36 無能な妹は、夢蝕病と出遭う 予感
魔力ゼロの“無能”だと思っていたら、まさかの帝国を救う“黎明星の乙女”でした。
氷刃公のはずの美貌の義兄・エルヴィンは常時過保護モード、
天才魔導士のリュシアンやその弟子のセレスも、私の持つ黎明星の光に興味津々。
第一皇子アレクセイからは、口説き言葉を投げかけられたりしてます。
と、追い打ちのように皇帝陛下からのお達しが。
「帝都で広がる《夢蝕病》の謎を解決せよ」
……はい。
元社畜として、腹をくくって頑張ります!
――帝都北部、ヴェルニエ街。
かつて金銀細工の職人たちでにぎわい、帝国随一の美術工房街として知られた場所。通りには磨かれた銀板の看板が並び、一晩中、工匠の灯が絶えなかったという。けれど今は、扉という扉には封符が貼られ、静まり返っている。風に揺れる鎖が、かすかに鳴った。
皇帝陛下からの勅命を受けて、夢蝕病の謎を解くべく、私はエルヴィン、リュシアン、アレクセイ第一皇子とともに、この街にやってきた。
魔力駆動車が止まり、扉が開くと、冷たい靄が頬をかすめた。
「――足もとに気をつけろ」
穏やかな声とともに、黒手袋の手が差し出された。アレクセイ第一皇子殿下だ。金と黒曜の装束に身を包み、どこまでも静かな威圧をまとっている。
「ありがとうございます、第一皇子殿下」
「礼など不要だ。黎明星の乙女を守るのが、私の役目だからな」
「……恐れ多いことでございます」
「そんなに畏まるな。アレクセイと呼ぶがよい」
いつものように自信満々。まさに生まれながらの皇子なんだな、この人は。――ん?もう馬車から降りたから、手を放してくれていいんだけど、なんでいつまでも私の手を握ったままなのかしら。エルヴィンの過保護が乗り移ったのか…?
アレクセイの手を振り払うこともできず、まんじりとしていると、エルヴィンが「アレクセイ、そろそろその手を放せ」と、割って入ってきた。殿下は、やれやれとでも言いたげに手を離す。
その様子をリュシアンが、物珍しそうに見ている。……と思ったら、懐からノートを取り出し、例の“観測モード”に入った。
「興味深い作用だ。黎明星の乙女と皇子殿下の触れ合いによって、エルヴィン殿の魔力の流動が――」
彼は胸元を探り、袖を探り、……最後にはなぜか、靴の中まで探りはじめた。
「……ペンが、ない。ペンが独りでに消えるなど、おかしい」
いや、おかしいのはあなたです。ペンが消えたんじゃなくて、あなたが失くしたんですよ、たぶん。
リュシアンは、遠くを見つめ始めた。
「これは虚星の干渉、あるいは星脈の乱れによる空間転移……いや、時環遡行の可能性も……」
セレスがここにいたら、絶対突っ込んでリュシアンを止めてくれたのに。今回は、別のお仕事で忙しくて来られなかったんだよね。“至高のポンコツ”のボケをひっそりと放置していると、アレクセイが口を開いた。
「……この街の職人たちは皆、夢蝕病に倒れた。患者の数は日々増えているが、目を覚ました者は一人もいない」
その声に、はっと我を取り戻すリュシアン。
「治療を懸命に続けている医師がいます。医術院へ向かいましょう」
私はその声に頷いた。
◇◇◇
帝都医術院・北区分室。
重い扉を開けると、空気が一変した。薬草と消毒薬の匂いが混じり、どこか金属のような冷たさを帯びている。並ぶベッドの上には、大勢の眠り続ける人々。どの顔も穏やかで――けれど、頬には乾いた涙の跡が残っていた。泣きながら眠っているなんて、胸が痛くなる。
「殿下、こちらの医師です」
リュシアンが声をかけた。奥から現れたのは、淡い亜麻色の髪の青年。白衣の裾を整えながら、深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります。帝都医術院所属、イザーク=レーヴェンと申します」
「ご苦労だった、医師殿」
アレクセイが短く応じる。
「状況を聞かせてくれ」
「はい……」
イザークの手が小刻みに震えていた。
「発症者は百七十名を超えています。皆、眠り続けたまま、目を覚まさない。ただ一つだけ共通していることがあるのです」
「共通点?」
「夢の中で“光の乙女”を見た、と……皆が口をそろえて言うのです」
室内の空気が一瞬で張り詰めた。リュシアンが瞳を細め、アレクセイが視線を私に向ける。
えっ?まさか私が真犯人だって疑ってるわけじゃないよね?光の乙女って、黎明星の乙女のことだもんね。でも、私は何もしてませんよ!乙女を騙った犯人め、ゆるせん……!
イザークは続けた。
「この病にかかると、最初は軽い倦怠感から始まります。やがて眠る時間が日に日に長くなり、“光の乙女”の夢を見るようになります。そして――」
彼は一瞬、言葉を飲み込んだ。
「そして?」とリュシアン。
「……目を覚まさないまま、息を引き取ります。あらゆる治療を試しましたが、効果はありませんでした」
イザークの声は震えていた。彼がどれほどの患者を見送ってきたか――それが痛いほど伝わる。
リュシアンが静かに口を開く。
「帝都魔導院でも、この病を解析しましたが、どのような治癒魔導士も治すことができませんでした。どうやら患者の生命エネルギーが、どこかへ吸い取られているようなのです。“流出”というより、“喰われている”といったほうが近いでしょう。そして、魔力が少ない者ほど、重症化しやすい傾向があるようです」
「お父さん!」
部屋の片隅で、小さな声が響いた。見ると、まだ十歳にも満たない少女が、ベッドの上の男の手を握って泣いていた。男は中年の職人のようだった。顔色は青白く、呼吸も浅い。医師たちが必死に手を動かしているが、魔力測定器の数値は下がる一方だ。
「……長くはもたないでしょう」
イザークが静かに首を振った。
「このまま意識が戻らなければ……」
少女が顔を伏せてすすり泣いている。その姿を見て、胸が締めつけられた。――こんな小さな子が、家族を失うなんて。その時、横に立つアレクセイが、ほんのわずかに目を伏せたのが見えた。まるで、自分の胸を裂かれるのを堪えているようだった。彼も、誰か大事な人を喪ったことがあるのだろうか。心配になって、そっとアレクセイの背に手をあてる。
そうだ。帝都に来たとき、手をかざしただけで男性の呪いを解いたことがあった。黎明星は、癒しと再生を司るという。私の力で、この人たちを助けることができるんじゃないだろうか。
ベッドのそばに静かに歩み寄る。エルヴィンの声が背後で止めるように響いた。
「アリア、危険だ。患者に触れるな」
「大丈夫です。……少しだけ、ですから」
男の手をそっと取る。ひんやりとして、力がまるでない。
「黎明星よ……どうか、この人を……助けてください」
自然と、言葉がこぼれた。
すると――。
手のひらがふわりと白く光りはじめた。それは炎のようでいて、痛みはなく、ただ、やさしい光が、指先から静かに広がっていく。光は男の身体を包み込み、その表情が、苦悶から安らぎへと変わっていった。けれど同時に、私の体の奥から何かが吸い取られていく。まるで、自分の命が削り取られるような――そんな感覚。
手が震える。水の底に沈んでいくように、息ができない。
視界が揺らぎ、遠くでリュシアンの声が聞こえた。
「いけない!魔力が……アリア嬢の中から吸い取られている!」
夢蝕病編が始まりました。
ここからしばらくシリアスな展開が続きます。
そして、アレクセイのターンです。




