軋轢
真の睡魔に襲われたわけではない。
ただ、煙に巻きたかった。
面倒から逃れたかった。
それだけだったのが、どうしてこうも困った作用をもたらすのか。
俺が頭まで布団を被っているから、それは現段階では何かの間違いかもしれなかった。
ベッドが軋む。
まるで、訴えているかのようだ。
ぎしり、ぎしり。
音は迫って来ていた。
やがて、その重みは、俺の体にのしかかる。
布団から恐る恐る顔だけを出すと、予想通りであり、予想し得なかった光景があった。
「お、おい……何やってるんだよ」
「何って、さっきあんたが言ったんじゃないの……」
アリスの顔は食べ頃のりんごを思わせる赤だった。
「……実際に起こらないとわからないとは言ったけど……本気かよ」
「あたしがこうやって迫っても、なんとも思わないの?」
アリスは硝子細工を思わせる表情をしていた。
それは決して作り物ということではない。
美しく、今にも壊れてしまいそうな危うさを感じたのだ。
このまま抱きしめても、拒絶しても、粉々になってしまいそうで、俺はどうするべきか、やはりわからなかった。
「ほ、ほら! こんなに可愛い女の子が……ベッドで、その、誘惑とか、わからないけど……こうしているのよっ!? どうなのよっ!」
「どうって……落ち着けよアリス」
「こっ、興奮とか……しないわけ?」
「そっ、そんなことあるわけ……」
あった。
アリスが近づき過ぎ、胸元の辺りに居てくれて助かった。
実はこのとき、俺は雄の本能というものを初めて感じていた。
下腹部には我知らず血液が流れ、その形を変えていた。
それに、さっきから鼻孔をくすぐる女の甘い匂いがうるさかった。
アリスって、こんないい匂いすんのか……。
このままだとまずい。
俺の理性が警鐘を鳴らす。
「ねえ……どうなのよっ」
甘い匂い。
深い、濃紅な瞳に見つめられる。
「お、俺は……」
その時だった。
感覚が全て研ぎ澄まされたような俺は、静かな、耳鳴りに近き静寂の中に、一つの音を聞いた。
それは足音。
この部屋を目指し歩く音。
ピンチだ。
ひと目見て、どんな風に思われるかは想像に難くない。
相手が誰であっても、この俺たちの状況を見せるわけには行かなかった。
「アリス……」
「なっ、なに……?」
俺は素早く、そして音を立てぬよう布団をめくり上げ、アリスを仕舞い込む。
小さな悲鳴が漏れた。
それは、喜びと驚きを綯い交ぜたような声だった。
「どっ、どうしたのよ急に……! ちょっとからかっただけ……ふぐっ!」
俺はアリスの口を塞ぎ、耳元で囁いた。
「アリス、今、この部屋に誰かが入ってくる。ちょっと静かにしていてくれないか?」
アリスはこくこくと頷きながら、目で驚きを表現しており、器用だなと、一瞬のんきに思ってしまう。
その足音は、普段であれば聞こえない。
今は、はっきりと聞こえた。
ドアの前で止んだ。
ゆっくりと扉が開かれる。
「兄さん……さっきはごめんね……」
美奈だった。
俺は返事をしなかった。
そう、眠っているフリをしたのだ。
こつこつと近付く足音。
目を瞑る。
「……はあ、兄さん」
頭に美奈の手が触れる感触があった。
体が硬くなる。
早く、早く出て行ってくれと願うばかりだった。
撫でられる度に体の硬度が増すような思い。
知らず知らずのうちに、アリスを強く抱きしめるような格好になってしまう。
「兄さん……険しい顔をしてる。きっと、辛いんだよね。戦って、大変な思いをしているんだよね……」
確かにこの状況はかなり辛かった。
小さな女体を抱きかかえ、それでも妹には間違ってもバレてはいけないという、二重苦、いや、三重苦の様相。
こつり、と足音。
美奈が離れたのだ。
よし、そのまま自分の部屋へ戻るんだ。
さあ、おやすみ、美奈。
「は? よく見たら……なに、これ?」
俺の思いはやはり美奈には届かなかった。
「兄さん……」
何故だろうか。
その美奈の声には僅かな怒気が含まれているように感ぜられた。
次の瞬間、布団は美奈によってめくられていた。
勢いの良さは驚きに直結する。
「なっ! なんで! アリスちゃん!?」
「あっ……美奈……」
アリスは俺以上に居心地が悪そうだった。
「兄さん! どういうこと? せつめい! ほら! 説明して!」
「なんだよ……何から説明すればいいんだよ……」
もはや色々とどうでもよくなっていた。
「ちょっと! アリスちゃん、早く出て! いつまで兄さんにくっついてるの! もう〜〜!」
「くっついてるって、あたしがくっついたわけじゃないのよ! こいつが急に、布団に……」
アリス、それは一番の悪手だ。
「えっ! どういうこと? 兄さん、もしかして、アリスちゃんのこと襲ったの? なんで! 我慢出来なかったの? もう、辛抱たまらんって、なったの? ねえ、兄さん答えてよ! はっ、そういえば昔、兄さんお気に入りのえっちな漫画、金髪ツインテールの子が載ってるやつだった……あのページも折り目付いてた! ツインテをハンドル代わりにして……! ああぁ……兄さん、なんてことを! 不同意はさすがにダメだよ!」
「違うって! まず、話を聞いてくれ!」
「兄さん、話は聞くけど、まずはアリスちゃんの話を聞かないと」
被害者の意見から聞く、という美奈。
どちらかというと俺が被害者なのだが……。
「えっ、えーと……あたしは、こいつと話をしたかったのよ! で、その後、布団に強引に入れられたってわけ!」
「端折り過ぎだろ! それだと俺が全部悪い風に聞こえる!」
ジト目でこちらを見る美奈だった。
「大丈夫? アリスちゃん、それだけ? 体は? 体は大丈夫?」
「ええ、大丈夫。だけど、無理やり抱きつかれたから、少し疲れちゃった……。それと、その……アレがずっと当たってて」
余計なことばかり言うアリスだった。
「アリスは俺をどうしたいんだよ……」
「あっ、あんたこそ、あたしをどうしたかったのよ! こんなときに、こっ、こんなところ、こんなにして!!」
その場に居る全員が赤面する稀有な台詞だった。
その後も美奈を中心に、俺たちは色々と話し合った。
俺の懸命な努力のおかげで最悪の誤解は免れた。
「ふーん……大体わかった。じゃあ、兄さんは見られたら困ると思って、そうしたんだ」
「そりゃそうだよ。相手が誰であっても隠すべきだろ」
それはなんで? と前のめりに聞いてくる美奈だった。
「兄さんが上に乗ってくれって頼んだわけじゃないなら、別にやましくないはずでしょ?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
今になって考えると、確かにそのままでも俺は困らなかったかも、と思う。
「なーんか兄さん、変だよ。勘違いされると困るって思ったの? それか、アリスちゃんを抱きしめたかったか、そのどちらかじゃないの?」
「そんなことはないよ……もう、勘弁してくれよ」
美奈は「ダメだよ」と言った。
「これは、はっきりさせたいの」
「だって、わたし兄さんのこと好きだから」




