ご家族には、一人称僕なんですね
目を開けると、自室の天井があった。
「お目覚めですか?」
「うわああ!」
天井に女の顔が映し出される。
「そんなに驚かないでくださいよ。ちょっと傷つきますよ。流石の私でも。」
天井の顔が消えた。横を見ると、女が立っている。ブラックジャックのキャラTを着て。
「……いや、それ俺の服!……じゃなくて、なんでここに居るんだよ!お前!」
「…失礼ですね。ここまで運んできてあげたんですよ。感謝して欲しいぐらいですよ。洋服はお借りしました。これが俗に言う彼シャツですね。」
「いや、ちげーよ…。…ここまで運んできた?おい!母さんと父さんは!?」
「……彼女だって言って、入れてもらいました。」
「嘘つけ!お前全裸だったじゃねーか!」
「覚えてたんですね。良かった。すみません。嘘つきました。こっそり、この家にあなたを担いで、お邪魔しました。御両親は、下で寝ていますよ。安心してください。」
「信じられるか!」
ベッドから飛び起きて、部屋を出る。階段を駆け下り、寝室を思いっきり開けた。
そこには、仲良く布団を並べて眠る母さんと父さんの姿があった。慌てて、駆け寄る。
「起きて!起きて!二人とも!はやく、逃げて!」
「……なによ。」
「不審者!不審者!」
「不審者……?ええ!どこに!?」
「二階!二階!僕の部屋!」
「ちょっと、お父さん!お父さん!泥棒!」
「……なんだと!」
父さんが飛び起きると、昔俺が使っていたバットを物置から取り出した。
「どこだ!?」
「二階!二階!カズの部屋!」
「ええ!父さん行くの!?」
俺の返事を待たずに、父さんは階段を駆け上がっていった。
「ちょっとカズ!あんたも行きなさいよ!」
母さんは、俺にフライパンを渡すと、110番110番、と言って自分のスマホを探し始めた。
「…おーーい!カズ!誰も居ないぞ!」
二階から父さんの声がした。
うそだ。そんなわけ。慌てて、階段を上がると、父さんがバットを片手に俺の部屋の前で仁王立ちしていた。
部屋には誰も居なかった。代わりにブラックジャックのTシャツがベッドに置かれていた。
「……カズ、酒飲んできたのか?」
「違うよ!父さん!いや、飲んではきたんだけど!ここに居たんだって!あの洋服を着て!」
「……窓も開いてないし、タンスだって開いてない。酔い過ぎだ。気をつけなさい。」
母さん!勘違いだ!と言って、父さんは階段を降りていってしまった。
……そうか、俺、酒飲んでたじゃん。結構、飲んだもんな。酔ってたのか。
部屋に入って、おそるおそるブラックジャックのTシャツを持つ。何の変哲もないただのTシャツ。高校時代、よく着てた。今、思えばキャラTなんてよく着てたな。
「そのTシャツ、要らないなら貰っていいですか?」
「うわああ!」
背後から声がした。全裸の女がやはりいた。
「やっぱりいるじゃん!!どこ居たんだ!今!」
不敵な笑みを浮かべ、女は再び姿を消した。
「な!?」
「私、天使ですからね。いわゆる透明化も出来るんですよ。これで、隠れてました。」
女が居た場所から声がした。
「…本当に、天使なのか?」
女が姿を現す。
「はい!何度も言ってるじゃないですか!」
「……理解する時間は、そりゃかかるだろ。」
「まあいいですよ。とりあえず、そのシャツ着させて下さい。話は、それからです。パンツも貸してください。」
天使と名乗る女は、俺の引き出しを開けて、勝手に俺のパンツを履いた。
鼓動が落ち着いてきて、同時に酔いがだんだん醒めてくるのが分かる。
天使は、俺のTシャツを着ると、胡坐をかいて目の前に座った。
「ご家族には、一人称僕なんですね。」
「……別にそんなんどうでもいいだろ。」
「怒らないでくださいよ…。コーヒー淹れますね。」
天使の右手に、マグカップが二個現れた。コーヒーの香りが部屋に漂い始める。いつの間にか、マグカップの中に黒い液体がある。
「なっ!?」
「…天使なんだから、こんぐらい簡単ですよ。まずどこから話しますかね。まあ、天使だってことは理解してもらったと思うので、その質問に関しては、もう無しで。」
結構、ロスしてるんでねと天使は、腕時計をとんとんと叩いた。とりあえず、俺も天使の目の前に座る。
コーヒーの湯気が立ち昇る視線の先には、長髪の黒髪の女がいる。顔をよく見ると、ハーフのような顔立ちをしている。
「ちなみに人種とか天使にないですからね。」
天使はにこっと笑った。そうだった、こいつ心読めるんだった。
「…何しに来たんだよ。…何の用だよ。」
「ひどいですよ。私、一応命の恩人です」
死のうとしていたことを思い出す。
「…そうだった。…ごめん。」
「全然いいですけど!で、さっきも言いましたけど、未来売ってみませんかって話です!」
そんなことも言ってたな。
「…いまいち意味が分からないんだが…。」
天使はコーヒーを一口啜った。「あっつ!」と舌を出した。
「……そのまんまです。あなたがこれから生きる予定の数十年を私に売ってもらいたいんです。」
俺もコーヒーに手をつける。「あっつ!」思わず声に出た。天使がにやにやしている。
「……死ねってことか?」
「違いますよ!勿論、全部の未来を売ることも出来ますが、一年でも十年でも、売る年数はあなたが決められます。まあ、こちらとしては、全て売っていただけると嬉しいんですけどね。」
天使はコーヒーを一気に飲み干した。
「熱すぎましたね、これ。すみません。……まあ、売ってもらうかわりに、あなたの人生、やり直させてあげますよ。」
「俺の人生?」
「そうです。売ってもらった分だけの未来年数に応じた、あなたの過去をあなたにあげます。まあ、タイムスリップってやつです。簡単に言うとね。」
天使はウインクした。
「タイムスリップ……。」
「悪い話じゃないでしょ。あなた、さっき死のうとしてたし。それほど、辛いことがあったんでしょうね。または、未来に対して絶望しかなかったか。」
「……両方だけど。」
「はは。そうですか。それは、また気の毒ですね。」
「未来を売れば、過去に戻れるんだな?つまり、寿命が短くなるってことか?」
「流石!大学生は違いますね!その通りです!まあ、かといって、過去に戻れる期間もありますけどね。」
「ん?ずっと居られるんじゃないのか?」
「…そうですよ。」
「え、じゃあ、例えば一年分の寿命あげるとしたら、何年ぐらい戻れるの?」
「一年からじゃ取り扱わないですよ。まあ、お試しで使わせることもありますけど。大体、十年から始まって、まあ、一日ですかね。」
「え?十年も寿命あげて、一日しか戻れないの?」
「しかってなんですか!十分でしょ!過去に戻れるんだから。」
「じゃあ、一ヶ月だったら?」
天使が手帳を取り出した。表紙に寿命名簿と書かれている。
「まあ、あなたでしたら、六十年ですね。」
「六十年……。」
「まあでも、こんなに戻るお客さんは居ないですよ。意味なくなっちゃいますからね。過去に戻る。」
「……たしかに。過去を変えれば、未来が変わるはずなのに、帰ってきて肝心の未来がなかったらな。意味ないもんな。」
「しかも帰ってきたら、過去に行ってたことも忘れますからね。」
「…そうなのか。普通そういうのって、引き継がれるんじゃないのか。」
「昔は、引き継いでたらしいですけどね。今はほらユーチューバーとかいるし、面倒くさいじゃないですか。」
何が面倒くさいのか理解出来なかった。
「……なかなか、リスキーだな。しかも、なんか損得がいまいち分かりづらい。」
「そうなんですよ~。で、どうします?戻ってみます?」
天使が俺の顔を覗き込んだ。
「…まあ、やってみるか。」
「やったー!流石!」
天使は、おおげさに万歳三唱を始めた。
「ただ、一度お試しもやってみたい。」
天使が万歳三唱をやめた。
顔から笑みが消える。
冷めた目で言う。
「…お試しですか。いいですよ。一年分の未来貰いますが、よろしいですか。」
「う、うん。」
「では、こちらに血をお願いします。」
持っていた手帳から、天使が紙をむしりとり、ポケットから一本の針を床の上に置いた。
「これに垂らすのか?」
「はい。あ、やっぱ唾とかでもいいですよ。怖かったら。」
「…じゃあ、唾で。」
唾液を紙に垂らすと、紙は綿あめを水に浸けたかのように溶けて無くなってしまった。
「はい、契約完了です!」
天使が宙に浮かんだ。
「じゃあ、いってらっしゃい!!」
突然、床が開いた。真っ暗な闇があった。
身体がそこに吸い込まれていく。
騙された。落ちていく間は、それしか思えなかった。