68 セレスティア神聖国の侍女は見た
星央殿で、陛下の呪いを人知れず解いた翌日。
朝からセレスティアの宮殿は、どこかそわそわしていた。
廊下ですれ違う侍女や神官たちのひそひそ話が、やけに耳に届く。
「今朝のヴァルデル陛下、ご覧になりまして?」
「ええ……まるで別人のように、穏やかで……」
「お顔が光り輝くようでしたわ……!」
私はサラサ、アレクセイ付きの侍女。そう何度も念じながら、厨房の廊下を足早に走る。私はここに、侍女らしく、アレクセイ殿下の御茶菓子を取りに来ただけだ。
丸い大きな木の扉をそっと開いた瞬間――侍女たちの視線が、一斉にこちらに突き刺さった。
「まぁぁ~~~っ!」
一番年長らしい侍女が、花が咲くように声を上げた。
「あなたが、エリドゥの使節団に同行しているという、サラサ様ね!」
こ、ここは……侍女たちの待機部屋だったか……!
「さ、様はやめてくださいませ。ただの侍女ですわ」
「なにをおっしゃいますの。立ち居振る舞いが、もう違いますもの」
「お座りになって。聞きたいことが山ほどありますの」
私は軽い力で押し込まれ、ふわっと丸卓の輪の中に吸いこまれた。
「昨晩、あなたのお部屋からヴァルデル陛下がお出ましになったとか」
「“エリドゥの侍女”が、陛下のおそばに呼ばれたって、大騒ぎよ」
あ、あれは陛下が獣になってたので、部屋で看病してただけです……なんて言えないよねぇ。むしろ事態を悪化させる……黙っていると、侍女たちは勝手な妄想を次々と膨らませた。
「今朝の陛下は、とても満ち足りたお顔で……あれは、ねえ……?」
「まぁ、アレクサったら大胆な……!」
いや、いや、いや!陛下の顔色が良かったのは、久々にベッドでぐっすり眠れたからだと思いますよ……これも言えないけど。
「そうだ。あれを見せてあげましょうよ」
一人がそう囁くと、丸卓の引き出しから、一枚の紙を取り出した。こそこそ声で広げながら、私の目の前へ差し出す。
「昨夜、みんなで作った“エリドゥ使節団のランキング”よ」
「えっ」
そこには、丁寧な文字で名前が並んでいた。
一位:氷の伯爵 エルヴィンさま
二位:微笑みの貴公子 アレクセイ殿下
三位:知性の君 リュシアンさま
特別枠:ミハイル殿下(かわいい担当)
……なんだろう。見てはいけない帳簿を覗いてしまった気分だ。
「なんといっても、やっぱりエルヴィン様よ」
「あの冷ややかな瞳で見つめられたいわよねえ」
冷ややかな瞳で見つめられたい…?うーん。ちょっと何言ってるか分からない…
「アレクセイ殿下は、笑顔が罪作りよね……」
「人を褒める言葉が、さらっと出てくるんですもの」
騙されてはいけない……あの人の口から出てくる褒め言葉は、全部営業トークなんですよ。
「リュシアン様は、“知性の君”って呼ばれて、星央殿の女性方に大人気だし」
「祈りの間で書物を開いている姿は、光に包まれた天使のようだったと言うわ」
えっと……その人は、本国では“至高のポンコツ”って呼ばれています。……リュシアンの名誉に関わるので、言わないでおくけれど。
「サラサ様は、どなたがお好み?」
いきなり核心に迫るような質問が飛んできて、私は思わず背筋を伸ばした。
「えっ……あ、その……どなたも、とても立派なお方ですので……」
「まあ」
「逃げましたわね?」
「ち、違いますわ。ただ、その、皆さまそれぞれに良いところがあって……」
どうやって話題を変えようかと頭を抱えていたそのとき――
扉が、静かに開いた。
「……サラサ」
低く、よく通る声。部屋の空気が、一瞬で張りつめた。扉の向こうに、エルヴィンが立っていた。
「少し、良いか」
侍女の一人が、慌てて入る。
「サラサ様を、お引き留めしてしまいまして……申し訳ございません。どうぞ、お返しいたします……!」
“お返しします”って、私は物じゃないんだけど。それにしても、な、なんかみんなエルヴィンの事を怖がってない……?
エルヴィンは扉の手前で一礼した。
「……失礼した。サラサ、行こう」
私は慌てて立ち上がり、裾を整えて頭を下げる。
「みなさま、ありがとうございました。また、参りますわ」
「ぜひ、また」
「お話の続きを」
侍女たちの視線を背中に感じながら、私はエルヴィンのもとへ向かった。
◇◇◇
廊下に出ると、静けさが戻る。エルヴィンはしばらく無言だった。私も、どう話しかけていいか分からず、後ろを歩く。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……賑やかだったな」
「ええ、とても。皆さま、優しくしてくださって」
それは本当にそうだ。少し騒がしいけれど、悪意はまったくなかった。
「サラサ」
エルヴィンは歩を緩め、私のほうを見た。
「はい?」
「おまえは……あまり宮殿をうろつくべきではない」
「えっ……?」
「姿も、仕草も、声も、目立ちすぎる。おまえが、どこの家の令嬢か探る者もいた」
淡い苦言――けれど声の底に滲むのは、明らかに“心配”だった。
「……すみません。少し、浮かれていたのかもしれません」
「謝る必要はない」と言って、エルヴィンはほんの少しだけ、柔らかく笑った。
「……私も心が狭いな」
「え……?」
エルヴィンはぐっと私に近づいた。とっさに後ずさった私のすぐ後ろには壁。いわゆる“壁ドン”状態ができあがってしまった。
彼の指先が、そっと私の髪先へ触れる。
「急いでいたのだろう。少し乱れている」
「そ、そんな……大丈夫ですわ」
「いや、悪い虫が寄り付かないようにしなくては、な」
エルヴィンは、肌に触れないよう、細心の注意を払って、頬にかすかにかかった髪を、一筋、また一筋と指先で後ろへ流していく。エルヴィンの長い指はしなやかで節がしっかりしていて、それでいて爪の先まで丁寧に整えられている。大きな手の甲には薄く筋が浮かび、確かな男性の気配を帯びていた。肌が彼の指の気配を感じ取るたび、胸の鼓動が早まっていく。彼の呼吸が頬をかすめ、淡い香りが触れる。
……どうしよう。セレスティアに来てから、エルヴィンの態度がなんだかおかしい。前よりスキンシップが増えてるし、距離も近すぎる。それに、私もなんだかおかしい。彼に近づかれると、どきどきする。なんでなの。
私の髪を整え終わると、エルヴィンは口の端に笑みを浮かべて、私の耳元へ顔を近づけた。
「……顔が赤いな。そんなに意識してくれるのなら……これから毎日でも、こうしようか」
「お義兄っ…」
「義兄ではないと、何度言えば分かる」
そして――そっとこめかみに口づけを落とした。
「侍女殿は、今日も美しい」
「こ、公爵様……!」
「行こう。ヴァルデル陛下がおまえをお呼びだ」
エルヴィンに物申そうとしたそのとき――視線を、感じた。廊下の端を見ると、侍女たちがこっそり重なり合うように覗いている。「無理」「尊い……!」と、声を押し殺しながら口元を押さえ、肩を震わせていた。
まずい。まずいぞ。また変な噂が立ってしまう。
しかし、エルヴィンはそんなことお構いなしに、私に腰に手をまわすと、いとも優雅に歩き出した。
私は顔を真っ赤にさせたまま、エルヴィンに連れられてゆく。
――侍女たちの熱い視線を背中いっぱいに浴びながら。
セレスティア版「家政婦は見た」
エルヴィンとアレクセイは、アリアに知られないよう、日々日々悪い虫を退治しています。
次回はエルヴィンから見たお話です。




