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十、

 


 頭上高くから岩壁に沿って流れ落ちる川の水が、白く煙る飛沫を上げながら滝壺の底をかき混ぜる。

 そして、そこからまた止まることなく潺々(せんせん)と流れ行き、いつしか長い旅を終えて大海へと流れ込む。


「銀龍の滝……」


 それはまるで銀の鱗を持つ龍が天に向けて登るかの様にも見えるし、またその逆に、天を追われ地に墜ちる瞬間の様にも見える。

 聞こえてくるのはゴウゴウと水が落ちる音と鳥の囀ずりだけで、水気を多く含んだ空気が慎之助の疲労した心を潤す。

 慎之助はその清らかな水を掌ですくい、喉をならして飲んだ。

 甘露が五臓六腑に染み渡る。


「旨いな」


 草履を脱いで、砂埃にまみれた両足を浸す。

 冷たさに一瞬鳥肌が立ったが、慣れてしまえばとても心地よく、とうとう慎之助は着物を全て脱ぎ捨てた。

 褌一枚でザブザブと滝壺を進んで行くその背中は無駄な肉など微塵もない。

 幼いころから雪右衛門に剣術を鍛えられただけあって、滑らかな皮膚の下の鋼のような筋肉がしなやかに波打つ。

 水が落ちるその真下まで来ると、一つに結わえていた髪の毛をほどき、肩に打ち付ける激しい流れに身を委ねた。

 幾度かそれを繰り返して心身を浄め、滴をたらしながら岸に上がったその時、人の気配を感じて刀を手に身構えた。


「何者だ!」


 慎之助が睨む先の草むらがガサガサと動く。


「姿を出せ!」


「あ、あの……」


 生い茂る草の間からおずおずと顔を出したのは少年だった。

 歳の頃は忠行と同じ位、慎之助よりも二つか三つ若いように見える。

 継ぎだらけの色あせた小袖からのびた腕や脛は白く細い。

 濃い睫の下の大きな瞳が脅えた様に瞬きした。


「童か? 何故隠れていた」


「すみません!!」


 後ろで一つに結わえた髪がばさりと顔に掛かる程の勢いで頭を下げる。


「着物を洗濯しに来ました。の、覗くつもりはなかったんです。でも、でも……」


「でも何だ」


「……あ、あまりにも綺麗で」


「この滝のことか? 確かに美しいが……」


「いえ、そうではなくて…………あなた様に見惚れて」


「拙者に? 意味が解らぬ」


 少年は手に持った洗濯籠で真っ赤に上気した顔を隠した。


「それより、早くお着物を。目のやり場に困ります」


 慎之助は褌一枚の己の姿を見下ろした。


「ああ、それは申し訳ない」


 岩の上に畳んで置いた埃まみれの着物を手に取る慎之助を見て、少年が口を開いた。


「あの、もしよろしければ、それも一緒に洗濯して差し上げます。そのように汚れていては再び袖を通すのは気持ち悪くありませんか?」


「いやいや、それには及ばぬ。洗濯くらい自分で……」


「一枚洗うも、二枚洗うも同じです」


「しかし」


「これを羽織っていてください。じじ様のですが綺麗に洗ってあります」


 そう言って慎之助の手から着物を取り上げた少年は、慣れた手つきで洗濯を始める。

 背を向け一心に洗う小さな背中に慎之助は尋ねた。


「名は何という?」


 その問いに手を休めることなく少年は答える。


「ナナシと言います」


「ナナシ? 変わった名だ」


「じじ様がつけてくれました」


「このあたりに住んでおるのか?」


「はい、じじ様と二人で暮らしています。あなた様の名を聞いてもよろしいですか?」


「慎之助という。わけあって人を捜して旅をしておる」


「しんのすけさま。その捜している人とは?」


「鬼祓師と呼ばれておる男だ」


「おにばらいし?」


「そうだ。聞いたことはないか?」


「いいえ、ありません」


「そうか」


 そこで少年が立ち上がり慎之助に向き直る。


「さあ出来ました。何もないところですが乾くまでの間、家で休んで下さい」


「何から何までかたじけない」


「いえ、元はと言えば私が……」


 そう言った少年が慎之助の許へ行こうと足を踏み出した時、もう片方の足がズルリと滑って体が後ろに傾いた。

 咄嗟に伸ばした少年の手首を掴んだ慎之助もろとも水の中に倒れ込む。


「きゃっ!!」


 慎之助の下で少年が小さく声を上げた。


「大事ないか?」


 身体を起こして少年の姿を見た慎之助は、すぐさまそこから飛び退いた。

 水に濡れて張り付く着物の下の丸みを帯びた線と、割れた裾から覗く白いふくらはぎから無理矢理視線を外す。


「おぬし、おなごであったのか?」














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