賞金首を捕らえた後の交渉能力は、我々に頼らざるを得ないのだ。
だから、向こうは三割を出してきた。
謙虚な姿勢に感心したものだが、なるほど、カメス・メイスもクランだ。ここに来て、最後に四割を提示してくるとは。
リュナクは、バードンのずるがしこそうな目をじっと見つめた。バードンは、「お前だって、わかってたんだろう?」というような含みのある視線を、リュナクに向けていた。
「乾杯」
リュナクは静かにそう言った。
荒事好きの傭兵たちが、太い声で復唱する。
「で、その導師だが――」
バードンは、自分の肉をリュナクの皿に移し、リュナクに話しかけた。リュナクは酒で喉を潤し、答えた。
「対策は考えてある」
「その得体のしれない魔導師だが、心当たりがある」
「ほぉ」
「うちの癒術師が、失踪してな」
「その癒術師、まさか――」
「まぁ、まず間違いない。俺は、一年前にそいつに会ったことがあるかもしれない。一年前、当時のクランマスターとそいつと、それから失踪したクソ癒術師は、一緒になって一山あてた」
「ベイフ・ウルスランと、か?」
「そうだ。ピルグの騎士がジューガの森のロドロムを討伐したあの事件は知ってるだろう?」
「その功績で彼は、聖都に行ったのではなかったか?」
「詳しいな」
「この辺のクランで彼を知らないのはもぐりだ」
「その得体のしれない導師だが、そいつが、それかもしれない」
「それ、とは?」
「名前は知らないが――その時にベイフとパーティーを組んでたやつだ。俺は直接見たわけじゃないが、メンバーの話じゃ、そいつは得体のしれない魔法を使う魔術師だったらしい」
「なるほど」
「その後ベイフがこうつぶやいているのを聞いた奴がいる――黒魔術だ、と」
リュナクはそれを聞くと、目を見開き、それから、くくくくと、笑った。
「面白い。黒魔術師か」
リュナクは、思ってもないチャンスに、笑いを禁じえなかった。




