52 夢とリュシアン 接触
夢を、見ていた。
闇の中で、リュシアンが私を呼ぶ夢だった。
「……アリア!」
突然、意識が鮮明になった。霧が薄れ、世界が再び形を取り戻す。白い花が一面に咲き誇る平原。その中心に私は立っていた。
目の前には、リュシアンが膝をついていた。いつもの穏やかで冷静な彼とはまるで違う。肩で息をし、涙すらにじませている。
「リュシアン様……!」
私は彼に駆け寄った。思わず、その手を取る。彼の指先は震えていた。
「アリア……ようやく、あなたに会えました」
私を見るその瞳に、胸が潰れそうになるほどの痛みと安堵が満ちていた。
「リュシアン様、助けに来てくださったんですね」
「いえ、助けられたのは、私のほうです」
リュシアンは俯き、唇を震わせた。
「私は、この夢の中で、一人になって……」
不思議だ。リュシアンが何を考えているか、何を言おうとしているのか、なぜか分かる。夢の中だからだろうか。まるで、リュシアンと私の精神が溶けあい、一つになってしまったようだった。
私は、そっと、その手を握り締めた。
「リュシアン様は、ひとりじゃありません。私がここにいます。セレスだって、魔導院のみなさんだって、お義兄様だって、アレクセイ殿下も、みんな、あなたを大事に想っていますわ」
そう言うと、彼の瞳が――ゆっくりと私を見つめ返した。
「アリア……」
白い花が風もないのに揺れ、足元から光が広がっていく。
「リュシアン様。帰りましょう」
その言葉に、彼は静かに頷いた。
その時だった。花畑の外側が、再び揺れた。黒い霧が集まり、姿を成したのは――ミハイルだった。彼の顔は苦痛で歪み、その肩は震えていた。
「アリア様……虚星の力が弱まっているうちに……早く逃げてください……」
ミハイルだ。本物の。
「ミハイル殿下!」
私は、思わず一歩踏み出した。
「来ないで!これ以上……あなたを巻き込みたくない……」
ミハイルの声は、怖がる子どものようだった。
……こんな状態の彼を、置いていけるわけがない。
「ミハイル殿下、私達と一緒に帰りましょう」
ミハイルへ近づくと黒い霧が牙を剥くように揺らめく。でも不思議と怖くなかった。
「アリア様、僕は……汚れています……僕の心は、嫉妬と劣等感で……いっぱいで……こんな僕に……もう帰る場所なんてありません」
そんな……そんなふうに思う必要なんて、何もないのに。
私は大きく息を吸った。
「殿下!」
私は叫んだ。
「殿下は、初対面の私に優しく挨拶してくださったでしょう。アレクセイ殿下の体調のことも、気遣ってらっしゃいましたわ。それに、あのスケッチ。あんなに美しい絵を描けるんですもの。殿下は、善い御心をお持ちです!」
私の言葉に、霧は小さくなり、ミハイルから離れていこうとする。
「それに、嫉妬と劣等感があったって、構わないじゃないですか!」
「……アリア様……」
ミハイルの表情に、驚きの色が混じる。
「私だって聖女なんて呼ばれているけど、そんなに立派な人間じゃありません。醜い感情だっていっぱいありますわ。それが、人間じゃありませんか」
前世の社畜時代、同期が大きなプロジェクトに抜擢されたり、社内コンペで賞をとったりするたび、妬ましく思ったり、自己嫌悪に陥ったりしていた。この世界に来てからも、自分が嫌になるときはもちろんある。でも、その気持ちがあるから、逆に頑張れるときもあるわけで。負の感情を持つこと自体は悪いことじゃないはずだ。
黒い霧が勢いを減じ、ミハイルの身体が鮮明になる。私は彼に近づき、その手を取った。
「一緒に帰りましょう、殿下。ここはあなたの居るべき場所じゃありません」
「……僕は……」
ミハイルの眼には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「黎明星。どうか、ミハイル様にとりついた闇を祓って――」
私がそう祈ると、白い光柱がミハイルの胸から溢れ、黒い霧が一気に爆ぜた。白い光が花の海を満たし、ミハイルの身体が、私の腕の中へ崩れ落ちる。その身体は弱々しくて、でも、重くて温かかった。
「アリア様、ありがとうございます。ごめんなさ……」
ミハイルが言葉を出し切る前に、身体は光の粒子となって消えた。
リュシアンが私の手をそっと握る。
「ミハイル殿下の魂は、解放されました。今頃、意識を取り戻しているでしょう。――アリア、私たちも帰りましょう」
私は頷き、光の中へ身を委ねた。
そのとき、うっすらと誰かの声が聞こえた。
「アリア、またね……」
その声は、どこか懐かしかった。
次回は




