67 星の解放
雷雲のうねりのなか、私たちはアレクセイ、リュシアンを伴って星央殿へたどり着いた。
夜風は鋭く、張りつめた空気は――まるで、この場に眠る答えを拒むようだった。
深衣を揺らし、ミレイナ=サリエル神官長が現れる。
「こんな夜更けに……何事でございますか、陛下」
ヴァルデル陛下は足を止めず、静かに言い放った。
「神官長。王の間へ、我らを案内せよ」
その一言で、神官長の表情が凍る。
「陛下……あの場所は、何人たりとも入れませぬ。たとえ陛下であっても」
「……この者たちは――“約束されしもの”だ」
神官長は短く息を呑む。
「……約束。まさか……ルベリアーナの……」
視線が、静かに私のほうへ落ちる。その眼差しには祈りにも似た敬いが宿っていた。
「……承知いたしました。奥へご案内いたします」
神官長は深く頭を垂れた。
◇◇◇
巨大な石扉の前には、深い湖を思わせる青膜の結界が張りつめ、古代文字が静かに脈打っていた。
リュシアンが手をかざし、金の瞳を丸く見開いた。
「……これは……黎明星の力で構築された結界です」
片手を掲げ、リュシアンが白金の魔導陣を結界へ撃ち込んだ。だが青膜はわずかに揺れただけで、その全てを難なく弾き返す。
「やはり、並みの魔力では、びくともしません。ですが――同じ乙女であるあなたの力ならば破れるでしょう。守護星である私とアレクセイが、あなたの光を増幅します」
私は頷いて、二人のあいだへ進み、胸の前で掌を重ねた。
リュシアンの詠唱が静寂を切り裂く。
「――理を開き、我が乙女の誓いを聞け。智星」
白の光が結界へ網のように広がる。
アレクセイが続く。
「――理を開き、我が乙女の誓いを聞け。黒曜星」
金の光がリュシアンの光に絡みついてゆく。
私は胸に宿る光へそっと語りかけた。
「黎明星……どうか、私をこの先へ通して」
光が溢れ、白と金の光と交じり合う。編まれた光は青い膜を覆うように広がってゆき、やがて霧のように結界を散らせた。
ヴァルデル陛下は、ためらわず前へ進む。
「行くぞ。この先だ」
◇◇◇
最深部にある王の間――そこは光に溢れた、小さな石造りの空間だった。
中央の祭壇には、掌ほどの箱がひとつ。宝飾職人が魂を削って磨き上げたとしか思えない細工が施され、何かひとつの大切なものを守るために、作られたと分かる精緻さだった。
アレクセイが首をかしげる。
「これほど美しい箱に、呪いの依り代が入っているとは信じられんな」
リュシアンが魔導陣を展開し、白の光が箱を包む。
「この箱には……虚星の強い魔力が宿っています。これでは……」
私は、奇妙な確信に囚われていた。
箱は私に危害を加えない。
「危ない、触れるな」
エルヴィンの声より早く、指先が箱に触れる。そのとき、微かな震えとともに、箱が自ら蓋を開いた。
中には、小さな布袋がひとつ。
紫糸で丁寧に刺繍され、少しだけ糸が乱れた跡。
「……そんな……」
エルヴィンが肩越しに覗き、固まる。
「これは……」
フランネル地。氷花の刺繍。
私が縫ったものと同じ――いや、これは、私の作ったお守りそのものだ。しかし、箱の中のそれは、何百年も前から置かれていたように古びていた。震える指で自分のポケットを探ると、“予備のお守り”は、確かにそこにあった。じゃあ、これは一体なんなの。
私は、箱の中のお守りをそっと持ち上げた。
大切な人たちの無事を祈って縫ったもの。なぜ、こんな場所で。闇を呼ぶために使われてしまったの?問いが胸の内側で、膨れ上がる。
お守りは答えを隠すように、私の手の中で砂のように舞い、溶けていった。それは、呪いの依り代とは思えないほど、美しく、胸の奥を静かになぞるような光景だった。
お守りが消えた瞬間、ヴァルデル陛下の身体が光に包まれた。
「……っ……」
青銀の光が彼の輪郭を縁取り、呼吸に合わせて、脈打つように揺れる。やがて光はゆっくりと収束し、残ったのは――研ぎ澄まされた空気だけだった。
ヴァルデル陛下の身体は、これまでと比べものにならないほどの魔力であふれていた。陛下は静かに息を吐き、私を見つめる。
「……星守の巫女よ。そなたが私を解き放ってくれたのだな。…………三百年続いた夜が……ようやく終わった」
黒曜の瞳から頬へと、一筋の涙が落ちた。それは、まるで銀の雫のように美しかった。
獣化の呪いを解くことができたんだ。もうこれで、陛下とその子孫が、つらい思いをすることもないんだ。……良かった。本当に。じわりと、喜びが胸の内に広がった。
「陛下、良かったです。お役に立てて」
そう言うと、ヴァルデル陛下はわずかに目を見開いた後、優しく笑った。
王の間に張りつめていた緊張が、ゆっくりと解けていった。誰もが言葉を探さず、ただ深く息を整える。ここにいた全員が――終わったのだと、静かに理解していた。
――けれど。
私は、祭壇の上に置かれた装飾箱へと視線を向けた。
あれを、一体、
誰が。何のために。
拭いきれない違和感が、なお、そこに残っていた。




