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45 無能な妹は舞踏会で涙する

皇子殿下への挨拶という大仕事を乗り越えると、どっと疲れが襲ってきた。


……今日は、もう給料分働いたし、あとは家帰ってのんびりしたい。社畜時代なら、そう言ってた、きっと。


強く感じたはずの虚星の気配は、一瞬で影を潜め――何ひとつ乱れなかったかのように舞踏会は粛々と華やぎを深めていく。


エルヴィンが、私の肩にそっと触れる。「こちらへ」と広間の隅へ導かれ、ようやく落ち着いて呼吸ができるようになった。アレクセイには名家の令嬢たちが、リュシアンには外交使節が――別々の波になって押し寄せ、二人はそれぞれの“輪”へさらわれていく。


やがて、楽団の調べが波のように広がり、ドレスの裾と礼服が光の海を描き始めた。


「アリア――よろしければ、一曲を」


振り向けば、エルヴィンが手を差し伸べていた。氷銀の衣装が光を受け淡く光り、その立ち姿は“帝国の冬”を象った彫像のように美しい。


「はい。喜んで、お義兄様」


彼の手に自分の指先を重ねると、ほんのわずかに彼の指が強張るのを感じた。


◇◇◇


エルヴィンのリードは、驚くほど滑らかだった。優しく時が、流れていく。


「お義兄様、ダンスがお上手なんですね」

「公爵家の名を辱めぬようにと、幼少より叩き込まれたからな」


なんだか、声がいつもより強張っている。さすがのエルヴィンも、この場に緊張しているのだろうか。


「先ほどのお披露目では、見事だった」

くるり、と軽く回されながら、耳元に低い声が落ちてくる。


「内心はとっても緊張していましたわ。でもアレクセイ殿下が、ご助力くださったのでなんとか終えることができました」


アレクセイの名を出すと、エルヴィンの指先が、ぎゅ、と強くなった。視線を上げると、濃紫の髪の影に揺れる碧の瞳が、氷片のような鋭さを宿している。


「……私は、本当にお前を守れているのだろうか」

「え?」


音楽は穏やかに続いているのに、周囲の空気が急に冷えた気がした。


「帝都に行くと決めたとき、公爵家の力も、騎士としての力も、私の持てる盾すべてを、お前のために掲げると誓った」

淡々とした声。けれど、その奥には深い苦悩の気配があった。


「だが――現実には、こうしておまえを帝都の渦中へと連れてきている。黎明星の乙女として、虚星の標的となりうる場へ」


ゆっくりと吐き出されたその言葉は、まるで自分自身を責めるかのようだった。


「本当に正しい判断だったのか、分からなくなる。守ると決めたはずなのに……隣に立っておまえを支えているのは、アレクセイだ」


胸の奥が、ずしりと痛んだ。……そっか。エルヴィンは、私を帝都に連れてきたことを、後悔しているんだ。


「……ご迷惑、ですよね」

気づけば、喉の奥からかすれた声が零れていた。


「ごめんなさい。足手まといで、迷惑ばかりかけて……」

「アリア?何を」

「お義兄様には公爵としてのお務めがあるのに、私なんかのことで悩ませてしまって……ごめんなさい」

「そうではない――」

「私が、黎明星の乙女なんかじゃなければよかったのに」


思わず、にじむ視界のまま、彼の瞳を見上げてしまう。


私の気持ちを読んだように、ワルツの調べが終わった。


「お義兄様は、きっと……私を公爵家に迎え入れたことを、後悔していらっしゃるんでしょう?」

わけもなく苦しくて、呼吸が浅くなる。


「アリア……?」


エルヴィンが、小さく息を呑んだ。その驚きに満ちた碧い瞳に導かれるように、私は気づいた。温かな雫が頬を伝っている。――涙が、こぼれていた。


「なぜ……」

低く抑えた声が、震えていた。伸ばしかけた手が、宙で止まる。


私は慌てて頭を下げた。

「ごめんなさい……少し、緊張してしまっただけです」


――そのとき、低く艶やかな声が聞こえた。

「どうした?アリア」


黒曜の髪が光を弾き、第一皇子アレクセイがゆるやかに歩み寄ってきた。私の涙を見て、ふっと眉をひそめる。


「泣かせたのか、エルヴィン」


「……違う!」

エルヴィンの声はいつになく語気が弱かった。


アレクセイは私のもとに近寄ると、胸元からハンカチを取り出す。そして、驚くほど自然な手つきで私の涙をそっと拭った。涙の跡に触れた指先のぬくもりだけが、残った。


「大丈夫か、アリア」

「……はい。申し訳ございません。ありがとうございます」


「おまえの涙は、見たくない」

その声音は穏やかで、やさしかった。まるで冬の終わりに差し込む陽だまりのような、柔らかなぬくもりを帯びていた。


アレクセイは微笑み、手を差し出した。

「アリア、私と踊ってくれるか」


私は思わずエルヴィンを見た。しかし、エルヴィンは――私を見つめながらも、唇を固く閉ざしていた。その顔を見て、また胸が痛む。


「……はい、殿下」

私は、アレクセイの手を取った。

読んでいただきありがとうございます!

リアクションに、力をもらっています。


次回、エルヴィンとアリアのすれ違いは、どうなる?

アレクセイは、やっぱり良い人。


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