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六、

 


 次の日の早朝、床を上げ身支度を整えた慎之助は寝間の障子を開けたその刹那、刀の柄に手を置き身構えた。


「お早うございます」


 そこには昨日の女児が立っていた。


「いつからそこにいた」


「つい先程です。お顔を拭く水をお持ちいたしました」


 確かにその手には水を張った桶と手拭いがある。


「気配がしなかった」


「お声をお掛けしたのですが」


 女児は動じる風もなく桶の水に手拭いを浸し絞ると、慎之助に差し出した。


「かたじけない」


「朝餉の準備も出来ております」


 居間の中央に据えられた膳には、湯気を立てた汁と白飯、焼き魚が並べられていた。


「何故ここまで。このようにもて成される謂れはない」


「椰斗様に言いつけられておりますので。さあ、手拭いをこちらに」


 年の頃は慎之助より十も幼く見えるが、話し方や仕草が何故か人を誘う。

 再び手拭いを水に浸すその横顔が妙に艶めかしく、小袖から覗く白い腕やほつれた髪の毛が一筋肩に落ちる姿は子供のそれでは無いようにも見えた。


「そなた名は何と申す」


「アヤと申します」


「アヤか、良い名だな。拙者の母と同じ名だ」


「あなた様のお母様?」


「ああそうだ。綾織りの綾に夜と書いて綾夜(あや)と読む」


「夜を織り込むのですね。何だか素敵。きっとお綺麗な方なのでしょう」


「そうであったと聞く」


「?」


「母は拙者を生んですぐこの世を去った」


「まあ、失礼いたしました。……でも、私も同じです」


「そなたも母を亡くしておるのか?」


「はい、でも寂しくはありません。私には椰斗様がいらっしゃいますから。あの方はこの(そよぎ)の谷に住む者の母代りなのです」


「そうか」


「あなた様にはどなたかいらっしゃいますか?」


 慎之助の脳裏にあったのは、咲埜を発つ前に見た雪右衛門の大きな背中である。

 幼い頃から父のようになることを夢見てきたのだ。

 雪右衛門は慎之助を香月家の跡取りとして厳しく育て、亡き妻の分も息子を愛した。

 それは忠行に対しても同じで、病弱な忠勝に代わって叱りつけることもあったし、息子と同じだけの愛情を注いで見守ってきた。

 雪右衛門は慎之助の父だが同時に忠行の父親代わりでもあったのだ。

 この時慎之助はようやく気が付いた。

 大切なものを失ったのは己ばかりでは無いということに。


「父が……、拙者の傍にはいつも父が居てくれた」


「そうですか。良かった」


 そう言って微笑んだアヤは立ち上がると、小さい手で慎之助の頬を撫でた。

 驚いた慎之助が思わず身を引く。


「寂しくなかったのなら良かった」


 自分よりも遙かに歳若な娘にその様にされて言葉も無く茫然としている慎之助の耳元でアヤは囁いた。


「椰斗様は今日の深夜この屋敷に戻られます」


「三日三晩は動けぬと言っていたが」

 

「はい、ですがあなた様と話をするのはケラが出来てしまってからでは遅いのです」


「ケラとは何だ?」


「刀を作る為の元の材料となるものです。そこから玉鋼とずくに分けるのです」


「何故それが出来てからでは遅いのだ」


「それは言えません。ですが、それまでどうかこの屋敷からは出ぬよう」


「どういうことだ」


「あなた様の事を良く思っていない者もおります」


 それ以上問われるのを拒むかのように、アヤは居間を出て行った。

 結局慎之助はこの後もアヤからその理由を聞くことは出来ずに長い一日を過ごした。

 















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