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49 無能な妹は夢を見る

……静寂。

気づくと私は、限りなく白い空間に立っていた。天井も地面も分からない。ただ、星の揺らぎだけがかすかに響いている。聖女認定のときの星祈の間(ドーム)に、どこか似た雰囲気だ。


「……ここは……?」

自分の声が霧に吸い込まれ、輪郭なく溶けていく。


確か、私は舞踏会を終えて、公爵家別邸に帰ったはず。帰りの馬車の中で、エルヴィンと話そうと思ったのに、なぜだか心が落ち着かなくて。エルヴィンも同じ気持ちだったと見えて、結局お互い終始、無言で過ごしてしまったんだった。


「やっと……会えたね」

囁きが、背後から落ちてきた。振り返らずとも分かる。ミハイル第三皇子だ。

けれど――その姿は、現実とは少し違っていた。霧の中から現れたミハイルは、どこか透き通っていて、まるで光で象られた彫像のように美しく、儚かった。瞳は、静かに私を映しているのに、その奥底では……黒い影がゆっくりと渦を巻いていた。


「ミハイル殿下……ここはもしかして、あなたの夢の中ですか……?」

問いかけると、ミハイルは微笑んだ。舞踏会で見た、あの優しい微笑みとそっくりなのに、そこにある温度は、どこか歪んでいた。


「夢だよ。だけど……僕にとっては、これが現実だ」

そう言いながら、彼は霧の中を滑るように近づいてくる。


距離が……近い。現実のときより、ずっと。


「アリア。ずっと、待っていたよ」

「……待っていた?」

「遠い、遠い昔から。気の遠くなる年月、君を待ち続けたんだ」


霧の奥が、きしり、と音を立てる。胸がざわり、と揺れた。バルコニーで会ったときの違和感が、ふたたび胸を締めつける。


「殿下……あの絵のことで何か?夢で見たという、私に似た女性の……」


ミハイルは、答えない。ただ静かに、優しい笑みを浮かべたまま、私の頬に触れようと、指を伸ばしてきた。触れられる――そう思った瞬間。足元に、ぞわり、と冷たいものが絡みついた。


「……っ!」


黒く歪んだ影が、私の足首をつかんでいる。まるで、底なし沼に沈めるような力で。


「大丈夫だよ、アリア」

ミハイルが、そっと囁く。優しい声なのに、ぞくりと背筋が粟立つほどの異様さがあった。


「ずっと、僕と一緒にいよう。大切にする。今度こそ、君は誰にも渡さない」


黒い影が、肩へ、胸へ、ゆっくりと這い上がってくる。呼吸が、苦しい。


「殿下……!?」


「怖がらなくていい。これでようやく……一緒にいられる」


これは、ミハイルじゃない。直感で分かった。この人の姿をしている“何か”だ。逃げなければ――。そう思ったのに、身体が動かない。指先が震え、視界が滲む。黒い影は、私の首元まで迫ってきている。


「アリア。僕を拒まないで」

耳元の囁きが、氷のように冷たい。黒い渦が、私を飲み込んでいく。


「いや……!」

声は闇へと吸い込まれて、誰にも届かない。


「僕の愛しい星、ようやく、手に入れた」

ミハイルの微笑みだけが残像のように浮かび、私はそのまま、深い深い闇へと引きずり込まれた。


次回から、至高のポンコツ、リュシアン先生が登場します。


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