特権
思えば過去。
もうすっかり遠い昔の記憶だった。
子供の頃、幼な子の美奈を兄として、風呂に入れてやったものだ。
そんな俺が、今となっては女に風呂へ誘われるようになったんだから人生はわからない。
感謝すべき神などいないはずだが、今だけは頭を下げる。
神様! ありがとうございます!
薄く淡い色のカーディガンは、もう脱がれてしまった。
丁寧に折りたたまれたおかげで、原型のない毛糸の塊と化す。
白いブラウスは心許なかった。
決してやらないけれど、きっと目を凝らせば、その頼りない生地は中にある、想像も及ばぬモノが透けて見えるだろう。
そう思うと俺は唖然とし、固まってしまった。
発言の後、あまりにも淡々と脱がれていく衣類を目で追うばかりだった。
何か急き立てるような、湯船に注がれる水音が遠くで聞こえていた。
「……脱がないの」
自然な言葉だったが、今の俺には唐突な発言であった。
「あ、いや、脱ぎます……」
ゆっくりと手を掛けた。
しかし、手はどうしても進まなかった。
操はスカートの留め具を外したのか、すとんと下着を露わにした。
薄いブルーが目についたとき、やはりこのまま流されるわけにも行かず、
「ちょ、ちょっと待って操!」
と、声を上げていた。
俺は何故だか額に汗し、説明とも弁明とも言えぬ語を継いでいた。
そういう関係にあるならまだしも、そうでない場合の男女は一緒に風呂に入らないこと。
風呂に入るのであれば順序を踏みたいこと。
いきなりの風呂は嬉しい反面、あまりにもハードルが高いこと。
色々と言ったが、結局のところ、俺の意気地の無さばかりが露呈した。
それに加えて、
「……私と入るのは、嫌だった?」
とまで操に言わせてしまった。
当然、そんなことは無く、一時は神に感謝したくらいだったが、それを正直に言うことは躊躇われた。
「いや、嫌じゃなくて……嬉しいし、本当は入りたいんだよ」
「……じゃあ、入ればいい」
「だから、それには心の準備も必要だしさ」
冷たい感触。
ぴとりと操がくっついてくる。
上目遣いに俺の顔を見ながら、
「……私は、準備ができている」
と、言うのだった。
冷たいのは操の太ももだった。
こんなにもひんやりとしているのなら、温めてやるべきだとの思いも生まれる。
それに、誘われるままに、放蕩の限りを尽くしても良いのではとも思う。
自分は、決まった恋仲の女が居ない。
それはひとえに、長所というのか、誰に縛られるのでもなく、自由の身であることの証明だった。
つまり、特権階級なのである。
俺は、俺に好意を向ける女があれば、そこにつけ込み、文字通り好きにしても問題ないのである。
と、そこまで考えて、やはりそれは間違った考えであると天使が囁く。
仮に女が好意を持ち、近付いてきたとしても、そこには誠実さがなければならない。
野良犬や野良猫のように、雑な交接を行うのであれば、それはもう人間ではない。
と、そこまで天使は言った。
確かに、と思う。
悩ましい気持ちでいると、密着が強まる。
「……少し、寒い」
操の肌をこれ以上冷やすわけには行かなかった。
俺は、当初の素直な気持ちに従おう。
最早、止まれぬ。
「うん、それじゃ、温まりに行こうか」
「……うん」
二人はシャボンにまみれ、ぬるぬると肌をあわせ、その熱により、汗をかく。
そんな想像をしたとき、扉が開かれた。
何度目かはわからない同じような展開。
もういいと、俺も思っている。
読者にも悪い。
しかし、言い訳無用の半裸の二人は体を密着しており、湯の注がれる音。
誰が来たのかにも寄るが、これが美奈やアリスなら修羅場だ。
一体誰が来たんだ?
俺は扉の方へ視線を向ける。
すると、扉は開いているものの、人影がない。
どういうことだろうか。
美奈やアリスなら遠慮なしにもう入ってきているはずだし、とっくに大騒ぎになっている。
「……っ! 伏せて」
「え?」
俺は操に頭を押される形になって、その場に伏せる。
寸でのところだった。
目にも止まらぬ早さで頭上を横切る矢。
「……ボウガン?」
何もわからなかったが、命を狙われていることだけはわかった。
「くぅ〜、外しちまったっスね」
その声には聞き覚えがあった。
「正体不明は、オレたちのためにも、管理局――いや、国のためにも早く消失してもらわなきゃならないんスけどね」
「……外山か」
理由はわからなかったが奴は俺を生かしておきたくないらしい。
ヘッドショット狙いだもんな。
「女とイチャ付いてるところ悪いっスね。邪魔者っていうのはオレの二つ名でもあるっスから」
「操、離れて。奴の狙いは俺だから」
あの管理局の取調室からどうやって逃れた?
こいつも能力者なのか?
「錬成……さっきより早く飛ぶ矢。構造は再構築。貫くような鋭い矢先を」
ルービック・キューブが完成するように外山の手の中で長い矢が無から生まれた。
間違いない。
こいつも能力者だ。




