ぼくのウンコマン作戦、開始!
ゆきお君事件のときは結局みんなにバレたけど、そんなウンコマンの秘密を、入学以来ウンコマンになったことのないぼくだけが独り占めする「ウンコマンはっけんごっこ」はどこか手の中のアリとかカエルのような小さな生き物を指先でつついて楽しむような残酷な楽しみだった。
そして、ぼくはその子がウンコマンになってそれらのアトを個室に残している姿を具体的に想像して一人コーフンした。もちろんそのときの格好は一番恥ずかしいあのズボン半おろしでしゃがんでいる姿だ。
でも、今度は、ぼく自身がヒキョーでずるくて悪いウンコマンになる番がやってきた。それだけでもすごく屈辱的だった。
でも仕方なく、ぼくはサイアクのジタイを避けるために自分のウンコマン作戦を立てた。とりあえず、ぼくはこのまま個室に入らずに3限目の国語の授業に出るんだ。そして授業の途中にゆきお君のように「おしっこ」などとウソをついてこっそりと教室を抜け出してトイレに行くんだ。
授業中で誰も見ていないからといって学校でうんちすればウンコマンはウンコマンだし、服についた臭いでバレるかもしれないけど、もらすというサイアクの事態とか、クラスの子たちがやってきてベージュのドアの下の隙間からのぞかれるという二番目にサイアクの事態だけは避けることができそうだった。
しかも授業中だから誰も見ていないはずだから、こっそりズボンとパンツを脱いではいれるかもしれない。
まだ2時限目の始業のチャイムは鳴っていなかったので、ぼくはもう一度小便器のところに戻っておしっこをした。ちょっぴり出てほんの少し楽になったけど、ほとんどは出なくてたまっている感じでとても終業時どころか、次の休み時間までもガマンできそうもなかった。
ぼくは小便器の前を離れると手を洗った。洗っている最中にチャイムがなった。それはぼくにとってとても長くなりそうな時間の始まりを告げるチャイムだった。ぼくは大急ぎで教室に戻った。
教室からの脱出
「男子児童便所」から戻ってきたぼくはいつものように自分の席に腰を下ろすと少しほっとした。
前の休み時間に個室に入らなかったから、まだ、自分の席にこうして座っているぼくはウンコマンでなくこの4年2組の普通の子だった。
でも、ぼくのウンコマン作戦はもう始まっていた。入学以来続いてきた普通の子の時間はお腹の中のおしっこやうんちのせいでもうそんなに残されていなかった。授業中いつ誰にも気づかれないように教室を抜け出すことができるんだろうが、抜け出せなかったら、ぼくのおなかの中のおしっことうんちは・・・。
そして、先生がやってきて「きりつ、れい」をすると今も続いている3限目の授業が始まったんだ。
よしお君と昌子ちゃんの議論は相変わらず続いていた。二人の言い争いはいつのまにかジョンやキャサリンとは何の関係もない学校の掃除当番の話になっていた。昌子ちゃんは掃除中男子がふざけるのを批判したのに対して、よしお君も負けずと女子が掃除中サボっておしゃべりしていると言い返した。
そんなよしお君と昌子ちゃんを前に、ぼくは、いつ席を立って先生に「先生、トイレ」と告げるかということと、そのあと自分が入り損ねた個室を前にどう自分がズボンとパンツを脱ぐかばかり考えていた。
ぼくは幼稚園の頃にお母さんに街のデパートに連れて行ったもらったときのことを思い出していた。デパートの食堂で昼ごはんを食べてあとどうしてもうんちがしたくなって、そこのトイレでしたときに、個室の中で全部脱いでそれで無事できたことがあった。
家にいるときみたいにドアの前で脱ぐのはちょっとだけど、そのときのようにすれば全部脱ぐのは今もそれでできるような気がした。
そんなぼくに、とてもいつ終わるとも知れないそんな堂々巡りの議論なんか付き合えなかった。それでも、ときどき同じ班の子たちは意見を聞いてくるけど、どっちの立場にも「うんうん、そうだね」と本当に適当に答えるだけだった。
もう、ぼくの考えと言葉は今いすに当たっているおしりの穴の中のものに捕まったようにそこから離れなくなってしまったんだ。
そんなことだけを黙って一人考えているときどきぼくを見る彼らたちの顔には、普段だったらこういう場では意見をわりとはっきりと言うはずのぼくが、こういう態度をとっていることを歯がゆく感じているのがはっきり出ていた。
でも、ごめん。もう、班の子たちはぼくに期待しないで欲しい。ぼくは、ただ、もう少し議論が白熱して、ぼくのことなんか忘れてぼくがこっそり席を立てるようになってほしかった。そうならないと、三年生だった去年、教室で目にしたゆうすけ君の運命がぼくにも訪れるかもしれなかった。
今はみんな議論の方に熱中していたので、幸いにもぼくの方に注目が向いてなかったが、それ以外はまったくその時のゆうすけ君と同じことになっていた。
ぼくが授業に今の態度を撮り続けていたらいずれ班の男子たちはぼくの状況に気づくだろう。そして「さっきから黙っているけど、おまえクソしたいんだろう!」とぼくに関心を向け始めるかもしれない。
そして、ゆうすけ君のときのようにウンココールが始まったら、もうぼくはハメツだ・・・。
だから、ぼくは誰も気づかれそうもないタイミングで一刻も早く行きたかった。もらしたら、ゆうすけ君のように少なくとも3ヶ月は「ウンコもらし」と呼ばれることになる。いやもしかすると三ヶ月どころか一年生の入学式でうんちをもらしてから三年過ぎても未だにそのことでからかわれる、たもつ君の例もあるし。
そのとき二人の白熱ぶりを見かねた先生がやってきて「これは国語の授業なのよ、けんかじゃないのよ! もっと落ち着いて話し合いなさい!」とよしお君と昌子ちゃんを注意した。二人は一瞬黙った。
でも、昌子ちゃんは「よしお君のおかげで先生に怒られたわ」というとよしお君もすぐに「そういう昌子ちゃんだって」やり返した。手を叩きながら先生も「ほら、もう、やめなさい」と言った。
でも二人はやめなかった。それどころか他の子もふたたび二人に加勢し始めた。先生はもうお手上げという感じだった。
ぼくも彼らの声がおしりの穴まで響きそうなくらいぎりぎりだったが、この混乱ぶりはクラスの子に気づかれないでトイレに行く絶好のチャンスだった。
この様子だとゆきお君ぐらい時間がかかっても誰も気にしないだろう。
ぼくは音を立てないように、できるだけゆっくりといすを動かして立ち上がり、その白熱ぶりにさじを投げてしまって呆然と見ているだけになってしまった先生にできるだけ近づいた。
そして、脇からささやくようにぼくは「先生!」と言った。先生は急に気を取り戻したみたいにガクッと少し首を動かして「はい」と先生はぼくに向いた。
ぼくは一呼吸入れてあくまでもおしっこのためにトイレで行くんだと自分自身に言い聞かせた上で「トイレに行きたいです、おしっこです」と先生にしか聞こえないように、できるだけ耳元に近づいてから、念入りに低めの声で言った。
ぼくはできれば先生にもこれからうんちに行くことを気づかれたくなかった。うっかり先生が不注意にも「お腹痛そうね」とか言ったらみんなの注目を受けるし、これから学校でうんちすることは先生にも絶対知られたくなかった秘密だった。
でも、そう言い終わると、言葉の上ではこれからトイレに行くという本当のことを言ったはずなのに、そういう秘密を隠していることで何かウソをついたよう な罪悪感でぼくの胸はドキドキした。そして何か結局うんちすることを告白してしまったような恥ずかしさで顔がすこし赤くなった。
すると先生はぼくの顔をじっと見た。ぼくは、まずい、ぼくが隠している本当の秘密が気づかれたかなと思った。
でも、先生は「あっ顔が赤いようね、お熱でもあるのかしら」とぼくの額に手を当てた。もし保健室で休んできなさいと言われたらどうしよう、学校のきまりでは授業中に保健室に行くときは一人では行かずクラスの保険係がついていく決まりだった。ぼくは一人で教室を出たかったのに、保健委員がずっとぼくについてくる。もうこの教室の下の一階の保健室まで間に合いそうもないのに・・・。
でも先生は「お熱はないようね、●●君しょうがないわね、休み時間にトイレに行っておかなければダメでしょう、行ってきなさい」と言っただけでぼくを行かせてくれた。
よかった。先生はぼくがただのおしっこでトイレに行くと思ってくれたようだった。「お腹が痛いの?」と聞かれずに済んだ。さらに幸いなことに相変わらず議論に夢中なクラスの子たちは誰もぼくには興味はなく、振り向きもしなかった。
ぼくも先生の許可を得ても相変わらず胸がドキドキしていたので、先生に「はい、行ってきます」と言うと後ろを振り返らずに、できるだけ気づかれないようにこっそりと教室の後ろの入り口に向かい、戸を開けた。
開けるとき「きけん! この先は行ってはいけません」と書かれた看板の向こう側に行こうとするジョンとキャサリンのことを思い出した。この二人が看板に書かれたきまりを破るように、ぼくもウンコマンになろうとしている。しかも先生におしっこをしたいとウソをついている・・・。
階段の先を曲がれば
外に出ると、そこはもう廊下だった。後ろを振り返らずに廊下のぼくはそっと4年2組の教室の戸を閉めた。それまでぼくの耳につきまとってきた先生やクラスの子たちの声がまわりの教室と変わらないくらい静かになった。
もう、これでぼくは4年2組にいなくなったんだ。なくなったのは声だけでなく、登校から終わりの会までずっと一緒にいて、いつも何かしら、ぼく自身を見ている同じクラスの子たちの視線ももうそこにはなかった。
2階の廊下は東の行き止まりが第1音楽室、西の行き止まりは第2音楽室だけど、授業中だからついさっきの休み時間と変わって、どちらを向いても廊下は先生も歩いていなかった。教室から聞こえる授業の先生の声さえ聞こえなければ本当に一人の世界になったみたいだった。
廊下は人影の代わりに校舎のはるか向こうまで続いていた教室と反対側の北向きのアルミサッシを通して差し込んでくる日差しを白い塗装や御影石や床のリノリウム板が反射して清潔そうな白い光を放っていた。
しかもアルミサッシの窓は真下のグランドに向かってすべて開け放たれていて、初夏の真っ青に晴れ渡った空が見えた。開け放たれた窓からは授業を受ける子の掛け声や体育の授業の先生の声ともに外から結構強い風が吹き込んできていた。吹き込んでくる風は教室の中の論争で飛ばされたツバでよどんだ空気とは正反対に爽やかで、ぼくのほっぺたをなでて気持ちがよかった。
あまりに気持ちよくて、ここは森じゃないけど、ジョンがキャサリンを誘って行こうとした、「森なのに、木と木の間を吹き抜ける風が涼しく」て気持ちよい場所」や「誰もいなくても誰も知らないすてきな場所」という「秘密の場所」というのはこういうところじゃないかとふと思った。
こうしてぼくは机を合わせていたクラスの子たちから離れてたった一人になれたことにほっとした。ぼくはやっとクラスの一員でなくてただのうんちしたい子どもになれた。
これでぼくが教室からクラスの子たちから気づかれずに脱出するウンコマン作戦その1は成功のうちに終わったんだ。
でも、ウンコマン作戦その1が成功したからといって、ぼくはいつまでここにとどまってはいることはできなかった。
ぼくのお腹の中のうんちやおしっこは次のウンコマン作戦その2の実行を待ちきれなかった。それはいつも休み時間に行っている西側の「男子児童便所」じゃなくて反対方向の後者配膳室の隣の東側の方へ行くことだった。
西側の「男子児童便所」はぼくの4年2組の教室から一つ置くだけの隣の隣、すぐ近くにあった。学校のきまりでは使うトイレは学年ごとに決まっていて、ぼくたち4年生はできるだけこの西側の「男子児童便所」を使うことになっていた。ぞれに、ぼくのお腹は学校のきまりと関係なくもうできるだけ近くのほうへ行きたがっていた。
でも、ぼくのウンコマン作戦その2で行くことになっていた東側の「男子児童便所」はもっと遠くのこの廊下の向こうにあった。東側の隣の4年1組だけでなくてその先の3年生の3つのクラスを抜けて、この校舎の2階の東のはずれの方だった。もうそこから先は給食の配膳室とこの2階の本当の行き止まりである第一音楽室しかなかった。
そんな遠くへ行きたかったのは、ガマンの時間が長くなってもできるだけクラスから離れたところでうんちしたかったんだ。
ゆきお君事件のときのように何か聞こえるかもしれないし、ものすごくいっぱいうんちが出て休み時間になってクラスの子が行ったときニオイが残っているかもしれなかった。それにそんな一教室しかあいだがあいていないところのトイレでしゃがむなんて、4年2組の子たちが座っている机のすぐそばでうんちするようでイヤだった。
そしてぼくはウンコマン作戦その2を実行するために第一音楽室の方を見た。2階の廊下の白い輝きは東側の階段の手すりに変わるあたりで終わって、そこから廊下は日陰になって薄暗くなっているのが見えた。一番の突き当りに第一音楽室があって、その少し手前の左側に配膳室があった。ここからは引っ込んで見えないけど、その配膳室と同じくここから手すりが見える階段の間に東側の「男子児童便所」があった。そこで右に曲がればもうぼくはウンコマンだった。
そう思ったとき、廊下の日差しと日陰の境界あたりで同じように授業を抜け出して今のぼくみたいに一瞬黒い半ズボンの中のもううんちでいっぱいの揺れるおしりを抱えながらそこへ駈け込んでいく男の子の姿を見たような気がした。
ぼくもぎりぎりという緊急時なのに、そんな走っていく子たちの姿を想像して妙にコーフンした。でも、それはまぼろしだった。 そして、ぼくはその「男子児童便所」に向かった。最初、ぼくはできるだけ足音も立てないようにそっと足を踏み出して歩き始めたつもりだった。
でも東側の「男子児童便所」は今のぼくには思った以上遠くて、そんなふうに歩くと一歩踏み出すごとにだんだん、うんちとおしっこが同時に押してくるようなお腹の痛みが増してきた。うんちを抑えようとしておしりの穴をしめようとすると逆流して、むかつくような感じがした。お腹もときどきぎゅるぎゅると不気味な音をたてた。
もうぼくは早く着きたいという思いだけが強くなってバタバタと足音がたつのも構わないまま、完全に走っていた。そんなぼくに胸で揺れる名札はすごく邪魔だった。そこに書かれた「4年2組」と名前は誰もいない廊下で一人になったはずのぼくをクラスの子がしつこく追いかけて来るみたいだった。
でも、ようやくぼくの東側の階段が見えた。階段のすぐ隣がぼくの目指している「男子児童便所」だった。そのとき階段の脇に置かれた背丈くらいありそうな大きな鏡に胸の名札とともにうつった青ざめた顔のぼくの前かがみ気味でおなかまで手に当てていて、完全にうんちしようとトイレに急ぐ小学生だった、その姿の通りぼくはそのとき出てしまいそうだった。
鏡の脇のゴミ箱が目に入ったとき。もう間に合わないなら、もらすよりましだし、誰も見ていないからあのゴミ箱の中にうんちして、しらんぷりして教室に戻る、という考えまで一瞬頭の中によぎった。
ちょっと前に掃除の最中にそのゴミ箱でうんちがしてあるのが見つかってその階の3年生4年生のほとんどが見物にくる大騒ぎになったことがあったんだ。結局犯人はわからなかったけど、そのときはなぜトイレが近いのにうんこしたんだ、と腹がたった。
でも、今は、その子も本当はぎりぎりまで我慢してトイレにまでたどりつけなかったと少し同情できた。