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無能と呼ばれた妹は、完璧な義兄の愛で帝国を救う  作者: おりもきた
セレスティア神聖国 =ふたりの聖女=
77/86

77 無能な妹とイリヤと孤児院と

私とミハイルが聖女オリアの時代にやってきて三日目。

私はオリアに貰った手書きの地図を片手に、天穹殿から少し離れた丘の上へとやってきた。


「……ここが、星守の孤児院かぁ……」


白壁の建物は、朝の光を受けてやわらかく輝いていた。花壇には小さな手で植えたらしい花が連なり、物干し竿では青布が風に揺れている。


今日は、ここで掃除や洗濯、子どもの世話などを手伝うのが私の仕事だ。巫女にとって、市井の人に交わり、その暮らしを知ることは欠かせないらしい。本当はオリアと同行するはずだったが、急な会議ができたとかで、私は突然ひとりになってしまった。オリアは「イリヤが非番だったから、あなたの面倒をみてもらうようお願いしておいたわ」と言って、笑顔で去っていったが……巫女の育成って、放任主義というか、実地で学んでいくスタイルなのね。


少し緊張して玄関に手をかけた瞬間――小さな影がこちらへ向かって走ってくるのが見えた。

「巫女さまだ!!」


突撃してきたのは五歳ほどの男の子だ。勢いよく抱きつかれ、私は思わず体をふらつかせた。


「き、きみ、怪我するわよ……!」

「お姉ちゃん、新入りだな!なあ、バトルしようぜ!あ、おやつ持ってきた?」


新入り、って呼ばれた。さすが天穹殿直轄の孤児院。巫女に慣れてるな。しかし、平和を祈る巫女にバトルをけしかけるってなかなかチャレンジングじゃないか?ちなみに、おやつは持ってきてない……


男の子はふいに私の後ろを指さした。

「あっ、守護星のお兄ちゃん!」

「お兄ちゃん……?」


振り返ると、イリヤがいた。青銀の刺繍が入った僧衣に白髪が淡く光る。その紅い瞳はいつもより柔らかかった。


「来てくれたのね。イリヤ」

「オリアから、サラサをくれぐれもよろしく、と頼まれたからね」


相変わらずの淡泊な言い方だけれど、その声音にはほんの少しだけ、温度があった。


◇◇◇


孤児院の中は、明るく清潔で、掃除が行き届いていた。壁に貼られた子どもたちの絵やいたるところに飾られた作品が、居心地の良さを物語っていた。


「おにーちゃん! こっちきて!」


「おねーちゃん、絵描いてっ!」


「イリヤ、つかまえたぁ!」


子どもたちは容赦がなかった。私とイリヤは、五人の子どもに腕と腰を掴まれ、まるで小動物のように連れ去られていく。


「ちょ、ちょっと……僕、そんな……!」


「にーちゃん、髪さらさら!まっしろでかっこいいー!」


「魔物と、たたかったこと、ある!?」


イリヤは最初こそ戸惑っていたが、意外にも子どもの世話がうまかった。「お馬さんやって」という子どもの声に、ためらいも見せず素直に応じている。小さな手が背にしがみつくと、その重みを確かめるように姿勢を整え、歩幅までそっと合わせてやるのだ。子どもと一緒に給食を作ったときは、包丁の持ち方を丁寧に教えていたし、お昼寝の時間には、ぐずる子の頭を撫でて絵本を読んであげていた。


『少女は、手のひらに降りつもった銀貨を見つめ、微笑みました。それは、彼女が差し出してきた“やさしさ”のすべてが、空から返ってきたのだと分かったからでした。おしまい』

「おんなのこ、しあわせになって、よかったね」

「そうだね。良かったね」


あっという間に時間は過ぎ、気づけば、さっきまで絵本をせがんでいた女の子は、うとうととイリヤの腕にもたれて寝ていた。


「意外だわ。イリヤって面倒見が良いのね」

「僕も、孤児院にいたからね」

「えっ……」

「分家に預けられる前の、ほんの少しの間だけど。そこで、このくらいの子どもたちと暮らしてたんだ」

「そう……なの。知らなかったわ」


孤児院で暮らすこと自体が、すなわち不幸だとは思わない。でも、イリヤの過去を知ったあとでは、その事実はひどく残酷に聞こえた。


「気にしなくていいよ。でも、同情するような目では見ないでほしい。その方が、傷つくから」

淡々とした言い方だったが、その言葉には強い拒絶があった。


「僕はこんな白髪紅眼だから、皇家にいるより孤児院の方が楽だったくらいだよ」


「……私、あなたの瞳も髪も、とても綺麗だと思うけど。紅色の眼は冬に咲くカメリアの花のようだし、絹糸のような髪は、光を受けると輝くもの」

私は、彼の瞳を見つめながら呟いた。


「……君、そういうことを軽々しく言わない方が良いと思うよ」

気づくと、イリヤの顔は真っ赤になっていた。


私、そんなに変なこと言ったかな。男の人の外見をこんな風に褒めちゃいけなかった?


「イリヤ、あなたのこと、もっと教えてほしい」

「……僕のこと?何が知りたいの?」


「何が好きなのかとか、休みの日は何してるのかとか」

「オリアとアレクが仲良くしてるのを見るのは好きかな。猫がじゃれあってるみたいで。休みの日はほとんど寮の部屋にいるよ。街には僕のことを知ってる人もいるし」


イリヤって、オリアのことを好きなのかと思ってたけど、どうも、そういう感じでもないよね。でも、オリアがアレクと結ばれたから、嫉妬のあまり虚星になるのよね?これからオリアを好きになっていくってこと……?頭の中でぐるぐると疑問がまわる。


「君は?休みの日は何してるの?」

「私……?」


イリヤに聞かれて気づいたけど、私ってあの公爵邸では、毎日が休みのようなものだったかも。でも、隣には、いつもエルヴィンがいて……


「私は、ある(ハウス)の養女なの。義理の兄がいて、よく二人でお茶をしていたわ。お義兄様は強い騎士で、外国の文化や歴史にも詳しくて……」


話しながら、胸が苦しくなった。エルヴィン、元気にしてるかな。私たちのこと、心配してないかな。


「……サラサ?」

「……ええ。ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしちゃってた」

「そう。君も本当の家族じゃないんだね。ミハイルと髪色が違うと思ったら、血が繋がっていなかったんだ」


そうだ。今は、ミハイルが私の兄弟ってことになってるんだった。


「でも、君の家族は仲が良さそうだよね。……僕にも兄弟はいるけど、いないようなものだから」

「……会ったことはないの?」

「生まれてすぐ臣下の家に預けられたから、親の顔も、兄弟の顔も知らなかった。親には、天穹殿に入る前に一度だけ会ったけど、なんてことはなかったな」

「そう……」


まるで他人の事を話すかのような口調。自分の感じた痛みを無意識に切り離そうとしているようで、いたたまれない気持ちになった。


私と彼は、似ているようで全く違う。私には両親の記憶がない。生きているはずの父は、今どこにいるかもわからない。でも、エルヴィンがいる。血は繋がらなくても、大事な家族だ。かたや、イリヤには本当の両親や兄弟がいても、心を通い合わせることなく、生きてきた。


この人に、なにか言えることがあるだろうか。できることはあるのだろうか。頭の中で必死に探したけれど、見つからなかった。どんな言葉も、この人の悲しみやつらさに到底及ばないだろう。


でも、どうしても何かを伝えたくて、イリヤの背に手をあてた。泣いている幼子にそうするように、そのまま背を撫でる。イリヤの熱が伝わってきて、なぜだか、つい涙が溢れてきた。私が泣いてもしょうがないでしょ、と思うのだけれど、次から次にこみ上げてくる。気づかれませんように、と少し顔を下げると、ふっと、髪を撫でる気配があった。


イリヤが、穏やかな目でこちらを見ていた。

「……君が泣いて、どうするの」


「そうよね」と笑おうとしたけれど、うまくいかなかった。


私たちは、しばらくそのまま、無言でいた。


◇◇◇


帰る頃には、空は朱に染まり始めていた。


孤児院を去る時間になり、身支度を整えていると、「お兄ちゃん、いかないで」と先ほどイリヤに寝かしつけられていた女の子が駆け寄ってきた。


「また来るよ。約束する」

イリヤが小さな手を握ると、女の子は何度も何度も念押しして、ようやく笑顔になった。


孤児院を後にし、丘の道を歩きながらも、子どもたちの笑い声が耳に残っていた。イリヤは歩きながら、手をじっと見つめていた。さっきまでそこにあった温かさを確かめるように。


「サラサ、きょうは楽しかった。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう。私もとっても楽しかったわ」

「……また、行きたいな」

「イリヤ、あの子にすごく気に入られていたものね」


沈む夕日の光が、イリヤの紅い瞳に反射して、少しだけ揺れている。


「サラサ……なぜ、きみはそんなに親切にしてくれるの?」

「私……?親切、かしら?親切にしているつもりはないのだけれど」


「天穹殿のみんなは、自分から僕に話しかけてこようとはしない。皇家の外れ子なんて、扱いにくい存在だからね。僕と自然に話してくれるのは、オリアやアレクぐらいだ」


「……私は、あなたの人生に、大切なものが少しずつ増えていけばいいなとは思っているの」

「なぜ、そんなことを……?」

「だってそのほうが……あなたが幸せになれるかなと思って」


最初は、帝国に仇なす虚星を止めたいと思った。でも今は、イリヤに幸せになってほしいという気持ちのほうが大きい。こうして会って、縁を結んでしまったから。


イリヤは何も言わなかった。ただ、黙って何かを考えているようだった。


――私は、このときの自分の言葉が、

彼の未来を大きく変えてしまうことになるとは、まだ知らなかった。

読んでいただきありがとうございます。

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