表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

The Steamiators

作者: 坂本 晴人

 西暦一九一四年。この年、戦争は変わった。




 レフト・テンス、ニュートラル。

 ライト・テンス、ダウン。

 ハーネスに縛りつけられたこの体が震える。

 人の鼓動よりも遥かに繊細な揺れに包まれて。

 主動力炉稼働(メイン・ボイラー・アイドリング)確認(チェック)

 Dハンドル、右回転(ライトターン)三六〇〇(スリー・シックス・ダブル・オー)

 加圧開始。

 計器盤に埋め込まれた気圧計の針に目を這わす。

 〇・一五メガパスカルまで加圧、確認。

 加圧、停止。

 ライト・テンス、ニュートラル。

 レフト・テンス、アップ。

 鼓動が強さを増す。

 動力炉だけでなく、機関(タービン)もその息吹を上げたのだ。

 ライト・ファースト、キック。

 レフト・ファースト、キック。

 力行・逆行(アクセル・リバース)駆動機(デバイス)動作(アクティヴ)、確認。

 (サブ)動力炉稼働、確認。

 主動力炉沸騰(スタンバイ)、確認。

 レフト・エイス、ダウン・トゥ・アップ。

 西洋兜(アーメット)面頬(ヴァイザー)を模した胸部装甲が上下する。

 まだレバーは重たい。

 蒸気補助(スチーム・アシスト)まで蒸気が回ってないのだろう。

 だが視界確保、良好。

 ヨーロッパの空は、やっぱり違うな。

「最高の青空だ」




 セルビアの民族主義者によるオーストリア皇太子暗殺に端を発した戦争は、もはや抑える術のない民族主義の対立と、あまりにも強固に張り巡らしてしまった各国の軍事同盟によって三ヶ月もせぬうちにヨーロッパ全土を覆い尽くした。四十年間、ヨーロッパは戦争らしい戦争から離れていた。故に多くの若者が戦争を騎士道精神に彩られた勇敢なピクニックと捉え、こぞってそれぞれの祖国に忠誠を誓った。真夏の太陽に照らされながら、彼らは見送る母親にこう叫んだ。クリスマスには、また。そうして彼らが身を投じた諸戦争を終わらせる為の戦争(ウォー・トゥ・エンド・ウォーズ)は、しかし、一九一八年の今、なおも続いていた。

 良き時代(ベル・エポック)。協調するヨーロッパ(ヨーロッパ・コンサート)。そんな言葉はもはや過去の幻想だった。それでも、それをもう一度取り戻したいということは皆が思っていた。地雷原を無視して空を飛ぶ機械も、寄りがたい鉄条網を踏み破る車馬も未だ持ち得ぬ彼らは、ひたすら塹壕に籠って砲弾に怯えて、そして時折無謀な突撃命令に従っては無慈悲な機関銃と榴弾の前に命を散らせるばかりであった。

 トマス・ニューコメン以来多くの科学者が営々と発展させ続けて、人々の暮らしを向上させてきた蒸気学(スチーモロジー)。それを支えてきた蒸気学者(スチーモロジスト)たちは、こんな無惨な、礼節を忘れた戦争(さつりく)が人類の文明の行き着いた先だとは信じなかった。だから彼らは戦争の最中、国境を越えて動いた。学者の言葉で戦争を止めることは出来ない。ならば少しでも犠牲者を減らそうではないか。死にたくない者が命を落とすことのないように、覚悟を背負った者だけが、戦場に臨むことが許されるように。

 それは決して平坦な道ではなかった。だが、密閉空間における高圧状態の維持を容易にするキュニョー粒子、一定の高圧力下でのみ液体から気体への相転移――すなわち沸騰――の持続を可能にする新物質ニューコメノ、そして復水率九十七パーセントを達成したフルトン機関の実用化。それらあまたの技術革新が、誰もがあり得ぬと嗤ったその道を切り拓いた。

 そして彼らは造り上げた。そんな子供じみた、それでもほんの少しだけ現実的な世界平和を手に入れる為の、兵器――蒸気闘士(スチーミエイター)を。

 それはイギリスではThe Jugと呼ばれ、

 ドイツではDer Stählerne Rieseと名付けられ、

 フランスではL'Ange de la Seineと命名され、

 オーストリアではDer Silberne Reiterと称され、

 イタリアではUna Robot da cucinaと親しまれ、

 日本では決戦兵器『士道』と綽名された。

 そして西暦一九一八年。

 この年、再び戦争は変わる。




 ライト・サード、キック。

 ライト・ファースト、ダウン。

 右腕肩部変速機構(トランスミッション)、ギア・ダウン。

 ライト・サード、オフ。

 メイン・ペダル、オープン。

 踏み込んだペダルに解放された蒸気が、

 複雑に張り巡らされた管を通って行く。

 そして『天使(アンジュ)』の体を満たすのを背中で感じる。

 沸騰し続ける動力炉の揺れに翻弄されながらも、

 俺は必死で手を伸ばしてドライバーに手を伸ばす。

 汗まみれのグローブ越しに感じる無骨な感触。

 その間も俺の瞳は銃眼の向こうの敵を見据えている。

 さあ、喰らいやがれ、このドイツ野郎(ボッシュ)が。

 ライト・ハイ、アタック。

 狭苦しいコクピットを更に狭くする、

 左右の壁から二本ずつ飛び出たドライバー。

 上の二本は腕の、下の二本は脚の駆動を司っている。

 俺はその右側の上側の一本を、

 全身全霊で前方へと押し込んだ。

 その瞬間、

 吹き込まれる蒸気に空転するばかりだった歯車は、

 互いに噛み合いひとつの有機体(システム)を成す。

 目の前の敵を撃ち滅ぼす為、

 俺のこの手に代わってそれは力を振るう。

 耳を聾する轟然たる回転音。

 『天使』の右腕が敵の胸部へ突き進んで行く。

 向こうも気付いた。

 だが遅い。

 威力を犠牲にしてもギアを下げたのは何の為か。

 当たれ。

 貫け!

「ざまあみやがれ!」

 その瞬間、振動。

 体が浮く。

 気付けばしたたかに頭を天井に打ち付けていた。

 痛みに堪えきれず、手はドライバーを放してしまう。

 整備兵ども、適当にやりやがって。

 これじゃハーネスの意味がないだろうが。

 俺が舌を噛んでたらどうするつもりだったんだ!

 昏倒寸前の意識を振り絞り、もう一度手を伸ばす。

 腕を早く戻さなければ。

 ライト・ハイ、バック。

 左手で頭を押さえながらドライバーを引き戻す。

 だが、違和感。

 ドライバーが戻らない?

 何だ、この固さは。

 蒸気圧力計の値は正常なのに。

 体を乗り出し、視界を外へ。

 そして気付いた。

 敵の手が『天使』の手を離して逃さないことに。

「馬鹿野郎がッ」

 ギアを落としたままだった自分を責める。

 力負けしてるんだ、戻るわけがない。

 メイン・ペダル、オープン。

 ライト・サード、キック。

 クラッチを切り離すのももどかしい。

 ライト・ファースト、アップ。

 先程とは比べ物にならぬ程の振動。

 不自然な傾きを三半規管が捉える。

 敵が腕を引き『天使』を地に堕とそうとしている。

 おいおい、冗談もいいとこだ。

「ボッシュにパリ・ジェンヌは贅沢すぎるぜ」

 ライト・サード、ハーフ。

 傾斜の変化が少し弱まる。

 頼む、あと少しでつなげられるのに。 

 猛回転する機関の力が少しずつギアに伝わって行く。

 そうだ、間に合え!

 もう二度と奴らの好きにさせるものか。

 この地で散った戦 (キャマラード)たちの為にも。

 一人生き残っちまった俺はやるしかないんだよ。

 隊長、みんな、まだここに居るんだろう?

 いつか必ず、故郷に帰らせてやるから。

 だから、今は、俺に力を貸してくれ!

 ライト・サード、オフ。

 十全の力を受け、轟然と唸る変速機関。

 増幅されたトルクは巨大なベクトルを生み出す。

 傾斜の変化が止まる。

 流石は『セーヌの天使』だ。

 負けず劣らず焦らし上手だことよ。

 それでもまだ止まっただけ。

 だがこれ以上回転数を上げると機体が保たない。

 さあ、どうする?

 自由の女神の(エール・マリアンヌ)を広げるか?

 その時だった。

 鋼を穿つ鋭く鈍い炸裂音。

 激しい衝撃に敵は『天使』の手を掴み続けられない。

 反動が付いて『天使』の腕が戻って来た。

 メイン・ペダル、コースト。

 慌てて惰行に戻す。

 敵は数歩後退すると、左右に視線を振り向ける。

 撃ってきた相手を探しているのだろう。

 まったく、あのイギリス(ジョン・ブル)が。

 助けに来るのが遅いんだよ。




 どこだ?

 どこから撃って来た?

 ライト・ファースト、キック。

 後退駆動機、作動(スタート)

 オール・ドライブ、バック。

 メイン・ペダル、オープン。

 ひとまず眼前の敵からは距離を取る。

 レフト・エイス、ダウン。

 胸部装甲を下方にずらし、上方の視界を確保する。

 再び、『巨人(リーゼ)』の体が揺れる。

 今度は左脚か。

「すまんなあ、避けられなくて」

 椅子に深く体を預けて、

 そうして全身で『巨人』の鼓動を感じる。

 大丈夫、異常なし。

 まだまだこれからだ、そうだろう?

 計器盤なんか見る必要がない。

 兵は駒でなく、武器は道具でなし。

 全ては我が血肉(からだ)と一体たり。

 騎士団(オルデン)の末裔たる我が家に伝わるこの一訓。

 それが騎士たる者の、将たる者のあるべき姿。

 私はそう信じてきた。

 だから私は今ここに居る。

 弱きを助け、強きを挫くが騎士の本分なればこそ。

 もう我らが皇帝(カイゼル)の臣民は十分に戦った。

 これ以上弱き者の血を流してはならない。

 目を皿にして周辺の高台を窺う。

 照りつける太陽が網膜を焼いて、

 思わず目を細めてしまう。

 だが、その時。

「見つけた」

 太陽を(せな)に、私に向けて長大な銃を構える敵を。

 流石はイギリス(ライミー)

 そんなところから恥も外聞もなく狙撃とは。

 昼間から酔っぱらってるのか?

 いつだってそうだったなあ、貴様らは。

 海の向こうから好き放題ばかりして。

 いつまでもそれが続くと思うなよ。

 引き摺り下ろしてやる。

 レフト・ドライブ、ニュートラル。

 ライト・ドライブ、引き続きバック。

 その屈強な左脚を軸にして、

 高さ五・六メートルの『巨人』の体が旋回する。

 高台から見下ろしてくる敵に対し、

 『巨人』は半身の姿勢を取った。

 数秒前まで『巨人』の右腕があった空間。

 そこを一発の弾丸が飛び去って行った。

 どうだイギリス公、今度は(かわ)してやったぞ。

 右足が大地を踏みしめる。

 かつて幾千もの砲弾に抉られた地を。

 ライト・ドライブ、ニュートラル。

 メイン・ペダル、コースト。

 ライト・エイス、アップ・トゥ・ダウン。

 全身の装甲を開き、機体に溜まった熱を排出する。

 充満していた蒸気が威勢よく噴き出していく。

 それは瞬く間に地を覆い、

 煙幕の如くに『巨人』を覆う。

「これでは見えまいよ」

 狙撃するのは自由だが、まず当たらないだろう。

 ただし、もちろんこちらからも何も見えない。

 それどころかコクピットの中に蒸気が吹き込んできて、

 手元すらも確認できなくなってしまう。

 だが、それは大した問題ではない。

 この目が潰れたってこの手が覚えている。

 欲しかったのは時間だ。

 切り札はいきなり出てくるからこそ切り札たりえる。

 それは丘の陰に伏せた一軍であろうと、

 懐に忍ばせた匕首でも変わりはしない。

 Gハンドル、左回転(レフトターン)二七〇〇(トゥー・セブン・ダブル・オー)

 照準器が私の目前に降りてくる。

 ダブル・セカンド、キック。

 全てのクラッチを切り、誤動作を予防。

 Hハンドル、左回転七二〇〇度。

 上部装甲、解放。

 蒸気闘士は基本的に人間の体を模しているが、

 しかし首部と頭部は存在しない。

 だからコクピットのある胸部装甲の上は、

 まるで鶏の卵のように丸くなっているのだ。

 私は技術屋じゃないからその理由は知らない。

 だが、その代わり、

 そこにあるものをどう使うかを知っている。

 ライト・セブンス、アップ。

 ここからは見えないが、どうなっているかは分かる。

 何度だって自分の目で見て確認したのだ。

 ぽっかりと空いた円の中から、

 蒸気圧に押されて姿を現す『巨人』の奥の手。

 三八口径三〇センチ気圧噴進砲。

 通称、痩土より齎されたる恩寵の砲(ディ・カルトッフェル・パンツァーファウスト)。

 つい笑ってしまうような名前だが、言い得て妙だ。

 レフト・セブンス・ハンドレバーを掴む。

 このレバーだけは特別だ。

 上下に動かぬよう固定されており、

 そして先端にボタンがひとつある。

 主・副双方の動力炉から今蒸気をかき集めている、

 貪欲な砲の力を解放する為のボタンが。

 さあ、準備完了だ。

 霧にも似た水蒸気も晴れて来た。

 敵は相変わらずこちらを見下ろしている。

 もう一人の方は狙撃に巻き込まれるのを警戒してか、

 何もせずに先程の位置から動こうとしていない。

 まあ、気持ちは分かるさ、なんせイギリス公だ。

 メイン・ペダル、オン。

 ダブル・セカンド、オフ。

 ライト・ロー、フォワード。

 『巨人』を敵と正対させ、

 照準器の十字線に敵の姿を捉える。

 ライト・ロー、ニュートラル。

 驚いたってもう遅い。

 レフト・セブンス、解 (プラッツェン)

「『鋼の巨人』撃て!(フォイエル)」




 蒸気煙幕など、小賢しいことを。

 だが慌てることはない。

 今の内に再装填(リロード)だ。

 ダブル・セカンド、キック。

 レフト・セカンド、アップ。

 排 莢 (イジェクション・ポート)を開く。

 レフト・フォース、アップ。

 役目を終えた薬莢を蒸気圧で排出する。

 ごとん、と重たい落下音と共に、

 噴き出た水蒸気が私の視界を横切っていった。

 レフト・サード、ダウン。

 機体内部に格納された弾丸が押し出され、

 号砲を待つスタート・ラインにその身を置いた。

 計器盤を確認。

 残弾数五十三発。

 この機体の左腕は長距離狙撃銃(ロング・レンジ・ライフル)で出来ている。

 諸悪射抜きたる義士の(シャーウッド・ボウ)の愛称からも分かるように、

 本来の蒸気闘士の設計思想からは遥か逆を行き、

 最初から接近戦など想定していないのだ。

 それは背部装甲を削ってまで搭載してある、

 麒麟の首にも似た三本の増槽にもよく表れていた。

 まったく、切り札と弱点を最初から晒すなど。

 陸軍大臣にそう言ってやりたくなる。

 だが、もう造ってしまったのだから仕方ない。

「その上でどうするか、なのだ」

 大体文句を言い出せば切りがない。

 幾ら秘匿名称とはいえども『水差し』とは何だ?

 そもそも三本も妙な増槽を立てたせいで、

 まるで秘匿名称になってないと噂される始末だ。

 戦後には百科事典(エンサイクロペディア)にも載るなどと言っていたが、

 現場の士気というものを考えてもらいたいものだな。

伯爵(アール)の血を引くこの私が居なければ」

 今回の出撃に漕ぎつけることも危うかっただろう。

 レフト・サード・フォース、ニュートラル。

 レフト・セカンド、ダウン。

 排莢口を閉じる。

 ダブル・セカンド、オフ。

 メイン・ペダル、コースト。

 それにしてもあそこのフランス(フロッグ)は何をしてる?

 何をぼんやりともたもたしているんだ。

「撃ち込んで発破をかけてやろうか」

 一回までだったら誤射で済むだろう。

 ともかく、そろそろあの煙幕も晴れる頃合いか。

 さあ、観念したまえ、ドイツ(クラウツ)め。

 レフト・ハイ、狙撃用意(アジャスティン)

 だが、次の瞬間。

 信じられないものがこの目に映る。

 敵の頭上に突如出現していた、巨大な砲。

 先程まではどこにもなかったはずのそれは、

 今まさにこちらに向けて狙いが定まった。

 あんな大砲、直撃したらどうなる?

 分からない。

 だが、考えている場合ではない。

 逃げなくては。

 ライト・ファースト、キック。

 オール・ドライブ、バック。

 早く動け!

 しかし、次の瞬間、

 衝撃と、

 轟音と、

 逆転が私を襲った。

 がらがらと音を立てて崩れる大地。

 落ちて行く。

 なんて、出鱈目な威力。

 体がハーネスに縛りつけられる。

 呼吸(いき)が出来ない。

 肺が押し潰されて、胃が裏返るよう。

 激震。

 慣性に引き摺られ、体が座席に打ち据えられる。

 やっと止まったか。

 どっちが上だ?

 少しずつ体に生気が戻り出す。

 何とか首を巡らし、計器盤を確認。

「畜生め」

 水平計を頼るが、それは衝撃に壊れてしまっていた。

 無情にも針はぐるぐると回るばかり。

 更に見やれば半分以上の計器が狂っていた。

 それでも、指先まで再び通い始めた血は、

 私が今地面に向かい正対していることを、

 即ちこの機体がうつぶせていることを教えてくれる。

 この場合の復帰法はどうだったか?

 痛む頭を押さえながら思い出す。

 その時、しかし、気付く。

 掌を包んだ生暖かい感触に。

 冗談だろう。

 大地の揺れが機体を通じ、私の体を、

 そして心をまでも揺り上げてくる。

「純血の(ブルー・ブラッド)とは言うけれど」

 やっぱり私も人の子というわけだ。

 傷を得れば真っ赤な血が流れるのだからな。

 なんだか少し安心する。

 傷が浅かったからではない。

 あんな家ではあったが、父も、母も、

 そして私もちゃんと人間であっていいんだ。

 機体の揺れがいよいよ大きくなる。

 敵機が近付いてきているのだろう。

 なら、一度距離を取らせてもらおうか。

 増槽一本空になるが、必要な犠牲だ。

 必ず勝つ。

 それこそが、私が今ここにいる理由であり、

「我が高貴に適う威徳の顕現(ノブレス・オブリゲイション)というわけだ」

 レフト・フィフス、アップ。

 外 部 増 設 噴 射 口(イクステンション・インジェクション・ポート)、準備完了(レディ)

 メイン・ペダル、オーヴァーオープン。

 ダブル・セカンド・キック。

 レフト・シックス、ダウン。

 蒸気弁(バルブ)封鎖(ロック)

 吹き上がる蒸気は行き場を失う。

 俺は蒸気圧計から目を離さない。

 メイン・ペダル、オープン。

 限界一杯(レッド・ゾーン)まで力を溜めこんでみせろ。

 揺れが収まる。

 真横までやって来たのか。

 だがな、ドイツ輩め。

 いつまでもこの私を見下ろさせはしないぞ。

 貴族に血を流させたその罪、購わせてやる。

 レフト・シックス、ダウン・トゥ・アップ。

 蒸気弁、全開(アンロック)

 さあ、行くぞ。

 全蒸気(オールスチーム)、放射!(ロックンロール)




 気付けば、私は耳を覆っていた。

 それ程までにその音と衝撃は激しかった。

 体を乗り出し、外を見る。

 先程までイギリス機がうつぶせに倒れており、

 止めを刺すべくドイツ機が近付いて行ったそこは、

 今やもう水蒸気に覆われて何も見えなかった。

 まるでグロースクロックナーの雪のよう。

 いったい何が起きたのだ?

 そんな私の疑問は、しかし、

 次の瞬間、その水蒸気と共に消え去った。

 悲鳴を上げて軋んだ地面。

 吹き飛ばされた水蒸気の真ん中に見えてきたものは、 

 再びその足で佇立したイギリス機。

 私はその姿に驚く。

 どうやって立ち上がったのだ?

 しかし、すぐに理解する。

 爆音と共に噴き出た大量の水蒸気と、

 そして激震を伴い帰ってきた機体。

 この二つが意味するところは、すなわち――。

「何ということか(ウングラウプリッヒ)!」

 もう快哉を叫ばずには居られなかった。

 まさか跳躍技術を既に取り入れていたとは!

 流石は蒸気学の本場と言ったところであろう。

 復水器も通さない、随分と贅沢な使い方だが、

 しかし蒸気闘士が空を翔んだなど。

「やはり、来るべきは現場というわけだ」

 敵の姿を見失ったドイツ機は何もできないでいる。

 あまりに近過ぎて何が起きたのか分かってないのだ。

 その隙にイギリス機は後退して行く。

 左腕を成す狙撃銃がゆっくりと、

ドイツ機に照準を合わせ、そして閃いた。

 ストロボのような発光に一瞬遅れて、鈍い衝突音。

 イギリスめ、頭に血が上ってるのか?

 あんな距離で撃ったら、すぐに気付かれてしまう。

 思った通り、ドイツ機は即座に百八十度転回。

 後進を続けるイギリス機に向き直ったと思うと、

 即座に例の大砲を撃ち放した。

 飛び出した砲弾は、しかし、敵機の横をかすめ、

 そのまま地面へと吸い込まれた。

 否、正確には、地面を隆起させた。

 鉱山技師(ベルクマン)でも聞いたことのないだろう様な、

 そんな爆発音が私の耳を覆い尽くす。

 ぱらぱらと降る土くれは数えきれないほど。

 その光景に舌打ちを禁じえない。

 限度と言う者があるだろうに、まったく。

 これだからアカデミーの連中は駄目なんだ。

 実験室の中だけでばかり物を考える。

 科学者は、作ってはいお終いじゃいけない。

「さて、感心してるばかりでもないな」

 静観していたフランス機もいつの間にか動き出し、

 ドイツ機と正対するべくその体を動かしている。

 こっちには気付いていないか、

 気付いていても距離を恃みに無視しているのだろう。

「油断とは何かってことを、教えてやろう」

 メイン・ペダル、オープン。

 『乗手』の体に潤沢な蒸気を送り込む。

 計器盤を確認するのは決して怠らない。

 機械は人間とは違う。

 無茶な使い方をしたら、ただ壊れるだけだ。

 ダブル・セカンド、キック。

 Xハンドル、左回転九百度。

 ダブル・セブンス、キック。

 ダブル・ロー、フォワード。

 全箇所のクラッチを切り、フット・ペダルを固定し、

 そして両膝部のクラッチだけを繋ぐ。

 その上で前進するように『乗手』を動かせば、

 膝を折り曲げて機体をしゃがませることになる。

 ダブル・ロー、ニュートラル。

 ダブル・セブンス、オフ。

 Xハンドル、右回転九百度。

 ダブル・セカンド、引き続きキック。

 メイン・ペダル、クローズ。

 自分で描いた設計図を思い起こす。

 随分と試行錯誤を重ねたが、ようやく出来上がった。

 『銀の乗手』などという、格好ばかりの名前。

 そんな嘘から出た真。

 ダブル・イレブンス、アップ・トゥ・ダウン。

 蒸気補助に助けられた私の腕に従って、

 腿部の横に搭載されていた三つの車輪が地に触れる。

 それぞれの車輪は腿部から突き出た車軸に支えられ、

 単調な往復運動(ピストン)回転運動(ローテーション)へと変化させる。

 エネルギーの消失(ロス)が比較的少ないこの駆動方法。

 ああ、どれだけ失敗したことだろう。

 こんなご時世でもなければまず研究中止だった。

 だが、だからこそ、最後まで見届けたい。

 メイン・ペダル、コースト。

 ライト・ハイ、フォワード。

 『乗手』の右手に光る、槍を模した鉄塊。

 うつろう運命審らかにす(ディ・ツァウバーフレーテ)の名を冠したその槍は、

 それは栄光ある我らが騎 (カヴァレリエ)の誇り。

 レフト・ハイ、グラップ。

 左右の手で『乗手』はそれを掴む。

 決して離すことのないように。

 ダブル・セカンド、キック。

 全てのクラッチが切れると共に、

 車軸へ繋がる気筒(シリンダー)に蒸気管が繋がった。

 フランス機までの距離、目測で約三百メートル。

 向こうの動きも計算に入れ、

 『乗手』が鞭を振るタイミングを計る。

 心の中で静かに数える。

 五、四、三、二、

 メイン・ペダル、フルオープン。

 噴き出した、形を持たない蒸気の奔流は、

 気筒を通って車軸に伝わり、

 車輪を回して『乗手』を走らせる。

 急激な加速に体は強く押し付けられる。

 初の実戦に体は強張り続けながら、

 それでも緩んでいた頬に私は気付いた。

 さあ、後はただひとつ。

 敵の首級を挙げるだけ――。

 しかし、その時。

 見間違いかと思った、真正面の空から降りてくる影。

 それは、今明らかにひとつの形を取った。

 その機体程に大きな刀剣を振りかざしながら、

 その蒸気闘士は私の進路を塞ぐように着地した。

 空から落ちてきたそれは速かった、

 『乗手』の車輪が生み出す速さなどとは、

 まったく比べものにならぬ程に(はや)い。

 その速度が生み出す強烈な運動エネルギー。

 それを乗せた剣の一撃によって、

 槍ごと『乗手』はその突撃を止められてしまう。

 舌を巻きながらも、呆れてしまう。

 どこからか知らないがまさか飛んでくるとは。

日本人(ヤパーニシェ)は何を考えているのだか」




 なかなか決まったんじゃないか。

 ドライバーを押し込み続けながら、そう自賛する。

 『士道』が振り降ろした刀は、敵の槍の進路を塞ぎ、

 見事敵の突撃を止めることに成功した。

 随分な遅刻になってしまったが、

 それを帳消しにできるくらいだろう。

 そもそも戦場っていうのは後から来る方が偉いんだ。

 形は手に入れた。

 後は、周りにも認めさせるだけ。

 そこまで果たさなければはるばる日本を離れて、

 ここヨーロッパまで戦いに来た意味がない。

 ドーバー海峡に至るまで嫌いな船を我慢し、

 そしてそこから水蒸気カタパルトで打ち出され、

 ぶっつけ本番の空中移動を成し遂げたのは何の為か。

「日本は、我々は、お前たちに劣ってなどいない!」

 そう叫びつつ、メイン・ペダルを更に踏み込む。

 メイン・ペダル、オーヴァーオープン。

 高速回転するギアが機体を震わせる。

 だがそれでもなかなか状況は展開しない。

 敵機もどんどん機関を回しているのだろう、

 押し合う力は完全に拮抗していた。

「それならば、仕方ない」

 出し惜しみなどして、後から悔やむなど許されない。

 みんな、俺に全ての期待をかけて送り出してくれた。

 それに応えなければならない。

 きっと、『士道』よ。

 お前もこの気持ち、分かってくれるはずだろう?

 ためらいはしない。

 チャンスは一回。

 そして、一瞬。

 ドライバーから手を、メイン・ペダルから足を離す。

 両足をナインス・フット・ペダルに、

 両手をナインス・ハンド・レバーに掛ける。

 オール・ナインス・セット。

 ナインス・ハンド・レバーは、通常動かない。

 ナインス・フット・ペダルをキックしていなければ、

 決して動かないようになっている。

 その理由は、非常に簡単。

 万が一にも間違って動かしてはならないからだ。

 作動させれば最後、全ての制限は解除され、

 機体にかかる負荷は許容量を容易に超えてしまう。

 しかしそれは裏を返せばこういうことになる。

 限界突破駆動機(オーヴァドライブ・デバイス)は、それだけの力を生み出せると。

 オール・ナインス、マキシマム。

 限界突破、開始。

 その瞬間、機体が咆哮する。

 ギアや機関だけではない。

 蒸気管や蒸気弁、計器の針、種々のハンドル、

 それら全てが取り繕った笑顔の仮面を投げ捨てて、

 滾りに滾ったものを噴き上げる。

 拮抗していた敵機との力関係は、瞬時にして破れる。

 初めは徐々に、しかしすぐに目に見えて、

『士道』は敵の槍を押し込んで行った。

 あと少しで完全に破れる。

 その身に傷を刻んでやれる。

 だが、その直前。

 敵機は高速で後退した。

 予想外の行動に俺は対応しきれない。

 中空に向けて『士道』は刀を振り下ろし、

 そのままつんのめるように前進して行く。

 ダブル・ハイ、ニュートラル。

 ライト・ファースト、キック。

 ライト・ロー、バック。

 レフト・ロー、ニュートラル。

 慌てて機体を制御する。

 だがその隙に敵機を見失ってしまう。

 どこへ行った?

 鍔競りの最中逃げだし、姿をくらますとは。

「武士の風上にも置けない奴め!」

 だが、その判断は半ば間違っていた。

 後ろを振り向こうとした、その時、

 視界を横切る一瞬の影。

 六輪で走るそれは間違いなく、あの敵機だった。

 俺の相手をするのを避けて、

 もっと組みしやすい方から叩くつもりか。

 体を乗り出し、その行く先を見やれば、

 そこには大きく広げた翼を持つ蒸気闘士が居た。

 あれはイギリスか?

 それともフランスか?

 だがどちらの機体もあんな翼のような鉄塊を、

 堂々と背負ってているとは聞いていない。

 では、あれは一体――?

 俺がそんな疑問を感じながらも、

 敵を追うべく『士道』を動かした、その瞬間。

 その翼は無数の星のような光をまとった。

 まばゆく煌めく、その激しい光が、

 回転式機関銃(ガトリングガン)だと気付くまで時間はかからなかった。

 肩の辺りから突き出した左右二枚ずつの翼。

 それぞれに一定の間隔で装着されている、

 合わせて十二台の回転式機関銃。

 その弾丸の雨は流石に耐え切れたものではなく、

 敵機は急激に方向を変えて再び距離を取ろうとする。

 その背に向け、俺は『士道』を駆けさせる。

 オール・ドライブ、フォワード。

 背中からの一撃など卑怯極まりないが、

 先に士道に悖ったのは向こうだ。

 そして射程に入ろうかという、まさにその時だった。

 突如眼前の地面が爆ぜた。

 何が起きたのか分からなかったが、分からぬままに、

 過稼働状態の機体の速度を頼りに駆け抜けた。

 突っ切った俺の視界に映ったのは、

 威圧するように巨大な砲を誇示する蒸気闘士。

 彼我の距離は百メートルもない。

 次の一発が俺に狙い定められていることは分かる。

 だがこの距離なら、撃たれる前に討てる。

 背中からはやはり気が進まない。

 やはりこっちからやってやろう。

 レフト・ハイ、バック。

 ダブル・ロー、引き続きフォワード。

 刀を振りかぶりながら『士道』は走る。

 もう一発が撃たれる前に、間に合ってくれ。

 普段なら許容範囲内の縦揺れも、

 限界突破の為に尋常ではない揺れ幅になっている。

 堪えきれず吐物が口内を満たすが、

 無理に飲み下して視線を敵へと保つ。

 だが、その一瞬、無意識の内に、

 ドライバーを押し込む力が緩んでしまった。

 狙い定まった巨大な砲。

 その奥で牙を剥く砲弾と目が合った。

 まだだ、最後まで諦めるな。

 直後、俺の右方から激しい衝撃。

 敵の砲は僅かにその照準がずれていた。

 その砲身に残る小さな焦げ後が示したとおり、

 俺の左方からイギリス機が狙撃を行っていた。

「最高の同盟国だよ、あんたらは」

 射程に入った。

 感謝を込めつつ、一閃する。

 寸前で跳び退かれた。

 畜生、浅い。

 だが、確実な一撃。

「これで終わりってわけじゃねえもんな」

 そう、まだ始まったばかり。

 戦争は変わった。

 国を代表する国民が無惨に殺し合うものから、

 国民から選ばれた代表者(チャンピオン)が覚悟を持って戦うものに。

 さあ、ここが大事な時間帯ってやつだ。

 戦おう。

 そして、

 戦争を、終わらせよう。




 フランスのソンムで世界初の蒸気闘士による会戦が行われていた頃。イタリアのローマでは、数百人の市民が広場に集まって皿とフォークを手に列を成していた。

「しかし軍も見上げたことしてくれるよ。こんな規模の配給をこれからずっとやるなんてね」

「本当、本当。パスタだけでピッツァはもらえないのは残念だけど、もらえるだけでも大分いい話だよ」

「何だっけ、しかし、あれの名前」

「え? あのパスタをずっと茹でてるやつ? 確か、フードプロセッサー(ロボート・ダ・クチーナ)って名前じゃなかったっけ?」

「ああ、そうそう。凄いよな、あれ。三つもばかでかい鍋があって、しかもどんなに沸騰させても水が全然減らないんだぜ」

「ね、どうなってるんだろうね、あれは。無駄に人そっくりの形してるけど、何か関係あるのかな」

「どうなんだろうな。まあ、そんなことはどうでもいい。それよりさ、親父から手紙があったんだ。じきに帰ってくるって」

「本当か? そりゃよかったよ。帰ってきたらお祝いしなくちゃならないな」

「いいよ、別に。どうせまた毎日俺に仕立屋を継げって口うるさく言ってくるんだ」

「それだけ期待してるんだよ」

「どうだか」

「おいおい、そんなこと言うなよ。ほら、早く食べよう。やっぱり空腹は良くない」

「そうだな。ああ、それにしても、まったく、食べられさえすれば生きていけるのにねえ」


こんな手合いのルビを振りたかっただけです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ