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第四章 セクシーなダンサー麗奈は、一陣の風

この章で触れた楽曲、演奏者

■スティーヴィー・ワンダー

■T・レックス

■プラスチックラブ/竹内まりあ

■青春のリグレット/麗美(作:ユーミン)

「隆、倉橋由美子の『パルタイ』では、学生運動の矛盾も現れているそうだよ」

「俺は、それは読んでないけど倉橋と言えば『暗い旅』だよ。確かに学生運動は、内ゲバだったり、もうもともとの目的を失ってるよね」

「安保闘争は、判らなくはなかったけどね」

「アメリカは、ベトナム戦争に日本を巻き込みつもりなのかね」

 ノンポリ学生の気楽なコメントとも言えないことはなかった。


 1967年の高校卒業後、隆と英一はそれぞれの大学で自分の道を進んでいた。

 隆が美奈子の写真撮影をしたのは大学在学中の21歳の時であったが、そのころは学生運動が盛んになりはじめ、英一の大学ではロックアウトが続いたりして、世の中の矛盾と向き合うことになった。

 隆の美大ではロックアウトはなく、大学紛争最中でも行われている授業はあり、楽しかった。同じ専攻の学科の学生は20人程度の少人数なので、お互いに気心が知れるようになってグループ交際らしきものもあり、後に結婚する香音も同じ仲間であった。

 隆はここで、多くを学んだ。教室で大学が用意したモデル女性を数人で囲みデッサンする。先生たちも皆個性的で、見た目にとらわれない真の美しさを描くように指導された。隆が驚いたのは女性の恥毛が形状別に分類した図解が載っていた教科書があったことで、絵を描くには冷静な観察眼が必要なんだろうと解釈したのだった。


 ベトナム戦争は1975年に終結したが、この時点ではまだ見通せない状況だった。圧倒的な軍事力で太平洋戦争で日本に勝利したアメリカは、同じ方程式でベトナムでも勝利を得られると錯覚したのだったのだろう。多くのアメリカの若者を失い、心を傷つけ、何も得られずにアジアの小国に負けることになるのだった。アメリカは現在までも同じ失敗を繰り返すのだった。


 学友の何人かは全学連、全共闘メンバーとしてデモに励んでいた。隆と英一は当時の体制への批判は持っているものの、過激な武力闘争は賛同できず関わることはしなかった。もっぱら、愛用のニコンを持って撮影して廻ったり、映画館に足を運んだりしていた。1968年に公開された「2001年宇宙の旅」を「シネラマ」の迫力ある映画館で観に行ったが大いに感動した。この映画は最後はSFではなく哲学だったのである。

 後に結婚する香音とは同じグループ内で出会ってはいたが、まだそんなに意識はしていなかった。

 隆の大学はそれほど学生運動が盛んにはならなかったが、大学生活で影響がないことはなかった。しかし、そういった状況の中でも、英一と同じ1972年にどうにか無事卒業した。


「英一、そっちの大学は一年間もロックアウトして授業がなかったのに。よく、四年で卒業できたね」

「ああ、大学本部もいい加減だよ。まあ、卒業できたからヨシ!だけどね。隆の方は、いろいろあったようだけど、そんなに紛争は激しくなかったんだね。」

「こっちも、何とか卒業できたよ。英一は建築士の資格取るために、卒業は必須なんだったね。まあ、おめでとうだね」

「お互いにおめでとうだ」


 英一は卒業後すぐに建設会社に就職し、しばらくは調布の実家から通った。隆は今まで住んでいた東中野のアパートの近くの古くて小さな一軒家を借りて事務所兼住まいとすることとした。就職しないでフリーカメラマン、デザイナーとして何とか生活していた。


 この1972年の2月に隆も英一もテレビ中継にくぎ付けになっていた「あさま山荘事件」がおきたり、グアムから横井正一元日本兵が帰還したり騒がしい話題もあった。5月には沖縄返還が実行され、テレビで今まで右側通行だった沖縄の交通規則が本土と同じになる様子が放送され、隆達は運転手が急に左側通行になって事故が起きないかと心配した。

 そんな中で、二人とも新しい環境でそれぞれの仕事に励んでいた。


 隆はしばらくして渋谷の教会の地下にある小さなライブハウスの専属カメラマンの職を得て、出演者などの宣材用の撮影、ポスター制作などをこなしていた。このライブハウスにはその後有名になる女優やロックバンドが出演したりしていて、それなりに楽しい現場であった。


 隆はライブハウスの仕事中にバックダンサーの一人の九条麗奈という派手で不思議な雰囲気の活発な女と出会う。

 隆が初めて麗奈とあったのは、そのライブハウスで「スティーヴィー・ワンダー」や「T・レックス」等のアップテンポのロック、ポップス曲を数人で激しく踊っていたチームを見た時で、そのメンバーの中の一人であった。彼女の激しく踊る姿は魅力的で、心を奪われた。

 フランス女優の「ブリジット・バルドー」のようなセクシーでグラマーな容貌。長い髪はやわらかくカールしている。仕事柄化粧はしているが、そもそも整った顔立ちなのでそんなに濃くしなくても魅力的だ。

 隆は23歳になり、イギリスのロックバンドの影響で髪を伸ばしていて、スリムで顔立ちもそんなに悪くないのでもてないタイプではないが、もともと奥手なので自らナンパして彼女を作ることはなかった。美奈子にモデルを申し込んだのは特別だったのだ。


 また、美奈子だってそうだが、世の中には隆のような男に興味を持つ女性もいるのだ。麗奈は隆を誘惑する。

「ねえ、漆原さん、あなたの写真は素敵じゃない。あなたも素敵だけど。」

「えっ?そうですか?あんまり女の人からそう言われることは無いんですけど」

「ほんと?、あなたの周りには見る目はない女ばかりだったのかしらね」

 隆はそういわれて美奈子のことを思い出した。

「多少はいましたよ。でも、確かにモテはしなかったですね」

「あら、どんな人と付き合ってたの?」

「素敵な人でしたけど、今では音信不通です」

 隆は、少しためらったが美奈子の写真を麗奈に見せた。


「まあ、ほんとに素敵な人。私とどっちが素敵かって聞くのは野暮だから止めとくけど、まあ、これからは私を好きになってほしいわね。そんな人のことは忘れて頂戴ね」

「ああ、君に見せたのは写真作品として自信があったからだよ」

 麗奈はライブハウスでカメラマンとして誠実に働く隆の姿と、出来上がった写真作品の出来栄えに感心し、麗奈好みのうぶな隆を誘惑してみたかった。


 ある晩、隆の事務所に押しかけ、部屋に入るなり抱き着いてキスして、そのまま一晩過ごしたりという積極的なアプローチで隆の気持ちを奪った。美奈子以外の女性とは付き合うことのなかった隆は、その誘惑に負けてしまう。麗奈の肉体も隆をとりこにさせた。

 麗奈は、隆の部屋に住んでいたわけではなかった。自分の化粧道具や衣装はおいていてほぼ毎日やって来てはいたが、いつも気ままだった。仕事がら「麗奈」という名が本名かどうかわからないし、素性も明らかにしてくれなかった。


「ねえ隆、私のこと好きだって言ってくれるけど、私の体って魅力あると思ってると思うけど、私の裸も撮ってくれる?」

「もちろんいいさ。前から撮ってみたかったのさ。ほんとに撮らしてくれるの?」

「素敵に撮ってくれるんでしょ?あなたの作品の中の女の人より、魅力的にとってよね」


挿絵(By みてみん)


 麗奈は、隆の作品の中にヌードが数枚あるのを見つけて、自分の裸も撮ってほしいと言ってきた。性格は別として麗奈の容姿や雰囲気はモデルとして申し分ないので喜んで撮ってあげた。

 麗奈の肉体は素晴らしかった。適度な大きさの乳房。くびれた腰、足は長く、程よい肉付きで完璧な裸体であった。恥毛の形も教科書に載っていた中の一つと変わらぬ美しさがあった。

 猥褻な写真ではなく、ヌード写真としての完璧な作品となることを目指して一心不乱に撮影した。プリントした印画紙の中の麗奈は、皮肉にもややつっぱった言葉を発しない分美しさだけ強調され、人を魅了する。隆にとっても大事な作品となった。


 そんな隆の麗奈に対する愛情を感じてのほぼ同棲の生活がしばらく続いていたが、隆のことを自分のものにしてしまうと、麗奈の心に変化が起きてきた。

 そもそも、単調な生活が好きでない麗奈は、夜な夜なディスコに通って自由に遊びまわるようになっていた。気の多い麗奈は、六本木のディスコで男前のマネージャーに惹かれてしまい、隆から気持ちが離れて行った。


 隆は麗奈から六本木のアマンドに呼び出された。

「ごめんなさい、隆、私、貴方との関係を終わりにしたいの。ごめんね」

「ええっ、なんで、俺は麗奈を愛してるんだよ!」

「私って、飽きっぽかったようね。あなたより、素敵な人が出来てしまったの。ごめんなさい。」


 結局、隆は浮気性の麗奈に飽きられて捨てられてしまうのだった。この後十年ほどたってリリースされた「竹内まりあ」の「プラスチックラブ」の歌詞にあるような「本当の恋はしない、恋はただのゲーム」とうそぶくような女だったのかもしれない。

 そして、この別れで結構傷ついた隆は、やはり美奈子のことを思い出さずにはいられないのであった。


 ライブハウスの仕事が無くなってからは、デザイン会社に非常勤で勤めることにした。

 社会に出た隆と英一は、仕事の面で大いに苦労することになり、不条理な出来事にも遭遇する。決して楽な社会生活ではなかった。


 二人は東中野の安い居酒屋や中華「十番」などで飲むことはいつものことだった。世間話や麗奈との別れなど近況を話すことが多いが、ある晩、英一はふいに隆に聞いた。


「そういえば、おまえ、三年位前に瀬尾さんの撮影やったよね」

「ああ、やったよ」

「うまく撮れたのかい」

「ああ、よく撮れたし、現像や引き延ばしも上手いこといった」

「それから瀬尾さんに会ってるのか?」

「いや、あの撮影以来会ってない。良く撮れていた何枚か選んで引き伸ばし、出来たら会って渡すことになっていたんだけど、出来上がるまでに時間がかかってしまったんだ。『出来上がったから見せたいので会いましょう』という手紙が戻ってきてしまったよ。電話番号も知らないし」

「そうか、そりゃあ、残念だったね。今度プリント見せてくれ」


 隆は、あの時に再会日の約束をしなかったことを後悔している。

 引き伸ばした写真は、美奈子の魅力を十分に表現できていて、直に手渡ししたかったが、どうしようもなかった。



 実は、美奈子は短大在学中にアルバイト先の大手の商社社員の大村という男と知り合った。大村はインテリで読書家、美奈子と話が合った。そして、美奈子は美人であり、大村の心を奪った。

「瀬尾さん、君は頭もいいし、仕事もできる。そして美しい。君を大事に思う気持ちわかってくれていると思うけど、つき合ってほしい」

「はい、私もあなたのことは意識してます。今までの仕事の中であなたの性格もよくわかってます。お付き合いさせていただきます」

 美奈子は、まじめでおおらかで仕事のできる大村に好感を持って大村の愛を受け入れ恋人関係となった。

 短大を卒業すると、仕事ぶりが評価され正社員になった。

 しばらくの交際の後、大村から同棲を求められ、すこし迷ったが応じた。


 感性を称えた隆の願いで写真モデルに応じたが、時間がたってその記憶も薄れ、大村との愛の生活に浸ってしまって隆のことが頭の片隅に追いやられた。結局、隆には新しい住所を連絡はしないままになっていた。


 美奈子は隆のことを青春の思い出として心にしまって、新しい恋に進んでいたのである。十年後に発売されることになる「麗美」の「青春のリグレット」の「普通に結婚していくの、憎んでも忘れないでね」というユーミン作詞の先取りの様な展開かもしれない。そのとおり、同棲から一年後ほどして大村と結婚してしまうのだった。

 結婚式に出席した美登里は二人にお祝いの言葉をかけながら心の中で思う。

(美奈子は、写真撮ってくれた漆原君のことは、吹っ切れたのかしら。話題にも乗らないから、もう昔の人なのね)


 結婚後五年して、大村はタイに単身赴任する。美奈子はその商社の正社員として結構重要な仕事も任される立場になっていたので、自分の仕事に対する責任感から日本に残り、別居夫婦となっていくのだった。

 


 隆のことをなんだかんだ心配し相談していた英一は、1974年に仕事場で出会った年下の成塚幸代と結婚した。結婚式には隆はじめバンドそろって演奏で祝福した。英一はこの結婚の後しばらくして、建築士の資格試験に合格した。建設会社の勤務中には施工現場での結構ずさんな工事の実態を見ていたので、その体験から早く自らの事務所を持つことを目標とした。


 幸代との結婚前には、もて男の英一なので多くの女性からのアプローチが来ていた。エレキギターはリード担当で歌もうまい。ハンサムで頭もよい。英一に言い寄る女性は皆自分に自信がある美人が多かった。幸代もその中の一人だが、英一の心を決定的にとらえたことがあった。幸代は社内で同僚があらぬ疑いをかけられたときに、正義感からその同僚の潔白を証明するため奮闘した。不条理をそのまま見過ごすことができない性格で、その様子を見ていた英一はその姿勢に感動したのだった。幸代の賢明さ、素直さとやさしさもあって英一の心をとらえたのだった。

 幸代は英一が建築士の資格を取るための準備中、健康状態や精神状態が落ち込むことのないように、最大限のフォローをしていた。


「英一、すごいじゃん、国家資格を得たんだね。建築士の試験って、難しいんだろ。奥さんも喜んでるんだろ」

「ああ、試験勉強中にフォローしてくれた幸代には感謝してる。幸代に気が取られることを避けるために、毎晩仕事が終わってから、新宿の茶店に問題集を持って行って勉強したんだ。多分学科はギリギリだったろうけど、実施試験は余裕だったよ」

 資格を取ってから二年程知人の設計事務所に勤めたが、その後独立して三田に小さな事務所を開いたのだった。


 しかし事務所の経営は、なかなか大変である。

 英一は、まじめな性格で営業はあまりうまくない。

 競合した設計施工業者が安い設計料を謳うので、建て主はついそちらにつられて本当は質の悪い建物となる危険性があるのに、報酬額で負けてしまうのだった。


 隆は三田の英一の事務所に行った際には、戦前から続く大門のもつ焼きの老舗「秋田屋」によく行って、いろいろな話を聞いた。隆の地元の東中野の「十番」にもよく行って餃子を食べビールを飲みながら英一の苦労話を聞かされていた。酒が進むと隆はその理不尽さに自分のことのように憤慨するのだった。


「建築界がおかしいよね。そういう悪習を放置しているなんてさ」と隆。

「ああ、なんたって、結局建て主が損するのさ。そしてそれは社会全体の損失になるんだから。国もきちんと対応しなくちゃあいけないのに、動きが鈍い!」


 英一は、仕事の確保に苦戦していても、設計力を試すために設計コンペにたびたび応募することがあったが、隆はその応募用ディスプレィパネルや模型作りに協力するのであった。ある時には泊まり込んで作業することもあった。英一の設計の建物の模型や完成図で協力していると、英一の設計のコンセプトが如何に使う人の為になる住まいや空間を作ること、さらに環境に配慮して、社会の為になることを目指しているかがよく分かった。


 隆は、まじめな英一の真摯な仕事が正統に認められることを願って、出来ることは協力していくのだった。 


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