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66 氷刃公と夜の獣 追跡

寝台に横たわるヴァルデル陛下が、まぶたをわずかに震わせた。


「……ここは……」


掠れた息がこぼれる。私は椅子から立ち、そっと寝台へ歩み寄った。

「皇帝陛下。お目覚めでいらっしゃいますか」


陛下の額や喉元にはまだ熱の名残が浮かんでいる。私は()()として、清らかな布で額の汗を拭うと、ガラス差しから水を注いだ。


ゆっくりと目を開いた陛下は、私とエルヴィンを順に見渡す。

「……そなたたちが、助けたのか」


エルヴィンが簡潔に答える。

「陛下をお救いしたのは、この侍女です」


いや、あれはお救いしたっていうのかな……私はただ……お守りを渡しただけなんだけど。あの、フランネル地の袋に“手書き大吉”を仕込んだ、あれを。


ヴァルデル陛下は、力を振り絞るように身体を起こすと、私の方へわずかに頭を垂れた。

「……礼を言う。エリドゥの侍女よ。そなたの光が……私の理性をつなぎとめてくれた」


「い、いえ! 私はただ――」

「良い。言葉以上のものを、私は確かに受け取った」


陛下の瞳は、静謐な湖面のようだった。ひとつ呼吸を整え、声を低く落とす。

「……そなたらも、戸惑っているであろう。この身の呪いについて」


エルヴィンが眉を寄せる。

「陛下、国の内情に関わることであれば——」


「いや。聞いてほしい。皇家が背負ってきた、長い呪いの始まりを」

陛下は目を閉じ、遥かな記憶を手繰るように語り始めた。


***


「古き時代。聖女オリアの七星のひとりは、我がセレスティア皇家の皇子だった。——だがその皇子は、虚星(アストラ・ヴォイド)へと堕ちた」


「皇子は、乙女を慕うあまり影を呼び込んだとも、乙女を護るために己の力を使いすぎ、闇に囚われたとも、書にはさまざま記されている」


「虚星に堕ちた皇子は、聖女オリアによってこの国のどこかに封印されたと言われている。しかし、封印しきれなかった闇の残りが、皇家に呪いとして留まった。——“皇家を継ぎし者は、夜に獣と化す”という呪いだ」


「なんてこと……」 


「父も、祖父も、その上も。夜になれば獣となり、己が理を鎖で繋ぎ止めるしかなかった」


窓の外で雷が落ちた。ヴァルデル陛下の顔が照らされ、疲労の色が濃く浮かび上がる。


「私は、それを幼い頃から見せられて育った。いずれ同じ運命を辿るのだと。……呪いのおかげか、我ら一族は短命でな。祖父も父も、五十になる前に亡くなった。それだけが、救いだったかもしれぬ」


私は言葉を失った。ヴァルデル陛下の年齢は、エルヴィンたちとほとんど変わらない。そんな若さで、夜ごと獣となり……孤独な戦いを続けてきたのだ。


エルヴィンが、気づいたように言う。

「セレスティアが、長く国交を閉ざしてきたのも、それが……?」

「一国の皇帝が夜は獣になるなど、他国に侵略してくれと言っているようなものだからな」


陛下は、ゆるやかに指を開き、その手を見つめた。

「この国で……オリア以来、星守の巫女が現れぬのも、虚星の影響と言われる。我らは、長き夜に囚われたままなのだ」


外では雷鳴が枝を裂くように轟き、荒れた風雨が窓を叩いていた。


「そなたが与えてくれた光のおかげで、我が身を蝕む呪いは、いまだけは沈静しているようだ」


それなら——。胸の奥で、ひそかに希望が灯るのを感じた。

「その呪いを断つ手立ては……ないのでしょうか」


「……呪いには“根”がある。星央殿の奥深く――何人たりとも踏み入れられぬ禁所だ。そこに、呪力の依り代が封じられている」


「依り代……?」

「呪いを繋ぎとめている中心だ。それを破壊すれば、呪いは消えるだろう」

「それなら……!」


陛下が、静かに首を振った。

「……我らにも、神官にも、どのような魔導士にも――あの結界を破ることはできなかったのだ。……ありがとう、侍女殿。そなたのおかげで、私は救われたのだ。それが、たとえ今日という一夜のことであろうと」


その感謝が、かえって苦しかった。だって、陛下にとって、この呪いは今日だけのことじゃない。三百年ものあいだ、セレスティアの皇帝たちは「夜が来るたび獣になる」という苦しみを受け継いできたのだ。そんな運命を、ただ受け入れろなんて……あまりに残酷だ。


誰かの苦しみを、見て見ぬふりはしたくない。それに――この胸の奥の痛みは、きっと無視してはいけないものだ。


……逃げたくない。


黎明星よ、どうか、私を見守っていて。私は胸にそっと触れた。温かな光が胸に満ち、七芒星が白く眩い輝きを放つ。


ヴァルデル陛下が驚きに目を見開いた。

「そなたは……」


私は静かに、しかし揺るぎなく頭を上げた。

「陛下。私なら、お役に立てるかもしれません。どうか——星央殿の奥へ、お連れくださいませ」

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