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47 無能な妹はミハイル殿下と会う

エルヴィンを探して、星冠宮のあちこちを歩き、バルコニーへとたどり着いた。

外へ出ると、月光に縁取られた回廊と、淡く光る泉が視界に広がった。冷たい空気が、熱を帯びた頬をなぞる。


……私、少し、息をつきたかったのかもしれない。


思わず手すりに指をかけた、そのときだった。


「突然のお声がけをお許しください。今宵の装いがたいへん印象的で」


背後からかけられた声に、ゆっくり振り向く。

見知らぬ若い男性。整った身なり。それなりの身分だと分かる。


「ヴァレリウス侯爵家の末席を汚しております、レオナルトと申します。もしよろしければ、少しだけお話を——」


……こ、困った。エルヴィンの過保護のおかげで、こういうときの社交界の作法が全然分からない。この令息に悪意がないことは分かるけれど、熱のこもった眼と、距離の詰め方が、少し怖い。


「恐れ入りますが——」

断りの言葉を探している、その間にも、令息が一歩近づいてくる。

その動きに、思わず指先に力が入った瞬間、ふっと柔らかな影が差し込んだ。


「——ヴァレリウス侯爵家の三男、レオナルト殿、でしたね」


低く、穏やかな声。

月明かりの下に立っていたのは、淡い黒髪を夜風に揺らす青年だった。


「ヴァレリウス侯爵家は、南方、ザフィール鋼盟国との交易を拓いて名を高められたお家柄。その名を大事にするためにも、公爵家のご令嬢に声をかける際には……もう少し、場所を選ばれたほうがよろしいかと思います」


声色は終始柔らかい。それなのに、不思議と反論の余地がない。


令息は一瞬、言葉を失い、相手の顔を見て、はっと息をのんだ。

「……し、失礼しました。ミハイル皇子殿下」

軽く一礼すると、逃げるようにその場を離れていった。


残された静寂の中で、私はようやく息を吐く。

「……ありがとうございます、ミハイル殿下」


呼びかけると、彼は花開くような柔らかな微笑を浮かべた。

「アリア様。またお会いできてうれしいです」

その声音は、湖面に落ちる滴のように澄んでいた。


「先ほどはあまりお話しできず、残念に思っていたんです」

「そんな、光栄ですわ」

「アリア様は……僕が思い描いていた“乙女様”そのものでした。乙女様とはきっと、光にあふれた方だと、ずっと想像していました」

「私はそんな大それた者では……」


ミハイルは静かに首を振る。

「いいえ。あなたは美しい光だ。兄上があなたに騎士の誓いをされたのも当然です」


うーん、やっぱりあの誓いは、第一皇子がするにはしては結構なものだったよね。いたたまれなくなって、視線をそらすと、突然強い風が吹き、何かが、宙を舞った。


私の足元に落ちたそれは一枚の紙だった。

拾い上げた瞬間、息をのむ。淡い炭の線で描かれた、一枚のスケッチ。――そこに描かれていたのは、私だった。舞踏会の光に照らされ、こちらを振り返る横顔。どこか憂いを帯びた、その表情。こんな私、誰も見てないはずなのに――。


「すみません!アリア様に、そのようなものを……」

ミハイルは瞳を大きく揺らした。その揺れは“怒り”でも“恥”でもなく――もっと複雑で、胸に触れたら壊れてしまいそうなもの。私は、スケッチをミハイルにそっと手渡した。月光がミハイルの横顔に触れたとき、少年のように細な寂しさが浮かんだ。


「すみません。……これは、夢の中の光を描いたつもりだったんです。ずっと前から、時折……“誰か”が光の中で微笑む姿を、夢に見ることがありました」

「夢……?」

「ええ。そして今日、あなたに会って、この女性があなただと……気づきました」


え?どういうことなんだろう?私は無理に笑顔を作って、言った。

「とても綺麗な絵ですわ。でも……これが私と決まっているわけではないですし」


「いいえ。これほど美しく清らかな存在はあなたしかいない。夢の中の風景と分かっていても、描かずにはいられなかったのです」

ミハイルはそっと目を伏せ、指で紙の端を、丁寧に撫でるように触れた。


その沈痛な面持ちが気になり、とっさに言葉が出た。


「ミハイル殿下、何か悩んでいることがおありなのではないですか?」

「アリア様…」

「私を風の通り道だと思って、お話しくださりませんか?案外、すっきりするかもしれませんわ」


ミハイルは、少し笑みを浮かべる。

「アリア様は、本当にお優しいですね。確かに、悩みと言えるかもしれません。僕は……アレクセイ殿下や、セルゲイ殿下……兄上たちと比べて何一つ秀でるものがありません。皆それを分かっていて、期待しないでいてくれる。……でも、それが心苦しいのです。――絵を描くときだけは、胸の奥が静かになる。だからこの絵を描いたのかもしれません」


「ミハイル殿下……」


「アリア様」

突然、彼の声音が低くなった。周囲の空気さえ、ふっと薄くなる。

「僕が欲しいものは……いつもアレクセイ兄上が持っているのです。名誉も、光も、そして――あなたも」


ぞくり、とした。背中に冷たい水を浴びせられたかのような寒気と、居心地の悪さ。


しかしミハイルは――すぐにいつもの優しい笑みに戻った。

「お話を聞いてくださってうれしかったです、アリア様」

その声はあくまで天使のように澄んでいるのに、胸の奥には、月のように冷たいざわめきだけが残った。


「ミハイル殿下、こちらこそ、お会いできてよかったですわ」

そう呟いて、バルコニーを離れたあとも、ミハイルのその冷たい声が私の頭から離れなかった。

読んでいただきありがとうございます。


ミハイルは帝都学院の美術専攻でした。

次回は、どこかに消えていたエルヴィンがようやく登場。しかし・・・


ここから、毎週月水金日に更新いたします。

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