13 氷刃公の憂鬱
――その日、氷刃公は執務室のテーブルに山と積まれた封書を見て、大きなため息をついた。
これらはすべてアリアへの縁組の申し出だ。公爵家はもとより侯爵、伯爵、子爵、果ては男爵まで、この帝国のありとあらゆる貴族の釣り書きが集まってしまったと見える。皇家からの申し出がなかったことを喜ぶべきだろうか。
やはり、外に出すのではなかった。この屋敷に鍵をかけて閉じ込めておくべきだったか…そんなことを考えている自分に嫌気がさして、思わずじっと手を見る。アリアを一目見れば、誰でもこうなることは想像がついたのだから。
◇◇◇
氷は、揺らいではならない。
己にそう言い聞かせ、剣を握る。
呼吸、体重、土の噛み、魔力の脈――すべてが掌の内にある。
だが、その均衡は、彼女が来賓席に現れた瞬間に崩れた。
藤の光をまとった髪。こちらを探す碧の瞳。
空気の密度が変わる。光が柔らかくなり、音が遠のく。
馬鹿げているとわかっていても、視線はかならず彼女を捕らえてしまう。
その姿に、来賓席の男どもが目を奪われているのが分かる。
不快だ。
胸の奥で、冷たさではない何かが鋭くきしむ。
――アリア。
刃を起こす。氷星の理を剣に降ろす。
私の魔力剣義は、静寂の上にのみ立つ術だ。
揺らいではいけない。
――騎士たちの歓声が泡のように弾け、模擬が滞りなく終わったことに気づく。
剣を収め、手袋を正し、総長としての顔を被る。それでも、足は自然と彼女のもとへ向かってしまう。
駆け寄ってくる軽い足音。わずかに上気した頬。
「……アリア、私の義妹はお転婆と見える」
「申し訳ありません、お義兄様。はやる気持ちが抑えられず。あれが、アザル公爵であるお義兄様にしか使いこなせないといわれる魔力剣義ですのね。まるで演舞を見ているかのような美しさでしたわ」
称賛は甘い毒だ。喉元まで満たされるのを感じる。
私は短く息を入れ替え、平静を装う。
「これまで幾度となくこなしてきた模擬訓練ではあるが、お前にそう言われると何か特別素晴らしいことを自分が成し遂げた気になるな」
理性の声を装いながら、衝動が勝った。
彼女の温度を感じたい。
たまらなくなり、彼女の手袋越しの手の甲に静かに唇を寄せる。
どよめき。歓声。ため息。
令嬢たちの視線に混じり、若き騎士や貴族子息のざわめきも交じるのが分かった。思いのほか、注目を集めすぎたようだ。視線から隠すように、耳を塞ぐように、外套を彼女の肩へかける。
私は顔を上げ、団に向き直った。
「模擬訓練は以上だ。午後は対群突破の復習を行う」
声は冷え、場の温度を一段下げる。規律が戻る。
団員たちが持ち場に戻るのを見ながら、私は団長を呼んだ。
「フィンロウ」
「はっ」
「来賓席周辺の結界濃度を上げろ。以後、私の許可なく来賓に半径三歩以内の接近を禁ずる。違反は減給の上、衛兵詰所の氷庫で反省だ」
アリアが、外套の内側からそっと私を見上げる。
「お義兄様…あの……結界はやりすぎじゃないでしょうか。騎士の皆様がいるのですから来賓席の皆様が傷つくことなど万が一にもありえませんわ」
「アリア、敵とは外にいるだけではないのだよ。我らの中にこそ存在するときもある」
私の義妹は、自らに集まるまなざしの熱も、その意味も、まだ分かっていないようだ。
大人げない、と思いながらも団に向かい、指示をする。
「なお本日の来賓に関する話題は一切禁止とする。違反者は、私が直接指導する」
◇◇◇
氷刃公は、執務室の机に束ねられた封書の群れの中から、無造作に一通を取り上げ、視線を走らせる。
「……まったく、終わりがないな」
言葉とともに、指先にわずかな魔力を流した。紙面が静かに凍りつき、次の瞬間、白い霜となって崩れ落ちる。香料の甘い残り香が、冷えた空気の中に淡く滲んだ。
「クラウス」
呼ぶ声に応じ、老執事が足音を立てずに現れる。
「これらの封書を――すべて処分しろ。灰にして構わん」
「……承知いたしました」
クラウスは一礼し、ふと懐から一通の封筒を取り出す。
「旦那様、先ほど帝都より使者が参りまして、こちらを置いていかれました」
黒地に金糸を織り込んだ封蝋。皇家を示す双頭の鷲の紋章が、燭火の下で鈍く光っている。封を切ると、整然とした筆致が目に入った。
”陛下の御命を奉じ、黎明星の乙女に関する件につき、帝都魔導院院長を派遣す。
到着は明朝。黒曜星の御印をもって、これを通達す。”
星冠宮宰相
レオニス=ヴァル=ノワール 記
「……やはり、帝都が動いたか」
低く呟き、封書を指先で折り畳む。窓の外では、北風が氷枝を鳴らしていた。
その音が、遠い雷鳴の前触れのように――長く、静かに響いていた。
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次回から、アリアの魔力をめぐって新たなエピソードが始まります。
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