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四、

 


 慎之助は道中、峠の寂びれた旅籠で泥のように眠っていた。

 あの後、朝日が昇るのも待たずに城を出てから三日三晩ろくに眠らず、ろくに食わずでここまで来たが、とうとう四日目で力尽きた。

 出された飯を目にも止まらぬ速さで腹に収め、床に入るなり轟々と鼾をかいて眠る男を宿の者が不振がるのも無理はなかった。

 咲埜領主である阿木山家、その筆頭家老職を代々勤める香月家をいづれ背負って立つ若き侍の姿は今や見る影も無い。

 眼下は落ち窪み、無精ひげが生え、袴も着物も砂埃で薄汚れ、ともすると流浪人の様にさえ見える。

 しかし今の慎之助にとってはその方が都合が良かった。

 咲埜の地を我が領地にと常々画策している者等にその機会を与えることは、何があっても避けなければならない。

 その為にも身分を隠す必要があったのだ。

 既にこれまで幾人もの刀鍛冶を生業としている鍛師(かなち)に話しを聞いて廻った慎之助であったが、鬼祓師が持つという刀について知る者は一人としていなかった。

 ただ一つ、この山一つ越えた先のタタラ場で番子等の長をしているムラゲという男が何か知っているかもしれないという噂を耳にした。


「あのひとの造る鋼はそこいらのとはちょいと違うからな、普通の鍛師はあれを鍛錬出来るようになるまでに二十年は掛かる。あのひとならここいらの腕がたつ鍛師を知ってるんじゃねえかな」


 それを頼りに昼も夜も無くただ黙々と歩を進めて来た慎之助の胸中にあったものは、


 忠行様の仇を打つ――――。


 ただそれだけであった。



 慎之助は幾度も同じ夢を見た。

 それは、まだ幼い頃の忠行との思い出。

 二歳しか歳の離れていない二人は咲埜の山々に見守られ、兄弟の様にして育った。

 山の麓を沿うように流れる澄ノ江川の水は美しく、夏場ともなれば沢山の蛍が飛び交う。

 夜も更けた頃、雪右衛門の目を盗み城を抜け出した二人は、蛍を捕るため川岸の草むらの中で身を寄せあっていた。


「あっ」


「またですか」


 慎之助は忠行の小さな掌に付いた虫の死骸を足下の土に埋め、そっと手を合わせる。


「南無南無」


 慎之助の真似をして忠行も目を閉じ手を合わせた。


「忠行様、お手を」


 やんわりと丸めた拳を忠行の目の前に差し出した慎之助は、恐る恐る出された掌に己の手の中のものを移した。


「潰してはなりませぬ。そっと優しく」


 忠行は合わせた両手を椀の様に丸めると、指の隙間から中を覗いた。

 青白く小さな光が瞬く。


「慎之助、吾が手の中に星がある」


「さあ、この虫籠にいれましょう」


「それはならぬ」


「そのままですとまた潰してしまいますぞ」


「……星は天にあるもの。それが世の理であろう?」


 そう言った忠行は両腕を月に向けて伸ばした。

 弓のように細く孤を描く月がその様子を静かに見守っている。

 開いた掌から一匹の蛍がふわりと飛びたち、夜空に消えた――。




 十年も前の幼い頃の記憶から目覚めた慎之助は、寝乱れた襟元をかき合わせながら障子戸をそっと開けた。

 そこから入り込む夜風の中に、あの夜の川辺の青臭い香りが混ざる。

 外は未だ薄暗いが、宿の者がかまどに火を入れる為か階下で人の動く気配がした。


「この命に代えてもお守りするとそう心に誓っておきながら、拙者は未だこうして生きながらえておる。腹が減れば食い、眠る……」


 雨が降り始めた。

 始めのうちは音もなく、ただ土の湿った匂いが鼻をつく。

 そのうちに雨脚はどんどん強くなり、終いには車軸を流す勢いとなった。

 知らず握りしめた拳が小刻みに震えている。


「決して許さぬ。必ずやこの手で」


 ――腹を切るのはその後だ。


 そう呟いた慎之助は雨に霞む闇の奥を凝視した。


















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