何者
馴染みのない天井がまず目に飛び込んで来た。
(ここは……?)
声を出そうとしても、息が少し口から漏れただけだった。
おぼろげな記憶を辿ってみると、俺は管理局の人間に呼ばれて来たことを思い出す。
そして、それから、気絶した。
仮にも客人である俺にこの仕打ち。
管理局というところは、単なる国の機関とは思わないほうが良さそうだ。
舐めてかかると痛い目を見るのだなと身を持ってわからされた格好となる。
ここでようやく目が慣れてきた。
それにしたってこの部屋は暗かった。
――そして、身体の自由を奪われているわけではないようだ。
手枷足枷の類はない。
脳裏を一瞬よぎった、人体実験、研究材料、そういったものでないことを確信し、胸を撫で下ろす。
しかし、与えられた衝撃の強さは相当だったと見え、体には力が入らず、自由に動くことは叶わなかった。
腕を動かそうとして、やめた。
「目が覚めましたか?」
声のする方へ視線が動く。
体は鉛のように重く、相変わらず反応しない。
「あらあら、結構ダメージ入っちゃってる感じですね。もう少しこのままのほうが良さそうですね」
この甘い声の主は如月だ。確実にそうだ。
背中を向け、歩を進めようとしたそのとき、俺はなんとしても止めたかった。
「……ぅあ……」
自分でも驚くほど情けない声が出た。
それでも今の俺には精一杯の声だった。
「あら? 今、何か……」
足音が近づく。
呼び止めることには成功したようだった。
仰向けになった俺の顔を覗き込むようにして、如月は自身の長い髪を顔にかからぬよう指で抑えた。
こんな状況下でも「これから食べられようとしている蕎麦の視点とはこうであったか」との考えを、のんきにも拭うことはできなかった。
「あらあら、頑張って声を出したんですね。かわいい」
笑顔だった。
「私、強い男の人がこうして成すすべもなく、それでも懸命に抗おうとする姿、情けなくて大好きなんです」
人の笑顔が怖いと感じたのは初めてだった。
聞きたいことがたくさんあった。
どうしてこんなことをしたのか。
どうして命を落としかねない強硬手段を取ったのか。
それに、この部屋は一体。
ここはどこなのか。
まるで心を読まれたかのように、自然と如月が口を開く。
「あの、あなたは八竜の巣から単独で脱出しましたよね。でも、こちらでは――つまり管理局ではそんな強力な能力を持つ者の存在は把握していません。つ・ま・り、試してみたかったんですよお。どれだけあなたが強いのか。でも、結果は残念なほどあっさりでした。雇われの能力者でもない警備員のスタンガン一発でこんな風になっているんですから。まあ、それでも、見るべきところはありそうですけどね。あのスタンガン、熊用ですから」
熊用のスタンガン……それは命があるだけでも感謝しなければいけないな。
「で、この部屋は不穏な雰囲気だと思ってますよねえ。そんなことないんですよ。ほら」
如月の操るリモコンで照明が点く。
壁は黒かったが、寝かされていたのは至って普通のベッドだった。
「安心してください。来客用のベッドですから。私が使っているものじゃありません。あ、でもぉ……もしかするとそっちのほうが嬉しかったりしました? 藤堂さんは」
何を言っているんだ。
いや、待て。
今、俺の名前を……?
あは、とあっけらかんとして如月は喋る。
「藤堂さんがお休みの間、色々見させてもらいましたよ。危険人物ではないかの確認も含めてのボディチェックですぅ」
そう言った如月は右手に俺のライセンスを持っていた。
「確かに記録がありました。『孤立補正』のスキルを持つ、唯一の日本人。管理局としてもその能力の振れ幅を測定することが出来ないままだったので、その強さは未知数。それに、海外での例もほとんどいませんでした」
一瞬だけ鋭い目になって、如月はこう続けた。
「……それに、この能力を有する者は、消息を絶っています。例外無く」
死亡したという記録もないという。
つまり、消えてなくなっている。
……俺もそういう最期を迎えるとしたら。
「まあ、藤堂さんがどうなるかはわかりません。できれば、私たちの元で、そんな最期を遂げないようにしてくれればと思いますけど、どうですかね」
失礼しました、まだ話せないんですもんね、と加えて言った如月は、また笑顔に戻っていた。
これでこの話はおしまい、そんな風に区切りが付いたようだった。
俺もそんな気がして仕方なかったが、ここに来て如月は笑顔のままで大胆なことを言い始めた。
「もし、私が管理局の人間じゃなかったら、どうしますか?」
(え……)
「もし、私が何らかの理由であなたに接近し、あなたの命を奪おうとしている……としたらどうです?」
如月の手元に光る物があった。
刃物だろうか。
「どうです? 今、この部屋にはあなたと私しか居ません。つ・ま・り、藤堂さんのスキル『孤立補正』の出番ですよ?」
確かにそうだ。
彼女の言う通り、『孤立』している。
そして今、自身には危険が迫っている。
ある意味ではチャンスなのだった。
どうだ? 俺。
力が漲って来たんじゃないか?
不敵な笑みを浮かべ、如月が手に持ったナイフをついに俺の視界に入れた。
(ほら、早く。能力を発揮しなければ……俺はここまでになっちまう。ほら、早く!)
願いも虚しく俺の体は横たわったままで、身動ぎ一つしなかった。
「さよなら」
ナイフが突き立てられた。




