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23 魔導院院長リュシアン=オルフェウスは想う

――帝都、七塔連環(セプテントゥリオン)第二塔(セラフィア)の院長室では、今日も魔導灯が鈍く光っていた。


机の上には研究報告書が山積みになり、床には開きっぱなしの魔導書が梯子のように並んでいる。どのページにも途中まで書かれた式があり、どの式にも未完の跡が残っていた。


「先生、昨日の補正計算、まだ終わっていませんよ」

「……終わってない? どこまで書きましたっけ」

「ここです。“ここから先は寝たので明日やる”と書いてあります」


セレスが淡い銀髪を揺らしながらため息をつき、院長室を去っていった。


私はふと机の端の魔導具へ目を落とした。


自動記録書オートグリフ


氷花の森(クリオフォリス)から戻った翌日から、毎朝六時ちょうどに「本日、遠征より ○○日経過」と、勝手に読み上げるようになった、困った魔導具だ。もちろん、私はそんな設定をした覚えはない。


……今日があれから何日目だったか。数える必要など、本来はない。それでも指先が日付を追ってしまうのは、あの時見た、美しい光のせいだ。


胸の奥に生じた、微細で不可解な揺らぎ。理では説明できず、式に落とし込むこともできない。それでも――消えない。


***


術は、理だ。

観測し、数値化し、再現できるものだけが「術」と呼ばれる。

それが、私が生涯をかけて信じてきた真理だった。


オルフェウス家は、代々魔導の研究者として名高い家系だった。

星脈と理論の探求こそが家の誇りであり、そこに感情の居場所はなかった。


その嫡子として生まれた私は、幼くして制御不能の魔力を顕した。

それは、一国の均衡すら揺るがすと恐れられたほどの力だった。

父母は英才教育を施すという名目で私を帝都魔導院へ入れたが、

実際には――理性を装った恐怖と拒絶の決断だったのだろう。


――私は、あの白く高い塔の中で育った。

正確な式の暗唱と理論の再現が日課となり、失敗は即ち無能、感情は誤差とされた。

褒められることも、抱きしめられることもない。

ただ、理と法則だけが世界を裏切らないと信じていた。


夜、塔の小窓から見える星々だけが、私の慰めだった。

星は、黙して語らず、ただ静かに在り続ける。

その光の均整の中に、私は安寧を見出した。


やがて帝都魔導院(アルカナ・アストラ)の長にと乞われた私は、星脈(ヴェナ・アストラリス)を記録し、魔力の波形を解析し、あらゆる現象を「理」として整理することを己の使命としてきた。


――あの少女に出会うまでは。


アリア=アザル。

春の光のような優しさを湛えた、美しい少女だった。


「危険があっても構いません!」

その声を、今も鮮明に覚えている。

手練れの魔導士(メイジ)でさえ恐れる星脈の露出点に、まだ幼さの残る華奢な少女が迷いなく向かうと言ったのだ。


私は、その瞬間、彼女を“観測すべき対象”だと思った。

彼女のまっすぐなまなざし。その光を、誰よりも近くで観測していたい。

ただ、それだけのはずだった。


だが、魔力駆動車(ルナ・キャリッジ)で森へ向かう道すがら――。

ふわりと浮いたアリア嬢の身体が、その勢いのまま私の胸へ飛び込んできた。

布越しに伝わった、あの柔らかな重みと温度。


胸の奥に、思いがけない熱がひらく。

魔力の変動かと思い、無意識に数値を測ったが、結果は――解析不能。

説明のつかない現象に、かすかな恐れを感じた。


そして、彼女から目を離せなくなっている自分に、気づいた。


氷花の森で、彼女は星光の欠片を纏い、白い光を放った。

祈りのように穏やかで、定義できない力。

魔導陣の詠唱も無しに、全てを赦し、浄化し、消し去る。

それは理ではなく、“意思”の作用だった。


あのとき彼女は、私の手に触れて言った。

「あなたは一人じゃありません――今度は、私があなたを護ります」


誰かに護られるなど、私の人生には存在しなかった事象だ。

彼女の手の温度が、胸の奥に芽出した想いを、静かに育ててゆく。


この光を、離したくない。

心が、初めて理を押しのけて、そう告げていた。


***


「先生、失礼いたします」


静かなノックの音が、院長室の空気をわずかに揺らした。

セレスが書類を抱え、丁寧に一礼する。


「急ぎのご報告を。アザル公爵家のアリア様が、聖女認定の儀式のため、来週にも第二塔へ来られるそうです。星冠宮より正式に通知が届きました」


書類をめくりながら、セレスはそっと息を整える。その声音には、どこか慎ましやかな期待が滲んでいた。


私は羽根ペンを置き、ほんの一拍の沈黙のあと、静かに、自然な微笑みを浮かべた。

「……そうですか」

それだけを告げたのに、胸の奥に温かな光が満ちていく。


セレスはその表情を見ると、まるで自分のことのようにふわりと目を細めた。

「……良かったですね、先生」

その声音は、心から嬉しそうだった。弟子が師を祝うというより、大切な人が幸せになる瞬間にそっと寄り添うような響き。


私は何も返さず、そっと窓の方へ視線を向ける。高い窓から差し込む光が、薄い埃の粒を金色に輝かせていた。遠く、塔の中庭では星脈観測器が静かに脈動している。


――あの光が、またここへ来る。


私は胸の奥に広がる熱を押し隠すように、しかし逃がすまいとするように、ひそやかに息を吸った。


読んでいただきありがとうございます。

次回は、リュシアンのことが大好きな弟子セレスから見た先生のお話です。


みなさまからのリアクション、いつも&このたびはありがとうございます!

とても励みになっております!

毎週月曜・水曜・金曜に更新しています。

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