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三、

 


 蝋燭の仄かな灯火がゆらゆらと揺れ、何処から入ったものか小さな蛾が炎の周りを踊るように飛んでいる。

 雪右衛門は右腕を伸ばしそれを素早い動きで捕らえると、そのまま握り潰した。

 白い羽がハラリと掌から落ちる。


「ここは……」

「儂の部屋だ」


 登城した際に使っている六畳程の詰所で僅かの間気を失っていた慎之助は、意識を取り戻し慌てて身体を起こした。


「もしや、夢であったか」


 そう呟いた慎之助であったが、雪右衛門の頬の傷が(うつつ)へと引き戻した。

 再び沸騰し始めた己の血をどうにか押さえつけるため、固めた拳を何度も畳に叩き付ける。

 その間も雪右衛門は一切口を開かず、瞼を閉じたままで座っていた。


「この城で一体何が?! 忠勝様は何処に消えてしまわれたのですか?」


 慎之助が殆ど叫びにも似た声音で問う。

 それに応える雪右衛門の声はどこまでも静かである。


「門番や不寝番の亡骸は酷いものであった。先程お夕の方様のものと思われる御遺体も見つかった。殿もあの出血では既にお命は無いだろう」

「忠行様は何故あのような無残なお姿に? あれはまるで獣に襲われた様ではありませぬか」


 雪右衛門は固く唇を引き結び、少しの間考え込むかの様にただじっと慎之助の顔を見つめていた。


「音もなく忍び込み一瞬にしてあの所業、……あれは人間の仕業では無いのやも知れぬ」

「人間でなければ一体何と申されるのですか」

「古来よりこのニホンには人間を喰う鬼が居るという」

「父上なにを……」

「百年以上も前に絶滅したと思われていたが、実は今でも何処かの集落でひっそりと生きながらえているというのを耳にしたことがある」

「その様な話、俄かには信じられませぬ」

「ある村では夜が明けたら村人が一人残らず消えていたというのを噂で聞いた」

「その様な化け物が何故この咲埜に」

「それは分からぬ。分からぬが――」


 そう言って立ち上がった雪右衛門は蝋燭の灯を吹き消すと、外に面した障子戸を開け放った。


「今宵は満月じゃ」


 夜空を見上げれば、確かに欠けたところのない月がそこに浮かんでいた。

 厚い雲に覆われたその合間に薄ぼんやりと見え隠れする月は、どこか不吉なもののようにさえ思える。


「鬼は満月の夜に狩りをするという」

「それではやはり……。しかしそのような化け物であれば見つけるのは容易いではありませぬか」

「鬼の姿は人間のそれと変わらぬ」

「ではどうやって探し出せばよいのですか」


 その時ちょうど雲が途切れ、その間から月光が差し込み、部屋の中を仄かに照らした。

 雪右衛門の声が低く、地を這うようにして慎之助の耳に届く。


「鬼祓師を探し出すのだ、慎之助」


 月を背にして立った雪右衛門の影が慎之助の膝元近くまで伸びている。


 鬼祓師――――。


 慎之助は初めて聞くその名を心の中で呟いた。


「鬼祓師は鬼の匂いを嗅ぎ分けることが出来ると言われている。そして鬼を完全に殺す為にはその者が持つ刀が必要なのだ」

「その者は何処に居るのですか?」

「分からぬ。しかし一つだけ道がある」

「それは……」

「鍛冶屋だ。鬼祓師の持つ刀を作ったという鍛冶職人が今も生きておるらしい」

「刀鍛冶」

「鍛治町を回れば何れその者に行き着く筈じゃ。鬼祓師と共に鬼を探し出し、殿や若様の仇を打つ。この(めい)、受けるか慎之助」

「御意」

「万が一この事態が他へ洩れればこの咲埜の行末は無い。後継が決まらぬまでは儂は此処を動けぬ。お前はたった一人で秘密裏に成し遂げなければならない」


 それでも行くか――。そう聞いた雪右衛門に慎之助は言った。


「この命に代えても、鬼の首を取って参ります」


雪右衛門は応えず、息子の肩に手を置き僅かの間そうしていた。


「頬の傷、申し訳御座いませぬ、父上」

「なあに、これしきの傷など舐めておけば治る」


そう言って白い歯を見せた雪右衛門は、そのまま振り返ることなく部屋を出て行った。

一人残った慎之助は、もう一度夜空を見上げ呟いた。


 「忠行様、この慎之助必ずや仇を取って参ります。それまでどうか待っていて下され」


 ――――鬼の首を土産に何処までもお供仕ります。


夜風が慎之助の頬を撫で、畳の隅に落ちていた小さな羽を揺らした。

あと一時もすれば夜が明ける。










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