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第八章

 黒鬼の幻影を通して、ここのところ毎晩しているように白炎は咲乃の寝顔を見下ろした。

 咲乃はまもなく気配を察知して目覚めるだろう。そして嬉しそうに、少しはにかんだ笑みを向ける。まったく疑っていない様子で、無邪気に惜しみなく愛情を―――霊力を注いでくる。

 ―――この分なら牢を脱する程度の霊力はすぐ溜まる。

 牢を脱してまず最初にするのは、人間界へ逃れて咲乃の保護下に入ることだ。

 三流の物の怪程度しかない霊力でも、咲乃一人に幻術をかけ続けるくらいは問題ない。『懐古堂』や夜鴉の目の届かない場所へ攫って、契りを結んでしまえばこっちのものだ。

 黒鬼の仮面は月神の目を眩ますにもちょうどいいから、しばらくは被り続けなくてはならないだろうが、人間界に存在が根づいてしまえば必要ではなくなる。つまり白炎が白炎でなくなれば―――純粋な鬼人ではなく物の怪になってしまえば、月神も白炎を感知できなくなるだろう。

 黒鬼と違って鬼人界で最高の教育を受けた白炎は知っている。ほんの数百年前まで、鬼人界と人間界はもっと近くて混じり合っていたということを。

 統治者である白鬼は低次の世界になど来はしないけれども、赤鬼(せつき)青鬼(せいき)の中には人間や物の怪と契り、棲みついて子孫を為す者は多かった。抗争に敗れ、一族ごと人間界に棲みついた鬼人族もいた。

 ところが五百年前、人間界の妖しの世界にも確固たる秩序が現れた。

 夜鴉一族と四宮一族が死闘の果てに、混沌と蠢く闇の世界にくっきりとした領界線を引いたその時から、どちらにも属さない鬼人ははじき出されてしまったのだ。加えて鬼人のほうも、黒鬼や白炎のように追放同然の身でなければ来ようとは思わない場所となった。

 白炎は望んで鬼人界を出た。

 息の詰まるような、清涼すぎる澱みに耐えられずに猥雑さの中へ身を投じた。霊力を奪われ、一生牢に繋がれる身に堕ちても、自分の行動自体を後悔したことはない。

 だから鬼人でないモノになり果てようと、自分を失うよりはずっとましだ。黒鬼のように霊山の意志に囚われ、自分を失って鬼人界の捨て石になるなどまっぴらご免だ、と腹の底から思う。

 咲乃が目を覚ました。

 予想どおりの顔で微笑み、甘い芳醇(ほうじゆん)な霊力で包みこんでくる。

 白炎の操る黒鬼の幻影は彼女の隣に腰を下ろし、愛おしげに見下ろす。恐らく以前の黒鬼が見せた表情なのだろう。黒鬼は無意識下で(いま)だ咲乃を想っている。

 ―――何もかも、思惑どおりだ。順調に進んでいる。

 幻影を通して白炎は咲乃を腕に抱きよせた。

 心地よい、あふれるほどの霊力が、咲乃の体じゅうからこぼれだしてくる。

 愚かで無邪気で可愛い女。

 ―――心配しなくていい。おまえが死ぬまで‥いや、死んでも傍においてやる。おまえの父が母にしたよりもずっときれいな形で、魂と霊力を遺してやるよ。未来永劫、おまえは俺のものだ‥咲乃。

 白炎は腕の中の柔らかな温もりに、ひそかにそう誓った。


 健吾は自分の中に潜む白炎の気配が、近頃よく途絶えるのに気づいていた。

 少し前までは微弱な繋がりが間断なく続いていたのに、七月に入ってからはしばしば完全に消滅している。

 ―――俺の自我が強くなったということだろうか。

 言いきれるほどではないのだが、少しは自分の存在に自信がついてきた気がするのはほんとうだ。しかし白炎のほうに何か、健吾との繋がりを遮断する理由があると考えるほうが現実的かもしれないと考え直す。

 何しろ白炎は、健吾の大切な人たちにとって危険な存在だ。昨夏の事件の詳細を最近になって茉莉花から聞かせてもらったばかりなので、よけいに強くそう感じる。

 特に花穂にとっては(かたき)と言える存在だと知って、健吾は少なからずショックを受けた。

 あの日『懐古堂』で茉莉花の話を聞きながら、みるみる蒼白になっていった表情の意味をあらためてかみしめると、よく友人でいてくれるものだと感謝の念が胸に収まりきらないほどあふれてくる。何があっても花穂の笑顔だけは護りたい。言ってみればそれが健吾のアイデンティティだ。

 ―――そう言えば‥。現在花穂さんたちを狙っている『御霊の会』の連中は、白炎と関わっていたと鳥島さんが言っていたっけ‥。

 そこではたと思いつく。

 鳥島と玲が正体を探っている『メルサ』のオーナーとやらも、白炎なら素性を知っているかもしれないのだ。

 ―――白炎を呼び出して話を聞けば、いろいろな事情が簡単に解るんじゃないだろうか? でも‥主人(マスター)は、たぶん俺のためにしないんだ。

 安易に呼び出せば危険だからというのもあるだろうが、恐らく玲は健吾の気持ちを考えて呼び出さないのだろう。でも今は逡巡している場合ではない。白炎が全然怖くないと言えば嘘になるけれど、花穂のためならば。

 健吾は唇をぐっとかみしめると、襖一枚隔てた玲の寝室をノックした。


 椎名悟はネットカフェに入ると、あるサイトの会員ページにログインした。

 更に、四宮史を名のる人物から教わったキーでキー付きのフォルダを開けて中のPDF文書をダウンロードする。恐る恐る開いて、文書を一ページ一ページ、丁寧に確認した。

 しばらく茫然と眺めていたあとで、持参したUSBメモリにコピーした。

 文書のタイトルは『禁術――原理と転用方法』。禁術とされている術の原理を一つ一つ解析し、技術だけを別の目的へ転用できるよう解説したレポートだ。A4サイズのレポート用紙で五百枚程度あるだろうか。数年前に史の許可を得て、二年がかりで椎名がまとめ上げたものだった。

 これがなぜ今頃出てきたのか、椎名にはさっぱり理解できない。てっきり昨夏の事件で母屋とともに消失したと思っていた。

 今コピーしたのは第一章だけだ。レポート用紙三十枚分。

 四宮史を名のってメールをよこした人物は、これを見て確認したら面会したいと言ってきた。面会―――会う、顔を合わせる。つまりは当主は生きていたのだろうか?

 遺体は確認されていない。

 天地を揺るがす圧倒的な霊圧、その後の本屋敷の消失。衝撃の連続で誰もそれどころではなかったというのが本音だ。

 瑞穂は磯貝家令と椎名とその他の幹部数名だけを集めて、史は鬼人に心を喰われて本家を鬼人に明け渡し、死んだと告げた。しかし史の死に(ざま)については言及しなかった。

 あの日は夜鴉一族も総力を挙げて本家を囲んでいた。

 異空間と化した夜鴉の闇の中で、実際に何があったのかは椎名は知らない。

 五百年の四宮の結界を崩壊させたのが瑞穂の言うように鬼人なのか、あるいは夜鴉なのか。椎名の霊力程度では人の所業ではない、としか判別できない。

 史が生きていたのだとすればなぜ本家に戻ってこないのだろう?

 人ではないモノになってしまったのか、それとも―――肉体を失った存在なのだろうか。もしそうであっても、父が生きていると知れば、瑞穂は何とかして救おうとするはずだ。

 しかしもしも、史と瑞穂が敵対する立場なのだとしたら?

 父と祖母を見限って、夜鴉と手打ちをしたという噂が真実なのだとしたら、史は瑞穂のいる本家に戻ってはこられないだろう。

 その時は自分は―――いったいどちらにつけばいいのか。

 椎名は十五で本家に入った。一回り年長の史は、椎名に限らず椎名と同年代の本家衆からは兄のように慕われていた。厳めしく近寄りがたい泉と違って、いつも穏やかで理性的な当主を誰もが尊敬し、頼りにしていた。

 霊能力者としてはレベル三程度しか能力のない椎名が、自分のレベル以上の術に挑んで失敗し、妻を失った時も、慰めてくれたのは史だけだ。泉からはなぜ助力を求めず、一人で助けようとしたのかと激しく叱責された。

「自分の妻だから自分の手でという気持ちは解らないでもない。しかし人命がかかっている時に冷静に能力を見極められないのは、能力者として致命的な欠点だ。」

 当然の非難ではあるが、その当時の椎名の絶望を後押しするには十分な言葉だった。

 妻のあとを追って死のうとした椎名を助け、生きる理由を与えてくれたのは史だ。

 能力の多寡ですべてが決まるとは思わない、使い方次第でもっと効果を上げられる方法を研究してみてはどうか。史は椎名にそう言った。

「あの場面で奥さんをどうしたら助けることができたか、その方法を探してみるのも供養の一つだろう。彼女も同じ能力者だったのだから、きっと喜んでくれるはずだよ。」

 それからずっと精進してきた。それが妻への罪滅ぼしであり、供養だと、また史への恩返しの道だと信じて。

 四宮本家への忠心は消えてはいないが、もしも史が生きているのならば―――今度は自分が助けになりたい。

 ネットカフェの狭いボックスで、椎名はメールの返信を待ちわびた。


 本屋敷の執務室へと向かいながら、要は瑞穂に何と説明すればいいものかと、混乱中の頭の中味を必死に整理していた。

「まず‥姫鏡の話から始めて‥。それから煕さまの話をする。最後が健吾さんの見つけたっていう怨霊召喚術の痕跡について‥。よし、その順だ。」

 いつのまにか本屋敷前の中庭に着いている。要を見つけて、犬小屋からメリーとリッキーが飛びだしてきた。

 ―――要さま、遊んで‥!

 リッキーの可愛い声が頭の中に響いた。

 本家に戻ってきてから急に、二匹の犬とおぼしき声がテレパシーみたいに感じ取れるようになっている。腕を失くしたせいで逆に要の霊力は高まっているようだった。

 そういうことはよくある、と教えてくれたのは椎名だった。

「体に大きな欠損が生じた場合、霊力は本能的に補おうとするらしいよ。古い記録を調べてみるとそういう事例はよく出てくる。今よりも生命の危険が高い時代などは特にね。要の能力はまだ未知数だと瑞穂さまも仰ってたから、腕を失くしたことでむしろいろいろな可能性が出てくるかもしれないね。」

 彼はいつもの物静かな声でそう慰めてくれた。要の最も尊敬する先輩だ。

 本屋敷から洩れる灯りを横目で見ながら、二匹の犬の首を抱えて撫でてやった。

「メリー。瑞穂さまはまだ執務室かな?」

 ―――そうみたいよ。お嬢さまは帰る時必ず、ワタシたちに挨拶してくださるけど、今夜はまだだわ。

 要は苦笑気味にうなずき、瑞穂がメリーなんてつけるからオネエ言葉になっちゃった、と内心で溜息をついた。ちなみにメリーに確認したところ、気持ちは立派な牡犬(おとこ)だそうだ。

「じゃあ、いい子で小屋にいなさい。何度も言うけど、ヘンな気配がしたらすぐ知らせてくれよ?」

 二匹の犬ははあい、と返事をして尻尾を振り振り、小屋に戻っていった。

 すると瑞穂の声がした。

「要くん? 何か用だった? ‥磯貝なら執務室の戸締まりしてくれてるけど。」

 振り向くと帰り支度の瑞穂が立っている。

「あ‥お嬢さま‥。実はですね、驚くことがあって‥。何から話せばいいやら、その‥。とにかく‥‥たいへんなんです。」

 不意を突かれて慌てすぎたので、先ほど整理したはずの話がふっとんでしまった。何を言ってるのか自分でも解らない。

 すると瑞穂の背後から兄の忍が顔を出して、眉をひそめた。

「要‥。子どもじゃないんだから、もっと要領よく話せ。お嬢さまはお疲れなんだよ。急ぎじゃないなら明日にしなさい。」

 それは困る、と言いかけて瑞穂を見ると、確かに心なしか顔色がすぐれないようだ。

 しかし瑞穂は忍を制して、本屋敷のほうへ向きを戻した。

「執務室で聞くわ。たいへんなのよね?」

「‥‥たいへんなんです。」

 真面目にそう答えると、瑞穂はくすりと笑い、中へ入った。うなだれた要が続こうとする前に、忍が割りこんで先に戻る。奥では祖父の訝しげな声がしている。やれやれ、と要は吐息をついた。


 健吾が本家にいた事実を伏せて姫鏡の姉の話をするには、少しばかり話を変えなければならなかった。瑞穂と二人きりならざっくばらんに健吾がいたと話してもよかったのだが、祖父に加えて忍兄までいるのでは話が面倒になるからだ。

 そこで要は健吾が姫鏡の姉に遭遇した話を、自分の話に置き換えた。おかげで今まで忘れているなどとは暢気にもほどがある、と祖父と兄に叱責されるはめになった。

 瑞穂はそれよりも姫鏡の姉が主人を探していたという事実に首をかしげた。

「‥‥その妹姫鏡の本体を今持ってる?」

「あ、はい‥。一応本人もここにいます。紅蓮に訊きたいことがあるとかで‥。」

 急いで懐から朱塗りのきれいな手鏡を出し、瑞穂に手渡した。

「ふうん‥。ではこの子のお姉さんは、これとそっくりで黒漆塗りなのね?」

「そうみたいです。」

 瑞穂は掌の上でひっくり返し、じっくりと見ていた。姫鏡の精霊はその様子を固唾をのんで見守っている。

「ええと‥。もしかして背中に金文字で名前が刻まれていなかった? 『宵闇(よいやみ)』って。」

 姫鏡は体じゅうを震わせ、袖を振りしぼって涙をこぼしながら、何度も何度も大きくうなずいた。

「そうです‥。姉は『宵闇(しようあん)』、わたしは『暁闇(ぎようあん)』。これが初めからの名なのです。」

「うなずいてます‥。『しょうあん』って読むそうですよ。ちなみにこの子は暁闇(ぎようあん)、暁の闇って書くそうです。」

 要がその様子を伝えると、瑞穂はやっぱり、とうつむいた。

「その鏡なら‥母が持っていたわ。精霊がいるとまでは知らなかったけど‥。本家に来てすぐ、お父さまにいただいたと仰ってた。」

「初穂さまの物でしたか‥。」

 祖父が重々しく言った。

「お母さまの持ち物は一部、厨房にも禊ぎ場にも残っていたけれど‥。その中にあったかどうか記憶にないわ。でもきっとあったのでしょうね。かわいそうなことをしてしまったわね‥。」

 瑞穂はそう言うと、姫鏡のほうへ顔を向けた。肩にはいつのまにか悄然とした紅蓮が乗っている。

「ごめんね‥。どうやら先日滅した鏡は、あなたのお姉さんみたい。どうか紅蓮を恨まないで、必ず犯人を捕まえて仇を取るから‥。」

 姫鏡はしくしく泣きながら、首を振った。

「恨むつもりはないけれど、今は悲しいだけだと言ってます。」

 そう付け加えて、要は召喚術の痕が二箇所、という情報を思い出した。これは明日でもいいか、と考え直す。先にメリーとリッキーを使って場所を調べておいてから報告したほうがいい。

 そして要はいよいよ肝心な話を切り出した。四宮 (ひかる)と名のる、人ではない人のことだ。

 さすがの瑞穂も驚いて、しばらく言葉が出ないようだった。

 しばらくして、ひと言ひと言噛みしめるように言った。

「‥五百年前の、ご先祖だというのね? 初代四宮燁子の双子の弟‥。家系図には煕というお名前はなかったと思うけど‥。それでその方は結界が綻ぶ時に目覚めることになっていたというわけ?」

「そう仰っています。‥‥あのう、お嬢さま。明日にでもお会いになってくださいませんか? 本屋敷の結界が消えた件について詳細を知りたい、とかで‥。でなければそれ以上は話せないそうなんです。」

「会うって‥。あたしにも見えるお方なの?」

「はい、たぶん‥。人の目につくとやっかいだから蔵にこもっている、と仰ってましたから、霊力に関わりなく普通の人にも見えちゃうみたいです。」

「解った。今から蔵に行きましょう、要くん、案内して。まずはあたしだけでお会いしてみる。磯貝と忍くんはもう引き取ってもらっていいわ。この件については、解ってると思うけど当分口外無用。」

 はい、と当然の顔で祖父はうなずく。だが忍は少しためらってからこう訊ねた。

「あの‥お嬢さま。わたしも立ち会ってはいけませんか?」

「‥立ち会いたい? なぜ?」

「わたしは普段、要の見えているモノが見えません。そのお方がわたしのような霊力のない者にも見えるお方だというのならば‥ぜひお会いしたいのです。無礼を承知で言えば、一応わたしにもご先祖さまに当たるわけですし‥。決してお邪魔はしませんから、どうかお願いします、お嬢さま。」

 ふうん、と瑞穂は忍の顔をしばらく見ていた。

 そして冴え冴えとした視線を忍と要の両方に向け、許可する、とうなずいた。


 蔵での会見は深夜にまで及んだ。

 四宮煕は察知していたらしく、ほのかに光った姿で長持の上に寝そべって待っていた。瑞穂を見ると起き上がって座りなおし、にっこりと微笑む。

「なるほど‥。確かに当主どのだ。面差しといい強い意志といい、わが姉によく似ている。何よりその霊力。四宮の正統を継ぐ、破邪の力だ。‥肩に乗せているのは龍笛か?」

 瑞穂は丁寧な挨拶を返し、早速話を訊きたいと切りだした。

 すると煕はその前に大結界が消えた事情を話せと迫った。自分が目覚めたのが間違いではないかどうかを見極めなければ、話はできないのだと言う。

 瑞穂は淡々と昨夏の事件について要点だけを説明した。

 要は初めて聞く話に驚きの連続だった。特に瑞穂でさえ当時は未熟で、闘う現場に立ち会えなかったという事実には、衝撃だけでなく恐怖さえ覚えた。鬼人とはそれほど怖ろしいものなのか?

 四宮煕にとっても予想外の敵だったようで、腕を組んでまじまじと瑞穂を見返した。

「白鬼とな? それはまた‥。よく四宮の結界と本屋敷だけですんだものだ。いったいどうやって退散せしめた?」

「現場に居合わせた従姉の話では、神威を借りたそうです。月神の神力を呼びこんで、鬼人界へ送り返したとか‥。」

「ほう。気の利いた者がいたものだな。神官か?」

「いえ。ごく普通の人ですが、月神のご加護とご寵愛を受けておられる人です。」

 瑞穂は心なしか少しはにかんだ口調で答えた。

「なるほど‥。夜鴉一族と共闘とは、姉が聞いたら墓の中でひっくり返るだろうが、それもやむなしであろうよ。鬼人は赤いのも青いのも半端なく強いが、鬼人の王たる白鬼が人間界に現れたなど聞いたことがない。まして黒鬼だなどと‥。」

 煕は感心しきったように首を振り、瑞穂に向き直った。

「そしてそなたはこの一年で龍笛を使いこなせるようになり、更に結界を張り直したのだな? ‥よくやった、と心底褒めたいが、この結界には核となるモノが欠けている。」

「核、ですか‥。」

「ま、そのためにわたしがいたのだが‥。どうも眠りすぎたようだ。なかなかちょうどうまい具合にはいかないものだよ。」

 苦笑して、顎を撫でている。

「そのためにとは‥。煕さまは後世のわたしたちに助言を与えてくださるため、五百年もの間眠っていらっしゃったのですか‥?」

「いや。わたしはね‥。実は本家当主の座を賭けた争いで姉に負けたんだよ。おかげで結界の守り人として封じられるはめになった。結界の核はわたしの霊力を封じた護身刀だ。わたしの魂は文書に残像だけ遺された。今ここにいるのは、その残像だよ。」

 ぎょっとするような残酷な話をさらりと言ってのけた煕は、そのまま要と忍に視線を向けた。

「ついでに言えば結界の核は、四宮の血を引く男子の霊力を生まれる前に吸い取って力を保つ仕組みになっている。だから四宮の正統を継ぐ霊力は代々、本家直系の女にしか授からない。すべては五百年前、わたしが姉に敗北したせいだ。すまないな。」

「はあ‥‥」

 謝られてもよく理解できない。では要の能力はどこから来たのか。それから六十余年前に破門されたという分家の男の霊力は?

「五百年もあれば余所(よそ)からいろいろな血も混じってくるものだよ。まあ、所詮は人が姑息にやる業だ、完璧ではないに決まっている。‥‥さて当面の問題は。わたしの刀の所在を探すことだな。先日この蔵に禍々しいモノが現れて人を襲っていたので、つい破邪を発動してしまったが‥。わたしが力を使えたということは刀はどこかにまだ存在しているということだ。そなたたちの話から察するに、あれは今年の春だろうから。」

「どういう意味でしょうか?」

「禍々しいモノとは、真宮寺一族の遣う呪い人形だったのだよ。それも(なつめ)という性根の曲がった女が作った、最強で最悪のモノだ。よく五百年も遺っていたものだと思うよ。‥ともあれそなたたちが真宮寺に襲われたのは今年の春であろう?」

「はい。では真宮寺森彦を浄化したのは煕さまでしたか‥。」

「あの男は真宮寺一族だったのか‥? それは知らなかった。魂の邪な部分を喰われたら、数珠玉一つ分くらいしか残らなかったよ。しかし真宮寺一族がなぜ呪い人形と自分で契約したのだろうな‥? あれは他人を破滅させるために使うモノなのに。」

 瑞穂は身を乗りだした。

「どうか詳しくお聞かせください。真宮寺の傀儡の術は禁術として封印されて久しく、わたしはよく知らないのです。資料は盗まれたのか母屋とともに消失したのか、それさえも不明な状態で‥。呪い人形とは何ですか?」

「あれか‥。ふむ、やっかいな代物だよ。傀儡の術はそもそも人が人形を己の霊力で操るものだが、呪い人形は人形に宿った怨念が人を操るのだ。」

 四宮煕は溜息をついて、肩を竦めた。

「人形は似たような邪念を持った人間に近づき、呪いたい相手を斃すための妖力と術を与える代わりに斃した相手の魂をよこせと契約を持ちかける。ゆえに契約した者が呪うた相手に敗れた場合は、当然ながら自分の魂を喰わせなければならぬのだ。過日(かじつ)の男はちょうど喰われるところであったな。」

 瑞穂の眉がぴくりと動いた。

 真宮寺森彦が呪った相手とは瑞穂だろう。そう思うと要は思わず右手に力が入る。

「だが棗の人形が欲しているのは、初めから自分と同じ邪念を持つ呪者自身の魂なのだよ。呪い人形は元来が傀儡の技。呪者は分を超えた妖力を手にしたつもりで、実は人形に操られて破滅の一途をたどる。そうして魂を喰らい続けて、棗はやがて自分を復活させるつもりなのだ。嫌な代物であろう?」

 切れ長の瞳に冷笑を浮かべて、煕は再び顎を撫でた。

「術を施した真宮寺棗はもとはわたしの許婚だったのだけどね。嫉妬深くてしつこい女だったので逃げだしたら、生涯四宮を呪ってやると言い出して‥。死んだ後まで祟るとは、どこまで業が深いやら‥。」

 それはつまりあなたのせいってことでは、と要は喉まで出かかった。

「先日蔵の床に落ちていた、焼け焦げた人形がそれですか‥?」

「あれは傀儡だ。棗の呪い人形の一部だよ。本体はこの世のどこかにあって、恐らく哀れな人や人形をくるくると操ってほくそ笑んでいるのだろうよ。」

 煕は瑞穂を試すかのようにじっと見つめた。

「つまり‥ご苦労だが現状のそなたは、わたしの刀を探さねばならぬ一方で、棗の人形をも見いだし、滅さなければならぬわけだな‥。」

 瑞穂は静かに見返す。

「刀が万が一、見つからなかった場合、代わりのモノを据えなければならないと思うのですが‥。結界の核となるモノの条件は何でしょうか。」

「往時のわたしに匹敵するほどの霊力、それも破邪の気が強いモノ。そなたを凌駕するほどの霊力を持ち、四宮の破邪の資質を持つ。そのような者がいれば、その者を刀剣または鏡などに封じこめて作ればいいのだが‥。」

 煕は冷ややかな微笑を浮かべた。

「はてさて‥。そなたに人を封じる覚悟があるのかな?」


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