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89 乙女とその守護星たち

私がエルヴィンと喧嘩し、そして仲直りした翌日は、セレスティア神聖国での最終日だった。

今後の方針を話し合おうということで、急遽、簡素な食事会が開かれることに。


私は晩餐の間へ向かう支度を整え、部屋で一人、息をついていた。


身にまとっているのは、淡い月光色のドレス。生地は上質だが華美ではなく、胸元と裾に星を思わせる細やかな刺繍が施されている。動くたび、光を含んだように静かに揺れた。


――このドレスは、ロウお父様が用意していたものだ。


「いつか会えたときのために、ずっと用意しておいたんだ。アリアに着てほしい。お父様の、一生のお願いだから」


そう言って、ほとんど拝み倒す勢いで差し出された。一生のお願いをこんなところで使っていいのかな、と半ば呆れつつ袖を通したのだけれど……恐ろしいことに、身体にぴたりと合っている。丈も、肩も、腰の位置も。まるで最初から、私のために仕立てられていたかのようだった。


お父様、一体いつ採寸したの。まさか……魔術で?それはそれで、少し怖い。


鏡の前で立ち尽くしていると、控えめなノック音が響いた。


「アリア。支度はできたか」


扉越しに聞こえた声に、胸の奥がわずかにざわつく。この姿をエルヴィンが見たら、どう思うんだろう。昨日のあの嬉しそうな顔が脳裏にちらついた。


意を決して、扉を開けた。


エルヴィンは、私の姿を目にした瞬間――言葉を失った。


視線が止まる。

一拍、二拍。


「…その格好で、外に出るのか」

形の良い眉が歪んだ。


「え?」


聞き返すと、エルヴィンは我に返ったように視線を逸らす。


「誰にも見せたくない」


えっ。人前に出せないほど、おかしな格好してるってこと!?やっぱりいつもの、もさっとした侍女服の方が良かったか。早く、着替えなきゃ。 私は慌てて、背中の編み上げ紐をほどいた。


とたん、エルヴィンの目が、はっきりと見開かれた。

「……何を」


ぎゃ。ほんとだ。私、何をしてるんだろう。ど、動揺のあまり、淑女にあるまじき振舞いを……無能にもほどがある。


そのとき、深いため息が落ちた。エルヴィンは私の背に回り、解けた紐を手に取ると、きゅ、と引いた。


「えっ……お義兄様……?」

「まったく、世話が焼ける」


静かな声だった。彼は慣れた手つきで、紐を結び直していく。やがて最後まで丁寧に結び終えると、ふっと距離を詰める。次の瞬間、肩に重みを感じた。


彼が後ろから、私を抱き寄せていた。


き、昨日から、距離感がバグってない?

いや、エルヴィンの距離感がおかしいのは元々か。


動けずにいると、彼の気配がさらに近づいた。頬に、彼の髪が触れる。


「……できるなら、おまえをこのまま閉じ込めて誰の目にも触れさせたくない。だが、そんなことを言うと、また泣かれてしまうのまろう」

彼は、私の首元に顔を埋めた。


わ、分かってるじゃないですか、エルヴィンさん。ドレスを着るたびにそんなこと言ってたら、私、侍女服か部屋着しか着られなくなって、家から一歩も出られなくなっちゃう。それだけは、阻止しないと。


私は、彼の腕の中でくるりと向きを変えると、エルヴィンを見上げた。

「お義兄様、そばにいるとお約束しますから、今日はお部屋を出ましょう。お願いです」


私がそう言うと、エルヴィンは、もう何度目かの深いため息をついた。


「……行こうか」


◇◇◇


エルヴィンにエスコートされ、晩餐の間へと進む。

扉が開いた瞬間、光があふれ出した。


アレクセイ、ミハイル、リュシアン。そして、ヴァルデル陛下とロウお父様。


全員、軽正装。なのに、あふれ出すロイヤル感がすごい。“帝国オールスターズ”が、パワーアップしてる。語彙力が追いつかないけれど、色とりどりの宝石を詰め込んだ宝箱みたいだ。


その全員の視線が、一斉にこちらへ向いた。


「……ほう」

最初に声を漏らしたのは、アレクセイだった。

「これは……想像以上だな」


ミハイルは言葉を失い、ただ目を見開いている。


リュシアンは白い睫毛の奥で、静かに目を細めると「美しい」と一言。


ヴァルデル陛下は、ゆっくりと私を眺め、愉しげに微笑む。

「なるほど。星は、かくも人の目を奪うか」


さすが、貴族社会を生き抜いてきた帝国オールスターズの皆さん。お世辞だということは重々承知していますが、それでも嬉しいです。ありがとうございます。私は、心の中で手を合わせ拝んだ。


その中で――ロウお父様だけが、満面の笑みだった。

「やっぱり、よく似合うね。アリア」


誇らしげな声。胸の奥が、少しだけ温かくなる。


そのとき、耳元でエルヴィンが小さく呟いた。

「……だから言っただろう。みな、おまえに目を奪われる」


彼は私の手を、しっかりと握ったまま離さなかった。


◇◇◇


晩餐は、静かに始まった。

料理は軽く、酒も控えめ。誰もが分かっている――今夜の主役は食事ではない。


しばらくは当たり障りのない会話が続いたあと、リュシアンが静かに口を開いた。

「……虚星となったイリヤについて、ですが」


その声に、場の空気が引き締まる。


「救済は、極めて困難です」


「……しかし、できないわけではないのだな」

ヴァルデル陛下が短く呟く。


白き美貌の魔導士は、さらりと髪を揺らし頷いた。

「虚星は元々、アリアの守護星です。アリアの呼びかけに応じる可能性が無いとは言えません。成功率は低く、危険も大きい。失敗すれば、乙女自身が闇に呑まれるでしょう。あとは――あなたが、どうしたいかです」


全員の視線が、私に集まった。私は、静かに背筋を伸ばした。


「私は、あの時代に一人、守護星の彼を置いてきてしまったんです。だから今度は、私が彼を迎えに行きます」


迷いはなかった。胸の紋が、淡く光っているのが分かる。どこからか、風が立ち、私の髪を揺らした。

「だから、お願いです――あなたたちの力を、貸してください」


短い沈黙ののち、アレクセイが小さく笑う。

「……まったく。これほど真っ直ぐに頼られて、断れる男がいると思うか?」


リュシアンは穏やかに頷く。

「もとより、あなたに捧げた命です」


「貴女の望みのままに」

ミハイルがそう続ける。


エルヴィンは短く息を吸い、はっきりと答えた。

「おまえの隣を、譲るつもりはない」


ヴァルデル陛下は、まっすぐに私を見つめていた。

「見事だな、星守の巫女殿。そなたは、決して折れぬ美しい柳だ。私もできる限りの協力はしよう」

そして、視線をロウへ向ける。

「もう一つ、話し合わねばならぬことがある。――そなたの父についてだ」


ロウは、静かに口を開いた。

「私は、アリアのそばにいたい。エリドゥへと戻り、父として、娘を守りたいと思っています」


胸が、じん、と熱くなる。けれど。

「お父様には、これ以上、危険な目に遭ってほしくありません。安全な場所で、ここで、待っていてください。私が――無事にイリヤを連れ戻してくるまで」


ロウはしばらく私を見つめ、やがて何かを思い出したように小さく笑った。

「本当に、強い女性に育ったね。それでこそ、私とルベリアーナの娘だ」


そして、ロウはそのままあたりをゆっくりと見回す。


エルヴィン。

アレクセイ。

リュシアン。

ミハイル。

そして――ヴァルデル陛下。


「まあいい」

穏やかな声だったが、妙な圧があった。


これは……私に好きな人ができたら、消し炭にするつもりだ……。間違いなく、本気だ。


思わずロウお父様のほうを見ると、彼は私にウインクを飛ばした。


その悪戯めいた顔がおかしくて、でも、ロウなりの不器用な親心を感じて、思わず小さく笑ってしまう。そんな私を見て、ロウもくしゃりと笑った。


晩餐の間に張り詰めていた緊張が、ふっとほどける。

重たかった空気が、ようやく息をついたようだった。


きっと、大丈夫。

この人たちがそばにいてくれるなら。

イリヤも、救い出せるはず。


でも――この時の私はまだ、知らなかった。

何かを選ぶためには、何かを捨てなければいけないということを。



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