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25 無能な妹は帝都に召喚される

魔力ゼロの“無能”だと思っていたら、まさかの帝国を救う“黎明星の乙女”でした。

氷刃公こと義兄のエルヴィン、天才魔導士のリュシアン、

その弟子のセレスとともに氷花の森でのバトルを乗り越え、

ようやくのんびり過ごせる……と思ったのも束の間。


皇帝陛下から直々に帝都への召喚状が届いてしまいました。

朝、私は公爵邸の客間で、香料師の女性から説明を受けていた。


「まずは旅路に備えて、防虫香をご紹介いたします。香りは衣服や身を守る盾にもなりますわ」


差し出された小瓶の蓋を開けると——こ、これは……!おばあちゃん家の古い桐箪笥に入っていた “あの防虫剤” の匂いだ!!まさか異世界で懐かしの匂いに遭遇するとは思わず、しばし衝撃を受ける。


「お気に召しましたか?」と香料師は微笑む。

「ええ。どこか……懐かしい香りですわ」と私。

「さすが、公爵家の御令嬢ですわ。日頃から上質なものを使ってらっしゃるのですね」


いえ、これは、異世界の庶民、懐かしの香りです。心の中でそう呟く。


――アザル公爵家に、皇家から先ぶれの早馬がきたのは1週間前。エルヴィンの見立てでは、まず間違いなく、帝都への召喚だろうということで、ここ数日、私は旅の支度に追われていた。


「それから……帝都にいらっしゃるなら、香水(パルファム)も、いかがでしょう?貴族にとって“香りは名刺”とも申しますから」と香料師。

「香りが……名刺、ですか?」

「えぇ。舞踏会でも夜会でも、香りがご自分らしさを伝えてくれますよ」


なるほど。それは、ちょっと素敵かもしれない。私は並んだ中から、ひとつひとつ試していった。華やかすぎる香りは落ち着かないし、甘い香りはむずむずする。そんななかで、ひとつ心にすっと馴染むものがあった。白薔薇の花弁に落ちた朝露のような清々しさ。そこに、薄く星銀のような透明感が混じる。


「……これが良さそうですわ」


香料師は頷き、小瓶に、私専用の一本をつくってくれた。手首に少量つけると、香りは体温でやわらかく変わる。少し恥ずかしいけれど、大人の女性になった感じがして、なんだかとても嬉しい。


「香りは、肌にのってこそ、“その方だけの香り”になります」

香料師の言葉に、私は手首をそっと見つめた。これが、私だけの香り。


そのとき——扉が軽く叩かれた。


「アリア。香料師が来ていると聞いたが……」

エルヴィンだった。


あ、ちょうどいい。感想を聞いてみよう。

「お義兄様、この香り……どう思われます?」


手首を掲げる私のもとに、エルヴィンは静かに歩み寄ってくる。

彼の大きな手が私の指先に触れ、そっと手首を包む。エルヴィンは私の手首へゆっくり顔を寄せた。鼻先が触れそうなほど近く、息づかいが肌にかすかに流れ込む。


「なるほど。清らかで、やさしく……」

囁くような声。

「お前に良く似合っている」


良い香り、ってことだよね。良かった。でも……なんだか、距離が近くないですか?香りを確かめるのに、ここまで接近する必要ってあるんだろうか。これが貴族の流儀というなら私は従いますが……


「お義兄様にも、ご自身の香りがおありなのですか?もし帝都でお使いになるのなら……新たに選ばれるのはいかがでしょう?」


エルヴィンは「私は香水をつけないのでな」と短い返事。


そっか……香水が苦手な人もいるだろうし、つけない人もいるよね。一人でテンション上がっちゃって、恥ずかしい。……しょんぼりしている私を見て、彼は微かに息を吐いた。


「……アリアの香りと“調和する”ものを。それを私の香りとしよう」


香料師は目を細めて頷く。

「では、公爵様にはこちらがよろしいかと。冷えた星の香りに、紫の影をひとしずく……御令嬢の香りとよく響き合います」


エルヴィンは、香料師から香水瓶を受け取ると、静かに香りを確かめた。

「アリア、おまえはどう思う?」


返事をする間もなく、エルヴィンの手が私の肩へ触れた。

そのまま、ごく自然に——軽く促されるようにして、私は後ろからそっと包まれる形になった。


「え……?」


驚きの声が喉の奥で小さく跳ねたが、もう遅い。

背後の温もりが静かに寄り添うように触れ、両腕が私の腕を支えるように添えられた。エルヴィンは私の手首へ指先を添え、自分につけた香りがどのように響き合うかを確かめるように、ゆっくりと顔を寄せた。


「……悪くない」

耳元で落とされたその声は低く、静かで、優しかった。


いや、やっぱり、距離が近くない?二人羽織みたいになってるし。それとも、これが貴族の普通なの?香料師の人もにこにこしてるし、おかしいと思う私のほうが、おかしいのか。諦めて目を閉じ、香りを味わう。


ふわり——

私がつけた白薔薇の香りに、エルヴィンの纏う冷えた星影の香りがそっと重なり、一つに溶けてゆく。


「とても良い香りですわ。全身がお義兄様に包まれているような……そんな安心感があります」


その瞬間、背後のエルヴィンの気配が、わずかに固まった。


あれ?聞こえてなかったかな。私は振り返って、エルヴィンの顔を見た。

「お義兄様と私だけがまとえる、特別な香りですわね」


かすかに吸い込む息の音。続いて、押し殺した声が落ちる。

「……アリア。帝都では——常に私の目の届くところにいるように」


え……私、また何かやらかしちゃってました?貴族としてなってないから、帝都では失敗しないように、常に監督の目が必要ってことですよね?エルヴィン監督……庶民には、貴族のマナーはもうわかりません。


香料師が目を細めて微笑んだ。

「お二人とも、とてもお似合いの香りになりました。帝都でも、きっと印象深いことでしょう」


◇◇◇


午後。

香りの余韻がまだ残るころ、屋敷の玄関に黒い馬車が止まった。

降り立ったのは黒衣の使者。胸元には、皇家を表す双頭の黒鷲の紋章が飾られていた――


「アリア=アザル令嬢に下知す。星冠宮の御前に参ずるべし――これは帝都よりの勅命なり」

「謹んでお受けする」


エルヴィンが短く答えると、使者は恭しく一礼し、足早に屋敷を去って行った。やがて、静けさが戻る。


「……帝都では今、虚星(アストラ・ヴォイド)の不穏な影がうごめいている」

低く抑えた声。氷のように静かで、それでいてどこか痛ましい。


「皇帝陛下は、帝都に聖女を留めおくことで、安定を図りたいのだろう。……私も、ともに帝都へ向かう」

「えっ……でも、領地はどうされるのです?」

「心配はいらない。アザル家には優秀な副公がいる。ギルベルトが代わりを務めてくれるだろう。それに、帝都からも正式に私にアリアの護衛としての任が下った」

「そう……なのですね」


さすが“闘う爵位”の(ハウス)。トップが不在でもきちんと回るようにできてるんだ。こういうところ、私のいたブラック企業も見習ってほしかったな……一人倒れたらプロジェクトが終わる会社なんて、地獄でしかない。そしてちゃっかり、帝都から護衛の任を取り付けるあたり、さすが“完璧義兄”だ。


「アリア……お前は光だ。だからこそ、闇が寄ってくるだろう」

エルヴィンの瞳は、冬の湖のように静かで深い。そこに映る自分の姿が、ほんの少し、遠くに感じた。


「お義兄様は心配性なのです。私、そんなに頼りなく見えますか?」

「……頼りなくなどない。ただ……私の手を離れてしまうのではと思うと、胸が痛む」


そのとき、どこかから冷たい風が吹き抜けた。思わず身をすくめると、エルヴィンがそっと肩を抱き寄せた。温かな重みとともに、エルヴィンと私の香りが響き合い、まろやかな輪を形取った。


私はそっとその肩にもたれかかりながら、心の中で小さく祈った。どうか、この優しい人が、悲しむことがありませんように――


このとき、私はまだ知らなかった。

帝国を揺るがす物語に、自分が巻き込まれていくことを。

『帝都惑乱 =皇家=』が始まりました。

エルヴィンやリュシアンに加え、高貴な新キャラも登場し、アリアが虚星の影と向き合っていきます。


なお、書きたい話はたくさんありまして……

『無能と呼ばれた妹は……』はまだまだ続きます。

必ず完結させる予定ですので、皆様、どうぞお付き合いください。

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