表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

第十章(最終章) 再会を呼ぶ作品展、そして愛の余韻

この章で触れた楽曲、演奏者

■恋の一時間は孤独の千年/麗美(作:ユーミン)

■バッド(BAD)/マイケルジャクソン

「英一、あの会社はどうも危ないらしいよ」

「そうかい、じゃああの寺院プロジェクトは、どうなるかわからないね」


 1986年、寺院プロジェクトは続いていたが、依頼会社の経営不振から、ビルマ訪問は減少していった。

 そして二年後の1988年には長期独裁ネウイン政権へ抗議する民主化運動とそれを抑圧する軍部の武力制圧の悲惨な事件が起きるのだった。


 隆たちがパガン訪問していた時には一見平和な様子だったが、異邦人にはわからない圧政が水面下で進行していたのだった。この政変でビルマ行は中断となった。隆は、その後十年ほどは軍事政権を利することになるビルマ訪問を控えた。また、数年後のバブル崩壊で寺院プロジェクトは完全に中止となった。


 その政変前には、異変を感じさせずにパガン訪問ができたが、一回の訪問はビザでの許容滞在日数が一週間だけなので、パガンには三日くらいしか滞在できない。よって、なかなか調査が進まないでいた。隆と英一の事務所も結構多忙なので、調整も大変だった。


 そんな中、37才になった英一は隆の協力で制作した応募作品が設計コンペの二等に入賞する。何回目かの挑戦で、ようやく英一の設計力が認められて、隆もパース制作協力者として大いに喜んだ。


「隆、嬉しい知らせだ。コンペに入賞したよ」

「英一、俺たちの努力が報われたね」

「ああ、隆の協力のおかげだよ」


 コンペの課題は、地方都市の小規模な町役場だが、その地方の特性を生かし、使い勝手と耐震性を最重視し、少しチャレンジングしたデザインを両立させた作品だった。後年の阪神淡路大震災で耐震性重視の建物が損壊せず、依頼者の感謝とマスコミでの紹介もあったが、これも誠意と努力が報われたことになるのであった。

 建築設計コンペで入賞するのはかなり難しいことであったが、英一はそれを成し遂げた。

 一方隆の方は、なかなかフォトコンテストに入選せず、落選が続いた。英一が栄誉を手に入れたことは仲間として嬉しいが、自分だけが取り残されたと感じ、あせりの気持ちが芽生えてきた。嫉妬も起きた。

「香音、おれの作品はなかなか認められない。ダメなのかな」

「そうね、ダメかもね。ダメなのはそのネガティブな気持ちよ。もっと自信もって、どんどん応募しなさいよ。私はあなたの感性を信じているからね」

 感性を評価してくれるのは美奈子と同じだと思った。

「香音、ありがと。今までの作品を見直して、応募作を選びなおすよ。しかし、審査員の好みで決まるから、なかなか難しいね」

「隆、自信を持ってよ。審査員のことなど考えず、自分が最も人に感動を与えると思う物を選べばいいんじゃあないの」

「そうだね、わかった。そうだ、そうする」


 隆は香音の心強い応援を得て、作品を選び次のコンテストに応募した。そして、英一の入選の翌年、1987年になって応募した写真がコンテストに入賞した。最優秀賞ではなく銀賞だったが、初受賞は感激ものだった。

 応募作品は、ビルマパガンの村人たちの素朴で明るい様子を切り取ったものだった。入選の案内が届いたときには、思わず小さな叫び声をあげたのだった。


「英一、おれも写真コンテストでやっと入選したよ。」

「おめでとう、あのパガンでの写真かい?」

「ああ、パガンの綿摘みの女たちを撮った写真だよ。この機会に写真展を開こうかと思ってる」

「そりゃあいいね、応援するよ」


 隆は銀賞受賞を一つのきっかけとして、秋に写真作品展を開催することを決心した。一回の入選だけでの写真展は早いかと思ったが、香音が強く後押しして決断した。


 秋はコスモスが咲き誇る季節でもある。1969年の哲学堂公園で美奈子を撮影してから、ほぼ二十年の間に何枚もの写真を撮影し、多くの作品が蓄積されている。

 展示作品のメインは、銀賞受賞作のシリーズのパガンの遺跡とミャンマーの人々たち、それと女性ポートレートで、ヌードも数枚ある。

 英一の協力から、中野駅近くの小規模の会場を借り受けることができて準備を始めた。妻の香音は全面的に協力してくれ、展示作品の選定に協力した。


 香音は昔から隆の作品の中に隆が思う人を写したものがあることは結婚当時から知っていた。ただし、そのモデルの名前は知らなかった。作品そのものの良さも理解できる芸術家である。だから展示品の中にそれらがあることに違和感は感じていなかった。むしろ、展示候補に挙げてはと言ってくれた。


 美奈子は、タイから帰国後、妊娠に気づく前に転居通知を隆に送っていた。隆の生活を壊したくはなかったので、新住所を知らせるかどうか迷ったが、結局あえて形式的な事務的な印刷のはがきで知らせた。


 隆は、その転居案内の住所宛に写真展の案内を送った。ちゃんと届くかどうかわからず不安はあったが。


「英一、今回は会場の件では感謝だね。いい場所を教えてくれて嬉しいよ」

「隆、準備万端かい?展示作品はきちんとできてるんだろうね?」

「ああ、ほぼ用意できたよ。香音も手伝ってくれてるし、作品の選定でも的確にアドバイスしてくれてる。優秀なコーディネーターだよ」


「ところで、案内状は美奈子ちゃんに送ったのかい」

「もちろん送ったよ。だいぶ前にやけに事務的な転居案内が来ていたのでそこにね。でも届いているかはよくわからない」


 1987年の秋、一週間の予定の写真展がスタートした。

 10月にブラックマンデーという経済界での衝撃的な出来事が起きる少し前なので、時期としてはよかったかもしれない。しかし「マイケルジャクソン」が「バッド(BAD」」という曲を発表していたのである。


 それなりに隆の知人を中心に何人もの来場者があった。英一の建築関係の知人達も顔をだしてくれた。香音の絵画作品を評価したり購入した美術関係者も来ていた。結婚したころから香音の絵画作品も少しづつ人気が出てきて、香音が案内状を送ったのである。

 隆は、開催中は毎日会場に詰めた。もちろん、美奈子が来ることを期待してのことでもある。


 もう来ないかもとあきらめていた最終日に美奈子が美登里と二人で会場に姿を現した。五年ぶりの再開であった。明るいジャケット姿のこざっぱりした服装で、素顔に近い軽い化粧。小さな花束をお祝いに持ってきた。美奈子が持ってきた花束はコスモスであった。


挿絵(By みてみん)


 美奈子は歳を重ねていたがいつまでも若さを保っていて女性としての魅力は変わらなかった。隆は内心大いに喜んだが、それは表情には出せなかった。


 美奈子は、隆からの案内状で写真展開催を知り、美登里にも知らせて相談した。

美登里は

「行けばいいんじゃあない。美奈ちゃんは隆のことがずっと忘れられないんでしょう。時間もたってるし、どんな写真があるのかも興味があるよね」

「そうね、パガンは楽しかった。あれから五年。隆も一人前になったようだし。美登里も一緒に行ってくれる?」

 美奈子は美登里の後押しもあって、隆の作品を観るため、隆に会いたくて来たのであった。


 美登里は美奈子の心の傷を考えると、隆の子を出産して認知してくれという話ではないのだから、隆の子を宿したことを漏らしてもいいのかもしれないと思った。

 美奈子の許しが無くても自分から話してしまおうかと考えた。しかし、過ぎたことをいまさら言っても意味はないとも思うのだった。

 美奈子に伴って会場に行くことにしたが、会場に着いてからもこの秘密の暴露は散々迷った。


 実は美奈子はこの会場に来る前に会場からそう遠くない哲学堂公園に行ってみたくなり、美登里に頼んで寄り道をしたのだった。


 美登里は

「ここで、隆君はあなたのことを撮影したのね?」

「ええ、そうよ、なつかしいわ」

 美奈子は、18年前の撮影の日を思い返した。まだ若い隆の撮影する姿が浮かんだ。買ったばかりのカメラで時として操作に戸惑いながらもひたすら美奈子の魅力を引き出そうと奮闘する隆の姿が目に浮かんで少し涙ぐんでしまった。

「あら、美奈子、その時の事思い返して泣いてるの?」

「ええ、泣いてなんかいないわよ。ちょっと懐かしんでるの」

 更に、パガンでの幸せな逢瀬も思い出し、更にセンチメンタルな気分になっていった。


 1984年にリリースされた麗美の「恋の一時間は孤独の千年」はユーミン作で麗美に提供された曲だが、シングルのB面なのでそんなにヒットしなかった。しかし美奈子はこの詩とメロディに引き込まれ自分の気持ちを何か表してくれているような気持になり、何度も聞き直すのだった。


 美奈子は美登里を昔撮影された雑木林など案内してから、例の「時空岡」に行く。又、何かを感じるのではないかと期待して広場の中心で目を閉じてみた。かすかに出てきた幻影はやはりお釈迦様だったが、それはパガンで拝んだ優しい目をしたいくつもの仏陀像に思えた。


 美登里も

「何だか不思議なところね」

と何かを感じてたようだった。美登里は何を見たのであろうか?

 美奈子は、その幻影で心が休まるような気持ちになり、美登里を促して写真展会場に向かったのである。



 会場にいた英一は、美奈子達を見ると嬉しくなり、再会を喜びながら挨拶した。英一は、隆と美奈子の関係を自分と香織のことと重ね合わせて、何とも言えない感慨を感じるのであった。


「美奈子さん、美登里さん、久しぶり、お元気でした?」

「英一さん、ほんと、久しぶりでした」

 美登里は英一の活躍を知っていて祝辞を述べた。

「英一さん、設計コンペの入賞、おめでとうございます。すごいですね」

「ありがとう。隆も頑張って入選したから二重に嬉しいよ」

 美奈子も同様に英一の栄誉をたたえた。


 隆も、美奈子と美登里に近よると、来場の感謝を伝えた。

「瀬尾さん、篠田さん、久しぶりです。来ていただいて嬉しいです。これが妻の香音です」

「香音、こちら高校の同期の瀬尾さんと篠田さんです」

 隆はそばにいた香音に、少しよそよそしく名字だけで紹介した。


 香音は同じように歓迎の言葉を述べた。美奈子が、昔の隆の写真のモデルの女性であるということはもちろん理解したが、余計なことは言わず、隆と美奈子を二人だけにするように、英一と一緒に二人から離れた。

 英一も、二人の再開を心の中で喜んだ。

 香音は受付の記帳を見てその古い写真の魅力的なモデルの女性が「瀬尾美奈子」という名前であることをはじめて知った。


 香音は、英一の気をはぐらせるために世間話をしだした。

「ねえ、英一さん、ゴッホの絵を日本の生命保険会社が50数億円で買ったそうよ」

「ああ、ニュースで見たよ。50億ってすごいね。生きている時に1枚だけ売れた額は40万円くらいだったって聞いたけど、その差はすごいね」

「そうよ、あの『ひまわり』は確かに素敵だけど、50億円で買ってもよいのかしらね」

「でも日本で見れるようだから、見に行ってもよいね」

「そうね。私も見に行くわよ」


 そんな二人のやりとりは知らず、隆は、美奈子に話しかける。

「来てくれてありがとう。案内がちゃんと届いたようだけど、半分はあきらめていたんだ。いろいろあったことはもう落ち着いたの?」

「ええ、何とか。結局夫とは離婚して、今は一人暮らしなの。美登里がいろいろと助けてくれたの。静かに暮らしているわ」

「それを聞いて、安心したよ」

 美登里は、美奈子の脇で控えめにうなずいていた。


 隆は、美奈子達を順番に展示作品を説明して廻った。

 入賞作品はパガン遺跡で撮影した村の人々の姿であった。ラングーンの「シュエダゴンパゴダ」で祈りをささげるビルマの人々の写真もあった。


「今も、一応寺院プロジェクトが続いているので、いつまで続くかわからないが、時々英一とパガンに行くんだよ」

「ええ、そうなの?懐かしい」

 美奈子は、パガンで過ごした特別の日々を思い出した。


 離れたところから二人の様子を見ていた香音は、二人だけの何がしかの関係があることは察していたが、それを口には出さなかった。観音様のような香音なのだ。


 展示作品には何人かの女性をモデルとしたポートレートコーナーがあり、哲学堂公園で撮影した美奈子のものも何枚かあった。大きめに引き伸ばされた自分がモデルの作品を見て、感激した。


 そのコーナーのはずれにあった一枚は、顔は隠れていたがブーゲンビリアを背にしたセミヌードで、それは1982年のパガンのホテルの庭で撮影した美奈子の姿だった。


 美登里は、そっと美奈子に

「これ、もしかして美奈ちゃんじゃあないの?綺麗ね」

 美奈子は、それには答えず、微笑を返した。


 哲学堂公園の時の美奈子とは年齢を重ねているので、よく見るとその変化がわかるかもしれないが、知らない人はその時代差に気が付かないであろう。その写真に写る情景は美奈子にとって特別な思いのあるものであった。


「どうだろう、この作品には、『梶井基次郎』の時のような感受性は感じられたかい?」

「ええ、感じるわよ、すごくね」


 美奈子は自分を撮った作品を見て心が震えた。他人にはわからない美奈子への愛があふれていたからだ。


 美奈子は、会場に着いてから香音に挨拶したあとで、香音が二人だけの会話を妨げないように美奈子と隆からそっと離れて行った心遣いを感じ、遠くから見守っていてくれているように感じた。

(この人が隆の奥さんでよかった)

と思う美奈子。


 美奈子は、一通りの作品の鑑賞を終えたので、隆に

「私、これで失礼するわ」と言い、香音にも挨拶をするために近づいて言ったが、香音に何て言ってよいのか、かける言葉は思いつかなかった。

 美奈子が、それでも香音に何かを言おうとしたら

「何も、おっしゃらなくて良いのよ」

 と香音。


 美奈子は改めて香音の心の大きさを感じ、それ以上何も言わずに香音と英一達に軽く会釈をして会場の出口に向かった。


 美登里は、香音が隆にとって大事な存在であることや、隆の作品に現れている感性、隆の美奈子への思いを感じ、そして美奈子の気持ちを考えてこの日の暴露話はやめて美奈子と一緒に帰ることにした。


 隆は、美奈子が自分の子供を宿してたことなど知るよしもなく。懐かしい思い出だけで美奈子の後姿を見送った。



 美奈子は、会場を後にして駅に向かう道を歩きながら、こらえていた涙を溢れさせたのであった。美登里はそんな美奈子の肩をそっと抱いて一緒に歩いて行った。


 美奈子の手には、隆が帰り際にそっと渡してくれた少し大きめの封筒があった。その中身は18年たってようやく渡すことができた四つ切りサイズに引き伸ばした数枚の美奈子のポートレートであった。 


 完


この「コスモスしか知らない」全体のイメージソングは、最終章でふれた「麗美」の「恋の一時間は孤独の千年」です。この曲を聞きながら読んでいただくと良いでしょう。

また、「美奈子」のイメージフォトは寺和田六軒のサイトで紹介されています。

 https://www.ne.jp/asahi/imagi/nation/photoGallery/index.html

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ