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無能と呼ばれた妹は、完璧な義兄の愛で帝国を救う  作者: おりもきた
セレスティア神聖国 =ふたりの聖女=
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79 ミハイルの心配

天穹殿の寮に戻るころには、空には薄く光の帯がかかり、夜の訪れを知らせていた。


私は椅子に腰を下ろし、足首を見やった。イリヤのおかげで、擦り傷は消え、まるで何事もなかったかのようだ。


「……アリア()

ミハイルが声をかける。静かだが、奥底に揺れる緊張があった。


「今日のことは……本当に危険でした。あなたが怪我をされたと聞いて、僕は……怖くなりました」

「そんな、大袈裟よ。ただのかすり傷だったわ」

「大袈裟じゃありません!」


普段の穏やかな彼からは想像できないほど強い声に、私は思わず目を瞬いた。


ミハイルは、目を伏せ、小さく息を吐いた。

「……すみません。大きな声を出すつもりはありませんでした」


その横顔は、静かな怒りと不安を抱え込んだまま固まっていた。


「正直に申し上げます。イリヤは、僕が思っていたよりずっと……あなたに心を寄せている」

彼は慎重に言葉を選んでいた。


「あなたと関わるほど、彼は不安定になります。今日の出来事で……僕は確信しました。彼の力は強い。けれど彼の心は孤独です。あなたが手を差し伸べるほど、彼はその光に手を伸ばしたくなるでしょう」


「そんなことは……」


「いえ。あなたは、自分がどれほど人を惹きつけるかを分かっていません」

ミハイルは私の手を取った。

「あなたがイリヤの唯一になる前に、僕たちは元の時代へ戻るべきです」


私は手を握られたまま、小さく首を振った。


「……イリヤは、ずっと孤独だったの。私たちが来るまで、誰も……彼の心を救おうとしなかった。――そのまま背を向けて帰るなんて、できないわ」


私は、ミハイルの手をそっと戻した。

「イリヤには、きちんと私から話をします。私たちが元の世界に帰ってしまうことも。だから、もう少し時間を頂戴」


ミハイルはしばらく黙っていた。灯りが揺れ、彼の影が床に長く伸びる。


「……分かりました」

諦めではなく、覚悟のにじんだ声だった。


「ただし、少しでも危険を感じれば、僕の判断で、すぐにでも元の世界へ連れ帰ります」


「……ええ。それで良いわ。ミハイル様」


ミハイルはふわりと微笑んだ。

「ミハイル、と呼んでください。どうか、アリア様はそのままで――最後の日まで、ご自身が“善い”と思われる事をなしてください」


そして、私の髪をぽんぽんと叩くと、

「これでおあいこですね」


「まぁ、ミハイルのいじわる。ちょっとアレクセイ殿下に似てきたんじゃありません?」

「兄上はお優しい方です。いじわるではありませんよ」


その夜、私たちは遅くまで、アレクセイの話で盛り上がったのだった。


◇◇◇


次の日、修行を終えると私はイリヤへの部屋へと急いだ。


「……いない、みたいね」


ノックを三度繰り返したが、返事はない。ほんの少し肩を落とし、扉を見つめていると――


「サラサ?どうしたんだい」


背後から落ち着いた声がした。振り返ると、アレクサンドルが漆黒の外套を肩にかけて立っていた。


「アレク……あの、イリヤに話したいことがあって部屋に来たんだけど、まだ帰ってきてないわよね」

「イリヤは、まだ修行場だけど、すぐ戻ると思う。寒いだろう、入って待っているといい」


アレクサンドルは鍵を開け、自然な仕草で扉を押し開けた。


室内は、二人の性格がそのまま形になったようだった。アレクの側は、家族の姿絵や銀細工の小箱、明るい色の刺繍布が並び、どこか温かい。

一方、反対側の机には、最小限の筆記用具と小さな魔導灯が置かれているのみ。寝台の上には、衣類が何着か。こざっぱりどころか、ほとんど物がない。


改めて、対照的な二人に驚いていると、アレクから、イリヤの寝台に腰掛けるように勧められた。

迷いながらも、腰を下ろすと「サラサ。ひとつだけ言わせてほしい」

アレクは穏やかな顔のまま、けれど声には温度が宿っていた。


「君がイリヤと親しくしてくれるのを、僕やオリアはとても嬉しく思っている。彼は最近、君を見るととてもうれしそうだし、遠くにいる君を目で追っているときもある。けれど、あの子は優しいぶん……危うい。近づきすぎれば、君もあの子も、傷つくかもしれない。わかっているだろう?」


「アレク……あなたは」

「君は悪くない。だからこそ――もし君がいなくなったら、イリヤがどうなるか。それを心配してるんだ」


胸が、静かに締めつけられた。ああ、この人はきっとわかっているんだ。私たちが、いつかどこかに行ってしまう存在だと。


「ごめんなさい。二人にも心配をかけてしまって」

「謝らなくていい。僕たちだって、イリヤには幸せでいてほしいと思っているからね」


アレクは、それ以上何も言わずに、部屋を出ていった。


手持無沙汰になった私は、何を見るでもなく部屋を見渡す。イリヤの机の上には、金の縁取りが剥げかけた万年筆、使い込まれた革の手帳が置いてある。手帳には、先日、孤児院の子どもから貰っていた押し花が挟まっていた。


どうすれば、彼の大切なものを、もっと増やすことができるだろうか。虚星に堕ちるのを防ぐにはどうすれば良いんだろうか。そんなことを考えていると、頭の中がぐるぐるとして……意識がどこか遠くへ滑り落ちていった。


優しく、あたたかな心地。


まどろみの中で、扉がゆっくりと開く音が聞こえた。

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