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第二章

 六月十五日付で警視庁刑事部特殊能力捜査課に出向、転属が決まった桂崎(かつらざき)真実(まなみ)は、うんざりしながら課長だという男の訓示を聞いていた。

 真実は三十才。大学を出て警察官僚になった。階級は現在警視、いわゆるキャリア組と呼ばれる一人だが―――目の前の課長みたいにキャリア臭をプンプンさせている連中とは気が合ったためしがない。

 本来の所属は警察庁刑事局捜査一課。昨年十月に出向が決まってから、一応FBIに半年の研修に行き、超能力捜査官というものの実態と可能性と限界をざくっと見てきたつもりだ。(てい)の良い左遷と頭では理解していたけれど、別にどうでもよかった。新しいアプローチ方法で現場に携われる、それだけで十分だった。

 課長とやらはまだ自分が左遷されたのには気づいていないようで、ものすごく意義のある重要なプロジェクトを任されていると信じているらしい。熱弁をふるって、真実を含めたわずか六人の部下に(げき)を飛ばしている。お蔵入りしかけた難事件を我々の手で真実へと導くのだ、と青春ドラマみたいなセリフを五十がらみのオッサンのくせに滔々(とうとう)と()いている。アホらしくて聞いていられない、と真実は苛々した。

 警察の仕事は真実を突きとめることでも、ましてや正義をふりかざすことでもない。起きた事件にどう始末をつけるか、警察という官機構はそのために存在している。

 真実だの正義だのは人の数だけあるものだ。そんな曖昧な感傷に引きずられていたら、何一つ解決できないだろう。

 長々しい訓示がやっと終わって、真実は新たに自分のデスクとなった場所へ向かった。

 机上には薄っぺらいファイルが一つぽつんと置かれ、『お願いします』とだけ書かれた付箋紙が張られていた。

「これ‥何かな?」

 隣席のチャラっぽい男に訊いてみると、彼はああ、と笑った。

「新聞とかで騒がれてるでしょ。四宮三姉妹を狙ったテロ事件のファイルですよ。四宮に関わる事件は、全部桂崎さんの担当にするって決まってるそうじゃないですか?」

「‥あなたが置いたの?」

「ええ。課長の指示で。」

 ふうん、とファイルをぺらぺらめくりながら、真実は警察庁の上司の顔を思い浮かべた。小橋(こはし)一也(かずや)という審議官だ。

 ―――確か小橋審議官は今日、四宮本家の儀式に立ち会うとか言ってたっけ。

 四宮本家がどういう存在かは、警察庁の内部ファイルで読んだ。近代史の始まる前からの存在だそうだ。

 小橋は昨年急死した先代当主の四宮史(ふひと)とは仲が良かったと吹聴していたが、今日正式な第二十八代当主に就くという四宮瑞穂のことは小娘に何ができる、と頭から馬鹿にしている様子だった。確かに十七歳の当主とは若すぎる。

「だけどねえ‥。父親と仲が良かったなら、普通はもっと応援するもんでしょ? 健気(けなげ)な女子高生をさ。」

 なのに小橋はこれを機に、四宮本家に任せてきた役割を奪い取るつもりらしい。よほどの利権が絡んでいるのだろうと真実は睨んでいる。

「ねえ‥ええと‥?」

 隣へ目を遣って胸にぶら下がったネームプレートをのぞきこむ。

「あ。磯貝です。磯貝(いそがい)(まこと)。二十七歳、独身です。よろしく、桂崎さん。」

 茶髪に眼鏡、高そうな麻のジャケット。警察官らしくない風貌の痩身の男は、愛想よく笑顔を向けた。しかし眼鏡の奥の瞳は冷徹にこちらを値踏みしているように見える。

「磯貝くんね。よろしく。で、あなたは何の能力があるの?」

「ショボいんですけど‥。念動力、サイコキネシスですよ。正直、捜査の役に立つとは思えないんですけどね、なぜか配属されちゃいました。」

 真実は微笑を返した。

「同じね。わたしの感応力(テレパシー)も全然遣えないレベル。よく認定されたもんだと思うわ。‥それであなたは何の事件を担当してるの?」

「やっぱり春先に起きた、資産家誘拐未遂事件です。桐原義人って爺さんが病院から拉致られて、養子縁組を強要されたって事件。容疑者の桐原森彦は、他にも性的暴行の目的で六人の女性を拉致してます。女性たちの行方を探していた探偵事務所の調査員からの通報で一時は被疑者を確保したんですが‥‥。逃げられちゃいましてね。現在行方不明です。」

「何だか普通の事件に聞こえるけど、なぜここへ回ってきたの?」

 磯貝はにこっと微笑んで、これですよ、と読んでいたページのある行を指さした。

 そこには『自分の意志とは関係なく、体が勝手に動いて喋ってしまう』とあった。

「何‥これ? 催眠術か何か?」

「どうでしょう? ‥六人のうち四人は同じネット上のオカルト系サークルに所属してたんですけどね、お互い面識はないんですよ。でも口を揃えて同じ話をするんです。自分は人形の中から、自分の体が勝手に動いて喋るのを見ているしかなかった、とね。」

「‥‥それ。どこかで同じような証言を読んだわね‥。」

 真実は自分の手元のファイルをもう一度めくり直した。

「これよ‥。ファミレスから無事救出された人たちの証言。『勝手に口が動いて、助けてくれた人を犯人だと喋ってしまった』って‥。似てる気がしない?」

「そうですねえ‥。日付はこっちが三日前ですか。もしかしてここで逃がしたせいですかね、そっちの爆発事件は?」

 眼鏡をずり上げて、磯貝は冷静な口調で言った。

 ―――なるほどね。とっくに関連性に気づいてたってことか。

 真実は忍び笑いをのみこんで、磯貝に言った。

「ね。共同捜査ってことで一緒に組まない?」

「でも‥。四宮本家に関する事件は警察庁管轄だとかで、桂崎さん以外は‥‥」

「構うこたないわよ。叱られたら始末書書けばすむんだから。第一、こんな小さな課内で線引きなんて不合理じゃない?」

「はあ‥。まあ、警視どののご命令ならば‥。」

「命令じゃなくてお願い。始末書を書く時は一緒に書くのよ。」

 磯貝は苦笑いを浮かべて、しぶしぶうなずいた。


 『懐古堂』前の路地で、茉莉花は大規模な霊力の波動を感知して空を見上げていた。四宮本家の方角で、早朝からずっと動いている。

「結界が戻るのかしら‥?」

 そろそろ儀式は終了間近のようだ。四門の結界が本家の高鳴りに呼応して、凄まじいエネルギーが東京中に満ちあふれている。まもなく天蓋(てんがい)が完成して、東京を大結界が覆うことになるだろう。

 つと上空に目を遣った。

 すっと目の前に下りたったのは若頭領だ。珍しく人形(ひとがた)を取って、妖力を抑えている。

「若さま‥。どうなすったのですか? 先触れがありませんでしたけど‥。」

「なに、用があるわけじゃないのさ。おまえが店の外にいるのが見えたから、顔を見に下りただけだ。‥‥四宮の結界を案じているのかえ?」

「はい‥‥。無事に戻ればいいのですけど‥。」

 若頭領はふふっと微笑った。

「まあ‥元どおりとはいかねェな。核になるモノが感じられないってこたァ‥長続きはしないだろうよ。」

「核‥ですか。」

「そうだ。結界の本体だよ。」

 茉莉花は心配そうに四宮本家の方角を向いた。

「やはり‥‥本屋敷とともに消失してしまったんでしょうか‥?」

「さあてな‥? 四宮泉は誰にも教えていなかったのか‥。それとも当主にさえ伝わっていなかったのか‥。俺には解らねェよ。」

 それから若頭領はちらりと店のほうを見やって、にやりと笑った。

「おまえは‥心を決めたのかえ?」

 何を、と問いかけて気づいた。つい頬が熱くなって、うつむいた。

「‥わたしのほうは決まっています。この先も人でありたいと思いますので。」

「そうかい? だがあの男に惚れてるわけじゃないのだろう?」

 くらくらするような妖艶な瞳を向けられて、茉莉花は胸が騒いだ。妖力のせいだと解っているけれども、茉莉花の結界を抜けて体の中心にじんじん響いてくる。

「‥‥お(たわむ)れはおやめください。心を決めたと‥申し上げました。」

「前世の絆かえ? 約束を思い出したとかあいつは言ってたが‥それが理由かい?」

 茉莉花は微かに鈴を鳴らして息を調えながら、いえ、と首を振った。

「それもありますけど‥それだけではありません。どちらかと言えば‥前世のではなくて現在のわたしが‥‥」

 そこで茉莉花ははっとして口を噤んだ。

 言葉に出せば―――また呪いになってしまう。

「若さま‥。妖力を遣うのはおやめください。言葉にしたくないことを喋ってしまいそうだったじゃありませんか。」

 少々腹が立って、茉莉花はぐっと若頭領を見据えた。

 くくく、と面白そうに笑って、若頭領は吸いこまれてしまいそうな漆黒の瞳で茉莉花を見返した。

「あの男に伝えなよ。前世の約束だけならそのうち俺が力ずくで攫っていくぜ、とな。」

「ち‥力ずくって‥。そんなお方とは思いませんでした。」

「そんなに睨むなよ。今すぐ攫いたくなるじゃあねェかい? ‥ふふ、ははは。」

 若頭領はゆったりと振り返って、ほう、と眼を細めた。

「四宮の結界が完成したらしいな‥。はてさて‥人の世はこれからどう動くやら? 俺ァ高みの見物と決めこませてもらおうか。」

「‥‥何のお話ですか?」

「考えりゃすぐ解る話だよ。‥じゃあな。またおまえに逢いにくるぜ。」

 もう来なくていい、と言いかけて、茉莉花は訊きたいことがあったのを思いだした。

「お待ちくださいまし、若さま。いつぞやお約束した‥黒鬼(こつき)の件ですが。まだお教えくださいませんか?」

「‥‥あれか。」

「咲乃さんは‥待ち続けていますけれど‥。可能性はございますか?」

「さすがの俺も鬼人界の様子までは知れねェ。だが‥まだ目はあると思う。咲乃姫の霊気が安定してるからな‥。」

 腕組みをして、深刻な表情でこちらへ向き直る。

「どう転んでもおかしくない気だ。今のところ言えるのはそれだけだがね‥。」

 そう言うと若頭領は再び妖艶な微笑を浮かべて、ばさりと翼を翻し上空へと消えた。


 茉莉花は残されて茫然と、若頭領の言葉を考えていた。どう転んでも、とはどういう意味だろう? 何がいったい転ぶのか、茉莉花には皆目(かいもく)見当もつかない。

 考えごとをしながら店の中へ戻ると、(かまち)に腰掛けて黒達磨と玲が将棋を指していた。

 部屋の中から将棋盤をのぞきこんでいた健吾が、茉莉花を見て心配そうに、どうですか、と訊ねた。

「四宮の結界はうまくいったみたい。東京中が大きな力で制御されているのを感じるわ。心配要らないみたいよ、健吾さん。」

「よかった‥。」

 健吾は花穂を案じていたのか、朝からずっと落ち着かなかった。いかにも安心したように、大きく息をついて微笑む。

「物の怪の健吾どのには、四宮の結界はやっかいなモノでやんしょう? なのによかった、ですかい?」

 黒達磨が振り返ってくすくす笑った。

「まあ‥そうなんだけど‥。」

 健吾は少しだけ赤くなる。茉莉花はほんのり微笑んだ。

 黒達磨はすっと立ち上がって、お茶を煎れに台所へ向かった。

「達磨のおじさん、お茶ならわたしが煎れるから‥。将棋の途中でしょ?」

 茉莉花が急いで上に上がると、玲が引き留めた。

「大丈夫、勝負はついたから。今日は俺の負け。」

 そして下を向いて駒を片づけ始めた。

「今さ‥。外で若さまと会ってた?」

「よく解ったわね。桜に聞いたの?」

 お膳を拭きながら答えると、玲は微妙な表情を浮かべた。

「‥‥声が聞こえた。たぶん俺だけに。」

「え?」

 若頭領の仕業(しわざ)だと思い当たって、茉莉花はうんざりする。まったく困った妖し(ひと)だ。

「何か‥気になる言葉があった?」

「そりゃね、いろいろと‥。でもいちばん気になったのは、人の世の動向に高みの見物だって言ってたことかな。」

 玲は少しだけ躊躇したがすぐに、鳥島と話したという警察の四宮潰し疑惑について茉莉花に説明してくれた。

「‥そういうことなのね。仕方がないわ、これは本家の試練なんでしょう。瑞穂さんたちが自分ではねのけなければならないこと‥。けれど試練を超えるたびに、結界は強化されるはずだから。」

 茉莉花は半分は自分へも言ってきかせるつもりで、そう答えた。余計な干渉は結果として彼女たちのためにはならない。

 健吾は不安げに茉莉花と玲の顔を見ていた。

 彼としては花穂の安寧(あんねい)が何よりなのだから、心配なのだろう。

「大丈夫よ。人の世が四宮本家を必要としている限り、揺らぐことはないから。でもそういう動きがあるという話は、今度花穂さんに会ったら伝えておいてね。」

 茉莉花の言葉に健吾はやっと少しだけ安心したようで、はい、と微笑んだ。

「ところで‥あの。お願いがあるのだけど。」

 花見以来、一応名前で呼んではいるものの、どうも気恥ずかしいのでなるべく呼ばずにすましている。

「何?」

 お茶をすすりながら玲は目を上げた。

「あのね‥。ノワールを当分の間、咲乃さんにつけてあげてもらえないかしら?」

 ノワールはもともと咲乃の母の飼い猫だった物の怪だ。咲乃にも懐いている。

「構わないけど‥なぜ? 寂しそうだから?」

 ええ、とうなずいて茉莉花は目を伏せた。

「でもそれだけじゃないの‥。四宮本家を狙う人たちがいるみたいだから、まきこまれないようにと思って‥。咲乃さんはちゃんと感知していてもその意味が解らないので、人間相手だととっても無防備なのよ。この間もね‥‥」

 そう言って先日一緒に買い物に出かけた時の話を茉莉花はした。

 ちょっと茉莉花が離れた隙に怪しげな女が近づいてきていて、道を尋ねるふりをしてどこかへ連れていこうとしていたのだった。咲乃はその女に嫌な感じを抱いたものの、振り切れずに困っていたようで、そこへちょうど茉莉花が戻ってきて追い払ったのだけれど。

「その女性ね‥。ちょっとした能力者だったの。新興宗教の勧誘が目的のようだったわ。咲乃さんには一応、常に結界で身を包んでいるよう伝えたけれど‥。」

「ふうん。でもノワールにはまだ、桜みたいな力はないようだけど?」

「あの子には『懐古堂』の護鈴(ごりん)がついているでしょ。何かあればわたしに直接危険を知らせられるし、最近は言葉もずいぶんしっかりしてきたから、咲乃さんに直接警告も出せると思うの。どうかしら‥?」

 玲はいいよ、とうなずいた。

「なら早いほうがいいね。‥桜、ノワールはどこ?」

「はい。お外で縞猫さんと遊んでおります。すぐに呼んでまいりましょう。」

 やってきたノワールは、単独の仕事を命じられたのが嬉しくてたまらないようだった。

「ご主人しゃま。必ず咲乃しゃまをお守りいたします。見ててください。」

 はりきってそう答えると、すっと姿を消した。

 玲はくすぐったそうな顔で頬笑んだ。

「何だか感激しちゃうな‥。ノワール、あんなに小さかったのにね、桜。」

「はい。まだまだですけれど、多少のお役に立つほどには育ちました。先輩として桜も嬉しいです。」

 誇らしげな桜の顔を見て、玲はもう一度頬笑む。

 茉莉花は仄かに微笑を誘われながらも、咲乃の状況を考えて顔を曇らせた。


 当の咲乃は大学にいたが、早朝からの地鳴りが続くような感覚がやっと落ち着いたので、ほっとしていた。

 何が行われているかは、瑞穂から連絡をもらっていたので一応知っている。ただその意味がちゃんと理解できているかどうかと言えば、全然自信がなかった。

 瑞穂からの連絡には、咲乃の霊力は大きすぎるから儀式の間は抑えておいてくれとあった。だが咲乃はどうすればいいのか解らなくて、茉莉花に教わりにいったくらいだ。茉莉花はいつもどおりの真面目な顔で、咲乃の場合は感情と連動するから気持ちを静かに保てばよいと教えてくれた。

 ふと何かが動いた気がした。

 肩にかけたバッグを見ると、外ポケットからはみ出ている携帯のストラップが一つ増えている。(てのひら)サイズのふわふわの黒猫だ。黒猫は咲乃の視線ににこっと笑った。

「もしかして‥ノワール?」

 嬉しげに黒猫は大きくうなずいた。咲乃に認知してもらえたがとても嬉しいらしい。すとん、と身を翻して一般人には見えない姿で肩に乗ると、ご主人さまの命令です、とあどけない口調で伝えた。

「堂上さんの‥?」

「姫しゃまもです。咲乃お嬢さまに悪意のある人間を寄せつけないようにって‥。ぼく、頑張りましゅ。」

 緊張すると時々片言に戻るくせはまだ抜けないらしい。

 咲乃は頭をそっと撫でて、よろしくね、と微笑んだ。

 ノワールは咲乃の手に頭をすりつけてニャアと啼くと、再びストラップに戻った。

 再び歩き始めながら、咲乃は何となく心が満たされる感じがした。心配されてばかりいる自分は情けないけれど、心配してくれる友人がいるのは心強い。

 咲乃はさっそく、茉莉花に『ありがとう』とメールを送った。


 磯貝(いそがい)(かなめ)は昼食会の本家家人の末席でかしこまっていた。

 さすがに百人近い霊能力者が一堂に会する場に臨席していると、全身が緊張でびりびりする。座敷じゅうを見渡しても、霊力を持たない一般人は、進行を務める家令の磯貝と北家当主で要の父四宮 一朗(いちろう)、あとは警察庁から立会人として出席している小橋審議官だけだ。小橋に従って来ている青山(あおやま)芳明(よしあき)参事官は、もとは四宮傘下の能力者だったとかで、多少は霊力を有しているらしかった。

 不意に静寂が場を満たした。

 磯貝家令の(おごそ)かな声でいっせいにみなが注目する中を、髪を高い位置で結んだ真紅の振袖姿の瑞穂が堂々と入ってきた。

 瑞穂の肩のあたりに寄り添っていた龍笛(りゆうてき)の精霊 紅蓮(ぐれん)は、入ってくるなり風を起こし、部屋じゅうを優美に舞い踊り始めた。今まで座敷に満ちていたてんでんばらばらの霊気がすうっと落ち着いて、瞬く間に紅蓮が放つ清涼で力強い霊気で統一されていく。

 張ったばかりの結界と呼応して、瑞穂の力はまたいっそう強くなったようだ、と要は感嘆の想いであたりを眺めた。

 ふと気づいたのは反応がまちまちだったことだ。

 分家筆頭の席にいる東家(とうげ)の新当主四宮 香苗(かなえ)西家(さいけ)から本家顧問に就いた四宮 淑乃(よしの)などは瑞穂の霊力で統一された空気で、見て解るほど晴れ晴れとした表情になった。

 現に本家敷地内に引っ越してきてから、淑乃は病がちだった体が健康になりつつあるそうだ。四宮の本道を継承する瑞穂の力は、四宮の女たちにはすこぶる肌の合うものらしい。

 それに比べて外部の能力者にとっては、合う合わないは個人によるらしく、半数近くが戸惑った顔をしている。中には一人二人、気分が悪そうに青ざめている者もいた。

 瑞穂は凛とした声で、伝統に(のっと)り本屋敷内に設けられた儀式の場にて成人の儀を滞りなく終えたことを報告し、ごく簡潔に、たった今より第二十八代四宮本家当主に就任する、と宣言した。自分で就任宣言するとは―――異例中の異例だ。

 だが少しだけざわめいたものの、誰も大きな声では異議を差しはさまなかった。

 何と言っても能力者の集まりである。瑞穂の圧倒的な力、及び両脇に控える花穂と早穂を加えた本家の揺るぎない結束と強固な意志の力の前には、声さえ満足に出せなかったというのが現実だ。しかもたった今東京じゅうに張り直された大結界の中心で、結界の主たる瑞穂に物を言うなどできるはずもなかった。

 瑞穂はきりりとした視線を余すところなく全員に振り向けると、昂然(こうぜん)と微笑み、ゆったりと腰を下ろした。


 昼食会は何ごとも起こらず、表面上は和やかに進行した。

 要が裏にこっそり呼ばれたのはほとんど終了間際のころである。上席の椎名(しいな)(さとる)が要に廊下へ出るよう目配せした。

「何か‥?」

「‥‥北の方角で何やら光っているモノがあるそうだ。瑞穂さまが紅蓮を連れて見てきてほしいと仰ってる。」

 二つ返事でうなずくと、要は紅蓮とついでに最近使役獣にしたばかりの二匹の犬を連れて敷地内の北方へと向かった。

「メリー、リッキー。ついておいで。」

 もちろん使役印をつけたのは瑞穂である。要が自分で印を記せるようになるには、最低でもこの先三年はかかるだろう。

 当然、犬の名前も瑞穂がひらめきでつけた。花穂に爆笑されるまでもなく、要だって(おす)(いぬ)にメリーはないだろうと思ったのだが、瑞穂が言うにはどちらの名前も自己申告なのだそうだ。とにもかくにもメリーとリッキーは要の預かりとなり、瑞穂から要を主人代理として仕えろと言われているから律儀に言うことを聞く。

「そのうち人語(じんご)を話せるようになるから。しっかり育ててね。」

 今だって表情は普通の犬より豊かで、人間みたいな顔をする時があるくらいだ。人語を喋るようになったらものすごく可愛いだろう。そう思うとわくわくする。

 妖しげな黒い光が細く立ち上っているのは、北の方角というよりも敷地の東北―――鬼門の位置だった。

「あれは‥ずっと昔に見たんだけど‥。何だったかな?」

 紅蓮は可愛い眉をしかめて、考えこんだ。

 近づいてみると、地面に青白く何かの陣が描かれている。光はその中心から立ちのぼっていた。

「ねえ‥紅蓮。これってさ、ものすごーくヤバい気がするのは‥気のせい?」

「そうねえ‥。ここ、鬼門でしょ? 確か、何かを封印したんじゃなかったかな‥? 二百年くらい前に。」

 紅蓮はにこっと微笑んで、要を振り返った。

「何かって‥何だよ?」

「うーん。強力な妖し‥?」

「へ? ‥‥妖し?」

「うん。鬼門の守護にできるくらいだもん、鬼とも対等に闘えるくらいの妖しじゃないとね?」

 要は青くなった。

「ちょっと待て。つまりこれってさ‥封印が解けちゃいそうだったりするんじゃ‥?」

 紅蓮はまじまじと地面に浮き上がった陣を見た。

「そんな感じかなぁ。瑞穂姫さまがいないと、あたしにも手が負えないかもね。‥姫さまを呼んでこようか?」

「‥‥特急でお呼びしなさい!」

 紅蓮は肩を竦めてぴゅっと消えた。

 邪気の臭いがますます強くなる。要は二匹の犬を遠くへ退がらせてから、自分も離れようとしてふと、陣の中心に貼りついた呪符を見つけた。

 半分ほどが焦げついたその札は、よく見ると新しいものだった。とても二百年前の札には見えない。どこかで見た印だと顔を近づけた時、呻くような声が地面の下から聞こえた。

 ―――苦しい‥。出たい‥。

 背筋がぞっとした。犬だったら全身の毛が逆立っているだろう。

 とても要の手に負えるレベルではないのは瞬時に悟った。だが一歩跳び退いた時には既に遅く、陣が破裂してすさまじい妖気の柱が上空へまっすぐ突き立った。

 要は弾きとばされて、大きく後方へふっとんだ。

 二匹の犬が尻尾を巻いてぶるぶる震えながらも、とっさに体を受けとめてくれた。おかげで頭を打たないですんだけれどとても動ける状態ではない。妖気に引っかけられた左腕は肘から先が潰れて血だらけだったし、感覚がなくて痛みすら感じなかった。(したた)かに打った腰はすぐには立てそうもなく、足も挫いたようだ。

「メリー‥リッキー‥。俺はいいから‥早く‥お嬢さまのところへ逃げろ‥。」

 メリーの真っ白な毛は逆立って、必死で要をかばおうと立ちはだかっている。それよりいくらか小さい茶色のリッキーは一生懸命要の服をくわえて引っぱろうとしていた。

「お嬢さまの‥もとへ戻れ‥。命令‥!」

 体から霊力を振りしぼって命令を出すと、二匹の犬は悲しそうな顔で仕方なく走り去った。ほっと安心する。

 ―――あの子たちは‥戦闘用じゃないもんな‥。

 気を失いそうな意識を奮い立たせて、何とか見るだけのものは見なければと顔を上げた。

 妖気の柱の中に黒いモノが蠢いていた。あれは、あの形は―――ドラゴン?

「嘘だろ‥‥」

 茫然と見つめる要のほうを黒いモノはゆったりと振り返る。そして噴出し続ける妖気を体の中に吸収し始め、ますます巨大に膨れあがっていく。

 ドラゴンもどきは翼をはためかせ、轟くような咆哮を上げた。同時に灼熱の熱風が眼前に迫ってくる。

 もうだめだ、と要は目を閉じた。


「しっかりしなさい、要くん‥! 許可なく死んじゃだめ、解ってる?」

 瑞穂の凛とした叱声に目を開けると、紅蓮の炎が黒いモノを包みこんでいた。

「‥‥はい。大丈夫です‥。」

 すぐ前に立っている振袖姿の瑞穂にかろうじて返事をする。瑞穂は振り向かずに短く、よし、と答えた。

 さすがの瑞穂も苦戦しているようだった。今日は早朝から大結界を張っていたのだから、いくら何でも消耗が激しいはずだ。しかし相手が強力すぎて、他は誰も手を出せずに遠巻きにしたまま闘いの行方を見守っているのがやっとらしい。

 気づけば瑞穂が自分の立ち位置を確保するための結界の中に、要の体もあった。余計な負担をかけていると思っても、体が動かない。

 ―――何とかしなきゃ‥。このままじゃお嬢さまの足手まといだ‥。

 這いつくばった姿勢から、ドラゴンもどきの足下が見えた。青白く光っていた陣が消え、うっすらと陣の跡だけが残っている。中心に小さな光る丸いものがあった。

 ―――あれは‥何だ? 

 目を凝らしてじっと見る。どうやら―――手鏡のようだ。

 要は不意に気づいた。瑞穂が今闘っている化け物は本体ではない、影だ。要がつい、ドラゴンみたいだと考えたせいで、あんなドラゴンもどきになってしまったのだ。

 蔵の精霊の中に、鏡の精霊というのがいた。彼女は鏡に映ったモノの姿だけでなく、見た人間が想像した姿をも模造してみせることができる。それは実体のない単純な影で、動くことも物に触れることもできないし、小さな像しか映せないけれど、もしやあの化け物が妖気が強いだけで似たようなモノだとしたら? 鏡の精霊は鏡面を塞がれて光を失えば、妖力を失い、模造した像も消えてしまうのだ。

 要は必死になって声をふりしぼった。

「‥お嬢さま。本体は‥あいつの足下‥。あの、鏡です‥。」

 瑞穂はすぐに気づいた。

「紅蓮‥! 本体を壊して‥!」

 稲妻のように紅い刃が丸い手鏡に向かって降りそそいだ。ぎゃあああ、という悲鳴を上げて黒いドラゴンもどきは黒い影に戻っていく。やがて紅い烈風に吹き飛ばされて、影は跡形なく消滅した。

 大きく息を弾ませながら、瑞穂は要を振り向いた。そして後方へ向かって、誰か、と叫んだ。

「早く‥! 救急車呼んで!」

 誰かが足早に近づいてきて、ぐしゃぐしゃの左手を晒でぐるぐる巻いて止血してくれた。

 担架が運ばれてくる。

 ほっとした瞬間、激痛が襲ってきた。痛い痛い、と情けなく泣き声が洩れるが、情けないと反省する余裕などなく、涙が出てくる。

 瑞穂が呆れて溜息をついた。

「あのね‥。ちょっとは我慢しなさい。せっかく今まで格好よかったのに‥。」

 そう言われても泣き声以外は出てこない。あまりの痛みに意識が次第に遠のいていく。気絶する前に、とすすり泣きながら要は一生懸命瑞穂に、御札、と言おうとした。だがちゃんとした言葉にはならなかった。

 瑞穂は要の潰れた左腕をじっと見下ろして、再び溜息をついた。

「もういいよ‥。気絶したほうが楽だから。ご苦労さま、お休みなさい‥。」

 そうっと目蓋の上に手を翳す。意識を失う直前の要の目に映ったのは、国宝級に稀少な瑞穂の優しいまなざしだった。


 その一時間ほど前。対角にあたる裏鬼門近くで、もう一つの陣が暴発した。術者はもろに術の反作用をくらい、倒れたきり動かなかった。

 しばらくして物陰からひっそりと出てきたモノがある。

 それは不気味な笑みを浮かべ、倒れている術者の近くに寄った。

「バカねえ‥。未熟者が己の力量もわきまえられずに‥。意味も理解できない術など安易に使うから、死ぬより悲惨な目に遭うことになる。くふふ‥。」

 蔑みと嘲りをこめて、モノはその体をすうっと(まと)った。

 空虚な顔で倒れていた術者はすっくと立ち上がり、にたァ、と不気味に頬笑んだ。

「心配は要らない。おまえの体も遺志も無駄にはせぬゆえ‥。」

 ふふ、ふふ、と可笑しくてたまらないように笑い、術者は―――術者の体は西門から静かに出ていった。

た。

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