73 二人の聖女
「アリア姉様、これってやっぱり……」
「うん……絶対、そうよね……」
オリアと名乗る少女に先導されて天穹殿へ向かうあいだ、私とミハイルはずっと小声の秘密会議を続けていた。オリアという名。真新しく見える天穹殿。すべてが、一つの結論に向かっていた。
「多分、ここは、聖女オリアが生きていた時代ですわよね」
「僕たちは、時間を遡ってしまったということですね、お姉様」
「どうしたら、元の時代に戻れるかしら」
「う~ん。同じように天穹殿で祈りを捧げてみるのは、どうでしょう」
「ミハイル様の外見は目立ちますし、天穹殿に行くとややこしいことにならないかしら?」
「いえ、この時代のセレスティアなら、黒髪の外れ子もいたはずですので、問題にはならないかと」
「外れ子って?」
ささやきを交わしていると、前を歩いていたオリアがふいに振り返った。光を含んだ栗色の髪が、揺れてきらりと光る。
「ところであなたたち、どこからいらしたの? セレスティアの方?」
「え、えっと、僕たちはエリドゥから来ました」
「まぁ、わざわざ? エリドゥ帝国にも黎明星の聖女が暮らす魔導院があるのでしょう?」
「僕たちはエリドゥの東の端で。セレスティアのほうが近いんです……」
実は、三百年後の未来から来たエリドゥ帝国の第三皇子と公爵令嬢です、なんて言っても絶対信じてもらえないものね。私たちは、愛想笑いをしながら、オリアとの会話を終わらせようとした。幸い、オリアは人を疑うより信じるほうが早い性質らしく、深く追及もされず、私たちは無事に天穹殿へとたどり着いた。
◇◇◇
天穹殿は白く、巨大で、そして何より明るかった。私たちが知る天穹殿は、外界とほとんど交わらない“閉ざされた聖域”という印象だったけれど――ここはまったく違った。石畳を踏むたび、周囲から人の声が聞こえてくる。
「おはよう、オリア! 今日の祈祷訓練は第二時辰だよね?」
「あとで街へ降りない?ドーチェの店、 新作のタルトが出てるって!」
「えっ、いいなぁ! 私も行く!」
……女子校の休み時間かなにかですか、ここ。よく見ると建物の中には購買部らしきスペースがあり、外にはカフェテリアのようなものまであった。おいおい。高校時代を思い出してきちゃったぞ。
「……アリア姉様……」
「……想像していたのと、違いすぎますわね……」
ミハイルが文字通り、目を丸くしている。私だって同じ気持ちだ。赤や白の衣をまとった少女たちがあちこちで笑い合い、談笑している。みんな、本当に楽しそうで、思い描いていた聖女との違いに、胸の奥がざわついた。
オリアが嬉しそうに振り返る。
「天穹殿には初めて来たのよね。ここは星守の巫女と、巫女見習いたちが学び、暮らし、祈りを捧げる場所。街とも自由に行き来できるの。人と共に生き、人と同じように笑うこと。それが星守には大切だって、神官様はおっしゃるのよ」
「人と……共に」
思わず言葉が漏れた。
オリアは満面の笑みで頷く。
「ええ。黎明星は、人々の暮らしのそばにあってこそ輝くの。街へ降りて救護院で働いたり、孤児院で子どもたちの世話をしたりもするのよ」
――聖女って、こんなに自由で、こんなに温かいものだったんだ。
“聖女は籠の鳥ではなく、星の風に生きる者”
リュシアンがかつて皇帝陛下に言った言葉が蘇った。
ミハイルがそっと私の腕に触れる。
「姉様……少し、顔色が」
「大丈夫。びっくりしただけです」
聖女について詳しいわけじゃないけど、この三百年前の空気のほうが、むしろ健全に思えてしまった。そんな私の心境など知らぬ顔で、オリアは朗らかに言う。
「それじゃ、わたしのお部屋へ行きましょう。少しお話しましょうね」
◇◇◇
オリアの部屋に案内され、私とミハイルは座を勧められた。部屋は簡素だが、陽の光がたっぷり入る明るい空間で、窓の外には中庭が見える。巫女たちが談笑しながら祈りの準備をしている姿が遠くに映った。
オリアは水差しを手に、私たちに杯を渡す。
「喉、乾いていない?」
「ありがとうございます……」
オリアは私たちをじっと見て、柔らかく微笑む。
「あなたたち、まだ少し緊張しているかしら。大丈夫。わたしも初めて天穹殿に来たときは、同じだったわ」
「そうなんですか?」
ミハイルが目を丸くする。
「ええ。星守はみな、最初はただの娘よ。でも、時が経てば、星と心がつながっていく。焦らなくていいの」
……優しい人だな……そう思った時だった。
コン、とノックの音がした。
「オリア、入っていいか?」
扉がゆっくり開く。入ってきたのは、背の高い、しっかりとした体躯の青年だった。柔らかな漆黒の髪に、同じ黒の瞳。ふと浮かべた微笑みには人を安心させる品の良さがあった。
「おや、新しい巫女候補かな。ようこそ。私はアレクサンドル。オリアの――守護星のひとりだ」
ミハイルの肩がぴくりと揺れた。……黒髪、ってことはエリドゥか、セレスティアの皇族……だよね。
オリアが照れたように笑う。
「この人は、こう見えて、エリドゥ帝国の皇子なのよ」
「“こう見えて”とはなんだ、オリア」
アレクサンドルは笑って、オリアの髪をくしゃっとした。
「もう、アレクったら、お客様の前で…!やめてよね…!」
おお……!この人が、オリアと結ばれたというエリドゥ帝国の皇子だ……!そして、今まさに、私たちの目の前で伝説の二人のイチャイチャを見せつけられている……!
アレクサンドルは、ふとミハイルを見つけ、目を細めた。
「ん……?きみは……髪が黒いね。もしかして、皇家と縁があるのかな?」
「い、いえ。僕は、外れ子だったので……」
「……そうか。いきなり不躾な質問をして悪かった、気に障ったら許してほしい」
「いえ、気にしていません。お気遣いありがとうございます」
「しかしそれにしても、君は……」
アレクサンドルは、一瞬訝しげな顔をしたが、すぐにその表情を打ち消すようににこりと笑った。
「私のことはアレクと呼んで。今後もし、困ったことがあれば、何でも言ってほしい。ここでは、巫女は皆、家族のようなものだから」
そう言うと、アレクサンドルはオリアと明日の修行の段取りについて話を始めた。
二人を見ていると、アレクサンドルが本当にオリアを好きなことが伝わってくる。オリアを見るときだけ、表情が柔らかく溶けるのだ。それはもう、隠す気のないほどに。
政略結婚、とかじゃなかったんだ。二人は本当に愛し合っていたんだ。
仲睦まじい様子を見て、どこか、安心した自分がいた。
アリアたちが時を超えてしまいまして……
ここからしばし古代編です。
エルヴィンはひと休みですが、
新たなキャラも出てきますので
よければお付き合いください。




