83 星を外れた者
淡い光が、閉じていたまぶたの裏側にしみ込んでくる。
――ここは……?
固い寝台の感触。薬草の匂い。魔力を安定させる浄化水の、かすかな気配。目を開けると、白い天幕と淡い青の布が視界に広がった。
天穹殿の治療室――。
そこまで理解した瞬間、自分の手の甲に触れている温度に気づく。そっと視線を落とすと、椅子に座ったまま眠るイリヤがいた。白い僧衣の袖は乾いた血で黒く染まり、乱れた髪が頬にかかっている。
イリヤ。無事だったんだ。私はあのあと、魔力切れで気を失って……どうしたんだっけ?記憶が全くないぞ。そっと身体を起こすと、イリヤの身体がぎくりと震えた。
「……サラサ……?」
眠りの底から引き戻されたように、彼が目を開く。
「……目が覚めたんだね」
その声には、隠しきれない安堵が満ちていた。
「イリヤ……私、どのくらい眠っていたの?」
「丸一日……。君の魔力はほとんど枯渇していて、治癒班が三度も循環術式を試みたんだ。でも、反応が無くて……」
彼はそこで言葉を切り、目を伏せた。言わなかった“最悪の可能性”を、静かに飲み込んだ気配がした。
「……僕は、もう……」
唇が、痛いほど固く結ばれる。
その沈黙を破ったのは、近づいてくる足音だった。
「サラサ!」
ミハイル、オリア、アレクの三人だった。
ミハイルは私のそばに駆け寄り、顔を見た途端、深く息を吐いた。
「……よかった。本当に、よかった」
心の底からの安堵が、声の震えからも伝わってくる。
オリアはゆっくりと微笑み、アレクは静かに頷いた。
「ずいぶん心配したのよ、サラサ」
「目が覚めて良かった」
「ごめんなさい……」
ふと、胸の奥で引っかかっていた疑問が浮かぶ。
「……あのあと、何が起きたの?私、覚えてなくて……」
それを聞いた瞬間、オリアの瞳がわずかに揺れた。彼女は、そっと寝台のそばまで歩み寄る。
「イリヤが、意識の無いあなたを抱いて地上へと戻ってきたの。あなたの魔力は、ほとんどなくなっていた。ミハイルやアレクたちが魔力を分けて、天穹殿に運び込んだんだけど。本当に、今生きているのが不思議なぐらいよ」
アレクがあとを引き取る。
「サラサ、君に見てもらいたいものがある」
イリヤの肩を軽く叩き、目で何かを促した。
イリヤは、少しだけためらってから胸元の衣を開く。そこには、青銀に輝く“天秤”の紋が刻まれていた。
紋を見た瞬間、ミハイルの瞳が鋭く見開かれる。
「……これは、まさか……」
「第五星の紋だ――。イリヤはオリアの守護星と認められていたけど、守護星の紋はなぜか、持っていなかった。イリヤが言うには、この紋は、君の魔力と共鳴したときに浮かび上がってきた、と」
オリアはそっと目を細め、懐かしい人を見るような眼差しで私を見た。
「サラサ……あなたからはずっと、懐かしい光を感じていたの」
「懐かしい……?」
「ええ。あなたは、どこか遠くからここへ来た存在――けれど、あなたと私の光は、あまりにもよく似ているわ。魂の色が、ほとんど同じなの。修行場で初めてあなたの手を握ったとき、それに気づいたわ」
私と同じ、光……?魂の色が一緒って?意味が掴めず、息が浅くなる。
オリアは続ける。
「だから、イリヤは私に共鳴したの。あなたと似た光を宿していた私に。――イリヤは、本当はあなたの第五星よ」
アレクは静かに頷く。その瞳は、すでにすべてを悟っているようだった。
「イリヤは“外れ子”だ。“外れ子”は、星脈の乱れから生まれる。イリヤは本来定められていた運命の輪から外れて、ここに現れたと考えるのが自然なんだ」
大きな衝撃が、胸の奥に落ちる。イリヤは、本当は私の守護星だった。星脈の乱れによって、イリヤの生まれるべき時代がずれて、オリアの守護星と間違われてしまったということ――?頭の中が混乱して、パニックだ。
オリアとアレクは私の様子を見て「まずは、ゆっくり休んで」と、部屋を出て行った。
ミハイルは、しばらくイリヤを強い視線で見つめていたが、一歩私に近づくと耳元で囁いた。
「アリア様……明日が約束の日です」
そして、それ以上何も言わず、静かに退出していった。
◇◇◇
治療室には、私とイリヤだけが残された。
「……サラサ、君が目を覚まさない間、僕はずっと君のことを考えてた」
紅い瞳が熱を帯びて、私を見つめる。
「君のことを考えると、苦しくなる。でも、君の顔を見るとうれしくて、君の声を聞くと心が温かくなって、君がそばにいると、つらくて、幸せなんだ」
彼は膝をつき、私の手を胸に抱くように握りしめた。
「サラサ。君が、どこの誰でも、どれほど遠く離れても――もう二度と会えなくても。僕は君に、僕の全てを捧げると誓うよ」
彼の胸の紋が、ふっと強く光った。溢れた光が私の胸にも触れ、そこにも静かな灯がともる。二つの紋は、お互いを呼び合うように、柔らかく光りあった。
イリヤは、もう心を決めたのだ。私の守護星として生きると。その強い覚悟に、私もイリヤに本当のことを話さなくてはと、そう思った。
「私の本当の名前は、アリア。三百年先の未来から来たの。天穹殿で祈っていたら、ペンダントが光って、この時代に来ていて……一緒にいたミハイルも巻き込まれてしまったの。彼は私の義弟じゃなく……友人よ」
「アリア。綺麗な名前だね。それに、ミハイルはどうりで……」
イリヤは意味ありげに微笑んだ。その横顔には、何とも言えない艶が差していた。
「元の時代で義兄たちが私を待っているから、帰らないといけないわ……あなたを連れていければ良いのだけれど……」
「星々の未来を、勝手に書き換えてはいけないからね。アリアのその気持ちだけで、十分だよ」
イリヤは私の手の甲に、そっと口づけを落とした。
ん?今、さりげなく手の甲にキスされた……?不意打ちに恥ずかしくなっていると、イリヤは少し微笑み、「可愛いね、アリア」と呟きながら、再び甲にキスする。今度は、短く二度。
「イリヤ!女の子に……こんなことばっかりしちゃいけないのよ!」
「僕は君にしか、こんなことしないよ」さらりとかわされた。
イリヤって、もっと儚げな男の子じゃなかったかしら?なんだか色気と凄味が増してない?若干、アレクセイっぽくなっているというか。これってもしかして、黒曜星の血なの?女たらしの家彩なの……?
「アリア、僕は君が大切だよ」
彼は私の頬を撫でて、顔をぐっと近づけた。
紅い宝石の瞳。
その虹彩は金細工のようで――
近い。
近すぎる。
「ちょ、ちょっと待って。あなたに伝えなきゃいけないことがあるの……!!」
私はたまらず、声を張り上げた。




