表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/98

92 イリヤと虚星

「……戻ってこられたんですね」


かすれた声が、すぐ近くから聞こえた。視線を動かすと、セレスがすぐそばに立っていた。プラチナシルバーの髪は乱れ、額には冷や汗が滲んでいる。


星冠宮アストラリアの一室。天井に描かれた星図が、現実の重さを伴って視界に戻ってきた。


長椅子からゆっくりと身体を起こす。頭の奥に、まだ夢の余韻が残っている。目の前では椅子に座ったリュシアンが、けだるそうに顔を上げるのが見えた。長い睫毛の下の金の瞳が、確かめるように私を捉える。


「ご無事でなによりです。お二人が帰ってくる直前……恐ろしいほどの魔力の奔流を感じました」

セレスの声音はまだ震えている。


リュシアンが何かを確かめるように、手をひらひらとさせた。

「なるほど。私達が戻る直前に、私たちの身体の内側に防壁結界を張ったのですね。良い判断です、セレス。おかげで身体と部屋が吹き飛ばずにすみました」


透き通った白い髪が揺れる。リュシアンって、事も無げに恐ろしいことを言うよね。それに、セレスも、身体の内側に結界をはるって、どういう離れ業なんだ……。


頭がはっきりとした瞬間、イリヤの事を思い出す。

そうだ。急がないと。


私はリュシアンの元へぐい、と歩み寄った。

「リュシアン様、イリヤを救う方法があると言っていましたよね」


彼の、美しく整った顔が一瞬、陰る。

「……あります。ただ、あなたの身にも危険が――」


「構いません」

言葉を遮った。


「危険があってもいいんです。リュシアン様……私、怒っているんです」

感情が、言葉になって溢れ出す。


「彼を、あそこまで追いやった人たちに。そして、何も知らず生きてきた自分自身に。彼の犠牲の上に、帝国の平和は成り立っていたんですよね。外れ子たちの犠牲の上に、この世界は成り立っていたのに。…誰も、私も、それを止めようとしてこなかったんです」


なんで、もっと知ろうとしなかったんだろう。利用され、使い捨てられてきた“外れ子”。帝国の安寧のために囲い込まれる“聖女”。この世界には、闇がある。聖女も、外れ子も、多くの民を救うために必要な犠牲なのかもしれない。それでも、黙って受け入れることは、私にはもうできない。世界を保つ仕組み、帝国の堅牢なる機構――そんなもの、ぶっ壊れてしまえば良いんだわ。


リュシアンは、私をじっと見つめていた。


「怒りさえ、美しいのですね。――あなたは」


低く呟いてから、彼は言葉を続けた。


「彼を救うには、星脈の乱れそのものを、“記録”として世界に固定するほかない。乱れを消すのではなく、歴史として刻み、封じ込める」


セレスが、肩を震わせた。

星骸転写(ネビュラ・レコード)。誰もなし得たことのない禁術……」


「それをすれば、イリヤは?」

「闇は彼から剝がされる。彼は、乱れを引き受ける役目から、解放されるでしょう」


「どうすればいいの?」

迷いはなかった。


「私も、古石板の断片的な記録でしか知りませんが……星と直接対話する必要があります。第二塔(セラフィア)星祈の間(ドーム)であれば叶うでしょう。皇家の許可が必要です」


「アレクセイ、ね」


私は目を閉じた。

思い浮かべるのは、あの冷静な横顔。

帝国を背負う覚悟を決めた、鋭い瞳。


――アレクセイ、応えて。今、どこにいるの?


次の瞬間、胸の奥が熱を帯びた。

視界が白く弾け、床も壁も消え失せる。

重力が裏返り、光が一本の線となって収束する。


「……っ」


気づいたときには、私はセレスとリュシアンとともに絢爛豪華な執務室に立っていた。


「……アリア?」


驚いた声。

書簡を手にしたままのアレクセイと、凍りついたような近衛たちがこちらを見ている。


「魔導陣も介さずに移動するなんて……」

セレスが、言葉を失っていた。


リュシアンの表情には、驚愕と恐れが混じっているようだった。

「あなたの力は……一体どこまで……」


「アレクセイ殿下」

私は一歩前に出た。

「お願いがあります。星祈の間(ドーム)に向かいたいのです。今すぐ」


一瞬の沈黙。


アレクセイは、理由を問わなかった。

「もう、決めたのだな」


短く、しかし揺るぎない声。


「私もおまえと共に向かおう。責任は私が負う」


◇◇◇


アレクセイ、リュシアン、セレス、ミハイル、そしてエルヴィンを伴い、私は第二塔(セラフィア)にある星祈の間(ドーム)へと向かった。


「アリア、確認をさせてください」

星祈の間の扉の前で、リュシアンがふっと立ち止まり私を見る。


「星骸転写について、詳細な手順は残されていません。何が起きるか、起きないかも不明です」


私は、静かに頷いた。


「リュシアン様、ありがとうございます。何があっても、私の責任です」


リュシアンは厳かに告げた。

「星が、あなたを導いてくれると願って」


扉が、音もなく開いた。白くどこまでも広がる空間に、星々の光が降り注いでいる。


私は、中央へと進み、両手を胸の前で重ねた。

黎明星。あなたに言いたいことがあるのよ。


背後で空気が揺れた。


リュシアン、アレクセイ、ミハイル。それぞれの気配が、静かに共鳴を始める。白く淡い光が私の中心から広がり、それはやがて彼らを巻き込んで大きな光の渦となった。


『……おかえりなさい。アリア』

声が、直接意識に響く。


姿は、ない。

けれど、確かに“在る”。


――黎明星。


『愛しい子よ。何を望みますか』


「イリヤを――私の第五星(ノクティス)を助けたいのです。星脈の乱れを引き受けるという、外れ子の運命から解き放ちたい」


『彼の運命は、星に定められたもの。彼は本来、とうに死んでいるはずの人間でした。ここまで耐えていたのは、あなたの星の巡りゆえ。これ以上、星の流れを変えることはできません。たとえあなたであっても』


「そんな!黎明星ともあろうものが、人が苦しんでいるのを黙ってみていて良いんですか!私が星骸転写(ネビュラ・レコード)を行います。そうすれば、星脈の乱れも収まって、彼も自由になれるんですよね」


白の闇が、ひときわ濃くなった。


『アリア、望みには代償が伴います。闇を世界に固定すれば、あなたはその者との“個人的な因果”を失います』


『記憶。感情。意味。すべてを喪うでしょう。それにより、あなたとまわりの運命も変わります。それでも、行いますか』


「それで彼が助けられるなら、かまいません」


沈黙。


そのときだった。

光が裂け、闇が這い出てきた。


「――欲シイ」


それは、人の声ではなかった。いくつもの機械がこすれ合ったような金切り音。


形を成しきれない闇の中心には、赤い光がほんの僅かに見えていた。


「……ア…リ…ア…欲シイ」


闇は大きく膨張し、私をめがけて襲いかかってきた。


「アリア!」


ミハイルとアレクセイ、リュシアンが手をかざした。三つの光が、重なり合い、闇を弾き返す。そして光は、闇に巻き付いた。


闇は光から逃げ出そうと、もがく。しかし、絡め取られたまま少しずつ小さくなってゆく。


やがて、闇から赤い瞳だけが現れた。


「イリヤ!イリヤなのね!」


赤く光る瞳から、一筋の涙がこぼれた。


「アリア、僕は君と一緒にいたかった。君と笑いあって、君の隣に立ち、君を護る。他の守護星のように。でも、もう……それも叶わない」


その瞬間、涙がどっと溢れてきた。


「……っ……ごめんなさい。イリヤ。私が……あなたを置いてきてしまったから。……ごめんなさいっ……」


しゃくりあげる私に、イリヤの優しい声が落ちてきた。


「泣かないで。君に会えて僕は救われたんだよ。気の遠くなる闇の中で、君がたった一つの光だった……だから、君に忘れられるくらいなら、僕はこのまま消えたい」


光を押し返すように、闇が再び大きく膨らみ始める。もう、時間がない。


私は紅の瞳から目を離さずに、叫んだ。

「お義兄様!今です!」


エルヴィンが、黒い闇に向けて手をかざす。

「理を開き、我が願いを聞け。――霜律封刻(フリギド・ノーモス)


細い霧のような碧い光が降り注いだ。光の中で、すべてが()()した。


「アリア!長くはもたない!」

エルヴィンが、手を震わせながら叫んだ。


「ごめんなさい、イリヤ」


これから行うことを、イリヤは望んでいないだろう。でも、私は彼を助けたい。私が彼を忘れてしまったとしても。たとえ、二度と会えなくなったとしても。彼がこの世界のどこかで生きていれば、それだけで良いのだから。


私は、白く瞬く光に向かって、はっきりと告げる。


「黎明星、星骸転写(ネビュラ・レコード)を始めます」


光の中から浮かび上がってきたのは、一冊の、本だった。

読んでいただきありがとうございます。

現在、毎週月・水・金・日に更新しています。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ