72 無能な妹は遡る
ロウが厳かな声で告げた。
「この先が、祈りの間でございます」
古びた扉が押し出されるようにゆっくりと開いてゆく。祈りの間は、想像をはるかに超えて広かった。澄み切った空気と、肌に触れるほど濃い魔力の気配。足元には淡い青の紋が幾重にも連なり、静かな川のように脈動しながら中央の祭壇へ流れ込んでいる。
ロウが深く頭を下げた。
「どうぞ……祈りをお捧げください。聖女オリアも、ここで世界の安寧を祈っていたと伝わります」
アレクセイ、エルヴィン、ミハイル、リュシアン――皆が静かに頭を垂れる。ヴァルデル陛下も手を組み、祭壇に祈りを捧げていた。
私もそっと息を整える。――星々よ。どうか、教えて。父は今、どこにいるの?無事なの?なぜ私たち家族はこんな目に遭わなければいけなかったの?どうして――虚星は、乙女を狙い続けるの?
その瞬間――胸元のペンダントがふわりと浮かび上がった。
「サラサ……?」
エルヴィンが私の名を呼ぶ。
祭壇の青い紋が、弾けるように強く明滅した。そして足元から光の波が隆起し、まるで水面に石を投げ込んだように、私を中心に光の輪が広がってゆく。
「サラサ!!」
エルヴィンが駆け寄ろうとするが、光の奔流がすでに私の周囲を隔てていた。私は叫ぶこともできず、ただ立ち尽くす。身体が重い。いや、違う……引っ張られている――!!
そのとき、誰かの手が強く私の手をつかんだ。
「……離さないでください!」
ミハイルだった。
光はさらに強くなり、祈りの間が白一色に染まった。
「いけない……!時環遡行だ……!」
ロウの焦る声が聞こえた。
視界が“裏返る”ような、奇妙な感覚。
◇◇◇
――眩しさに目を開けると、視界いっぱいに、青空が広がっていた。
「……あ……れ……?」
私は草の上に倒れ込んでいた。柔らかな感触が背を支え、風が頬を撫でる。どこか遠くで、小鳥の鳴き声が聞こえる。
「ご無事ですか……?」
横を見ると、ミハイルがいた。
「ええ……なんとか……ミハイル様も、怪我はありませんか?」
「……アリア姉様、御髪の色が元に戻っています!眼も!」
触れると、確かに金に変えてもらったはずの髪が薄紫へと戻っている。リュシアンの身に何かあったの?それともリュシアンと離れてしまったから?
「……まずは……状況を把握しましょう」
自分に言い聞かせるように、周囲を見渡す。……見たことのない森の中にいるようだ。
「ここは、セレスティアなのかしら……」
「天穹殿の外でしょうか。どこかに飛ばされてきたようですね」
澄み切った空気が胸の奥まで染み込んでいく。遠くには、白い石で築かれた巨大な建造物がそびえていた。……あれは、天穹殿??でも、どこか違う。状況を理解する前に――草むらの向こうから、足音が近づいてきた。
ざっ……ざっ……。
やがて、ひとりの少女が姿を現した。白と赤の衣をまとい、栗色の髪が光を受けて揺れている。年齢は、私と同じくらいだろうか。その瞳は、どこか人懐こさを感じさせた。
「まあ……こんなところに、人が……?」
驚きながらも、柔らかい声。私は答えられず、ただその瞳を見返した。
少女は少し考えるように私の胸元へ視線を落とす。その視線が――ヴァルデル陛下からもらった、あのペンダントで留まった。少女の表情がふっと緩むのが分かった。
「……その御印……あなたも、星守の巫女なのね」
「えっ……?」
「迷ったのでしょう?大丈夫。天穹殿まで案内するわ。ついてきて」
そう言って、彼女は微笑んだ。
「あの、ありがとうございます。私は……サラサと言います。そして、こちらは……」
「……僕は、サラサの弟のミハイルです。よろしくお願いします」
さすがに“第三皇子です”とは言えないもんね……でも、髪の色が違うのに姉弟だなんて大丈夫かしら……そう思いながらミハイルの説明に相槌を打つ。
「まあ、姉弟でここまで。これからお姉さんが巫女入りされるのね」
少女は、静かに手を胸に当てた。
「私の名前はオリア。星守の巫女――オリアよ」
ヴァルデル陛下にもらったペンダント、やっぱり曲者でした……




