50 夢とリュシアン 入口
アリアが眠ったまま、目を覚まさない――
舞踏会の翌朝、侍女から報せを受けた瞬間、嫌な予感がした。
私は駆け足で彼女の私室へ向かい、扉を開けるや否や、寝台のそばに駆け寄った。
「……アリア」
白いシーツに包まれた彼女は、まるで穏やかに眠っているだけのようだった。けれど、何度呼びかけても、瞼はぴくりとも動かない。人形のように美しい顔が、その深刻さを際立たせて見せていた。
「……アリア。聞こえるか?」
私は震える手で、彼女の手首にそっと指を添えた。脈は――あった。確かに、生きている。けれど、その鼓動は遠く薄く、まるで深い水底から、かすかに響いてくるようだった。
アリアの身体に、闇の魔力の気配を感じる。私は細くなった彼女の光を繋ぎとめようと、必死で自分の魔力を彼女に注ぎ込む。
――舞踏会であんなふうに泣かせるのではなかった。
――あのとき、ちゃんと謝っていればよかった。
――どうして、彼女の手を掴んで、傍にいてほしいと伝えなかったのか。
千の後悔が、喉の奥を焼くようにせり上がる。彼女が目を閉じたまま静かに横たわっている姿は、“謝る機会を与えられなかった罰”のように思えて仕方がなかった。
「アリア……おまえに、言わなければならないことがある……」
アリアの手を握ったまま、何時間が経っただろう。
執事のクラウスに連れられて、アレクセイとリュシアン、セレスが入ってきた。
「エルヴィン、状況は?」
アレクセイの冷静な声に、私はかすかに首を振るだけだった。
「眠って……それきりだ。呼んでも、触れても……起きない」
リュシアンが静かに近づき、アリアの額へ手をかざした。淡い魔導光が、静かに脈を打つ。数秒の沈黙ののち、やがて、低く呟いた。
「……反応がありません。普通の睡眠ではなく、“精神が深く沈んでいる”状態でしょう」
「やはり、虚星の影響か」
「はい。外部からの干渉で意識が引きずられた可能性が高い。このままでは自然醒は……難しいでしょう」
アレクセイが重く口を開いた。
「エルヴィン。私も、伝えねばならぬことがある。第三皇子のミハイルも同じく、眠りから目覚めないという報告が入った」
胸がざわりと音を立てた。
「……ミハイルも?」
「ああ、ミハイルの症状は、アリアと酷似している。偶然ではあるまい」
「ミハイルが、虚星だというのか?」
「それは、まだわからん」
「……どうすればいい?どうすれば、アリアは目覚める?」
自分の声が震えているのが分かった。それを隠す余裕もない。
リュシアンが、ゆっくりと息を吸った。
「……アリア嬢の精神層に直接入り、連れ戻すしかありません」
セレスが顔色を変えた。
「先生、夢界降下は……禁術です!……精神融合の危険だけでなく、もし成功しても、うまく戻れなかったらアリア様も、先生も、魂が肉体に戻れず、永久に中有を彷徨うことになります……!」
リュシアンは、静かに首を振った。白く長い髪が光を帯びて揺れる。
「分かっています。ですが、それしか方法がないのです」
金の瞳は、いつになく真剣だった。
「降下できる魔力と技量を持つ者は、私だけです。私でなければ、夢の座標を見つけることもできないでしょう」
リュシアンが私を見る。
「エルヴィン殿。行かせてください。アリア嬢を――必ず連れて戻ります」
私はアリアの手をそっと包み込み、リュシアンを見つめ返す。
「……頼む」
リュシアンは静かにうなずき、アリアへ向けて手をかざす。
「――理を開き、我が誓いを聞け。深淵なる夢の門へと我を導け。夢界降下」
白く巨大な魔導陣が部屋全体を照らし、空気が揺れた。
「――後のことは頼みましたよ。セレス」
次の瞬間、彼の身体から光の形代が現れ、魔導陣の中へと消えていった。
力を無くして倒れたリュシアンの身体を、セレスがしかと抱き留めた。
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