深淵
動きが封じられているわけでもなく、言葉が制されているわけでもない。
そして意識を乗っ取られたわけでもなかった。
ただ、彼女に従うしかなかった。
「めんどくさい能力って言ったじゃありませんかあ……もうこうなったら藤堂さんはどこまでもアリスのモノですよ」
如月が半ば諦めたように言った。
突如、ベッドに腰を下ろしたアリスは、その白いニーソックスをつま先からするすると抜き取っていく。
何をするつもりなのだろう。
やがて露わになったアリスの足は、まだ年月を経ておらず、細かい血管が透けて見えるような、見事な肌色をしており気分が良いものだった。
そして、つま先を差し出すように俺の顔へ向けた。
「舐めなさい」
えっ、初手からそれはハードだぜお嬢ちゃん、と言いたいところだったが、
「かしこまりました」
と、俺の口は開いていた。
味わうわけでもなく、愛撫でもない。
ただきれいな足を舐めるだけである。
丁寧にアリスの足を手で支えながら舐めた。
「どう、これであたしのすごさがわかっ……た、でしょ」
くすぐったいのか、アリスは途切れ途切れに言った。
一方、如月は大興奮の様子で、
「すごい、すごすぎる! 最高に情けないですよ藤堂さん! あぁ……こんな小娘の言いなりで、しかも足を舐めるなんて……もう、たまんないですぅ」
酒に酔ったかのように赤ら顔でうっとりとする如月は、声まで湿っていた。
これは本当に面倒だ。
「さあ、もう良いわ。それよりも聞いてなかったけど、あんたはどうしてベッドに寝かされているわけ?」
「はい、実は暴漢に襲われまして、それで少々体が言う事をきかなかったのです、アリス様」
そう、と言い、アリスは少し考えてから驚くべきその能力の真髄みたようなものを披露した。
「さあ、あんたの全細胞、全神経に命じるわ。今すぐ体を自由に動かせるよう修復しなさい!」
『絶対服従』という能力はそんなことまで出来るというのか?
疑いの気持ちは次の瞬間には雲散した。
心臓の鼓動は早くなり、体中が熱くなる。
下半身以外はそれなりだった自身の体は、アリスの言われるままに素早く回復を終えたらしく、元よりだいぶ調子がよくなった。
足も、ふくらはぎも、太ももも、全て動く。
痛みはなかった。
すごすぎる能力だと思った。
「アリスのこの能力は最強クラスですよ。ただ、自らには使うことが出来ないというのが唯一の欠点でしょうか」
おまけに操られるのが藤堂さんなら、それこそ世界狙えますよ、と如月は言った。
ボクシングジムの人みたいなことを言うなあと思う。
で、俺に何をさせようと言うんだ。
「まず、アリス様っていうのは止してちょうだい。そうね……姫、でいいわよ」
そっちのほうがきついかもしれなかった。
「では、体も治ったことだし、早速あの八竜のダンジョンへ向かいなさい。さあ立ち上がりなさい!」
そう言われて、すっくと立ち上がる俺。
本当に体が元通り、いや、それよりも絶好調と言った具合だった。
しかし、後先考えぬアリスの命令はやはり厄介であった。
前を隠していたタオルがぱさりと落下した。
「〜〜っ!!」
またアリスは赤面し、顔をしかめる。
如月はその様子を見て「あらあら」と言う。
なんだこれは。
東京全域に敷かれた外出禁止令、一部分に発生したダンジョンではあったが、災害級ダンジョンともなるとやはり警戒の規模が違う。
普段とは違い、人も車もない寂しい街角に俺は一人で居た。
「あそこか……」
警察官がひしめき、黄色い規制線が目に付く場所があった。
六本木のダブルトレード本社からはそう離れておらず、きっと地下で相当な大きさを誇っているのだろう。
(現場に着いたらインカムのスイッチをつけてください。通信の確認とその後の動きの指示をしますから)
如月がそう言っていたな。
俺は耳に取り付けられたインカムのスイッチをオンへと切り替えた。
「どうだ、聞こえるか」
「ええ、ばっちり聞こえてますよお、藤堂さん」
指揮命令に長けた如月が窓口となる。
「では、早速行っちゃいましょう。早く片付けるのが一番ですから」
俺は頷いて規制に近づく。
「ちょっと、あなたは? ここは災害級ダンジョンで……」
「わかってる」
そう言って一枚の紙を見せた。
管理局の命令書だ。
そこに書いてあるのを一読した警察官は「少しお待ちになってください」と言い残し、去って行った。
しばらく待たされたかと思うと、数人の警察官が黄色い規制テープを上へ持ち上げ、
「どうぞ、お気をつけて」
と言った。
「ああ、こりゃどうも」
俺はついにダンジョンの中へと入った。
背後では警察官たちがざわめいていた。
「単独でこのダンジョンに入るなんて命知らずだ」
「いや、前の発生時も一人の男が一度閉じたんだったな……」
色々言ってんなあ、と思いながら歩く。
妙に近くを飛行するカメラがうっとおしいが、これは公共放送の追跡カメラだった。
360度撮影可能で、他にも色々と高性能なカメラらしい。
「さあ、いよいよですね。藤堂さん、今の気持ちは?」
「やるだけやるよ……」
風を吸い込み、洞窟の中がいかにも広いことを知らせるように音が響く。
辿り着いた場所は赤っぽい岩肌が目立つ広い空洞だった。
魔獣の気配は無い。
「おかしいな。本当なら岩や石の粒が浮遊しているのだけれど……」
「では、まだ奥かもしれません。心してお願いしますね」
ゆっくりと歩を進める。
すると渓谷のように深い穴に突き当たる。
「なんだこの深さは……」
「すごいですね。ストーンドラゴンはこの下まで掘ったのでしょうか」
深淵を前に躊躇していると、
「何突っ立ってんのよ! 早くそこからぽーんと降りなさい!」
と、アリスの声が聞こえると、俺は躊躇いもなく飛び込んだ。
……すごい能力だな、『絶対服従』って。
そのとき、石の粒が無数に浮かんでいることに気がついた。
「お、これはまずいな……」
そう思うとようやく俺自身が反応を起こした。
『孤立補正』発動だ。
反応速度、上昇。
身体能力、上昇。
血湧き肉躍るとはこのことだ。
「ついに出ましたね……藤堂さんの最強スキルの発動です!」
「ちょ、ちょっと……普通じゃないわよこれ!」
耳元で騒がしかったが無視して石の粒を避けて行く。
空気を蹴り、更にスピードを上げる。
「ああ〜、カメラが置いてきぼりですう」
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《なんだなんだ、すげえなこいつ》
《これが管理局の実力?》
《この人、前も一人で災害級ダンジョン入ってなかった?》
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ようやく地面が見えてきた。
ゆっくりくつろいでいるところを邪魔するのは趣味ではなかったが、ストーンドラゴン、第一の仇だ。
悪く思うなよ。
力強く着地すると小さな竜が一匹居た。
俺の姿を確認すると慌てて逃げ出す。
岩の中へ同化していった。
「さて、どこに居るんだ」
ちりちりと音がし、砂が無数に降ってくる。
いつしか音はドドドと種類を変えており、降ってくるのは石や岩になった。
さあ、本丸の登場か。
壁と地面が歪んだかと思うと、そこには巨大な竜の姿がいつの間にかあった。
「さて、やってやるか……」




